ローマ・チッタ・アペルタ:『無防備都市』、難民の人々を巡る終わらないレジスタンス

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イタリアの政治は、朝から晩までたゆみなく紛糾しているので、いつの間にかそのインパクトに慣れてしまい、EUの再三の勧告にも頑として譲らない『国家予算案』で、国債スプレッドみるみる上昇しようが、『5つ星運動』のメンバーがメディアを総攻撃して、ジャーナリストたちの間で諍いが起ころうが、「驚愕する」ことがなくなりました。異常事態も長期間続くと自己防衛本能が働いて、ちょっとやそっとのことでは動じなくなります。それにひょっとしたら、たとえば巷で執拗に語られ続ける経済崩壊やユーロ離脱など、今後大きな変化を遂げる可能性のある個人の日常生活も、今のところ表面的には以前と同じ日々が続いている。ただ、『同盟』が推進するとめどない反人権法案に、いわば現代のパルチザンたちによる頼もしいレジスタンスの流れが急速に動きはじめたことを感じています。

なるほど、こんな風に簡単に、自分を巡る社会の空気というものが大きく変化することがあるのだ、と実感する出来事が、イタリアでは次々に起こっています。と同時にカトリックの大本山だというのに(それとも、原理主義者もたくさん存在する大本山だからこそ?)、たくさんの市民たちがいつの間にか、「もう『同盟』でいいじゃないか」と窮状にある他人のこと、つまり難民の人々や外国人の今後の境遇には意外に無関心だ、ということをも痛切に感じています。ちなみに同盟の支持率は、現在33%強(テレビ局La7調査。コリエレ・デッラ・セーラ紙では36.2% )となり、政権樹立時の約2倍となっている。

彼らの無関心には「今までの未払い税金が免除になるなら、それもしかたないよね」とか「フラットタックスになると助かるね」、「欧州連合にはさんざん痛い目に合わされたんだから」とか、少々の罪悪感を感じてはいても見ず知らずの異国の人々、そして彼らを助けようと奮闘する人々のことには目を瞑ってしまおう、という意識的な態度が見え隠れします。そしてその罪悪感から「難民たちはイタリア人女性を暴行する」「イタリア人の仕事を奪う」などと統計から見ても非現実的なプロパガンダに乗って、自らの『同盟』応援を正当化しているようにも思います。

かつてイタリア人が、アメリカ大陸に大挙して『移民』として渡り、社会の異物として徹底的に苛め抜かれ、危険な仕事にタダ同然で酷使され、差別された辛酸を、みんなすっかり忘れてしまっているようです。「難民はみんな犯罪者」という個々の事情を全く無視した乱暴な論調は、『華麗なるギャツビー』時代における米国の「イタリア人はみんなギャングでアナーキスト、しかも嫌な匂いがして、女性に乱暴する」と、そっくりそのまま同じ論調でもあり、時間というものは、人間の「都合のいい」健忘症と近視眼をすっかり見抜いていて、頃合いを見計らって『歴史』を再び繰り返そうとします。

1930 当時イタリア人の移民の人々は、米国の人々からの『悪魔的』とも言える差別に苦しんだのだそうです。 エリス島に移民したイタリア人家族。Una famiglia di immigrati italiani a Ellis Island レスプレッソ紙から引用。

終わらない『鉛の時代』、果てしなく続く極右VS極左の闘争

※イタリアでは『保守』、『リベラル』という言葉は使われず、ほとんどの政治の流れは『右』『左』に収斂されるので、今後もその表現に準じて進めることにします。

さて、コンスタントな衝撃と暴力的な発言、有無を言わせぬ強引な行動だけでなく、たまには陽気に歌ってみたり、あくまでも感じのいいおじさんとして小学生たちに『国粋主義』を教えてみたり、と八面六臂の活躍で猛進する『同盟』マテオ・サルヴィーニ内務大臣。その彼が率いる『同盟』の、『カトレギスタ(『同盟』所属のカトリック原理主義者たち)』と呼ばれるメンバーたちが次々と発議する反人道主義法案の数々を、改めてよくよく考えてみると鉛の時代を起源とするアウトノミー(自治)文化や、女性の権利をはじめとする人権関連の法律を、意識的に根底から打ち砕こうとしているようにも思えます。

60年代後半から70年代、『鉛の時代』を漂流した若い極左の革命家たちは、『革命』こそ実現することはできませんでしたが、ある程度の女性の権利の獲得、極左文化であるアウトノミー運動に端を発する『占拠』など、旧態依然としたイタリアの父権社会、権威主義社会に、不完全ながらもいくらかの『自由』と『柔軟さ』、そして『平等』という価値観を持ち込むことには成功している。今までイタリアが謳歌してきた自由は、パルチザンからはじまり、68年ムーブメント熱い秋77年ムーブメントを経て、70年代を主人公として生きた1世代、たとえば『急進党』のマルコ・パンネッラが、その生涯を賭けて法律化するなど、市民の手で勝ち獲ってきたものです。

『鉛の時代』を振り返りながら、社会に起こるさまざまな動きを、極左と極右の狭間で観察していると、ひょっとしたら『同盟』が、正確に言えば『カトレギスタ 』たちが、『合法化』という言葉を連発して根こそぎ一掃しようとしているのは、たとえばアントニオ・グラムシの流れからパルチザンたち、さらにはピエール・パオロ・パソリーニなどの知識人の支持を得て、イタリアの一時代を形成した伝統的な共産主義から生まれた極左文化なのではないか、という疑問でした。

もちろん『同盟』は極右政党ですから、極左を敵視するのは当然ですが、そのアプローチがあまりに古色蒼然とわざとらしく、まったく現代的でスマートなところがありません。イタリアの戦後に根深く残った、いわば「ファシスト VS コミュニスト/パルチザン」の闘争スタイルがそのまま現代に持ち込まれたような印象です。『同盟』は、現代社会に足跡というか、ひとつの『価値観』を残すことに成功した極左勢力への復讐を、毎回大げさにショー・アップしながら進めているようでもあり、この『同盟』の背景を、『フォルツァ・ヌオヴァ』、『カーサ・パウンド』、さらに、もちろんカトリック原理主義グループなど、コテコテの極右勢力が支えていることは明らかです。

ということは、とっくの昔に終わった、と思っていたイタリアにおける『鉛の時代』は、実はまだ終わっていないのではないか。ベルルスコーニの中道右派、『オリーブの木』、『民主党』の中央左派、といずれも、少なくとも表面上は、思想的にはモデラートな姿勢でグローバリズムに追随しながらユーロを導入したあたりから、『鉛の時代』のすべては過去に起こった忌まわしい出来事だ、と誰もが認識していました。

しかしそういえば、「真のファシズムは『消費主義』だ。『消費主義』はファシズムでも壊せなかった街の景色、人々の魂を一変させた」という言葉を、ヴィジョナリーでもあるパソリーニが遺しているように、ネオファシストたちの活動が風前の灯火になっていた時期も、たとえばグローバリズムを背景とした経済ファシズムや、マスメディアや『広告』が、盛んに流布した価値観のファッショ(束)化は確かに存在していたのかもしれません。それでも現在のような「いまどき、どういうこと?」という、『中絶廃止法』だの、LGBTの人々の結婚を認めないだの、骨董の香り漂う『価値感』が、政府から押しつけられそうになることはありませんでした。

なお、現在イタリアでブームとなっている『同盟』のマテオ・サルヴィーニという人物は、青年期には共産主義(つまり平等主義)を標榜していたという話ですから、その彼が今になって、極左の砦であるチェントロ・ソチャーレを「攻撃する」と宣言するなど、一貫性がまったくありません。確かにサルヴィーニは、デマゴーグとして政治力があり、人心を惑わすカリスマ性をも兼ね備えてはいます。話術が非常に巧みでSNSテクニックを熟知、最近までイタリア北部の『独立』という『イタリア国家からの分離主義』を謳っていた『北部同盟』から、脈絡のないまま『国粋主義』を主張する『同盟』への変遷をわけなく実行し、あらゆる矛盾を、うやむやにすることにも成功しました。ここで少し補足しておきたいのは、イタリアで極右と言われるグループは、ムッソリーニがそうであったように、大衆受けする社会主義の要素を、その思想に都合よく混在させていることです。

スポーツは、かつてファシズムの政治プロパガンダの一環(そしておそらく今も)となりました。CINQUE COLONNE MAGAZINEより引用

個人的にはファシズムもナチズムもスターリニズムもマオイズムも、いわゆるDiktatによる『全体主義』はまったく受け入れられませんが、好き嫌いはともかく、ムッソリーニ下のファシズムにおける建築であるとか、美術であるとかが、ある種のモニュメンタルな『美学』に貫かれていることは認めざるを得ません。

一方、蘇ったファシズム!と欧州諸国からも批判されるマテオ・サルヴィーニ の周囲には、思想、文化、美意識らしきものはまったくと言っていいほど見当たりません。繰り返される、衝撃的で単純な言葉と暴力的なインパクト、プロパガンダだけで人々を魅了するとは、文化と美意識とヒューマニティで構成されるイタリアという国においては、特筆すべき現象です。いずれにしても、『北部同盟』から『同盟』に名を変えたところで、最も裕福な人々を抱える北部イタリアを中心とする経済界、銀行界におけるロビー活動が盛んな政党であることには違いなく、マテオ・サルヴィーニのプロパガンダ・ショーには、あまり騙されない方がいいのでは?とも考えています。

なお、『中絶法』の廃止、『離婚』における女性の権利剥奪(ピロン法案)、LGBTの人々の結婚の廃止( Le unioni civili)など、反人権法案をプロモートする『同盟』の背景に存在する、国際的な極右政党のネットワークや、カトリック原理主義、福音派、正教(オーソドックス)の経済支援のため、「ロシアルーブルが雨のように降り注いでいる」という独占記事が、11月18日発行のレスプレッソ誌に掲載されています。この記事は、ドイツ銀行やダンスク銀行など、欧州のいくつかの主要銀行が、オフショアにブロックされていたロシアの資金をマネーロンダリングしていた、と報じられた最近のスキャンダルに関連して、2012年から2017年までのロンバルディアの政治基金口座の動きを、レスプレッソ紙が独自に分析したものです。いくつかの政治・経済ロビーと迷路のようなオフショアの会社組織との間に動いた、350億ユーロもの資金の詳細、極右団体、宗教団体、そして人物名、送金された金額までをつぶさに追跡している。

レスプレッソ紙によると、その資金は、ロシアとアゼルバイジャン( 先ごろ、『5つ星運動』が反対していたにも関わらず、一転建設することが決まった、ガスラインTAPの建設を長年要求してきた2カ国です)から供給され、西側諸国の3000あまりの謎の口座に、月10万ユーロ以上の金額が振り込まれ、その中にはイタリアの政治家も含まれていたそうです。具体的には、さまざまな金融機関を経て、イタリア、スペイン、英国、米国、ポーランド、ハンガリーという国々の宗教関係団体、極右グループ、『反人権運動』グループに、複雑な経路で資金が送金されています。そういえば先頃、街でもSNSでも、かなりお金をかけた仕上がりの『中絶廃止キャンペーン』のポスターをあちらこちらで見かけたところでした。

また、2014年には、英国のカトリック原理主義グループ( Dignitatis Humanae)が、ヴァチカン内のスペースで、現在西側諸国を席巻している『反人権運動』の流れを運命づける事になる、件のスティーブ・バノンを招いての会議を開催しています。ということは今、われわれが体験している時代の流れは、もちろんグローバリズムの反動としての自然発生的な要素もあるでしょうが、潤沢な資金を背景に、人工的に作られている可能性があるようです。『中絶法』の廃止を市議会決議したヴェローナでは、イタリアの複数のカトリック原理主義団体が主催して、来年の3月、米国を由来とする『世界家族会議』が開かれる予定です。

世界各国に広がる、この極右化の動きの最終目標は、しかし一体どこにあるのか。また、現教皇に反旗を翻すグループの存在がたびたび指摘される、ヴァチカン内の政治の混乱も、世界の動きを反映しているのかもしれません。

▶︎アンチレイシズム・アンチサルヴィーニ法案に集まった10万人の人々

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