われわれが短絡思考に陥りやすくなった、ひとつの理由としてのスマートフォン
わたしがイタリアに住むようになって、まずイタリアの人々に最初に感じたのは、ああ言えば必ずこう言う、一筋縄ではいかない反抗精神と、「そんなことは議論すべきことではないんじゃないの?」と思われる日常の些細なことを、必要以上に複雑に理論化、話がどんどん別の方向へ向かってしまうという、不合理な理屈っぽさでした。そして彼らのその傾向は、確かに面倒臭くはありますが、議論をする際に有効なちょっとしたテクニックを学ぶ、日常のトレーニングにもなりました。そんなイタリアに慣れていたので、マテオ・サルヴィーニの短絡思考に、人々が、特に若い世代がただちに同調することが不思議でもあります。
そんなことを思ううち、Youtubeにアップされていた、イタリア国営放送Raiの番組『プレザ・ディレッタ』を観る機会があり、その理由のひとつが、なんとなく浮き上がってきたような気がします。番組ではイタリア国内だけではなく、アメリカ、英国の研究者やジャーナリストらを取材し、情報の流れを一気に変えたスマートフォン文化を分析。思いついたと同時にあらゆる情報が得られ、株の売り買いも、買い物も、友達とのコミュケーションも寄付も署名も何もかも、いつでもどこでも手元のスマートフォンのオンラインで済ませることができるようになり、われわれの生活は劇的に快適に便利になった。しかし多くの研究者の指摘があるように、スマートフォンは世界中の人々の精神性を変えようとしてもいます。動画をざっくり要約しながら、私見も含めて以下にまとめます。
イタリアに関して言えば、ヨーロッパの中でも、読み書き能力の低下(analfabetismo)が著しいという報告があり、たとえば、情報を組み合わせることによって理解を促す移民問題、失業問題、犯罪など、通常の社会問題の文脈が掴めないどころか、スマートフォンの説明書も理解できない、という現象が起きているのだそうです。
人間というのは、周囲の誰もが「青」だというと、「青」を感じ、「チーズ」と言われ続ければ、チーズの匂いを思い浮かべる、というのが科学者の見解だそうですが、ということは、SNSなどネット上で、たとえば「難民は悪、外国人はイタリア人の仕事を奪う」と一斉に情報が流れてくる(あるいは自ら同じ傾向の情報ばかりを選んで、繰り返し読む、あるいは観ることで)と、脳はそれを真実だと感じるようになる、ということでしょうか。つまり、フェイク情報が次から次に流れてくることで、何がフェイクでリアリティなのかを見分けることが困難になり、簡単にプロパガンダに乗ってしまうことになるわけです。実際にナポリの学校で統計をとったところ、5人のうち4人のイタリア人がFacebookや、Twitterのフェイクアカウントを見破ることができず、5人のうち3人は、フェイクニュースに気づかなかったそうです。
また、面と向かって話すと問題なく、饒舌に語る高校生であっても、WhatsAppやInstagram(やLine)の猛烈なスピードのチャットが習慣化し、長い文章を書いた場合、句読点がなく、文節もなく、冗漫になるケースが増えています。日常チャットをしている友達以外の他人には理解できないフレーズの流れのままに、本人はまったく悪意なく、意味不明な文章を書く学生が現れたことを、キャリアのあるラテン語の教師が指摘していました。
さらに文章力だけではなく、読解力にも問題があり、たとえばボッカチオが書いた「女性が愛人とベッドに寝ているのを見つけられ、その女性は裁判所に訴えられるであろう(その時代の法律により)」という物語を、先入観から「夫が暴力を振るったと裁判所へ訴えた」とテキストには存在しない物語を構築した生徒がいたそうです。その教師は「書かれていないことを理解する」傾向は、フェイクニュースを作りだすことと同じなのではないか、と語っています。
サンディエゴ大学の心理学教授Jean Twengeは、スマートフォンの普及とともに批評的な読解ができる、あるいは文章力のある学生が悲劇的に減少したと指摘。70年代の17歳は、1日に1回は本や記事など、何らかの読書をすると答えた子が60%でしたが、現代の17歳は、たったの17%しか読書をしないという統計が出ているそうです。現代の若者たちは、チャットでの短い文章のやり取りはしても、長い文章を読む経験が不足し、長時間の集中が難しくなっている。Jean教授は、2、3のフレーズ以上の文章を散漫になることなく読解することを民主主義は必要とする、と言います。
そして必要な情報を手軽に手に入れながら、猛スピードで次から次へと情報の流れに身をまかせることは、明らかに人の脳を怠惰にしてしまうようです。確かにスマートフォンの記憶キャパシティは人間の能力を遥かに超えるものであっても、われわれは当然、自分自身の記憶を持たなければなりません。外部の情報にアクセスするだけでなく、自分の記憶に基づいた知識から物事を分析、統合しなければならない。では、そうするための記憶はどのように形成されるのか。
情報を得た脳は、いったんその情報をコード化し、その後良質な睡眠による休息 (日中は何も考えない時間をとることで)の間に、情報を強化することが重要だそうです。しかし寝る前にスマートフォンのスクリーンなどを見ていると、ブルーライトのせいで日中と同じように脳が活性化された状態になり、脳の活動のために必要な良質な睡眠がとれなくなる。日中、スマートフォンに常に流れる情報に絶え間なく接することもまた、脳の活動を妨害します。休息は、長時間とどめおく、圧縮した記憶の形成においては必要不可欠なことで、その統合された記憶こそがわれわれの行動の基盤であり、自分自身でもある、とフランス人神経生理学者は強調している。
このように、スマートフォンに絶え間なく流れるオンラインの情報に慣れたわれわれは、やがて集中力を失って散漫になり、何が大切なのか見分けがつかず、複雑な情報を深く考察することをやめ、「知的に判断を下さない」という傾向を持つようになりました。苦労することなく、快適に情報を得ることができる現代、情報はダウンロード可能な、クリックすれば得られるものとなり、無限の情報を前にわれわれは「自制」を忘れたのです。
その、次から次に流れる情報を、ただ再活性化するだけで、筋道をたてて正常に判断しようとしない状態は、自己判断ができなくなった、いわば情報中毒状態で、結果、われわれはいつの間にか、すでに未知の時代に突入し、このままだと重大な事態を招く可能性があるのではないか、少なくともパンドラの箱はすでに開かれたことを自覚すべきなのではないか、と番組は警鐘を鳴らしていました。
自分が欺かれていることに気づかない単純化したわれわれは、最も原始的に『我慢できない』という不寛容な感情に基づき、刷り込まれた先入観に左右されます。そして『憎悪』という、状況を理解することよりも時間のかからない、簡単な感情に惹きつけられることになる。事実、先進国と呼ばれる多くの国々で、外国人を単純に敵とみなすクセノフォビアが急速に広がっていることは、周知の通りです。この、長時間集中できない、常に散漫で集中を拒むスマートフォン文化が、現代に再来しつつある古典的ファシズムの土台となっているのかもしれない。というよりも、この傾向をマーケティングし尽くして、ネット上でネガティブな感情を揺さぶり、煽り立てる情報を絶え間なく流すことで、批判能力のないファッショ(束)を形成するのが、いまやインターナショナルに常識的な政治ストラテジーともなっています。
もちろん、古典的なファシズムは今にはじまったことではなく、他にもさまざまな要因が存在すると思いますが、わたし自身の経験からもスマートフォンが自らを散漫にしたことは間違いありません。そういえばスティーブ・ジョブスは、自分の子供たちにIT機器の利用を制限していたし、最近のiPhoneは1日の使用時間を親切に知らせてくれるようにもなった。常に気が散った状態に陥り衝動的になったわれわれは、意識的に注意をしていないと、かつてのファシストが広場でターゲットとした、貧困に疲れ果てて思考停止に陥り、目の前の「新しい秩序」に狂喜した人々同様、まことしやかに繰り返される非人間的でエゴイスティックな論調に同調してしまう可能性があります。新しいファシズムのベースとしてのアルゴリズムが、現代の若者たちの『神』になる日が来ることは、あまり想像したくありません。
ドラッグの新しい首都としての永遠の都市:ナルコローマ
さて、ここでガラリと話は変わります。ドラッグのトラフィックがローマの裏社会に巣食っていることは、たとえば去年の夏、ロベルト・サヴィアーノ( カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した、映画『カモッラ』の原作者)が、ラ・レプッブリカ紙で大々的に特集を組んだので、薄々は知っていましたが、自分とはあまりに遠い世界なので、今回の事件まですっかり忘れていました。ところが、サン・ロレンツォで殺害された少女が、友達とスマートフォンでドラッグについてチャットしていた形跡がある、という記事を読み、「高校生たちの間でドラッグ!」と驚いて、以前の記事を読み返すことになった次第です。
ロベルト・サヴィアーノは、ローマには『ンドゥランゲタ』、『カモッラ』と共謀し、ドラッグ(マリワナ、コカイン、ヘロイン、ハシッシュ、クラック、あらゆる合成ドラッグなど)のビジネスに関わる、いくつかの犯罪グループで構成される『第5のマフィア』が存在し、いまやローマがドラッグ・ビジネスのインターナショナルな首都と化している、と言います。そのビジネスの規模は、一回の出荷で13億ユーロという、とてつもない金額で、その巨額の資金洗浄をするために、店やレストランを買い占め、新しい不動産を次々に取得。犯罪グループが、いわば企業家の顔をも持っている。
一方、未成年のドラッグ依存の数は5年の間に倍になり、年齢層も年々低下。イタリアの子供達は8歳からドラッグの誘惑に直面し、13歳の少女がドラッグを買うお金を得るために売春するケースも報告されています。3月の総選挙の前に起こり、やはり政治利用されることになった、マチェラータのアフリカ人のみを狙った銃撃事件も、サン・ロレンツォ事件同様、更生施設に入院していたドラッグ依存の少女を巡る殺害事件でした。ドラッグを求め施設を抜け出した少女が、ナイジェリア人の売人に惨殺され、怒り狂った『同盟』共感者である青年が復讐と称して無差別にアフリカ人に発砲、大問題となった事件です。
2016年の統計によると、イタリアの15歳から19歳の学生で何らかのドラッグを試したことがあると答えた子は32.9%に上り、新しい合成タイプのドラッグを試した経験があると答えた学生は8万6千人、さらに8万9千人がコカインを試したことがあると答えています。また、レスプレッソ紙によると現在、更生施設に入っているドラッグ依存者(18歳ー25歳)20,466人のうち、1,837人が12ヶ月収監の実刑を受け、重度のドラッグ依存者のための更生施設には241人が収容されているそうです。幼い子供の頃にドラッグ依存になると、抜け出すのが非常に難しいと言われます。そして売人たちの目標は、誘惑に乗りやすい年齢層を狙い、依存者をどんどん増やすことでもある。
このように、成人のみならず、未成年をもターゲットにするローマのドラッグビジネスは、いわゆる大手のグローバル企業と非常によく似たピラミッド型のシステムで構成されているそうです。アフガニスタン、トルコ、旧ユーゴスラビアから流れてくるドラッグを引き受けるグランド・マネージャーの役割をするボスの下に、枝分かれした中間業者を経由して、『非常勤』の売人が広場や街角で、実際にドラッグを顧客に売る。売人は、ヘロイン、コカイン、クラックなどを16時間、道端で売って200ユーロばかりを稼ぎ、さらに末端の何人かが、警官の巡回や妨害を見張る役割を、1日50から80ユーロで請け負うと言います(インターナショナル紙)。
イタリアには、70年代、80年代から長いドラッグ売買の歴史がありますが、その頃に比べると、合理的に儲けようとする傾向が強くなり、ドラッグそのものの純度を下げて価格を抑え、次のロットが入る前はセールでさらに値段を下げるという、まるでドラッグのスーパーマーケット状態になっているそうです。C0nsiglio Nazionale di Ricerca (全国リサーチ委員会)の統計によると、現在イタリアにはヘロイン使用者が30万人、合成ドラッグ使用者が59万5千人、コカイン使用者が100万人(!)存在するそうで、イタリアに、まさかそんなに大勢のドラッグ使用者が存在するとは思わなかったので、正直、これはショッキングな数字でした。
ローマには、欧州で3番目の売り上げを上げるサン・バジリオをはじめ、『Jeeg Robotー皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーク』の舞台となったトッレ・ベッラ・モナカ、プレネスティーナ通り沿い、テルミニ駅の周辺など、いくつかドラッグのスポットがあるようですが、かつてアーティストたちの街だったサン・ロレンツォがそのひとつに加わったのは、ここ10年余りのことでした。そこそこ裕福で、モヴィーダで騒ぐ余裕のある学生たちと、広場に集まる外国人たちに目をつけた売人が、ドラッグを安売りする格好の場所となったようです。
マフィアは不況になればなるほど、儲けが多くなる、とロベルト・サヴィアーノは言います。また、ドラッグ網を操る犯罪グループは、政治のことなどまったく眼中になく、自分たちの商売に必要な銀行、司法書士、建築業者、店、レストランなどはすでにすべて手中に収めており、唯一政治に求めるのは『散漫』な状況を作ってくれること、そして彼らのビジネスに口出しせず、沈黙を守ってくれることなのだそうです。
ローマの街の著しいデカダンの原因のひとつには、このドラッグビジネスの蔓延もあるのかもしれません。また、スマートフォン由来の我慢できない、散漫な文化は、ひょっとしたら未成年のドラッグ依存の急増にも関係しているのかもしれない、とふと考えた次第です。