ベルリン映画祭金熊賞「映画」海は燃えている: Fuocoammare

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島民と難民、すべての人々を診るピエトロ・バルトロ医師

このドキュメンタリーが生まれるにあたり、重要なキーパーソンとなったのが、登場人物のひとり、島の診療所の医者であり、25年間、この島に到着する移民の人々すべての健康状態をチェックし続けてきたピエトロ・バルトロ医師ですが、当初、ロージは島の診療所に病人としてバルトロ医師を訪ねたのだそうです。

「はじめて会った時、彼は具合が悪いと言ってやってきたんだ。それが口実だったのかどうかは、いまだに分からないけれど。確かにその時の彼は軽く咳き込んではいたがね。はじめはわたしは彼が誰なのかは分からず、長い間、いろいろな話をしたんだが、結局彼の病気の治療の話はせずじまいだった。やがて彼の正体が分かった時に、わたしは真剣に難民船にまつわる島の話をはじめ、さまざまな資料を見せたんだよ。わたしのこの島での25年間の経験を彼に語った。わたしの話を聞きながら、最初、彼はかなり気落ちしたようで、ドキュメンタリーの方向性が決まらないから撮影がはじめられない、と言っていた。そのときの彼は、撮影は諦めてこの島から出て行こうとまで思っていたようだった」

「わたしは自分が今まで経験した難民の受け入れの画像、エピソードをすべて記録したファイルUSBメモリにして持っていたんだが、それを彼に渡すことに決めた。これを見て、ドキュメンタリーを作るか作らないか決めてほしいと言ってね。そしてそのファイルを見た彼が、撮影を決心してくれたんだ。地中海は大陸と大陸を分離させる海ではない大陸を結ぶ海、人々を、文化をひとつにしてきた海なんだよ。地中海は死の海ではなく、生命の海なんだ」(RapTV/バルトロ医師談)

島に居を移す前、1ヶ月間ロケハンのために島に滞在、そのときのロージは、「ランペドゥーサを舞台にドキュメンタリーを制作することは、まったくもって不可能」と思ったのだそうです。そこで軽い気管支炎にかかって、バルトロ医師を訪ね、2時間ほど島の現状について話しています。ロージが誰か知らない医師に、思い切ってドキュメンタリーのプロジェクト、抱いている疑念を打ち明けたとき、バルトロ医師は件のUSBメモリをロージに手渡したそうです。そのメモリを監督はローマに持ち帰り、ひとつひとつのファイルを丹念に見たあとに、自分が何をすべきかを明確に理解しました。

「この映画祭での受賞で、わたしたち島民の痛みが終わる状況が生まれることを、ひたすら祈っているんだ。わたしは今でも、難民の人々の下船の異常で呼ばれた時のことを鮮明に憶えている。『何かおかしいから来てくれ』と連絡を受け急いで駆けつけ、促されるまま、通常漁をした魚を保管する船底に降りてみた。暗くて何も見えないので、携帯電話の光であたりを照らしてはじめて自分がたくさんの人々の亡骸の上を歩いていることに気づいたんだ。彼らは一番最初に船に乗り込んだグループで、後から甲板に出るつもりだったのが、あまりにたくさんの人々が乗り込んだために外に出られなくなってしまった。甲板からは彼らが出られないように、つっかえ棒がされ、その上に人が座り、行き場がなくなった。ほとんどがエンジンのガスで窒息死していて、爪には木片が詰まり、血糊があちらこちらにべったりとついていた。必死で扉を開けようとしたのだろう」(バルトロ医師談/ラ・レプッブリカ紙)

この話をするとき、バルトロ医師の目には怒り苦悩の涙が浮かんだそうです。バルトロ医師は数え切れないほどたくさんの地中海の悲劇に立ち会いながら、人間である以上、その凄惨な光景には決して慣れることはない、と断言します。何回も出会ったその光景が悪夢として蘇り、夜、飛び起きることもある。

「わたしは彼らと同じ人間なんだ。彼らは戦禍を逃れ、砂漠を渡り、牢屋で拷問を受け、飢えにもがき、何千キロもの道のりを多くの困難から逃れながら、歩いて地中海へたどり着いたそれなのに海で生命を失うなんて。ランペドゥーサに来ることは、死ぬことしか待っていない世界から逃れる、彼らのたったひとつの生きる希望。ここにやってくることができても、救援センターの中で、外の世界に出ることを1年待たなければならない人々もいる。以前島に到着していたのは、大きく、しっかりした船だったから難民の人々は島に楽々と下船することができた。しかし海を渡って欧州に来ることができることを知った人々が押し寄せるため、移民を食い物にしているペテンブローカーたちは、大きな波が来ればたちどころに沈むゴムボートに、次から次に人々を押し込めて、島へ送ろうとする。彼らのほとんどはまったく泳げないんだよ。水に落ちると鉛のように沈んでしまう。こんな大きなリスクを負ってやって来た、たった50万人(2016年3月21日にはギリシャを含むと100万人を超えた)の難民の人々を、何故、7億人の人口を誇る欧州が受け入れることができないというんだ」(バルトロ医師談/ラ・レプッブリカ紙)

「2万5千人の人々が犠牲者になったという人もいる。しかしわたしは、彼らの数を数えたことはない。彼らはひとりひとりの人間で、数ではその犠牲を計ることなどは決してできない。こんな現状を、わたしはまったく受け入れられないでいる。欧州の政治は一体何をしているんだ。壁を高くして、ペテンブローカーたちをのさばらせているだけじゃないか」(バルトロ医師/TG COM 24)

*バルトロ医師により、ランペドゥーサに持ち帰られた金熊賞のトロフィー。バルトロ医師は、「主人公はすべてのランペドゥーサの島民だ。難民の問題はイタリアだけでなく、ギリシャや他の国々の現象となっているが、私が訴えたいのは難民の人々への共感の気持ちだ。ランペドゥーサは一度も有刺鉄線でバリアを張ったことはないし、壁を作って拒絶したこともない。歴史が語るように、壁が長持ちしたことはないんだから」と語り、ランペドゥーサ市長は、「ベルリンという重要な映画祭で賞を獲ることができたことは、ランペドゥーサの島民ひとりひとりが賞を受けたことと同じだと思っている。やっとわたしたちが勝つことができたと思った。こんなにちいさく、遠い島の、ただでさえ難しい日常の生活の中、長い間、わたしたちだけの力で、この地中海の悲劇に立ち向かってきたんだ。この受賞が、地中海を巡る政治の変化のために重要な機会だと思っている。多分この映画が、政治が勇気を持って対処してくれるよう、わたしたちを助けてくれると思う」(抄訳)と語っています。

ジャンフランコ・ロージ監督の決断

ロージ監督は、実際に難民の人々を救助するイタリア軍の船約1ヶ月乗り込んで撮影しています。

「一週間の間は何も起こらなかった。しばらくの間、僕は誰も行き交うことのない、幽霊船のような空っぽの船を撮影することになったが、あとから気づいたのだけれど、これは船長と乗組員が仕組んだテストだったんだ。彼らは僕がどういう人間か調べていたんだと思う。僕はしかしその間に、その船、戦争のために造られたイタリア軍の船の乗組員や船長、幹部たちと絆を持つことができたのだからね。そのおかげでドキュメンタリーでも、彼らの姿を撮影することができた。そしてその船から下船したあと、もう一度乗せてほしいと頼み込んで航海に出たときに、あの悲劇に出会うことになったんだ」

「2回目の航海では、われわれの乗った船が、救援活動の最前線で活動することになった。たくさんの難民船の救助をしたよ。それはまるでルーティーンのようでもあった。あの悲劇が起こるまではそうだったんだ。そうなんだ。僕はそれがどれほど過酷なことか、それまでまったく理解していなかった。『現実』という真の悲劇をこの目で見るまでは分からなかった。ゴムボートに乗っている僕らのもとに、次々と亡くなった人々が運ばれてきて動転し、躊躇した。ここからすぐに逃げるべきか、それともこの状況を撮影すべきか。そのとき、僕は証言者となる義務を感じたのは明らかだが、さらなる悲劇が待っているであろう船底に降りようという勇気が、どうしても湧いてこなかった」

「その僕の躊躇を見た船長が言ったんだ。『これは必要なことです。どうしてこの悲劇を撮影しないのですか。世界はこの状況を知るべきなんです』と。その情景を撮影した時が、自分にとっての最大の苦悩だった。これで終わりだ。これ以上何も撮影できない、とも思った。今でもその時の光景が記憶に焼きついて悪夢となって襲ってくるんだよ。あの船に乗り、その光景を見て、呼吸し、肉体を感じたこと、その感覚をいまだに拭い去れない。『死』を撮るということ、ホロコーストのガス室の前にいてカメラを回すことがどれほど苦痛なことか、どれほど厳しいことか。しかし僕は撮影することを選択したんだ。そののち、その映像を編集のときも直視することはできなかったし、編集のためのひとつの素材として扱うしか、その痛みに耐えられなかった。まず観客がこの事実を受け入れることができるのか、とも自問した。しかし他には選択肢はなかった。どの映像を使うかは、編集のジャコポ・クゥアドリにすべて任せることにした。いまでも僕は、あの瞬間の苦痛と困難に打ち勝てずにいるんだ」(ロージ談:ラ・レプッブリカ紙/インテルナチョナーレ誌)

移民を救援するイタリア海軍の船長は、「世界はこの状況を知る必要がある」と『現実』の撮影に何の制限もつけず、ロージを信頼してあらゆるすべての映像の編集を許可したそうです。

イタリアには、内務省が管轄する難民救援センターが( Cpsa、Cda、Cara)全国に14か所あります。ランペドゥーサ島のように、海を渡ってきた難民をまず最初に受け入れ、健康管理をする救援センターはCpsaと呼ばれ、そこでひとりひとり写真を撮影し、国際援助をリクエストできる状態にするのです。2015年に(1月1日から9月15日まで)イタリアが受け入れた難民はエリトレア(29019人)、ナイジェリア(13788人)ソマリア(8559人)、スーダン(6745人)、シリア(6324人)。これらの人々すべてが国際的な援助を受ける権利を有しています。

金熊賞受賞のあと、難民の人々のEUでの保護に動いてきたイタリアのレンツィ首相はこの映画のDVDを欧州の要人たちに送っています。しかし、つい最近、EUとトルコ間で、バルカンルートでギリシャに渡ってきた不法と見なされる難民の人々を(難民の人々の欧州入り口は、イタリアルートとギリシャルートがありますが)シリアの人々も含めてトルコに強制送還、事実上「難民」の人々の欧州流入を規制する合意成立しました。トルコに強制送還した難民ひとりにつき、EUがトルコにいる難民をひとり受け入れる、というこの奇妙な合意は、EUが受け入れる難民の人々を国連が選別するということですが、トルコは難民に関する1951年ジュネーブ条約批准しておらず、明らかな国際法違反でもあります。

また、現在のトルコのように不安定な政情が続く場所に、難民の人々の個人個人の状況を把握することなく、乱暴にまとめて強制送還しても大丈夫なのか、不安が残ります。トルコは難民受け入れのための資金援助を表明し、この合意を足がかりに、再びEU加盟の交渉へ乗り出す意志を明確にしています。その見返りとしてEUトルコ経済援助を約束もしている。フランチェスコ教皇は復活祭を前にして「多くの人々が難民の人々の運命にあまりに無責任だ。真の愛はエゴイズム、権力、名声を超えたところに存在する」と発言。ギリシャをはじめ、EU内でも多くの疑問の声が上がり、多数の人権団体がこの合意に反対しています。

なお、映画館がひとつもないランペドゥーサの人々は、まだ自分たちの島を舞台に撮影されたFuocoammareを観ることができずにいますが、温かくなったら、島のどこかのオープンスペースで上映会を開くことを、島のDJのピッポ、彼の仲間たちが企画しているそうです。

*大統領府にも招かれ、トロフィーを大統領に見せるサムエーレ。

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