灼けつく砂漠と化したローマで繰り広げられた、マリオ・ドラギ政権崩壊という悲劇

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異変はどこからはじまったのか

思い起こせば、ちょっと様子がおかしいな、と感じはじめたのは、6月29日のことでした。突如として『5つ星運動』のルイジ・ディ・マイオ外相が、上院、下院合わせて63人の議員を、どやどやと引き連れ、コンテ元首相を批判しながら分裂したことには、「この緊急時、結束が必要なときに分裂とは」と呆気にとられたものです。

ディ・マイオ外相は、「『5つ星運動』は野党に回ろうと画策している。常にドラギ(元)首相に反発して混乱を起こしているが、イタリアがどれほど困難な状況にあるかわかっていないし、国際情勢も読めていない」と語り、国のため、全面的ドラギ首相の方針に従う、と分裂に踏み切ったということでした。

しかしながらディ・マイオ外相といえば、2018年にはセルジォ・マッタレッラ大統領のインピーチメント(弾劾)を叫んだり、2019年には閣僚でありながら、仏の「黄色いベスト運動」のリーダーに接近したりと、過激に行動してきた経緯があるので、ここにきて、急にドラギ首相に心酔し、さも自分は常識をわきまえた、イタリアのことのみを考える外相だ、と言わんばかりの優等生的な態度で、『5つ星』を非難しはじめたことを、滑稽にも感じたほどです。外相は、『5つ星』創立時からのメンバーであり、コンテ元首相がリーダーになる以前はリーダーをも務めましたが、メンバーからリコールされた、苦い経験があります。

もちろん良心的に考えれば、ディ・マイオ外相は、国際経験が豊かなドラギ首相に本当に魅せられて、心酔しているのかもしれませんが、つい最近までは『5つ星』の創立者であるベッペ・グリッロに心酔していたわけですから、権威に擦り寄るタイプの軸のない人間と思われても仕方ないかもしれません。実際この分裂劇は、「ひょっとしたら『5つ星』が野党に回るかもしれないことで失う、外相の座惜しかったのだろう」「リーダーの座を奪ったコンテ元首相に嫉妬しているのだろう」と、一般的には評価されています。

とはいえ、今にして思えば、ディ・マイオ外相が『5つ星』から63人の議員を連れて出て行ったことで、『5つ星』は最大勢力の座を失い、党内をまとめるリーダーシップを発揮できなかったコンテ元首相への信頼は多少揺るぎはしても、過半数を割ることも無くなったため、政権に遠慮せず、いつでも野党に回る自由を手にした、とも考えられます。つまりディ・マイオ外相の分裂劇がなければ、与党最大勢力であった『5つ星運動』が、棄権に回るような行動に出る勇気があったかどうかは、はなはだ疑問なのです。

ともあれ、この『5つ星』の分裂劇から『同盟』が与党最大勢力の座を手に入れることになりますが、このあたりから、ドラギ首相の表情が、何となく曇り、落ち着きがなくなったような気がします。確かに、「Ius Scholae(外人であっても、イタリアの学校に通っているならば市民権を得られる)」「Ddl Zan (女性、LGBTQ差別の禁止法)」「カンナビス解禁法」などのEU的な政策が議会の俎上に上がるたびに、右派大騒ぎして反対し、宙に浮いたままとなっていますから、『5つ星』のゴタゴタを機に『同盟』が暴れ出すことを、ドラギ首相は薄々感じていたのかもしれません。

それでもドラギ首相は、常にEU寄り、NATO主義の中道右派、『フォルツァ・イタリア』が、最後の最後で離反するとは、思ってもみなかったと思います。ベルルスコーニ政権時代、経済財務省総務局長、またイタリア銀行総裁であった時期が重なるドラギ首相は、ベルルスコーニ元首相とは旧知の仲でもあるはずです。

また、ドラギ首相が、『5つ星』の政策であった失業者のためのベーシック・インカム(Reddito di cittadinanza)の減額、エネルギー節約のための建造物修復、家電製品の買い替えなどを支援するスーパーボーナス見直しを提示し、『5つ星運動』の主要メンバーから「もはや意見の相違が著しくなった政権に残る必要なし。野党に回る」という意見が噴出しはじめた頃、ドラギ首相ベッペ・グリッロが会談を行っています。後日、その会談でドラギ首相はグリッロに「コンテ元首相をリーダーから外してもらえないだろうか」と打診したらしいことが特ダネとなった、という経緯もありました。

そのときは「首相とはいえ、そんなことを言う権利があるのか、しかもドラギ首相のような高邁な人物が、そんなシンプルで、無茶なお願いをするだろうか」と不信感を抱きましたが、現在、ドラギ首相の側近たちが、「『5つ星』が野党に回るように扇動しているのはコンテ元首相だ」、と首相に言い含めたとか、「いや、その側近たちに、コンテ元首相を危険な扇動家、と耳打ちしたのはディ・マイオ外相だ」などと、真偽が定かではない噂が飛び交っているところです。ともあれ、政権崩壊の背後で暗躍した人物が、何人か存在しているような気がしても、今となっては、まったく無駄な詮索かもしれません。

Cesarcidio(シーザー殺害)ヴィンチェンツォ・カムッチーニ(1771-1844)作。Wikipediaより引用。

いずれにしても、わたしは特に『5つ星運動』を支持しているわけではなく、また、やみくもに擁護したい、というわけでもないのですが、5月22日のISTAT(国立統計研究所)の発表では、失業者のためのベーシックインカムのおかげで、100万人の人々が貧困から逃れたことが明らかになっていますし、コロナ下にあった『5つ星』と『民主党』政権時代のコンテ首相の采配が心強く、救われる気持ちになったため、ここにきて、事情を知らない海外のメディアが、『5つ星』だけが政権崩壊の原因!と見なすことを心外に感じています。むしろ「『5つ星』とは2度と一緒に組まない」、と後先考えない無責任さで残酷な仕打ちをしたのは、『同盟』、そして『フォルツァ・イタリア』の『右派同盟』だということを大々的に報道してほしかった、と思う次第です。

しかも7月20日の新任投票の直前には、『民主党』党首エンリコ・レッタ、『アルティコロ1』のロベルト・スペランツァ保健相とコンテ元首相の会談が行われ、『5つ星』は野党には回らず、閣僚を辞任させ、Apoggio Esterno(政権には属さず、外部から信任投票に加わる独特のスタイル)としてドラギ首相を信任する、という解決案を見出していたそうです。一方、投票前日にはローマの豪邸で『同盟』のサルヴィーニ党首と昼食会を開いていたベルルスコーニ元首相は、ドラギ首相が何度電話しても、電話に出ず、信任投票ギリギリで不信任を伝えており、「ブルータス、お前もか」と、まるでシェークスピア劇のような、その古めかしい裏切りに、中世じゃないんだから、と全身の力が抜けました。

このように、背後であらゆる政党がバトルを繰り広げる中、7月20日の上院議会での夕刻の演説(各党の演説への返答としての)では、ドラギ首相感情的に声を荒げ、『5つ星』の失業者のためのベーシックインカムは改良すべきであり、スーパーボーナス政策はメカニズムのデザインが明瞭でないため、支援を受けるべき業者に支払いが滞っていることを批判しました。この演説のあとの、『同盟』、『フォルツァ・イタリア』の「5つ星とは連立しない。解散して新内閣を」という主張の時点で、ドラギ首相の継続を達観していた、いくつかの中継番組のMCたちは次第に顔色を変え、「政権崩壊か」「いや、ひょっとすると大統領が、ドラギ新内閣を発表するかもしれない」「いや、ありえない」「ドラギ首相は戻らない」と、放心状態になったわけです。

「無責任すぎる。もはやわたしが知っているベルルスコーニではない。『同盟』にそそのかされるなんて」と『フォルツァ・イタリア』の棄権を機に、次々に離党した3人の議員は、政党のとも言える、長年ベルルスコーニ政権を支えて来た幹部議員の面々でした(さらにもうひとり離党)。その議員たちへのベルルスコーニの反応は、といえば、「安らかにお眠りください」という故人に捧げる言葉からはじまる冷たい決別でもあり、しかし幹部議員たちが「それはこっちのセリフだよ」などという下品な返答はせず、現実を見据えた、論理的なコメントをしていたことには好感を持った次第です。

これから9月25日の総選挙に向けて、選挙戦に入るわけですが(というか、すでに大騒ぎになっています)、今のところはなんと言っても、今まで野党だった『イタリアの同胞』の支持率が高く、しかしこの政党はファシスト政党MSI(イタリア社会運動)の流れを正統に汲んでおり、党首ジョルジャ・メローニが直々に、極右グループのファシズム崇拝イベント参加した過去もあります。しかもメローニ党首は件のスティーブ・バノンお気に入りでもあり、いまや仏『国民連合』マリーヌ・ルペンとも比肩される極右政治家です。その演説を聞くと、笑いが込み上げるほどの典型的な国粋主義で、しかも差別的家族至上主義的な発言が多く、最近は多少、ソフト路線に切り替えたようでも、あまり安心できない人物なのではないか、とも思っています。

そのメローニ党首は、早速首相気分で閣僚リストまで作っているそうですが、実際に政権を動かしていくためのテクニカルな人材が不足しているらしく、現在、ドラギ政権の裏方として働いていた人々をリクルートしているそうです。いずれにしても、『同盟』のマテオ・サルヴィーニが、そう簡単にメローニに好意的に協力する、とは考えられず、たとえ『右派連合』政権をとったとしても、収拾のつかないカオスが訪れるに違いありません。

また、今回のドラギ政権崩壊を最も喜んだのはロシア政府であり、14日の時点では「ジョンソン、ドラギ、さて次は誰だろう」という悪趣味なツイートを流し、20日には、プーチン大統領のスポークスマンが「イタリアが昔から独立国家だということは知っていた(米国、EU寄りだったドラギ政権批判と思われます)」などというコメントを寄せていました。『同盟』、『フォルツァ・イタリア』という、そもそもロシアと大の仲良しだった政党の裏切りで、ドラギ政権が崩壊した日に、今まで修理という名目で停止していた天然ガスのパイプライン、ノルド・ストリーム1再開したのは、おそらく偶然(?)なのでしょう。

こうして、地球温暖化で毎日が火炎地獄のイタリアでは、政権崩壊の責任を互いに押し付け合い、探り合う選挙キャンペーンがはじまり、『5つ星』は、ディ・マイオ外相、『右派連合』とドラギ首相のせいだと声を上げ、『同盟』と『フォルツァ・イタリア』は『5つ星』を糾弾。ディ・マイオ外相は『5つ星』、『同盟』のせいだと淡々と語り、『PD-民主党』は『5つ星』との連帯解消を宣言して、『5つ星』は四面楚歌に陥っています。このいがみあいを見ていると、やっぱり、はじめから政権に加わらなかった『イタリアの同胞』のみが、票を稼ぐのかもしれません。

ちなみに世論調査によると、政権崩壊の責任はコンテ元首相にある、と答えた人が41.1%、選挙の前倒しの責任は、コンテ元首相29%、ドラギ首相17.2%、サルヴィーニ『同盟』党首11.1%となっており、『5つ星運動』にはネガティブな評価が集まり、支持率も10%を切ってしまいました。リーダーとして信頼できるのは、との問いには、セルジォ・マッタレッラ大統領64%、マリオ・ドラギ54%、ジョルジャ・メローニ38.7%、シルヴィオ・ベルルスコーニ34.3%、ジョゼッペ・コンテ30.7%、マテオ・サルヴィーニ30.4%となり、やはり『右派連合』優勢の結果がでています(Qualum/YouTrend skyTG24ーラ・レプッブリカ紙web版7月25日)。

また、別の世論調査によると「政府崩壊は誤りであり、回避することができた」と考える人が51%に上り、政府崩壊の責任は『5つ星運動』とコンテ元首相にあると答えた人が59%、『同盟』とサルヴィーニ党首33%、『フォルツァ・イタリア』とベルルスコーニ党首23%、ドラギ首相21%となっています(La7)。

いずれにしても、わたしはドラギ政権を全面的に支持していたわけではありませんが、このような終焉は、あまりに暴力的であり、首相、及び首相を任命した大統領の尊厳無視している、と、イタリアの政治の世界にうんざりした次第です。おそらく有権者たちの中にも、政治に信頼を失った人々が多くいて、投票率が下がるのではないか、とも考えます。

救いだったのは、ドラギ首相が、7月21日の下院での満場のスタンディングオベーションの中、ちょっとしたジョークで首相の仕事を終えたことでしょうか。満場の拍手に感極まった様子のドラギ首相は、「中央銀行員でも、たまには心を揺るがすことがあるんです」と議員たちを笑わせ、さすが器が大きい、とホッとした次第です。それは数日前の海外メディア向けの記者会見で、ドラギ首相が語った笑い話に起因するジョークでした。

「ある医者が、患者に心臓移植をすることになりました。そこで医者が『健康な26歳の青年の心臓と86歳の中央銀行員の心臓とどちらがいいですか』、と患者に尋ねると、患者は『86歳の中央銀行員の心臓をお願いします』と答えました。医者が『え、どうして?』と驚くと、患者は『なぜなら中央銀行員なら、ほとんど(心臓)を使う(揺るがす)ことがなかっただろうからね』と答えましたとさ」

このような笑い話で、外国人記者の笑いをとった、ダイナミックな金融緩和で欧州を金融危機から救ったマリオ・ドラギ元欧州中央銀行総裁は、意外とユーモアに溢れる人物でしたが、イタリア政界という魔界で、権力目がけて暴れ狂う怪物たちを手なずけることはできませんでした。それでも不信任が決まって議場を後にするときは、決死の冒険を終え生還したヒーローのように、晴れ晴れとした笑顔を見せたことが印象的でありました。

※マリオ・ドラギ首相、下院での辞任宣言。このあと首相は大統領官邸へと向かいました。

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