わたしはイスラム教のことをほとんど知りません。マグレブの音楽には多少馴染みがあっても、『クルアーン』を読んだこともなく、イスラム文化と自らの文化に接点を見出すこともありません。それでもイスラム教徒の人々には、ちょっとした親愛の気持ちを抱いてもいます。というのもわたしが住むのは、イスラム教徒のバングラデッシュ人が、ミニマーケットやレストランを多く開く地区であり、長く住むうちに挨拶を交わしたり、世間話をする顔見知りも多くなったからです。そこで、わたしとは全く違う文化を持つ隣人たちが、敬虔に信仰するイスラム教に少し近づいてみようと思いたち、ローマのGrande Moschea(グランド・モスク)へ行ってみることにしました。
ローマに暮らすイスラムの人々
バングラデッシュからの移民の人々が多く商いをするわたしの住む地区では、夕方ともなると、カレーの香り漂うスナックを売る屋台がどこからか現れ、寒くなるにつれて魔法瓶に入ったチャイを売る青年もやってきます。スパイシーな一陣の秋風が吹き抜け、まるでアジアにいるがごとき錯覚を起こすローマの街角に、三々五々と集まるバングラデッシュの人々は、のんびりスナックを食べたり、何人かの友人と立ち話をしたりと、いたってピースフルな夕暮れ時を過ごします。ヒジャブを纏ったご婦人がたが数人連れ立って、アクセサリー店の店先で「これを見せて」「あれを見せて」と、素敵なネックレスを試着している場面は、たびたび遭遇する光景です。
もちろん、ローマに住むイスラム教徒は、バングラデッシュの人々だけでなく、中東、北アフリカ、アフリカ、東欧とさまざまな国から訪れているので、それぞれのお国柄、風俗があって、振る舞いやメンタリティもかなり違うように見受けられます。イタリアで最も多いイスラム教徒の移民の人々の出身国はモロッコ(約45万人)、続いてアルバニア(約36万4千人)、チュニジア(約11万人)で 、隣人であるバングラデッシュの人々はパキスタンとほぼ横並びで7万1千人と、6番目に移民の数が多い国だそうです。またイタリア国内で、イスラム教徒が最も多いのはエミリア・ロマーニャ州、次いでピエモンテ州、ローマのあるラツィオ州が3番目となっています。
そもそもほんの20年ほど前までは、イスラム教という宗教をエキゾチックには感じても、即『テロリズム』のイメージに結びつけるようなことはなく、イランの騒乱やイラク戦争、アフガニスタンの紛争、パレスティーナの長い攻防を知ってはいても、ことさらにイスラム教徒を敵視する人に、その頃のわたしは会ったことがありません。自分に関して言えば、1995年あたりに、黒いヴェールで顔を隠した女性のグループが佇んでいるのを、アジアではじめて見かけて、まるでアラビアン・ナイトの世界へと誘われたような神秘的な気持ちになったことを覚えています。
それから時が流れ、突如として9.11同時多発テロが起こると同時に、イスラム教徒たちへの謂れのないバッシングが世界各国ではじまることになりました。近年ともなると、ISによる中東、北アフリカへの侵攻と占領、自爆テロ、欧州では一連の無差別大規模テロが連続して起こり(ニューヨークでも起こってしまいましたが)、マスメディアがそれを繰り返し報道したことで、恐怖と敵意はいよいよ増幅されました。まるでハリウッドで制作されたような、残虐非道なISのプロパガンダ映像を含め、イスラム教の負のイメージは、ここ10数年の間にメディアによってわれわれの脳裏に刷り込まれたように思います。
イタリアにおいては、戦争や紛争、ひどい貧困から逃れるため、地中海を渡って、中東、アフリカから、難民の人々が多く訪れるようになってから、極右グループの移民バッシングが日に日に顕著になっています。つい最近も、ローマ中心街の未明、イスラム圏からの移民2人が、10代のグループ7、8人に取り囲まれて、理由もなく酷い暴力を受けたというニュースが報道されたところです。ちなみに1日2000人、3000人規模でイタリアに訪れることもある難民の人々ですが、そのなかに『武装難民』が紛れ込んでいた、という荒唐無稽な報道はいまのところありません。
2016年の統計(ISMUーiniziative e studi alla multietrucutà)によると、現在推定で140万人のイスラム諸国の人々がイタリアに移民として訪れているそうです。その数はイタリアの人口比、約2.34%という割合で、意外なほどに少ない数です。2017年も多くの難民の人々が絶えずイタリアを訪れているし、この1年の間にさらに増加している可能性はありますが、それでも割合にすると僅かな増加と予想され、移民排斥を謳う極右グループが、人々の恐怖を煽って騒ぎたてるような数字でもありません。
確かにイタリアの風景が、ここ数年の間に少し変わったことは事実です。以前はあまり見かけなかった、それぞれのイスラム諸国独特のシンプルな衣装に帽子、髭を伸ばした若者や年配の男性たち、ヒジャブ、チャドルを纏う女性たちを、街角で普通に見かけるようになりました。しかも、そんなイスラム色豊かな人々の数が、ある日突然に多くなったような気がしたので、見慣れないうちは「あやうい原理主義者の集団」か、とギョッともしましたが、あとから考えると、わたしのこの無知蒙昧な反応は、当時メディアで繰り返し流された『テロリスト』のイメージが、いつの間にか脳裏に刷り込まれていた証拠でもあります。
彼らが移民先のイタリアででも伝統衣装を纏うのは、あらゆる文化の正体があやふやになりつつある、もはや「聖域」なき世界における、ムスリムとしてのアイデンティティ、信仰への誇りを再確認する強い主張なのだと思います。メディアに構築されたイスラムイメージのフィルターを通さず、素直にその姿を見るなら、エレガントで気品のある装いでもある。もちろん、ストリートなファッションで街に繰り出すモロッコの若者たちや、スーツ姿のバングラデッシュの人々もいるので、一概にイスラム教徒といっても、それぞれ多様には違いありません。
ところで、長くイタリアに住むバンクラデッシュの人々の店で買い物をする際は、もちろんイタリア語で話すわけですが、「税金が高すぎる」「この辺りのゴミの収集はなんとかならないのか」「イタリアの政治は酷すぎる」「まさか、ベルルスコーニが復活するとは!」などと、彼らも他の市民と同じようなことをぼやいています。マーケットのハラール「肉屋」のモロッコのおじさんに至っては、イタリア人たちとコテコテのローマ弁で声を張り上げながら話していますから、もはやすっかりローマに根づいた「市民」以外の何者でもありません。しかも初期移民の人々の、もはやイタリア語が母国語となった第2、第3世代が成人するころでもあります。
イタリアの社会には、いい加減でカオスな部分も多くありますが、そもそも古代ローマ時代から多様な文化を受け入れることで、帝国を発展させたせいか、移民や他文化を完全に社会から排斥しようとするのは、ひと握りの右翼グループぐらいのものです。マイノリティの人々を攻撃する輩がいても、助けようと立ち上がる人々が必ずいて、ヒューマンな動機から形成される市民活動が多く存在します。それはおそらく、社会の基盤にあるキリスト教という宗教性、そしてキリスト教と相性のいい、イタリア的な共産主義の思想が根づいているからではないか、とわたしは考えています。
そういうわけで、確かにとりあえずはローマの街は平穏、とはいえ、他の欧州の都市で起こったような計画的な大規模テロが、イタリアでは起こらない、という保証はどこにもないことも覚えておかなければなりません。さらに、巷間でたびたび語られる「地下の武器マーケットを牛耳るイタリアマフィアが、テロリストたちに自分たちの縄張りを荒らさせないよう、テロを阻止している」という説は、あまり信憑性がないのではないか、とわたしは踏んでいます。事実、欧州各地で起こったテロ事件の犯人のひとりが、イスラム教に改宗したイタリア人の母を持つ、モロッコで成長しながらイタリアの市民権を持つ少年だった、という報道もありましたし、ネット上では繰り返しローマ陥落を予告するISのプロパガンダビデオが出回っています。
しかし強調したいのは、イスラム教徒には、大富豪であるアラブの王さまから砂漠のオアシスに暮らす民、IT企業で活躍するエリートから難民の人々まで、世界中に16億人もいるわけですから、極端な狂気に走るごく少数のテロリストこそがイスラム教徒のステレオタイプと捉えることは、全く馬鹿げた話だということです。イタリア人が全てマフィアではない、あるいはベルルスコーニでもジローラモでもない、ということと同じです。イスラム教だけでなくあらゆる事象において、イメージを単純化したステレオタイプが、世界中に氾濫している事実には、うんざりもします。
いずれにしても、欧州でテロが頻発しはじめてからは、ローマでも大がかりな取り締まりが行われるようにもなりました。街なかや教会、地下鉄の各駅には銃を持った兵士が立ち、主だった広場にはポリスが群れる。また、国や地方自治体から認可されていない街角のモスクが次々に閉鎖される、という出来事もありました。そういえば、時折「移民を際限なく受け入れていると、今に世界もこうなる」とでもいうような悪意のあるコメントつきでSNSに出回る、コロッセオの広場でモスリムの人々が大挙して祈りを捧げている写真の真実は、街角の小規模モスク閉鎖に抗議してのデモンストレーションであり、「信仰の権利、自由」を訴えるイタリア人市民グループにより企画されたものです。
管理不可能な小規模のモスクというスペースで、いわゆる「ジハディスト」と呼ばれるテロリストが育つことを恐れての緊急の当局の対応だったのでしょうが、1日に5回もの礼拝を捧げるイスラム教徒にとってはモスクの閉鎖は大問題でした。また、イタリアの場合、暴力的な原理主義が育つのはモスクというよりは、ちょっとした盗みや罪を犯した移民の青年たちが、服役する刑務所の中で勧誘され、極端な宗教思想に染まっていくケースが多く、勧誘者をイタリアから追放、というニュースがたびたび報道されます。
▶︎欧州最大のナショナル・グランド・モスク