サン・ロレンツォのドラッグ殺人と、それを政治利用する『同盟』マテオ・サルヴィーニ
無限の可能性を秘めた16歳の少女が、あまりに残酷に、非人間的な状況で殺害されたサン・ロレンツォの事件を直視することは、かなりの勇気と精神力を要します。できることなら起こらなかったことにして、目を瞑ってしまいたいほどの内容でもありました。しかし、この事件の翌日から、『同盟』のマテオ・サルヴィーニ内務大臣がまったく熟考のないまま、事件を極端に政治化、ローマ市政の無能を喧伝しはじめたことから、見逃すことができなくなりました。
ラッジ市長は現在、かつて市政に大きな権力を振るった官僚が、自らの兄弟を縁故採用した一連の事件で、その任命責任を問われる裁判の最中でもあり、万が一のことですが、もし『不正採用』で検察が求刑する10ヶ月という判決が下れば、『5つ星運動』内部の倫理規定通りに辞任を余儀なくされることになります (追記:『無罪』判決となりました)それを期待する『同盟』はいち早く、国政に最も影響を持つローマ市政を握ろうと、事件を単純化して政治利用、次期ローマ市長を巡って早速選挙キャンペーンをはじめたわけです(市長『無罪』判決ののち、『同盟』は本格的にローマ陥落を目指して本部設立を模索しはじめています)。
ラッジ市長が就任と同時に次から次にスキャンダルに直面、荒波に飲まれ、それでも必死でローマ市長の座を守り続けたおかげで、現在の国政における『5つ星運動』の躍進があるわけですから、国政はもう少し彼女をバック・アップすべきではないか、とも思いますが、今のところは静まり返っています。
さて、ローマ大学サピエンツァがある学生の街サン・ロレンツォは、そもそもローマにはじめて生まれたQuartiere Rossoー共産主義地区。第2次世界大戦中、集中的に米国の爆撃を受けた地区のひとつでもあり、街を歩くと、その爆撃の名残りが、あちらこちらの建物に残っています。また『鉛の時代』には、極左グループの支局が並ぶ、学生活動家たちの溜まり場でもある庶民的な下町として、カウンターカルチャーの本拠地ともなり、ある年代の人々には思い出深く語られる街です。
そのような経緯もあり、サン・ロレンツォは長らく、学生たちが行き交う知識人とアーティストの地区でしたが、この10年余りにその光景が激変することになりました。というのも、他のローマの地区同様、サン・ロレンツォのモヴィーダに集まる若者たちを狙った、ドラッグの売人たちが広場にたむろするようになったからです。やがて街の片隅に捨て置かれたまま、朽ち果てた工房跡のバラックに売人たちが住み着いて、マリワナ、クラック、ヘロイン、コカイン、ハシッシュ、合成ドラッグなど、あらゆるドラッグを捌くドラッグ・センターが出来上がっていた。
ここで明確にしておきたいのは、ドラッグの売人たちが住み着いたバラックと、オーガナイズされた『占拠』は、まったく異質の、いわば真逆のアクションだということです。有志による『占拠』は、77年のアウトノミー(自治)運動の流れを汲み、経済危機で家を失い行き場がなくなったイタリア人、さらには路頭に迷う難民の人々の住居を確保、外国人にイタリア語を教えるスペースや医療、法律相談を提供する、その地区に『安心』『安全』をもたらすプロフェッショナルなオーガナイズでした。また、チェントロ・ソチャーレと呼ばれる、アーティストたちに表現の場を提供する文化的な『占拠』は、地区に文化と活気をもたらしています。一方、背後に『ンドゥランゲタ』『第5のマフィア』などの犯罪グループが存在するドラッグの売人の場合は、単なる廃屋の不法侵入でしかありません。
その悲劇的な事件は、10月17日から19日の夜にかけて起こりました。被害者となった16歳の少女は未成年のうちに、すでにドラッグに魅入られ、ローマから1時間ほど離れた地元では(父親に干渉され)手に入らなくなったドラッグを求め、事件の数日前からサン・ロレンツォの売人たちの元に通いはじめたのだそうです。しかも彼女は欲しいドラッグを得るためのお金の持ち合わせがなく、身体と交換にドラッグを手に入れていた。イタリアでは現在、未成年のドラッグ依存の増加が、大きな問題になりつつあります。
事件の一報は、「オーヴァードーズとなった少女が、売人である4人のアフリカ人に長時間輪姦され続けた挙句、そのまま打ち捨てられ、息耐えた」というショッキングなもので、しかも誰もが馴染みのある、ほぼ中心街ともいえるサン・ロレンツォが舞台となったことで、たちまちのうちに「ドラッグ」「アフリカ人たちによる残酷な輪姦」「未成年」「feminicidio(女性殺人)』がキーワードとなり、重大ニュースとしてイタリア中を駆け巡った。庶民的で、いつも学生たちで賑やかなサン・ロレンツォまで時々出かける機会があり、土地勘もあるわたしにとっては、胸が押しつぶされる痛ましい事件です。若者たちで賑わうバールやピッツェリアやパブが並ぶ賑やかな通りから、突如として暗く、人通りが少なくなるあの辺りに、そんな不法ビジネスが蔓延っていたとは、今まで気づくことはありませんでした。
このように、誰もが悲しみに打ちひしがれるなか、「犯人たちは不法滞在のアフリカ人たち」という格好の攻撃材料を見つけた『同盟』のマテオ・サルヴィーニは、市政よりも早くサン・ロレンツォに駆けつけ、「ローマ市政は今までいったい何をしていたんだ。内務大臣の俺さまが、次にここに来るときは、大勢のポリスを引き連れて一掃作戦に出る。さらにローマ中にある『占拠』は、来年の2月に警察官を大量に雇用して、ひとつひとつ、しらみつぶしに強制退去にする」と豪語。
伝統的な共産主義地区であり、チェントロ・ソチャーレも多くあるサン・ロレンツォでは、サルヴィーニ に群がる支持者の向こう(むしろサン・ロレンツォに『同盟』支持者が存在することに驚愕しましたが)、「サルヴィーニは、この地区からいますぐ立ち去れ、ジャッカル、ジャッカル、ジャッカル」と大勢の若者たち、学生たちのシュプレヒコールが上がりました。サルヴィーニはといえば、「あいつらはチェントロ・ソチャーレの奴らで、事件の共謀者だからな」などと侮辱的な捨て台詞を残して、意気揚々と立ち去った。しかしながら、ナポリにおける最近のドラッグ一斉捜査で逮捕された容疑者のひとりは、なんと『同盟』メンバーだった、という皮肉なエピソードもあります。
※いち早くやってきたサルヴィーニに、猛然と抗議する若者たち
いずれにしても、『5つ星運動』の少数派が難色を示しながら、上院での信任を通過したサルヴィーニ法案と呼ばれる防衛、難民に関する法案には、リクエストをしても滞在許可が交付されない約60万人の難民の人々を、90日から180日の間に自国に送り返す(どうやって?)、亡命ヴィザを一切認めないなどの項目があります。また、犯罪者グループも、オーガナイズされた『占拠』グループも一緒くたに、すべての『占拠』は強制弾圧、即刻退去、とサルヴィーニは宣言している。この、サルヴィーニ法に断固として反発する『占拠』グループ、チェントロソチャーレ、ファミニストグループ、さらには政党も加わって、11月10日にはアンチ・サルヴィーニ全国規模のメガデモが開催される予定です。
しかし「犯人はアフリカ人。したがってあらゆるアフリカ人は『悪』。悪は一掃する」というサルヴィーニの短絡思考に、賛成する人々がイタリアに多くいることには、改めて驚いています。というか、昨日まではそんなことを気にもかけていなかった人々が、急にサルヴィーニに同調しはじめて、一斉に難民排斥を叫び出す、という印象です。オーガナイズされた『占拠』に関しては物理的に考えて、ローマだけで(イタリア人も含めて)12000人の占拠者がいるというのに、その人々が受け口がないまま強制退去となり、住居を失い街に溢れたら、暴動に近い状態になるかもしれない。
むしろサルヴィーニは敵意を煽って、その状態を熱望、市民の混乱と分断を狙っているのではないかと勘ぐりたくもなります。それに強制退去にするのであれば、「ここに一歩でも踏み込んだら、一面が血の海になるぞ」と当局を脅したとの噂がある、『同盟』の身内、極右グループ『カーサ・パウンド』 から、まず最初にはじめていただきたい、とも思う。
時間が経つにしたがって、この事件に関わったのは、売人であるアフリカ人だけではなく、少女を昏睡状態にするための向精神薬を調達したらしいイタリア人の存在も明らかになってきています。また被害にあった少女は、ひとりではなく他のイタリア人の少女たちと一緒だったという証言もある。いまだ捜査は継続中ですが、●年々増える未成年者のドラッグ依存。●アフリカ人の売人を使い、マーケットを大きく広げるマフィアグループの存在。●サン・ロレンツォを抱くローマ2区の区長が、ドラッグの巣窟となっている廃屋の強制退去、さらに通り、広場などビデオカメラの設置を何度も正式に当局、市政に依頼していたにも関わらず、市政も警察も今まで動かなかった。●事件の後も何事もなかったように、相変わらず広場ではドラックの売買がされている、など、この事件には「犯人は憎むべきアフリカ人」と単純に記号化してはならない社会問題が存在する。
今回の事件を受けて、サン・ロレンツォでは伝統のイタリア全国パルチザン協会A.N.P.I.のメンバーの方々が中心となった抗議集会が開かれ、かくしゃくとした90歳代の往年のパルチザンたちが、ファシズム下における自らの体験を語り、アンチファシズム、アンチサルヴィーニを訴え、多くの若者たちが集まっています。しかも同日、「ローマでこんな抗議集会を見ることになるとは」と絶句したくなる、全身黒の衣装に身を包んだ極右グループ『フォルツァ・ヌオヴァ』が、サン・ロレンツォ付近で『難民排斥』を訴えるデモを強行しました。
ちなみに『フォルツァ・ヌオヴァ』は、『中絶法』の廃止、ピロン法案と呼ばれる『離婚』を巡って女性の権利の剥奪をプロモートする、『同盟』の家族省大臣ロレンツォ・フォンターナとの強い連帯が指摘されています。そしてさらに気になることは、その『フォルツァ・ヌオヴァ』には、カトリック原理主義Pro Life(モヴメント・ペル・ラ・ヴィータ:生命のためのムーブメント)運動が深く関わっていることでしょうか。
イタリア全国パルチザン協会A.N.P.I.と『フォルツァ・ヌオヴァ』のデモが同時に行われたサン・ロレンツォ付近では、その日禍々しい緊張に包まれはしても、衝突もなく、暴力的なアクションもなく、とりあえず、ほっとはしました。その日の正午あたりに、『フォルツァ・ヌオヴァ』のメンバーであろう黒装束の若者たちをチラッと見かけましたが、テルミニ駅周辺で行われていた、別の左派グループ(Cobas)の『難民保護』、アンチ・サルヴィーニ集会に参加する外国人たちを、徒党を組んで攻撃的な大声で口汚く罵り、街ゆく人々に恐怖と威圧感を撒き散らしていた。
何らかのアクシデントから『同盟』がローマ市政を握り、『フォルツァ・ヌオヴァ』であるとか『カーサ・パウンド』であるとかの極右グループが、我が物顔でローマを闊歩することは、想像するだけで暗澹とします。したがって、他の政党に期待できない今、ヴィルジニア・ラッジ市長には、ここでしっかり踏ん張っていただきたい、と応援する次第です。
※自由の旗を取り戻し、高々と掲げよう!と主張する往年のパルチザンに喝采を送る若者たち
▶︎われわれが短絡思考に陥りやすくなった、ひとつの理由としてのスマートフォン