踊るジプシーと、作家ヴァニア・マンチーニ

Cultura popolare Deep Roma letteratura Società

ロムの子供たちのために、具体的にはどのような活動をしているんですか?

ロムの人々は、イタリアに住む、守られるべき少数民族なのよ。わたしはロムの子供たちが、イタリアの社会から排斥されて、いよいよ難しい境遇に陥らないないために、イタリア語もきちんと話せるようになって、他の市民と同じように、普通の学校教育が受けられるようになるためのプロジェクトに関わっているの。それはローマ市の教育政治評議委員との協同オーガナイズで行っているもの。また、学校の先生たちに、偏見を捨ててロムのことをもっと知ってもらうためにコミュケーションの場を作って、ロムの子供たちを学校に受け入れてもらうよう働きかけている。つまり、ロムの子供たちが学校に通いやすくするためのサポートよ。今ではローマの13番目の区、つまりサン・ピエトロから10km離れたあたりのプリマ・ヴァッレ、ボッチェア、モンテマリオの23の学校がロムを受け入れるようになったわ。

わたしが主にサポートしているのは、戦前の経済危機時、第二次世界大戦の少し前にイタリアに移民してきたスラブ民族として流れてきたコミュニティ。戦争の混乱のなか、彼らは移民してきているから、現在までイタリア国家に避難民として「政治的保護」を認められることはなかった。戦前のイタリアには避難民の法律が整備されていなかったからね。彼らは身分を証明するドキュメント、例えばパスポートアイデンティティ・カードを持つことも許されず、移民してきて何十年と経つのに、第2、第3世代の子供たちも学校にも行けないという状況なの。ドキュメントがないことは、何処の誰だか分からない、ということよ。存在しない人々ということと一緒。わかる? 社会的には彼らは存在しない人々なの。

さらにわたしたちは、彼らの文化を紹介する機会をオーガナイズする仲介者としても働いている。つまりロムのコミュティがイタリアの体制や社会に、自分たちの伝統・文化が紹介しやすくなるように、動いているの。はじめは数人のボランティアからはじめたことだったんだけれど、やがてローマ市のプロジェクトに組み込まれるようにもなり、欧州連合のプロジェクトとして成立するまでに成長したわ。

1冊目の本、「Cheja Celen(チェア・チェリン」はどのように生まれたのですか?

学校の先生たちとともにやってきた活動、プロジェクトの経験を忘れないために、わたしは今まで3冊の本を書いたの。つまり、ロムの子供たちがイタリアの社会に馴染んでいく様子、またイタリアの社会がロムのコミュニティを受け入れていく過程をこの3冊で描いたわけ。Cheja Celen』はまず最初に出版した本で、タイトルはロムの言語。Chejaーチェアが「ヴァージン」、Celenーチェレンは「踊る」という意味よ。

わたしたちはプロジェクトの一環として、ロムの伝統的なダンスを、彼女たちが社会に馴染むためのツールとして使おうと考えた。子供たちがイタリアの学校に彼女たちの文化を持っていくことで、先生たちも興味を示してくれるし、偏見を超えて互いの理解が深まると思ったから。彼らのダンスは非常に美しく、母から娘へと代々伝えられる伝統的な彼らの文化よ。わたしたちが彼女たちが踊りやすいようなシノグラフィーを考え、舞台を構成した。「チェア・チェレン」という本のタイトルは、彼女たちが自分たちのダンスをそう呼んでいたから、それをそのままタイトルに使ったの。

*動画は埋め込みのままでは再生が制限される場合がありますが、YouTubeで見る、へ飛んでいただけると再生することができます。ドキュメンタリーを制作したのは、このサイトでインタビューを紹介したパオロ・グラッシーニ監督。

この本の出版は、Sensibile Foglio (センシビレ・フォリオ:繊細な葉っぱ)という、元刑務所に収監されていた人々が作った出版社ー主にイタリアの刑務所の残酷な実態、囚人の人権問題、また多くの社会問題に関する本を出版ーが引き受けてくれた。彼らは長い期間、不当に精神病棟に閉じ込められた人や、社会から排斥されて苦悩を強いられた人々の本を多く出版しているの。「チェア・チェレン」は、今までに3000部以上売れ、たくさんの人々に読まれたわ。

出版にあたって、センシビレ・フォリオ が、興味を持ってくれそうなNPO大学に一件づつ回ってプロモーションしてくれたから、ロムのコミュニティを描いた本だということを、十分に理解したうえで購入されたことは嬉しいこと。イタリア全土、北から南の大学や図書館が置いてくれ、ロムの抱える問題を多くの人々に伝えることができた。人々の「偏見」を払拭する役目も果たしたと思うわ。実際、本を読んだ「文化交流」の仕事をしている人々からも多くのコンタクトがあって、おかげで各地に招かれ、ロムの少女たちのダンスを紹介する機会も得ることもできたし、学校だけじゃなく、地方のさまざまなフェスティバルに参加できたのはロムの少女たちのためにも重要な経験になったのよ。

つまりダンサーのロムの少女たちは、自分たちのダンスを披露する旅をするために、ロム・コミュニティの居住地区からはじめて外に出てイタリアの社会に触れることを学んでいったということなの。ロムのコミュニティは非常に閉じられた世界で、外の市民社会ーまあ、わたしとしてはその社会が完璧に市民に解放されているとは思わないけれど。とりあえず、そう表現しておくわーをまったく知らないまま、子供たちは成長する。

居住地区の外の世界がどのように機能しているか、彼女たちは自分の経験を通して想像し、現実を知る必要があったし、そのためには、ロムの「掟」を少し破る必要があった。たとえばロムの女性は、男性に従属して家事だけ上手にできればいい、という常識もあって、女性の立場はいつも厳しいものなのよ。だから少女たちは、ダンスを踊ることを通して、知らず知らずに、ロムの女性の権利における、ちょっとした「解放」を体験したというわけ。

それに彼女たちは家族とは群れず、男性からも独立して生きるという「精神性」をも獲得して、生活が変わった。自分で洋服を選んで、自分のためにお洒落をするようになり、はじめはまるでロムであることに引け目を感じてでもいるように、人前で踊ることを恥ずかしがっていた子たちが、自分自身を上手に表現できるようになったのよ。それにつれ、ダンスも見違えるように上手になって、さらに練習も繰り返し、多くのワークショップも開き、ヴァチカンのLa giornata mondialedel popolo Rom e Sinti (ロムとシンティの人々の世界の日)では、教皇の前で踊るほどになった。

そのダンスが、世界のメディアで放映されたことで、彼女たちは自分たちの民族であるロムの伝統、ダンス、音楽、そして自分自身自信が持てるようになり、もはや引け目など感じる必要はない、ということを学んだの。これは大切なことなんだけれど、彼女たちは、わたしたちにサポートされたからではなく、彼女たちが彼女たちの文化、つまり彼女たちの持つ魅力を通して、わたしたちにコミュニケーションしてくれたのよ。彼女たちがわたしたちにロムの文化の素晴らしさを教えた。彼女たちは、受動的にイタリアの社会に馴染むように仕向けられたわけじゃない。彼女たちの力が、社会を納得させたの。わかるでしょ? この意味が。

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2015年、10月26日には、フランチェスコ教皇が世界じゅうのRom、Sintiを招いて「偏見を終わりにしよう」と謁見が開かれた。ラ・レプッブリカ紙より

そこで次の本になるわけですね。

そう。その少女たちの冒険の物語を次の本で語ることにした。「Zingari Spericolate(無鉄砲なジプシーたち)」というタイトルでね。なぜ、こんなタイトルにしたのかと言うと、Basco Rossi(バスコ・ロッシ:イタリアで最も影響力があると言われるロック歌手)に La vita spericolata(無鉄砲な毎日)という歌があって、その歌から取ったのよ。いい?ロムの子供たちは毎日、路上で、無鉄砲に生きていかなければならないの。教育の機会もないし、誰も助けてくれないし、のんびり楽しんで、遊んで生きる、普通の子供時代なんて夢のまた夢。「無鉄砲な毎日」が彼らの毎日なのよ。彼らはメトロポリスジャングルで、無法に生きていかなくちゃ生き延びることができない。居住区に警察がなだれ込んできて、住処を奪われることだってあるんだからね。そんな生活はわたしたちには想像もできない過酷な毎日。

そしてそんな生活が強いられるのは決して彼らのせいじゃない。何世代も前から国家という権威に、まったくアイデンティティ、その存在を認められなかったから、というのが大きい理由のひとつよ。彼らが何世代にも渡って、自分たちの存在を法律で認めてもらおうと運動してきたにも関わらず、いまだに国家からは、その存在がまったく認められない。だからロムたちは社会の循環から完全に拒絶され、過酷な毎日を送らなければならないの。たとえば Torre Bella Monaca (トル・ベッラ・モナカ:ローマの郊外で最も治安が悪いとされる地区のひとつ)などのローマの郊外に追いやられ、ゴミ箱のようなひどい環境に閉じ込められ、もちろん社会保障もなく、市から援助を受けることもない。だからわたしたちは、わたしたちの手で彼らの生活をなんとかしよう、と予算のめどもつかないまま、自分たちのプロジェクトを開始した。

まず、わたしたちは、なかなか心を開いてくれないロムの子供たちの心を解くために、バスコ・ロッシの歌、「la vita spericolataー無法な毎日」をミュージック・セラピーとして使ったんだけれど、それを知ったバスコ・ロッシが、わたしたちのプロジェクトを、自分のFacebookのプロフィールで紹介してくれてね。彼は自分の音楽を「ソーシャル・ロック」と呼んで、社会問題を音楽セラピーという形でファンに広めるという試みを行っているんだけど、彼が告知してくれたと同時に、わたしたちのプロジェクト内容への問い合わせが2000件以上もあった。

さらにFacebook上では、ロムに関して数々の議論が巻き起こったわ。そのとき、これがロムのことを知ってもらえるいいチャンスだと思ったのよ。わたしたちはただちに、ロムの少女たちのアカウントをFacebook上に作って、彼らの日常の姿をオープンに公開することで、彼女たちへの偏見、ネガティブなイメージを変えようと試みたの。そして思惑通り、Facebook上では、すぐに大きな反響があった。Facebookでロムの子供たちの日常の姿をたくさんの人々に知ってもらうこともできたし、ネガティブなイメージをいくらか払拭することにも成功して、子供たちは「偏見の檻」から解放されたと思うわ。

そうそう、バスコ・ロッシは他にもいろいろ助けてくれたのよ。「無鉄砲なジプシーたち」が出版されたとき、「この本を読むことは、経済危機と同時に社会問題の危機、そして欧州でクセノフォビアが勢いづき、移民、難民に対するレイシズムが力をつけようとしている今この時に、とても大切だ」という告知文章を、ローマのタクシーの広告スペースのために書いてくれたの。わたしは、これもまたいいチャンスだと思った。知っての通り、わたしはプロのタクシーの運転手でもあって、ローマのタクシー組合にも属しているから、この本をローマのタクシーに乗れば、誰でも手にとって読むことができるように提案をしてみようと考え、あちらこちらにそのプロジェクトを持って行った。そして結局、ローマで最も大きいサマルカンドという、マフィアに関わる社会問題などをもプロモーションしている組合が賛同してくれたわ。

*Basco Rossi の曲、La vita spericolata 「無鉄砲な人生がいい。映画みたいな人生がいい。大げさな人生がいい。スティーブ・マックィーンのような人生がいい。遅すぎることのない人生がいい。人生は、山ほど脅しに満ちているのがいいんだ」

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