ローマのイスラム教と欧州一のグランド・モスク Grande Moschea

Cultura Cultura popolare Deep Roma Quartiere

欧州最大のナショナル・グランド・モスク

さて、前々から一度は訪ねてみたい、と思っていたローマ北部にあるグランド・モスクへの訪問は、イスラム教文化との距離を、少し縮めることができる貴重な経験となりました。このモスクは、イタリア国家認定した、欧州最大の規模を誇るモスクで、毎週水曜日土曜日の朝、9時から12時の間、イスラム教徒ではない人々のためにも解放されています(ラマダン月は入場不可)。その日わたしは、ローマの文化アソシエーションが主催するモスク訪問に予約して参加し、モスクや簡単なイスラム教についてのガイドを受け、素朴な質問もいくつかさせていただいた、というのが経緯でした。ローマにいらした際、お時間が許すなら、是非お立ち寄りいただきたいダイナミックなスペースです。

どこもかしこも広々とした、グランド・モスクの正面広場。

まず、モスクの前を通りかかって外から眺めるだけでも、「大きい!」という印象、見渡す限りの青空と緑、ローマ特有のテラコッタの壁の色はシンプルではありますが、懐の深い世界観を想起させる異国情緒に溢れる眺めです。それまでのわたしはといえば、キリスト教圏にあるモスクの内部がどのような装飾になっているのか皆目掴めず、秘密のヴェールに包まれたイメージを抱いていましたが、実際敷地内に入ると、ひたすら広く伸び伸びとして、秘密めいた光景はどこにもありませんでした。

全敷地30000㎡12000人の信者を迎えることができるこのモスクは、周囲の自然との調和を巧みに計算された、力強くありながらも優美なポストモダン建築。モスクの内部はといえば、厳格で薄暗く、閉ざされた空間かと思いきや、光降り注ぐ、清々しい空気に満ちていました。アラブの唐草の模様が美しいブルーの絨毯が敷き詰められ、素足に柔らかく温かい感触が残ります。

「イスラム教徒は、世界中どこにでもいます。中東諸国だけでなく、アフリカ、アジア、アメリカ、そして南米、欧州と、世界各国の、そのイスラム教徒たちがこのモスクに集まって、世界の平和を祈ることはとても美しいことだとも思っています。イスラム教はユダヤ教、キリスト教と同じくヘブライの文化から生まれたものですが、ユダヤ教が民族の宗教、キリスト教が霊性の宗教とすれば、イスラム教はPopolo -人々の宗教だとわたしは思っているんです。通常の金曜礼拝でも、世界中の国籍を持つモスリムたちが、2000人から3000人は集まる。多様な人種が一堂に集まる光景は素晴らしいものですよ」

「通常の金曜礼拝にはどれぐらいの人が集まるのですか」と質問すると、他のメンバーから「教授」と呼ばれていた、イタリア・イスラム文化センターの創立以来のメンバーだというイラク人紳士が、にこやかにおっしゃいました。「イスラム教のことを全く知りません」というと、パキスタンの学者、Sayyid Abul A’la Maududiが分かりやすく解説した本、『Conoscere L’islamイスラムを知るも紹介してくださり、「もっとイスラム教のことを知りたければ、たびたびこちらにいらっしゃい」と、誘ってもくださいました。

長い期間、ローマのイスラム教共同体の中心としての役割を担ってきた、このグランド・モスクが支えるのは、3万〜4万人もの信者です。サウジアラビアの王室、メッカ、メディーナ、さらにはモロッコから資金の援助を受け、イタリアのポストモダン建築を牽引した建築界の重鎮、パオロ・ポルトゲージの指揮のもと、エンジニアでもあるヴィットリオ・ジリオッティ、イラク人建築家のサミ・モウサウィ、ニノ・トッツォと、イタリアとイスラム世界の共同プロジェクトとして進行。1974年に草案が作られ、1984年に着工、それからほぼ10年の歳月をかけて1995年に完成しています。

そもそも緑の多いローマ北部にあるグランド・モスクの周囲には、森林が広がり、ローマでは珍しく車の行き来も少ない閑静な地域。自らを抱く自然との調和が重要な要素でもある、このモスク内部の、絡み合う樹々をシンボライズした柱が天井に続く、有機的なデコレーションが穏やかな開放感を醸しています。また、広々としたモスクの壁一面に使われた、鮮やかな色彩のタイルの繊細なアラベスクは、トルコから取り寄せたもの。建物の一角には、さまざまな国から来たイスラム教徒のためのアラブ語の学校、また、学者やリサーチャーのための図書館も併設され、文字通りローマのイスラム文化のセンターとなっています。現在、イマームとしてこのモスクに常駐していらっしゃるのは、サラー・ラマダン師だということでした。

天井を見上げると、折り重なる樹々の枝のような装飾。その隙間から、まるで木漏れ日のように光が降り注いでいます。

イタリアとイスラム教諸国の歴史

ところで、キリスト教国イタリアとイスラム諸国の関係は、といえば、はるか1000年を遡る攻防の歴史があります。中世期、ノルマンディとイベリア半島を征服したウマイヤ朝のモスリム勢力が、イタリア半島にまで勢力を拡大しようと、何度も攻め込み、シチリアにはすでに紀元652年ごろから、ビザンチン帝国を攻略したシリアのムスリム勢力が侵攻した、という記録が残り、827年から902年までは、実際、その勢力の統治下となっています。

また、南イタリアのカラブリア、プーリア、北部ロンバルディアも度重なる侵攻に苦しみ、ヴァチカンのあるローマも、幾度となく陥落の危機に晒されては、きわどいところで侵攻を食い止めている。そののちは、聖地エルサレムを巡り、欧州の十字軍とイスラム諸国勢力との間で(ユダヤ教徒も含めて)、長い攻防が繰り広げられたのは周知の通りです。

なお、中世期、イスラム勢力の統治下にあったシチリアでは、1239年ぐらいまではイスラム教徒のちいさい共同体が残っていたようですが、そののちはすっかり消滅、共同体が存在したという記録は残されていません。たとえばパンテレリア島などに行くと、イスラム勢力がシチリアを統治していた時代の建造物が遺り、イスラム文化を身近に感じるので、イスラム共同体中世以来、イタリアに全く存在しなかった、という史実は意外にも感じました。それから長い空白期間を経て、イスラム教徒がイタリアへと移住するようになったのはごく最近、1960年代に入ってからのことだそうです。

その60年代、まずはじめにイタリアを訪れたのは、シリアやヨルダン、パレスティーナのビジネスマン大使たちでした。そして70年代には、イスラム諸国の学生たちが訪れ、その学生たちがスンニ派大使たちやヴァチカンの援助を受け、現在のグランド・モスクの基盤、イタリア・イスラム文化センターを設立、グランド・モスクのプロジェクトを開始しています。

80年代に訪れたのが、モロッコなど北アフリカの人々、さらに90年代になると、アルバニア、チュニジア、セネガル、エジプト、パキスタン、バングラデッシュから、2000年代にはルーマニア、ウクライナの東ヨーロッパ、南米の人々と、世界中のイスラム教徒がイタリアに移民するようになったそうです。イタリアを訪れるそのほとんどは、スンニ派のイスラム教徒です。

一面に張り巡らされたタイルのアラベスク模様に圧倒される。金曜礼拝の際、女性はホールではなく、階上のスペースで祈りを捧げる。

初心者のためのイスラム教ガイド

前述したように、わたしはまったくのイスラム教初心者で、シーア派、スンニ派の葛藤や、イスラム諸国それぞれの歴史、風俗はもちろん、現在の政治状況も詳細を語れるほどには精通していません。そこでここでは、現在のイスラム諸国の状況、紛争、戦争については触れることなく、モスクで説明していただいたこと、サウジアラビア大使館がシンプルにまとめたイスラム教ガイドを元に、今回理解したイスラム教のおおまかな基本を、簡単にまとめてみようと思います。学問として研究なさった方や、イスラム教世界を実際にご存知の方には「そうじゃない」という部分があるかとも思いますが、その場合は、どしどしご教示いただければと思います。

何より、今回改めて再確認したのは、「イスラム教は、神の憐れみ世界の平和を教える宗教で、暴力やテロリズムとはなんら関係のない宗教である」ということであり、いまや有名な『ジハード』という「聖戦」を意味する言葉は、知識を深めるために学問を追求する、という意味もある、という新たな発見もありました。自らの欲望や金銭物質「神」の存在を超えることはありえないという、神への信仰を中心としたイスラム教徒の自制的なライフスタイルは、拝金主義、利己主義が当たり前のように世間を席巻し、畏れなく、天井知らずの欲望の塊が渦を巻くわたしたちが住む世界にとっては、ある種のメッセージを孕む宗教なのではないか、とも考えました。また、ここではスンニ派のモスクでのお話を参考にしていますが、基本理念はシーア派と変わらないということです。

さて、そもそもイスラム教徒、ムスリムとは、あらゆる人種、国籍、文化に関係なく、イスラム教を信仰することで連帯する16億人の人々であり、唯一神「アッラー」、神の創造物である天使たち、神の言葉を伝えた預言者たち信仰し、「神」こそが、死のあとに来る人間の運命を握る最高権威であり、審判の日、全ての人間は、自らが成した行動により裁かれる、と考えます。キリスト教と同じく、アダムからはじまり、ノア、アブラハム、イスマエル、イサク、ヤコブ、ジョセフ、ヨブ、モーセ、アロンネ、ダビデ、ソロモン、エリア、ヨナ、ジョバンニ・バッティスタ、イエスという預言者の系譜を認めますが、神の言葉、永遠のメッセージを確認し、それまでに起こった歴史を要約した最後の預言者はムハンマドとして、その教えは神と同等重要さを持ちます。

なお、ユダヤ教、キリスト教の「聖書」、およびキリスト教の「福音書」は、神の言葉ではなく、口伝された物語を後世の人が書き残した書物ですが、『クルアーン』は、ムハンマドが神からダイレクトに伝えられたそのままの言葉を残したとされます。また、アラブ語で神を表す「アッラー」は、キリスト教をも意味しているので、アラブ圏でキリスト教を信仰している人々は、イスラム教同様、神をアッラーと呼ぶのだそうです。

たとえば、イスラム教に改宗したいと思ったとしましょう。その場合、特別な儀式を受けたり、準備期間や学習の必要はなく、「神の他には神はなく、ムハンマドこそ神のメッセージである」と宣言するだけで、イスラム教徒として認められ、神から贈られ、書き記されたメッセージへの信仰を表明することになります。「イスラム」とは、そもそもアラブ語で「従属」、「平和」を指す言葉が語源で、宗教的な意味においては、文字通り、神の御心に従属するということです。

イスラム教には信仰の告白、礼拝、Zakat (浄化、成長)、ラマダン月の絶食、メッカへの巡礼という5つの柱がありますが、その中でも、Zakatはイスラム共同体を知るための、非常に興味深い教えです。イスラム教では、あらゆる全てのものは神に従属すると考えるため、個々人のもまた神から人々に贈られたものであり、個人の所有物ではない、とみなします。したがって全てのイスラム教徒には、毎年、資本の2.5%喜捨することが決められています。もちろん、イスラム諸国においてもまた、権力の座にいる者が富を独占するケースが後を絶たないのも現実ですが、本来は自らの富は独り占めにするためにあるのではなく、同胞を支える施しのために使われる、というのがイスラム共同体にとっては重要な教えです。

▶︎ムハンマドとクルアーン

RSSの登録はこちらから