晴天の霹靂、というのは、まさにこのような出来事を言うのだ、と思います。すでに世界中のメディアで、マリオ・ドラギ政権崩壊の詳細が流れましたから、それ以上の多くを語る必要はないと思われますが、ひとつ気になったのは、その記事の多くで、ポピュリズム政党の『5つ星運動』の離反のみが、主な原因とされていることです。確かに政権崩壊のきっかけとなったのは、上院議会でのDLAiuti(一般家庭や中小企業の、インフレ支援政策)の信任投票を、『5つ星』の議員が棄権(Astenuti)したことでした。しかし6月29日、ルイジ・ディ・マイオ外相が率いる63人ものメンバーが離党。分裂して新しい党を作ることを宣言していたため、もはや『5つ星』は与党最大勢力ではなく、万が一、彼らが野党に回ったとしても、政権は過半数を割ることはなかったのです(タイトル写真はLa congiura dei Pazziーパッツィ家の陰謀、ステファノ・ウッシ1822-1902:個人蔵)。
マリオ・ドラギ(元)首相が、DLAiutiの信任投票ののち辞任を発表した7月14日の時点では、いったい何が起こっているのか、誰もが狐につままれたような気持ちになったと思います。政権は過半数を確保しているにも関わらず、「『5つ星運動』が与党を離れるのであれば、政権を運営していくつもりはない」とドラギ(元)首相が宣言して、『5つ星運動』が、なぜそれほど政権に必要な存在なのか、そのときは『5つ星運動』のリーダーであるコンテ元首相もメンバーも、よく理解できていなかったはずです。
その頃は、ドラギ首相(ここから元を省きます)の突然の辞任宣言は、政治的「脅迫」である、と一般的に捉えられ、政権崩壊が現実のものになるとは、政治学者もジャーナリストたちも、ほとんど予想していませんでした。つまりドラギ首相の、コンテ元首相率いる『5つ星』を落ち着かせるための駆け引きと見たわけです。批判する際は歯に衣を着せず、徹底的に批判するとはいえ、基本的には、創立から今まで『5つ星』を応援している『Il fatto quotidiano紙』も、ドラギ首相の辞任宣言を「過半数はあるというのに、まったく脈絡がない行動」と冷ややかに捉えていました。
また、この機に乗じた『民主党』『フォルツァ・イタリア』以外のすべての政党が、「いますぐ総選挙!」と騒ぐのを、市民たちは「こんな暑い真夏に、選挙だなんてありえない」と迷惑がりましたし、『右派連合』である『同盟』や『イタリアの同胞』、そして『5つ星運動』が、ことあるごとに解散→総選挙を持ち出すことには、すっかり慣れっこになっていて、別段、危機感を覚えることもありませんでした。そもそも本来ならば2023年5月には、総選挙が予定されていたため、各党の自己主張キャンペーンがはじまった、ぐらいの感覚です。
ところが7月20日、セルジォ・マッタレッラ大統領に辞任を却下されたマリオ・ドラギ首相の信任を問う上院議会(ピエールフェルディナンド・カジーニ議員ー左派が提案した「マリオ・ドラギ首相の信任投票」)で、いまや与党内の最大勢力となった『同盟』、『フォルツァ・イタリア』という『右派連合』(『イタリアの同胞』のみ野党)が、前触れなく棄権に回ったため、過半数に達せず、ドラギ首相の辞任は、あらゆるすべての予想に反して確実になったのです。
当日、上院での朝の演説で、ドラギ首相が「わたしがここにいるのは、市民が望んだからです。イタリア全国2000人の地方自治体の首長たちの署名、さらに病院関係者たちの署名が届き、われわれは、市民に上院議会がどう答えるかを明らかにしなければならない」と信任投票の理由を明確にし、「(イタリア市民のために)、誠実で確固とした信頼に基づいた、よりよい国の構築を、各政党、国会議員は、約束する用意はあるのか?」と問いかけたとき、上院があるパラッツォ・マダーマの門前には、ドラギ首相に「やめないで」と訴える市民で、黒山の人だかりができていたにも関わらず、です。
前日まで、いや、当日の夕刻になるまで、どの新聞を読んでも、TVの政治トークショーを見ても、「ドラギ首相は辞任しない。政権は続いていかざるをえない」という意見が大半を占めていたため、政権崩壊が決定的になったときには激震が走り、腰を抜かすほどに驚くことになりました。確かに朝のドラギ首相の演説には、「今、ひとつの政党が政権から抜ければ、他の政党も後に続くことになる」との主旨の文言がありましたが、さらっと聞き流すほどの緊張のなさでした。
結果、その文言通り、それまで話題の中心だった『5つ星』のせいではなく、ドラギ首相が言うところの「他の政党」である『同盟』と『フォルツァ・イタリア』の突然の離反、裏切り、という成り行きによる政権崩壊であり、後味が悪いというか、血も涙もない、というか、イタリアの政治のあり方に絶望すら感じた、というのが正直なところです。「『5つ星』とは、一緒に連立を組みたくない。いったん議会を解散して、(『右派同盟』中心の)内閣を選び直した新しいドラギ政権を作るべき」というのが『右派同盟』の棄権の理由でした。
イタリアでは、政治はSangue e merda(訳を憚る由、調べてみてください)、と言われていますが、まさにその通りの展開であり、常に政権崩壊を狙っていた『同盟』は、『フォルツァ・イタリア』を巻き込み(あるいは『フォルツァ・イタリア』が『同盟』を巻き込んだのかもしれませんが)、千載一遇のチャンスと捉え、一気に政権を崩壊させることに成功したというわけです。ドラギ首相は、おそらく水面下で政権崩壊を探る動き、特に『同盟』の獰猛さを百も承知で、事実、「たとえ『5つ星』が野党に回って、ドラギ新政権を樹立したとしても、1日ももたなかった」と考えていたそうです。
イタリアの政界はジュラシック・パークと言おうか、魔物の巣窟とでも言おうか、現実離れした政治お化けがウヨウヨいて、嘘、裏切り、汚職、収賄は日常茶飯事でもあり、このような成り行きにすっかり慣れてはいましたが、収まらない感染症、ウクライナの戦争、エネルギー高騰、インフレ、と難題に満ち満ちた現在、誰もが安定した政治を求めるのは理の当然でした。
だいいちマッタレッラ大統領が、ドラギ首相にイタリアを託したのは、●感染症 ●経済 ●貧困などの社会問題などのエマージェンシーに対応するためでしたから、その最後の砦を突然失ったイタリアは、展望を失いそうになっています。今選挙を行うことには、市民の約半分、49.7%が「イタリアにとってネガティブだ」と考えていますし(ラ・レプッブリカ紙)、ドラギ首相の任期はあと10か月で、来年の5月には総選挙が控えていたにも関わらず、それまで待てなかったのか、と首を捻ります。
しかしながら、よくよく考えてみると、『同盟』、『フォルツァ・イタリア』が「いまだ!」と時期を選んだとすれば、秋以降に行われる2023年度の予算審議の前の選挙で勝てば、思い通りの予算が組める、と考えたのかもしれません。早速ベルルスコーニ元首相は「われわれが政権に返り咲いた暁には、年金を最低1000ユーロに上げる!毎年100万本の植林をする!」と豪語していますが、EU連合は、3年間で600万本の植林を決定していますから、キャンペーンの初っ端からすべってしまったということです。
さらにイタリアは、感染症による経済打撃を支援する目的のPnrr(Piano Nazionale di Ripresa e Resilienza=国家復興再生計画、前Next generation EU)、約670億ユーロを、すでにEUから受けとっており、イタリア南北の貧富の格差の是正、デジタル化計画、トゥーリズム産業支援、大学の寮の建設、研究のための奨学金など、55の使用目的をEUに提示することで、さらに190億ユーロが支給されることになっています。
「Pnrrは、イタリアの長期発展と成長のための唯一の機会であり、(略) Pnrrの中核として、投資と一体となった構造改革を迅速に進める必要があります。公共入札規定の改革は、公共事業が迅速に実施され、汚職と戦う手段が強化されることを目的としており、Pnrrから、まずはマフィアを遠ざけなければなりません」とドラギ首相は、演説で断言していますが、今後、『右派連合』の手にPnrrの采配が移ることになるかもしれないことには、漠とした不安をも感じます。
なお、外国メディアのほとんどが『5つ星運動』を、ことさらにポピュリズム、と強調することで、諸悪の根源のような書き方をしていますが、4年間、政権に関わった経験を持つ『5つ星』の議員たちは、「普通の市民だったはずなのに、こんなに政界で影響力を持つ意見を述べるようになるとは」と思えるほど、日々の勉強と努力が明らかに見て取れることを、多くの政治学者やジャーナリストたちも認めていますから、「やっぱり、ポピュリズムの素人政党」とも読める表現は、かなり失礼ではないのか、と思いました。
それに現代のイタリアのポピュリズム、といえば、『フォルツァ・イタリア』のベルルスコーニ元首相こそ、「元祖ポピュリズム」、あるいは「ポピュリズムの父」、とも呼べる人物であり、フェイクニュースで人気を博した『同盟』もまた、『5つ星運動』をはるかに超えるポピュリズムの兄とも言える存在です。
今回の『5つ星』の棄権は、確かに大問題を引き起こすことになってしまいましたが、生き馬の目を抜く、怒涛の政界を渡り歩いてきた『同盟』『フォルツァ・イタリア』に比べると、初動はお人好しな宣戦布告というか、特別な悪意も作意もなかったのだと思います。つまりディ・マイオ外相の分裂から党内が混乱し、弱体化しそうな気配が満ち溢れたため、「その失速を挽回するためには、困窮した市民のオアシスになるしかない」と、『5つ星』の政策を削除しそうなドラギ政権に、棄権、というサボタージュを仕掛けたことで、政権崩壊のきっかけを作ってしまった、ということなのでしょう。彼らには政権を崩壊させようなどという野心はなく、たとえ自分達が野党に回っても、もはや大問題は起こらない、と考えていたはずです。
もちろんドラギ首相は、選挙で選ばれたわけではなく、民意を反映したリーダーではありませんが、国際的知名度が高く、世界の要人から信頼される金融のエキスパートですから「このような時代、常に混乱したイタリアにとっては頼もしいリーダー」として、市民からは、常に50%を超える支持を受けていました。ただ、その政策決定は、米国、EU連合、NATO寄りに過ぎるきらいがあって、わたし個人は、たとえば「議会で議論することなく、議決のみでウクライナに武器支援を決定する」など、議論なき議会に、何の意味があるのか、と多少反発を感じることもありましたが、イタリアは民主主義の国ですから、そのような批判的な意見を持つのは当然のことだと思っています。
▶︎異変はどこからはじまったか