ムハンマドとクルアーン
イスラム教の開祖、ムハンマドは紀元570年、キリスト教がまだ欧州に完全に根づく以前の時代に、メッカに誕生しています。生まれる前に父を、さらに幼くして母を亡くし、クライシュで叔父に養育されましたが、成長するにつれ、真実、寛容さ、誠実に対する深い愛情を人々に認められるようになり、論争を解決する優れた能力を買われて、地域の人々の相談を引き受けるようになりました。当時の歴史家たちは、ムハンマドの人柄を、穏やかで、思慮深い人物として書き残しているそうで、非常に宗教心が厚く、退廃的な俗世を嫌い、メッカの近くにある光の山、ジャバル・アル・ヌールの頂上にあるヒラの洞窟で瞑想する習慣が、ムハンマドにはあったということです。
イスラム教の教典であるクルアーンは、前述した通り、天使ガブリエレを通じて、神からダイレクトにムハンマドに託された言葉で、ムハンマドの生前にはすでに書き記され、したがって宗祖が実際に認めた教典ということになります。この、114章からなるクルアーンは、ムハンマドが明らかにした奇跡の書とされ、信仰とムスリムとしての宗教的実践について記され、知恵、教義、信仰、法律など、人間に関わる、あらゆる全てのテーマについて言及されています。その中心は『神』とその『創造物』、人との関係ですが、と同時に正しい社会のあり方のためのガイド、人間としての正しい振る舞い、経済システムの均衡についても記されています。
「他を哀れまない者を『神』はお哀れみにならない」「自分が望むことを、他の兄弟たちのために望むようにならなければ、真の信仰者ではない」「隣人が飢える傍にいながら、自分だけ飽食するのは真の信仰者ではない」「正直で信頼できる商人は預言者や聖人、殉教者に並ぶ」「権力者とは敵を陥れる者ではなく、自らの怒りを抑制することができる者だ」「神は、あなたがたの容姿や見せかけであなたがたを判断しない。しかしあなたがたの心、その行動を見透かす」「動物にも思いやりを持って報酬を与えなければならないのか」という問いには「生きとし生けるものすべてに思いやりを持って報酬を与えなければならない」と記されている(クルアーンの例をイタリア語で抜粋されたものを日本語に訳し引用)。
イスラム教は創設された直後から急速に世界各地に広がり、現在も信仰者の数を増やしていますが、その理由としては、唯一神アッラーを信じ、ひたすら愛するという、その信仰のあり方のシンプルさが一因とされています。また、ムスリムであるなら男女に関わらず、知識を掘り下げていかなければならない、というムハンマドの教えから、人々が知性の力を善い道に使い、思慮深くある能力を鍛えるため、短期間に技術水準の高い文化生活が生まれ、学び舎が作られたという経緯もありました。
その学び舎でムスリムの学者たちは、東洋と西洋の学問を統合、さまざまな分野において、新しいコンセプトを発見し、特に医学、数学、天文学、地理学、建築、文学、歴史学の発展に大きな貢献をしています。代数学や世界中で使われるアラビア数字、さらにゼロの概念は、中世期にイスラム文化が欧州に伝えたものです。
実際、産業革命が起こるまでのイスラム教文化は、西洋に影響を与え続ける知識の源泉でもありました。産業革命を背景に、原油をはじめとする資源産出国であったイスラム諸国は、第1次世界大戦後、オスマントルコが解体されたのち、イギリス、フランス、ロシアに分断され、世界における役割は大きく変わります。
ところで、グランド・モスクに集まったイタリア人の女性たちからは、イスラム圏の女性の権利に関して、「モスクでは女性の祈る場所は男性が祈る大ホールではなく階上に分離されているが、それはなぜなのか」あるいは「幼い少女を親の采配で結婚させる風習があると聞くが、それは人権侵害ではないのか」「4人まで妻を娶っていい、という結婚システムに問題はないのか」という質問が矢継ぎ早に飛びました。イスラム諸国における女性の人権問題は、イタリア人にとっては、やはり一番の関心事です。
その質問に対して、ガイドをしてくださった方が答えたのは、「モスク内で女性と男性の祈る場所が違うのは、男女が一緒だと、単純に祈りの最中に気が散るからです」、また幼い少女の結婚に関しては、「幼い少女を結婚させるという風習はイスラム教自体にはありません。それぞれの国、例えばアジアの一部、アフリカの一部という、その土地特有の風習です」というものでした。一夫多妻のシステムについては、イラク人紳士が、「現代では、一夫多妻というシステムは難しくなっている。夫はすべての妻に対して物質的な待遇も、愛情も平等でなければならないとの教えは、遠い昔、男たちが戦場へ出かけなければならない時代のシステム。つまり女性の方が男性に比べて数が多い時代のシステムです。わたしの妻は生涯1人です」と現実的に答えてくださいました。
イスラム社会は父権社会であり、特に女性への処遇、規律がわたしたちの常識とは乖離する部分があることは、紛れもない事実です。わたし自身はフェミニストとして、男女だけでなく、全ての性、人種の不平等は絶対に許容できませんが、それぞれの宗教のアイデンティティを無視して、自らが持つ価値観こそが絶対の正義だと押し付けることは暴力だとも考えます。
現在のローマでは、近年になっていよいよ増加した、イスラム諸国の人々の信仰、そして文化を、ローマ市民が守っていこうとする動きが多く存在し、活発な活動が行われています。このように、人種、文化の多様性を許容することが社会を豊かにし、さまざまな価値観がせめぎ合ううちに、理解やリスペクト、新たな価値観が形成されていくのだと思います。また、イスラム世界においても、時代とともにさまざまな価値観の見直しが検討されていることは頼もしいことです。
なお今回は、イタリアの小学校や中学校に通うイスラム教圏の移民の子供たちが、どのように過ごし、何を考え、何に悩むかを知ることはできませんでしたが、機会があれば、第2、第3世代の子供たちの話も聞いてみたいと思いました。
イスラム教徒が多く生活するわたしの住む地域では、ラマダン明けの早朝には、あちこちの広場から拡声器で朗々と祈りの言葉が響き渡り、まるでエジプトにでも滞在しているような気分で目覚めます。外に出かけると、老いも若きも子供たちもイスラム教徒の正装、女性たちの色鮮やかな晴れ着が目に飛び込み、ローマにいながら旅をしているようで、なかなか壮観な光景です。太陽が上っている間、食物も水も口にせず、性欲も含めた肉体が持つ全ての欲を絶つラマダンは、自らの生理をコントロールする能力を鍛えるトレーニング期間でもあるのだそうです。
さて、今年、ローマのグランド・モスクの基盤であるイタリア・イスラム教文化センターの責任者に、『民主党』の国会議員である、イタリア移民第2世代のモロッコ人、カリッドゥ・チャオウキ氏(1983)が選出されました。彼はイタリア人のみならず、イタリアに移住したイスラム教徒の間でも、その名がつとに知れ渡った人物でもあります。「イタリア国家のグランド・モスクを、イタリアのイスラム共同体のためのモスクにする」という果敢な考えを持つ彼が、今後、この壮大なポストモダン建築のグランド・モスクを、どのように変革させていくのか、政治的な動きも含めて楽しみにしているところです。