永遠の都ローマの著しい荒廃は、本当に市長ヴィルジニア・ラッジのせいなのか

Deep Roma Eccetera Quartiere Società

イタリアの国政は懸案の国家予算案を含め、アゼルバイジャンからトルコ、イタリア北部を結ぶガスラインTAP、フランスとイタリアの国境を走る超高速列車TAVの建造、また事実上の「移民難民排斥」法であるサルヴィーニ法案や長い裁判などで生じる『時効』の廃止を巡る葛藤、さらには稀にみる悪天候で全国に多くの被害が続出し、紛糾が続いています。しかしながら今回は、国政はとりあえず「要観察」にしたまま、みるみる荒むローマについて考えてみることにしました。比類なき美しさを誇る永遠の都市は今、中心街からちょっと外れると、壊れた車(!)、冷蔵庫、マットレス、ソファなどの粗大ゴミが置き去りにされ、街角のゴミ収集カセットは常に溢れかえって「分別」どころの騒ぎではありません。

ローマという都市は、古代ローマ帝国の廃墟から、中世、ルネッサンス、バロックと各時代の建造物が無作為に密集して出来上がった街ですから、そもそもその風景には秩序らしきものがありません。しかしそんな無秩序な風景が、想像を超えた長い時間とともに朽ち果てながら、もはや「天然」とも呼べる柔らかさと温かみを醸し、その街に暮らす人々に、聖母の懐のような安定感を与えています。とりわけ澄み切った青に覆われる宵闇の街の美しさは、何年もこの街に住んでいる者を、繰り返し感嘆させる強い魔力を持っている。

ところがここにきて、そんなローマがじわじわと荒廃しはじめ、道端に溜まる一方のゴミの周りにはネズミたちが駆け回り、アスファルトの車道にも、石畳のあちこちにも、ボコボコと大きな穴が空いて危険極まりなく、停留所で待てど暮らせどバスが来ない。やっと来た、と思ったら途中で故障して、うむも言わさず全員降ろされる、ということまで起こるほどです。「ローマだから仕方がないよね。これもローマ名物のひとつだから」と顔を見合わせて微笑むレベルは、とうに越えていました。

わたしが住むエスニック地域は、賑やかな中心街や観光スポットからは少々離れた、もともと特別に治安がいい場所ではなかったのですが、このところ、というか、新しい政府が樹立して『外国人差別』が声高に叫ばれるようになってから、ひときわ状況が悪化したように思います。行き交う人々がなんとなく緊張し苛立って、1日に1回は凄まじい喧嘩の声が響き渡り、人通りが少なくなる時間には、盗難に遭った旅行者の叫び声が闇を貫く。警官やカラビニエリが道ゆく外国人を呼び止めて、職務質問をする光景が、いつの間にか日常になりました。

思い起こせば5、6年ほど前までは、バングラデッシュやパキスタンや中国の人々が、エスニックな店を構えるこのあたりの地区に住む、イタリア人も外国人も特に分け隔てなく、諍いもなく、むしろ誰もが異文化に興味津々という雰囲気でもありました。もちろん今でも地域に住む顔見知りの人々は、基本、何の問題もなく暮らしてはいるのですが、子供たちも遊ぶ公園に茂る木々の下、行き場なく休息する難民の人々に混じり、いつの間にかアフリカ人のドラッグの売人たちがたむろするようになり、手錠を手にした警官たちがパトカーで現れたかと思うと、目の前で捕り物が繰り広げられるようにもなったのです。

しかしここで、まず断っておきたいのは、アフリカ、中東の難民の人々で、犯罪に関わる輩はごく少数だということです。特にドラッグの売人となるアフリカ人のほとんどは、イタリアのマフィアグループの手引きで地中海を渡ってやってきた、自国の犯罪グループ(一般にナイジェリアのマフィアが有名)に属す、そもそもの「ならず者」だと言われています。手持ち無沙汰に集まる難民の人々を隠れ蓑に紛れ込み、たとえば『ンドゥランゲタ』や、ローマの新興勢力『第5のマフィア』などが流すドラッグを、末端で売る役割を負っている。

ローマのドラッグ問題については後述しますが、いずれにしても彼らがたむろするようになってから、外国人であれイタリア人であれ、ドラッグやアルコールに依存する人々が集まるようになり、そうなると、飲み干したビール瓶を次々に舗道で叩き割ったり、酔っ払って大声で喚いたり、殴り合いの喧嘩をしたり、と途端に街角の雰囲気が荒れ果てます。

幾度となく警察が介入し、その都度売人たちは散り散りに逃げ惑い、あるいは逃げ遅れて逮捕されても、警察の姿が見えなくなると、またぞろ何食わぬ顔で街角に戻ってきて、イタチごっごで収拾がつかず、「これでは地区が滅びてしまう」と近所に居を構える著名映画監督も加わって、若い住人を中心に有志たちが立ち上がるほどになりました。現在は地区の「健康」を取り戻そうと、さまざまな文化的イベントの企画を練っているようです。そういえば、公園でオープンシネマが上映される夏の間は賑やかになり、物騒な出来事もぐんと少なくなるので、住民たちが子供連れで集まることができるような、定期的なイベントが開催されると雰囲気が大きく変わるかもしれません。いずれにしてもここ数日、売人たちが集まっていた場所は入れないように閉鎖されています。

#romadicebasta(ローマは「もうたくさん」と言っている)のハッシュタグで、ローマ市庁舎につめかけた市民たち

そういうわけで、わたしが住む地区のような突然の環境の悪化が、あちらこちらで顕著になるうえ、毎日のように起こるバス、地下鉄の故障と遅延、終わりが見えない、まさしく山積みとなったゴミ問題、道路や広場などローマの公共スペースのインフラの劣化が改善されるどころか、日に日に劣悪になる状況に、ついに市民たちの堪忍袋の緒が切れることになりました。10月27日、ローマ市庁舎のあるカンピドリオ広場で、2万人を超える人々がシット・インを敢行。政党や組合、団体の旗はひとつも掲げられず、徹底して政治色を排除、市民ひとりひとりが、ローマ市政に純粋に怒りをぶつける、という企画でしたが、『民主党』の主要メンバーであるカルロ・カレンダらが『市民』として訪れたことで、多少政党色が加わったかもしれません。

 

このシット・インの数日前に、日本のSNSにも動画が出回っていた地下鉄のエレベーターの大事故が起こり、さらにはローマ大学サピエンツァのあるサン・ロレンツォ地区で、未成年の少女がドラッグ絡みで売人のアフリカ人たちに暴行を受け殺害される、という痛ましい事件が起こったため、「何もかも市政の管理不行き届き。市長は何も解決していない」、と市民の市政への不信は一気に頂点に達しました。カンピドリオ広場に「ヴィルジニア・ラッジは辞任!」のシュプレヒコールが巻き起こり、イタリアの主要メディアのみならず、ニューヨーク・タイムズ紙、CNNなど外国メディアまで報道する事態ともなった。終わりがけにちょっと覗いてみましたが、思ったほどの緊張もなく、意外と落ち着いた大人のシット・インでした。

今回のシット・インを企画したのは、建築家や編集者、ジャーナリストなど女性ばかり6人が今年5月にフェースブックに立ち上げたグループ、Tutti per roma, roma per tutti (すべての市民がローマのために、そしてすべての市民のためのローマ)。政党とは一切関係ない一般市民が起こしたムーブメントで、現在グループには、約2万人のメンバーが参加しています。また、FacebookとYoutubeに彼女たちが投稿した、誰も語らないローマの現状を市民がレポートしたいくつかの動画が人々の共感を集め、賛同者、支持者が急速に広がりました。

シット・インの参加者の中には「自分は『5つ星』に投票したけれど、今は後悔している」というプラカードを持った人も現れ、主催者たちの「機能しないどころか、悪化の一途をたどる市政への静かな抗議」から一転、市民からの「ラッジ市長の不信任表明」という形になり、主要各メディアもここぞ、とばかりに、「ラッジ辞任を求める声」と報道することになりました。冒頭でも書いた通り、確かにローマの公共サービスの機能は交通機関を含め、近代都市とはとても呼べない状況です。

しかしながら、ここはひとつ、ちょっと落ち着いて考えてみたいと思います。たとえラッジ市長がただちに辞任したところで、ローマのあらゆる問題が一気に解決するとは到底思えない、というのが正直なところです。ローマの荒廃の背景には、マフィア案件も含めて、長い時間にどんよりと折り重なった、複雑怪奇な『利権の澱』というか、歪みというか、簡単には理解しがたい問題が立ちはだかっているように感じます。2000年前のモザイクの床は丁寧に修復され美しくとも、2年前に出来たばかりの舗道は、ダイナミックにあちらこちらがひび割れて、ぼうっと歩いていると躓いてしまう、という工事は、通常ありえないのではないか。

当のラッジ市長は、といえば今回の市民の大抗議に、「シット・インは明らかに『民主党』が主導している」と、多少ヒステリックにSNSで反応し、「われわれは『民主党』ではない」と主張する主催者側とちょっとしたいざこざを起こしたことは、市長としては軽率だったと思います。それにルイジ・ディ・マイオ副首相を筆頭に、自分たちに向けられた批判や抗議を、すぐに『攻撃』と捉えて過剰反応する『5つ星運動』の傾向は、被害妄想が過ぎるのではないか、とも思う。

ただ、市長が主張し続ける「ローマはマフィア・カピターレの遺産」という言葉には、ある種の真実も込められているのでは?と思います。犯罪組織が巨額のマージンをとって市政に介入することで、ゴミの収集、難民の人々の住居施設、ロムの人々のキャンプなど、公共予算を使ったサービスがようやく機能していた、という前代未聞のスキャンダルが暴かれ、ラッジ市長当選時はデフォルト寸前だったローマ市です。現在も資金繰りが、非常に難しいのは事実です。巨大インフラ企業群を敵に回しての2024年のオリンピック候補地取り下げを、わたしは英断だと思いますが、その決断が公共サービスシステムに、何らかの歪みを生んでいるのかもしれない、ともぼんやり想像します。

もちろん、どのような状況が背景にあったとしても、市長であるならば、ローマの状況悪化を食い止めるだけの腕力、政治力をフルに発揮して、市民の要求に応えなければならないわけですが、ヴィルジニア・ラッジが市長になってから、まだ2年しか経っておらず、評価を下すのは時期尚早ではないか、と思います。また、今後どのような動きがあるか、いまだ不安定ではあっても、『5つ星運動』が国政を担う勢力となった今、ラッジ市長は国政からの更なるサポートを期待してもいいのでは、とも考えます。後述しますが、ラッジ市長の辞任を見越した、ローマ市政を巡る心配な動きがだんだんに顕著になってきているところです。

なにより、ローマ副市長であり文化評議委員のルカ・ベルガモが、市営美術館MACROのディレクションを、MAAMの発案者であるジョルジョ・ディ・フィニスに一任し、アーティストと市民に、『スペース』を開放する実験的な美術館MACRO asiloをスタートさせたことは、ローマ市政の文化面における大きな功績です。さらにローマ市長自ら、アンチファシズムを宣言したことも、市政に希望を持つひとつの要因でもあります。ルカ・ベルガモはシット・インの翌日、テレビ番組で主催者の女性たちと直接に話し合い、今後は対話を大切にしながら市政を改善していくことを約束。一方、ローマ市政を虎視眈々と狙う『同盟』は、「ローマ市政は民主党よりマルクス主義。市長は即刻辞任すべき」などと終始攻撃しはじめました。

※MACRO Asilo (亡命美術館)は入場料フリー、世界の巨匠からストリートアーティストまで、あらゆるタイプのアートが体験できる美術館です。ローマにいらっしゃる際は、ぜひ覗いてみてください。

また、あまりに酷い状況が続くATAC-市営バス・地下鉄に関しては急進党(パルティート・ラディカーレ)の発議で、11月11日に市民投票が予定されています。その結果如何によっては、今後、民営化の方向へと進むかもしれません(追記:投票率が、最低投票数33%に満たなかったため、とりあえずは現行通り、市営に留まることになりました)。

▶︎サン・ロレンツォのドラッグ殺人と、それを政治利用する『同盟』マテオ・サルヴィーニ

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