ロシアより愛を込めて:イタリアン『ロシアゲート』の勃発で、いよいよホットな2019年夏

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 マテオ・サルヴィーニ副首相及び内務大臣の反応

その密談ファイル公開当日のマテオ・サルヴィーニ内務大臣の反応からは、日頃デリカシーがまったくない暴力的な発言や、顔色ひとつ変えずにフェイクな情報を拡散するこの人物の、意外に臆病で小心な側面が垣間見えたかもしれません。

その日、別件で行われていた記者会見で、「2018年の10月16日に行われた、ロシアの内務大臣との会議に、サヴォイーニはどのような肩書きで参加していたのか。内務大臣がサヴォイーニを招待したのか。また7月4日にプーチンがローマに来た際、コンテ首相主催の夕食会にもサヴォイーニは出席していたが、それも内務大臣が招待したのか」と、ジャーナリストから質問を受けたサルヴィーニはみるみる紅潮し、過剰に狼狽しました。

サヴォイーニ? 誰?」と咄嗟に答えると、目を見開いてジャーナリストを睨めつけながら、ひたすら声高にNoを繰り返しました。

「自分と一緒に外遊した人物はみんな怪しい人物で、隠された過去を持っているって言うのか。君たちがルーブルを探したらいいだろう。幸運を祈るよ。君が金や原油やガスやメタンやミサイル、核爆弾を探すといい。俺は内務大臣として、シリアスなことだけに取り組むから。言っとくけど、この捜査は滑稽だ。どこからも1ルーブルも1ドルも1円も1フランも見つからない」と、矢継ぎ早に攻撃的に喋りまくり、「イタリアの検察が他から影響されることなく、独立して正当判断を下すことを祈る」と、一連の報道は、まるでイタリアのジャーナリズムの戯言、あるいは左派の陰謀、と言わんばかりに反論しました。

が、それが保身のための攻撃であることは一目瞭然としか言いようのない、異様なオーラを発散させての対応でしたから、翌日の各メディアには「サヴォイーニ? 誰?」というタイトルとともに、サルヴィーニ&サヴォイーニが仲良く映っている写真がいくつも掲載されることになったわけです。

さて、サヴォイーニという人物は、2014年から現在まで、サルヴィーニの9回のロシア訪問すべてに同行しています。と言うより、ロシアとサルヴィーニの仲を取り持ち、訪問や会談すべてをオーガナイズしてきたのが、他ならぬサヴォイーニだったことが、多くの証言でたちまちのうちに明白になりました。しかも2014年からの数年間は、サルヴィーニの政務次官として働いてもいます。

また、「どこを探しても1ルーブルも見つからない」と内務大臣は啖呵を切っていますが、常識で考えるなら、このような経緯で流れてきた資金を、易々と見つかるような口座にプールするはずもなく、アソシエーションだの、宗教関連グループだのの複雑怪奇な口座に分けるか、あるいはオフショアのアノニマスな口座にプールするか、のいずれかでしょう。そのお金の流れを徹底的に究明することが、今後の捜査の決め手となることは疑いようがなく、ミラノ検察局は、「この捜査には今後長い時間がかかる」ことを示唆しています。

ともあれ、『民主党』はサルヴィーニの辞任を要求。連帯政府を形成している『5つ星運動』、さらにコンテ首相が「内務大臣を信頼してはいる、議会において透明性のある説明を」と厳しく言及し続けていますが、サルヴィーニは現在も、相変わらず険しい表情で「一連の報道に関する一切の説明を拒む」方針を貫いています。そしてサルヴィーニ内務大臣が、このロシアゲートを『存在しない幻想』と主張すればするほど、各種メディアはいよいよ張り切って、関係者と思われる人物の周辺を虱潰しに調査。内務大臣の空言を次々に暴いていく、という具合です。

『占拠』する人々を大がかりに強制退去。自らを権威づける内務大臣

切羽詰まった状況に置かれた内務大臣は、自らの周囲に燃え盛る疑惑の炎から目を逸らそう、あるいは自らを権威づけようとしたのか、7月15日にはローマのプリマヴァッレ地区の元中学校跡の『占拠』強制退去にしています。困窮に陥り家を失って行き場がなくなり、廃墟以外に住む場所がない300人の人々が、支援グループのオーガナイズのもと、それぞれに協力して、長い時間をかけてスペースを改装し、地区の住人たちにも受け入れられていた『占拠』でした。

それも100人以上の警察官が数十台のパトカー、装甲車ヘリコプターとともに14日の深夜から押し寄せるという、まるで戦争でも起こったかのような大仰な強制退去劇だった。しかも、追い出された人々のその後の処遇はまったく無視され、その後の彼らに、どこにも行き場がないという状況をつくる、暴力的で野蛮な仕打ちでした。

 

「退去する際は貴重品を持っていくように」と言われ、この少年は抱えられるだけのを持って『占拠』先の中学校跡を後にしました。勉強したい子供たちが、落ち着いて勉強できる環境を社会が全力で確保してあげなければ、明るい未来は訪れません。写真はイタリア版ハフィントン・ポストから引用。

 

しばらくの間は、『占拠』している人々を守ろうと、人間の盾となった抗議者たちや、各種政党の議員たちと睨み合いが続いていましたが、結局15日の午前中に警察隊がバリケードを突破。抵抗する住人たちは、見る間に強制退去になった。80人の子供たちを含む300人もの人々に、ローマの道端で暮らせというのでしょうか。

「次々に実行されるこんな酷い強制退去が、国家安全保障と何の関係があるのか。むしろ国家不安保障ではないのか」と多くの人が問う、弱い者いじめを政治的な挑発や目くらましに繰り返し使う、このような内務大臣を、このまま野放しにしておくわけにはいきません。ちいさい子供たちが警察隊に向かって一生懸命「帰ってちょうだい」と鳴き声で連呼する姿に、警察隊の人々も後味の悪そうな表情を浮かべ、泣き崩れる少年に警官が寄り添って慰める姿も見られましたが、彼らもこんな仕事はしたくないに違いない。

したがって今回は、ミラノ検察局及び各種メディアのジャーナリストたち、野党、そして連帯している『5つ星運動』に、事件を徹底的に追求し、内務大臣を追い詰めてほしい、と願う次第です。米国のロシアゲートのように、時間とともにうやむやにならないことを祈ります。

▶︎おや?と思うロシアの重要人物に繋がるサヴォイーニという人物

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