11月13日の早朝、ブルドーザーで撤去された、Baobabの難民キャンプ
そうこうするうち、誰もががっくりと肩を落としたBaobab experience強制撤去のニュースが入ってきたのは、10日のメガデモから3日しか経っていない火曜の朝のことでした。 バオバブの難民キャンプは、かつてわたしが訪れた時はティブルティーナの駅裏に当たるスパドリーニ広場にありましたが、そのあと何度も強制退去になり、現在は、地中海を渡りながら家族の元へとたどり着けず、絶望のあまり自死したソマリア人の女の子の名をメモリアルとして冠した、マスラックス広場に移動していました。
バオバブは、亡命ヴィザの申請から弾かれた人を含み、どの難民センターにも行く資格がもらえず、あるいはセンターに充分な場所がなくてどこにも行くことができない移動中の難民の人々を受け入れ、食事やその日の寝場所としてのテントだけではなく、医療や法律相談を提供する、市民たちが自発的に構成した難民支援団体です。
以前に訪ねた時には、その場でキビキビと働く医師や弁護士、通訳、若いボランティアたちがあまりにプロフェッショナルで、しかもその気配りが半端ではなく、「ローマには、なんて素晴らしい人々がいるんだろう」と心底感嘆させられました。アフリカ各国や中東、中央アジアから訪れた難民の人々は、吹きざらしの広場で寝起きしなければならない過酷な状況下ではあっても、ボランティアの人々を心から信頼している風で、若い女性ボランティアを「ママ、ママ」と呼んで、あれこれと質問したり、身の上話を含む雑談をしていました。現在までにバオバブは、約8万人の難民の人々を受け入れてきたのだそうで、かつて難民キャンプで数日を過ごし、のち正式なドキュメントを得ることに成功した人々も、通訳などのボランティアとしてたびたび訪れ、彼らを手伝っています。
「バオバブ・エクスペリエンスは、このスパドリーニ広場で、難民の人々に法的な滞在許可ドキュメントをリクエストするための法律的なプロセスをはじめ、さまざまなサポートをしているのだけれど、もちろんバオバブだけではなく、他の多くの市民アソシエーションと協力しながら進めているんだ。例えばCIR(イタリア亡命センター)、Action diritti in Movimento(権利のためのアクショングループ)、Medu(人権のための医療団)、A buon diritto(人権侵害の報告を、市民の意見として政府議会に反映させるアソシエーション)、Radicali(70年代、『鉛の時代』から、多くの人権問題を提起、法律化した実績を持つ『急進党』)など。Meduは火曜日と木曜日にこの広場で、人々の健康状態を診て、必要な薬を供給しているんだよ」
去年の早春に伺ったとき、ボランティアの方にそう説明していただき、本来は国なり、地方自治体がやらなければならないことを、市民が結束してボランティアとして難民の人々の手助けをしているというのに ー当時は『民主党』政権下であったにも関わらずー『強制退去』の対象になることが、さっぱり理解できませんでした。そしてバオバブのボランティアたちを、なにより素晴らしいと感じたのは、難民の人々と同じ目線で状況を考え、話を聞き、心のケアをし、さらには深刻に議論するだけではなく、サッカーの試合やローマ市内の散歩を企画して、難民の人々を温かく、友達として受け入れる姿勢です。学生や若い人々が大勢関わっていることにも、強い印象を受けた。
サッカーの試合に誘われて、サン・ロレンツォのサッカーフィールドまで彼らの試合を見に行ったこともありますが、フィールドをカモシカのように駆け回っている彼らは、駅裏にいた時の、少し心細そうな表情とはまるで別人で、溌剌と明るく、しかもかなりキレのあるシュートを決めるサッカー青年ばかりでした。試合も白熱して、わたしも思わず真剣に応援したほどです。
そもそもはサン・ロレンツォで占拠スペースを運営し、欧州の別の国へ行こうとしている人々や、ダブリン合意(難民の人々のヴィザなど、必要な手配は一番最初の到着国で行わなければならないという欧州各国の合意)で、イタリアに戻されてしまった難民の人々の、通過地点としてのローマにおけるケアと友情を提供してきたバオバブです。スペースを強制退去になったのちは、青空の下にテントを張って、常時100人から200人の人々のローマの生活を保証し、ローマにおいては、先日解体されたリアーチェに次ぐ難民支援団体のシンボルでもあり、ひっきりなしに多くのジャーナリストたちが訪れてレポートしていました。いずれにしても国家機構にとっては、レアーチェにしてもバオバブにしても、国家権力が及ばない、市民だけのアウトノミーな運営が評判になることが目障りで仕方なかったのでしょう。また、有名な支援グループを攻撃することは権力のアピールともなります。
現在までに、民主党政権下を含め、22回(!)も強制退去になったバオバブですが、『サルヴィーニ法案』が提示されたのちの今回の強制退去は、いつもとは異なる、ひょっとしたら決定的な退去になるのではないか?と、その存続を危ぶむ人々が多くいることも事実です。その日の朝、内務省は、そこに『犯罪』もテロリストも存在しないのをわかっていながら、Digos(アンチテロリスト特殊部隊)とともに、何十台ものパトカー、ブルドーザー、地ならし機を持ち込み、広場に並ぶささやかなテント、生活用品から何から何まで根こそぎ破壊して、自作自演の大げさ感を醸したのち、ゴミ収集車で持ち去った。その様子はSNSだけではなく、新聞各紙のWeb版、テレビでも中継される、という物々しさでした。
その朝、マスラックス広場にいた201人の難民の人々の57人は、ただちにローマ市が用意した難民センターに移動することができましたが、139人は警察署に身元確認のためにバスで連行され、その他の人々(その中には、イタリア人夫婦もいました)は、どこにも行き場なく、その場に取り残されることになった。サルヴィーニは早速ツイッターで「国家も、法律も存在しない放任スペースにはもう我慢ができない。約束したことを実行したまでだ。それにこれで終わったわけじゃない。言葉から実行へ移す」と勝利宣言。そののち、今までバオバブを存続させたローマ市政のあり方を再び非難しています。
このように、サルヴィーニの攻撃プロパガンダは、イタリアの社会では力を持つことができない難民の人々であるとか、トランスジェンダーの人々であるとか、常にマイノリティであり、それはつまり「弱い者いじめ」でしかなく、はじめから勝てる、と踏んだ相手のみを選んでいます。もちろん、サルヴィーニ内務大臣のこのオペレーションには、一斉に「ならば即刻、極右グループ『カーサ・パウンド』の占拠を強制退去にしろ」と『民主党』(いまさら)をはじめとする左派陣営、さらには左派のジャーナリストたち、市民たちも大きな声をあげていますが、サルヴィーニは「バオバブのあとは、ローマで27件の強制退去を強行する予定」と断言しています。
そして、さらに心配というか、呆気にとられた出来事は、上院の人権委員長に『同盟』のステファニア・プッチァレッリが選出されたことでしょうか。プッチャレッリは「ロムの人々のキャンプを、有無を言わせず、ブルドーザーと地ならし機で強制的に一掃する」という市民運動を推進してきた、『人権』というコンセプトから最も遠い場所に存在する人物です。プッチャレッリが人権委員長に選出された日、早速フォッジャでは、大がかりなロムの人々のキャンプの強制退去が実行されてもいます。
バオバブのボランティアの方が「社会問題を、警察とブルトーザーで解決しようとするなんて」とツイートしていましたが、事実、強制退去にしたところで、住む場所を失った人々が街に溢れるだけで、なんの解決にもならず、社会に緊張と混乱を生むだけです。それとも、その混乱を生むことが一連の『強制退去』プランの狙いなのかもしれない、との疑惑も湧いてきます。行き場をなくした難民の人々や住居を失った人々は、マフィア・ビジネスに狙われ、巻き込まれる可能性もあるのです。
ヴィルジニア・ラッジ市長は、サルヴィーニの、ローマのすべての『占拠』スペースの「強制退去宣言」を受けて、「受け入れ先を準備しないまま、有志のオーガナイズの下、スペースを『占拠』している難民の人々や住居を失った人々を強制退去にしても無意味であり、まず、ひとつひとつ解決策を考えなければならないし、地方自治体にその権限がある」と返答しているので、ここはひとつ、ローマ市政の強固な態度とケアを期待したいところです。なお、最近ラッジ市長は、シンティのマフィアグループとして悪名を轟かせていた『カーサ・モニカ』ファミリーの不法建築住宅群を、600人の警官とともに捜査に入り、家財を押収したのちブルドーザーと地ならし機で一掃撤去する、というアクションに出ました。この強制撤去は、ローマに蔓延る犯罪組織にメスを入れる快挙です。乱暴な方法ではありますが、少なくとも相手は名うての犯罪グループでした。
さて、どこにも行き場なくバオバブに残った人々は、といえば、その晩は許可を得て、ティブルティーナ駅のコンコースで一夜を明かしたそうです。強制退去になったあと、ボランティアの人々は、警察に連行された難民の人々を警察の門前で夜遅くまで待ち、彼らのために温かい食事を用意、寝場所の確保に追われた。翌日には他にどこにも行く場所がない人々が、駅裏の広場へとひとり、ふたりと戻りはじめ、バオバブのボランティアの人々は医師が待機するマイクロバスを用意して、「できることはすべてやっていく」と宣言しています。さらには市民の有志が続々とやってきて、温かいミルクを用意したり、必要なものを届けてくれたりもするそうです。
多くの人々が彼らを応援しています。『同盟』がどれほど大げさなプロパガンダで攻撃してこようが、そう簡単に『善意』は一掃できないという確信をも持ちます。ローマのレジスタンスは伝統的にしぶとく、強固。むしろ、攻撃されればされるほど、その信念は確固としたものになり、アンダーグラウンドに人の輪が広がる。今は劣勢でも必ず機運が訪れるはずです。また、『5つ星運動』の下院議長であるロベルト・フィーコがナポリで、「文化占拠スペース、チェントロ・ソチャーレは社会問題に大きく貢献している」と発言したこともあり、その言葉に希望を託したいと考えます。
高校生による『アンチ・サルヴィーニ』『アンチ・ガーバメント』のイタリア全国規模の抗議集会の動きも日増しに大きくなってきています。わたしが住む地域にあるローマ大学サピエンツァの分校にも、『サルヴィーニ法案』反対の横断幕が早速掲げられました。これから11月の下旬にかけて、参加したい抗議集会の予定が目白押しです。そういえば、高校卒業資格試験から、今後『歴史』と『美術』(イタリアで?)の選択科目が無くなるそうですが、試験科目でなければ、学生たちは真面目に勉強しなくなるに違いなく、これも新政府が樹立しての特筆すべき変化かもしれません。
なお11月24日に行われた『女性への暴力』『DV殺人 Femminicidio』に猛然と抗議し続けるフェミニスト・グループNon una di meno『もうたった一人も(犠牲者を出したくない)』 は、今年『サルヴィーニ法案』、『ピロン法案』に断固とした反対を表明。雨の中、20万人の人々を集めたメガデモとなりました↓