ローマ・チッタ・アペルタ:『無防備都市』、難民の人々を巡る終わらないレジスタンス

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アンチレイシズム・アンチサルヴィーニ法案に集まった10万人の人々

「レイシズムは良くない病気だ。治療しなさい」「移民は犯罪じゃない」それぞれにプラカードを掲げてデモに集まった人々。

さて、そんななか、ローマのアンチファたちのレジスタンスは、だんだんに活発になってきました。5年間に渡り、法律、医療、社会問題に関わる市民団体や一般の市民たちが、自発的にオーガナイズ、行き場のない難民の人々を受け入れてきたNGO、Baobab Experienceのボランティアの人々を中心に、数多くのアンチレイシズムのグループが共同で主催したメガデモが、11月10日、大々的に開催された。

正式なドキュメントを持って言葉が理解できるようになっても、ふとした時に感じる精神性の違い、常識の違いから生まれる齟齬で、外国で暮らすということは、わたしにとっては常にちょっとした緊張の中で暮らしているような状況です。ましてや紛争、旱魃、貧困、と国から脱出しなければ生き残れない、と判断しなければならず、拷問を含む厳しい道のりを経て命懸けで到着したにも関わらず、言葉も分からない、住むところも見つからない、ドキュメントも宙吊りのまま四面楚歌の難民の人々の不安はどれほどのものか。サルヴィーニ内務省がイタリアのすべての港を閉じた6月から今まで、なぜもっと大声を上げないのか、他の政党は何をしているのか、と非常に不満に思っていたところでした。

おそらく多くの人々が、同じ不満を抱えていたのだと思います。その『アンチ・サルヴィーニ法案、アンチ・レイシズム』デモは、不条理感の発露のように、大変な人出となりました。抗議集会に集まった人々は、テルミニ駅前のレプッブリカ広場を出発点に、サン・ジョヴァンニ教会広場まで、6時間あまりをかけて行進。時間が経つにつれ、どんどん人数が膨れ上がり、最終的には10万人とも言われる人々が集まった。その日の朝にはフェミストグループが、『ピロン法案』に猛然と反対するパフォーマンスを繰り広げたので、ローマでは一日中、どこかで抗議集会が開かれている、という1日となりました。

さらに11月10日は、ローマだけではなくトリノでも、女性たちによる市民団体が企画した『TAV:高速鉄道』に『Si TAV: 高速鉄道建設に賛成』を表明する4万人が集まった抗議集会が開かれています。TAVは人気作家エンリ・ディ・ルーカをはじめ、極左の活動家たちや『5つ星運動』が、「今の時代に不必要の上、自然環境が破壊される」と長年に渡って建設を反対してきたインフラで、その日ローマで行われた人権事案である『アンチ・サルヴィーニ法案抗議』デモよりも、経済事案である『Si TAV』の方が大きくメディアで扱われたことは、ローマ集会の参加者であるわたしたちに、多少の不満を残したことは否めません。

またラ・レプッブリカ紙、コリエレ・デッラ・セーラ紙など主要紙各紙ともに、ローマのデモ参加者は2万人と記していましたが、それは明らかに出発地点での人数で、満杯になれば10万人と言われる最終到着地サン・ジョヴァンニ教会広場には、人が溢れかえり、デモ行進の後方にいた人々は、なかなか広場に行き着かなかったことも付け加えておきたいと思います。

いずれにしても、イタリア中から30台ものバスをチャーターして人々が集まり、『サルヴィーニ法案』反対運動のシンボルでもあるリアーチェの市長ミンモ・ルカーノも参加。多くの難民の若者たちや小さい子供たち、往年のイタリア共産党の旗を掲げた人々や、普段は「デモなんてかったるい」と絶対に思っているはずの、おしゃれな知り合いやアーティストたちも参加して、ひたすら平和的な抗議集会でした。ただ、各地からバスをチャーターしてやってきた人々は、ローマの入り口あたりで警察に止められ全員バスから降ろされたうえ、ドキュメントからデモ用の横断幕まで調べあげられ、内務省自作自演のピリピリ感で、かなり到着が遅れることになりました。レプッブリカ広場に集まったわれわれは、といえばバールでコーヒーを飲んだり、友達と話したり、アフリカ人の青年たちのパーカッション演奏を見物したり、写真を撮ったりと、呑気に出発を待った次第です。

巨大デモだったので、一団と一団の間で、子供たちがラグビーをしながら参加する、という光景も見られました。

では、わたしたちが反対する『サルヴィーニ法案』とは、いったいどのようなものか、というと ●難民の人々の亡命の権利、また外国人の滞在許可、市民権取得に関わる見直し。●公共安全のため、犯罪の可能性のある集団形成の未然予防策。● マフィアから没収した財産、美術品などの管理 (つまり、民間に売却)。大きく分けるとこれら3つの内容からなる『移民難民関連および国家安全保障政策』です(※11月28日に下院を通過し、大統領の署名を待つだけとなりました)。

そして、1項目めに挙げた法案内容に、難民の人々のイタリアにおける扱いを、今後大きく変えることを提示しています。それも、「いまさら?」と不思議に思う、ちょっと解せない内容です。以前にも指摘しましたが、2015年を境にアフリカ大陸から地中海を渡ってイタリアにやってくる人々は、減少の一途をたどり、現在ではイタリアの2倍の人々を、スペインが受け入れている状態です。したがってイタリアにおける難民問題は、決してエマージェンシーではありません。国内にすでに滞在する人々の滞在許可証や受け入れスペースの問題は、国や地方自治体で、時間をかけて解決策を練ればいいことであり、わざわざ難民の人々の差別を法律化するということは、プロパガンダ以外のなにものでもないのです。

2017年の統計から言えば、国際的保護措置をイタリアの移民局に申請した難民の人々の数は13万人。そのうち52%の人が不認可、25%は『人道的』理由による保護が認められ、8%が難民、8%が準難民、7%が他の項目でイタリアでの滞在が認められています。しかし『サルヴィーニ法案』が施行されれば(『5つ星運動』の少数派が法案の見直しを求めていましたが、土壇場で取り下げ)、戦争や自然災害などで自国が特殊な混乱に陥っている、あるいは「市民にふさわしい特別な文化的価値を持つ人物(?)」などの理由以外では、難民ヴィザ、あるいは亡命ヴィザの申請が、警察、また裁判所ではまったく受諾されなくなります。そして現在、50万人とも60万人とも言われるイタリアに滞在中の人々も含め、ヴィザの申請が受諾されなかった人々は、一時滞在難民センターへ送られ、90日から180日間の滞在ののち、強制的に何らかの方法で自国に帰還させられることになる(インターナショナル紙)。

なによりサルヴィーニ法案により、『人道的』な理由による難民保護がまったく認められなくなることは、その『ヒューマン』さがステレオタイプにもなっていた、今までのイタリアではあり得なかったことです。ベルリン映画祭で金熊賞を受賞した、ジャンフランコ・ロージ監督の『Fuocoammare 海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』が公開されてから、まだ2年ほどしか経っていないのに、イタリアという国は、あの詩情あふれる善意に満ちたランペドゥーサ島の物語を、すっかり忘れてしまったかのようでもあります。

そういえば、映画が公開された頃のイタリアは、国家をあげて地中海を渡って訪れる難民の人々の厳しい現実に涙し、両手を広げて迎え入れようとしていました(もちろん、今もそう思っている人々はたくさんいます)し、『Fuocoammare』の上映館では轟くような拍手が湧き起こったことを覚えています。それなのに、本来は宗教的とも言える、人間の生命に関わる『価値観』を、これほど簡単に変化させようとする国家権力を目の当たりにして、外国人としてローマに暮らすわたしは、理不尽というか、怒りというか、大きな不信感を覚えました。今にはじまったことではありませんが、ある日突然ガラリと態度を変える国家ほど当てにならないものはない、というのが正直な気持ちです。

2項目は、サルヴィーニが『犯罪者』と呼ぶ、イタリア人、外国人に関わらず住居を失った人々のために、77年のアウトノミー運動の流れを引き継ぐ有志によってオーガナイズされた『占拠』、そして文化的『占拠』であるチェントロ・ソチャーレの強制退去にも関わる事項です。しかもその内容は、国家権力を行使して、暴力的に『占拠者』を強制退去にするだけではなく、『占拠』のオーガナイザーやプロモーターを4年から6年の実刑(!)にするという脅迫的な内容でもありました。

また、イタリアの都市を警備する警察、カラビニエリの防衛装備の一環として、国連が『拷問器具』として認定し、アムネスティの調査によると、米国で1000人以上の死亡者を出しているとされるTASER(米国製)という電気銃を試験的に使用するそうです。イタリアも日本同様、政府が樹立した途端にF35ステルス戦闘機8機を米国に発注しており、日本に比べるとずいぶん少ない数ではありますが、イタリアも今後、米国からの武器輸入を推進する予定なのかもしれません。

さて、この『サルヴィーニ法案』を意識してか、ローマの現代美術界もじわりと動きました。ザハ・ハディッドが建築を手がけたMAXXI国立美術館の別館では、コミックだけではなく、今までアンチファデモ抗議集会、チェントロ・ソチャーレのイベントのビラ・ポスター・横断幕も多く手がけてきた、筋金入りのパンク漫画家ゼロカルカーレの展覧会が、11月10日から3月10日まで4ヶ月に渡って開かれています。早速ちらっと覗いてきましたが、メッセージは明確です。2001年、ジェノバのG8サミットでのデモ参加学生たちを血まみれにした当局による弾圧と、若い警官に誤射されて亡くなったカルロ・ジュリアーニを巡る事件、クルドの人々のレポルタージュなど、国家機構のDiktatに真っ向から、直球で立ち向かうゼロカルカーレの作品を、長期に渡って展示することに決めた、美術界の覚悟が見てとれました。『闘争とレジスタンス』というブースは、そのまま『占拠』を題材にした作品が並び、迫力のアンチファ、ローマのパンク魂が鑑賞できました。

漫画原稿も展示され、1日では足りないくらい多くの作品が展示されていました。ゼロカルカーレは日本のアニメからも多くの影響を受けたそうで、TVもビデオゲームも大好きだと宣言するジェネレーション。TV番組では「ローマ人はだんだん意地悪になってきたが、ローマはそもそもそんな意地悪な街じゃなかった」とも語っていました。

▶︎11月13日の早朝、ブルドーザーで撤去された、Baobabの難民キャンプ

 

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