死刑宣告
この間、もちろん警察は、しらみ潰しに街中を大捜索していましたが、「人民刑務所」だったと言われるモンタルチーニ通りの数十メートル手前まで行われた捜査は、なぜかモンタルチーニ通りだけ素通りするという状況でした。
つまり、3月18日にグラドリ通りで通報を受けて警察隊が訪れながらも、ベルを鳴らしただけで引き返した現象と同じく、警察が『赤い旅団』の拠点にたどり着くことは、決してなかったのです(セルジォ・フラミンニ)。事実、ヴァレリオ・モルッチも「水槽を泳ぐ魚のように、われわれは街中を自由に動くことができた」と供述しています。
さて、ザッカニーニと『キリスト教民主党』幹部宛に書かれた4月4日に公表されたモーロの手紙の反応として、「『キリスト教民主党』のリーダーであると同時に、一市民でもあるモーロに、国が身代金を払って救出する」という案が、党内でにわかに浮上し、「ロッキード・スキャンダル」関与疑惑で大きな非難を受けながらも、モーロに助けられた経緯のあるルイジ・グイ元内務大臣は、即座に賛意を表明しました。
しかし『キリスト教民主党』の古株、パオロ・エミリオ・タヴィアーニが、そのアイデアを公に「ありえない」と否定し、その身代金との交換案は、浮上しただけで現実的な動きになることなく、空中分解しています。Part1.に記したように、タヴィアーニは、イタリアがグラディオーステイ・ビハインド下に置かれ、「オーソドックスではない戦争」に直面した期間と重なる1953年から74年まで、常に大臣として内閣に君臨し、モーロが首相であった63年から68年までは内務大臣を務めた、「グラディオの父」のひとりとされる人物です。
モーロは「人民刑務所」の中で、おそらく複数の新聞を読んでいたと思われ(『旅団』もそう供述しており)、このタヴィアーニの「身代金による人質交換の拒絶」に激怒しています。
4月11日には、『旅団』の「人民裁判」の尋問に答える形で、モーロがタヴィアーニを辛辣に批判した、「メモリアル・モーロ」の一部が『旅団』側から公表され、そのあまりに攻撃的な文面にモーロを巡る空気は一変。事態が大きく変化しはじめることになります。
8ページにも及ぶ、そのタヴィアーニ評に綴られていたのは、それまでの知的で穏やかなモーロのイメージとはかけ離れた、露骨にタヴィアーニへの悪意を表す、人々がはじめて知るモーロの一面でした。43年経った今、時代を巡る背景を知ると、それはモーロの無念がひしひしと伝わる順当な怒りですが、何も知らない当時の人々は「あのモーロが?!」、とかなり唐突に感じて戸惑ったことと察します。
なお「市民に隠し事があってはならない」と、最初の犯行声明で大仰に宣言していたはずの『旅団』でしたが、数多くの国家機密の暴露である「メモリアル・モーロ」が公開されたのは、後にも先にもこの時だけです。
「(誰もが皆)タヴィアーニを先頭に、国家の権威と権力を守るには、これ(拒絶)しか方法がないと納得している。それともどこかの国を参考にしているのか? 忠言を受けているのか?」とモーロは第3国の政治介入を匂わせ、さらには「(『旅団』を)真正の戦闘員たちと認識すべきで、通常の犯罪人のように扱ってはいけない。人間的な見地から言うなら、これ以上(交渉を)遅らせてはならない」と、『赤い旅団』をテロリストとは表現せず、国家に戦争を仕掛けた『真正の戦闘員』と捉え、議会が満場一致で「交渉」を採決することを促しています。
「今考えられるのは、適切な保証とともに、政治犯の交換ーむかつくような表現だが現実的だーであり、檻の向こうにいる戦闘員たち(逮捕された『旅団』メンバー)に一息つかせ、無実の人間の生命を救うことである。それは、国にみなぎる緊張をさらに深刻化することを、そして(政府の)信用と力が失われるのを防ぐためでもあり、並行して行われている(『旅団』メンバーのトリノにおける裁判と自身の『人民裁判』)、重苦しく、消耗するだけの裁判は、国家にとっても機能的ではない」
さらに、モーロはこの「メモリアル」で、タヴィアーニが内務省と防衛省の複雑な諜報機関を統括する人物らと協力する、米国干渉の受け入れ先、と疑われる人物であることを暴露。(たいした実績もない)タヴィアーニが長期間務めた防衛大臣、内務大臣時代、複雑なメカニズムとともに、権力を振るっていくつもの秘密の中核に君臨し、米国に信頼され、直接コンタクトをとることができるデリケートなポストにいたことにも言及しています。最後には「わたしに対して、(タヴィアーノが)強固な態度をとるのは、米国、ドイツの指示なのだろうか?」と、グラディオを暗示する一文で締めくくられてもいる。
ところでレオナルド・シャーシャは、この「メモリアル・モーロ」の一部を、「今までのモーロには見られない砕けた口調で、秘密にされていたことを率直に語っている」と好意的に受け止めました。
文学者であるシャーシャは、モーロはこの時点で「たてまえ」から解き放たれ、悲劇的に生身の人間となった、と見ています。モーロはピランデッロ的に溶解していき、重要人物から「孤独な男」へ、そして「孤独な男」から被造物(人間)へと変遷し、それこそが、ピランデッロが授ける唯一のモーロ救済の可能性だとしたのです。
しかしながら、当時の現実はと言えば、この「メモリアル」が公表されたことで、モーロはもはや『旅団』の味方となり、『旅団』のために語っているように捉えられ、誰もが知っている、あの賞賛された、偉大なモーロは死んでしまった(シャーシャは、自分はモーロを偉大な政治家だと思ったことはないが、と再確認しながら)、という空気に覆われることになりました。
当時、世論に大きな影響力を持ったジャーナリスト、インドロ・モンタネッリ(ガンビッザツィオーネで『旅団』に重症を負わされた)は「モーロのためのレクイエム」という記事を書き、『イタリア共産党』の議員ふたりは下院の廊下で「モーロは死んだ!」と叫んだそうです。『キリスト教民主党』のかつてのモーロの同僚たちもまた、『人民刑務所』で話すモーロは、「もはやわれわれが知っているモーロではない」、という残酷なプレスリリースを準備しています。
さらにシャーシャは、「わたしに対して、(タヴィアーニが)強固な態度をとるのは、米国、ドイツの指示なのだろうか?」という最後の一文に、モーロには『旅団』に対する計り知れない疑問が湧き起こっていたのではないか、と考えています。なぜなら『旅団』の方向性は、表面的には全く連動してないようでも、多国籍資本帝国主義者たちの方向性と一致しているからです。すなわち『旅団』の敵であるモーロは、多国籍資本帝国主義者たちの敵でもある、ということです。
「つまり、モーロを人質にする、という彼らのアクションは、米国とドイツの方向性にも合致している。彼らはそれを知らないまま貢献し、たまたま協力してしまったということか。それとも彼らはその一部なのか?」「国のならず者である、米国の手先であるタヴィアーニは、モーロが『人民刑務所』に居続けることを望み、彼らのボス(米国、ドイツ)や『赤い旅団』の幹部たち同様に、その死を望んでいるのか?」と、モーロは自問したのではないか。
シャーシャは「小説としてはそのようなこともありうる」とし、モーロのこの「メモリアル」の一部が、いつからかははっきりと示唆できなくとも、ある時点から『旅団』をふたつの視点(decotomia)から認識するようにもなる原因になった、とも言います。
※2018年からイタリア各地の劇場でモーロの手紙とメモリアルの朗読をするファブリツィオ・ジフーニは、マルコ・ベロッキオ監督の「夜の外側」ではモーロ自身を演じています。そういえば、マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督の『フォンターナ広場ーイタリアの陰謀』でモーロを演じたのもジフーニでした。各地で行われるこの朗読は常に満員で、ローマでは2022年の3月に再演される予定です。
ところでこの間、タスクフォースのコッシーガ内務大臣とスティーブ・ピチェーニックが何をしていたのか、というと、彼らは『赤い旅団」から新聞社へ送られてくる声明、そしてモーロの手紙を、毎日分析していたと言います(エマニュエル・アマーラ)。
ピチェーニックは、「モーロは、このような状況に置かれれば、普通の人間であれば当たり前である、恐怖と不安に苛まれると同時に、いつの間に『赤い旅団』の肩を持つようになり、それは典型的な『ストックホルム症候群』だ」と分析しました。
さらにピチェーニックは、次々に送られてくる『赤い旅団』の声明を、非常に幼稚で、杓子定規に感じたと言い、それを逆手にとって、彼らに「政府との交渉は可能だ」という幻想を抱かせる、「何らかの罠を張る」というストラテジーが必要だ、と考えています。そこでまず、『旅団』のコマンドたちが「モーロを解放できる」、つまり獄中の『旅団』メンバーたちを解放できる、という強い希望を持つ状況を創出する作戦の必要性を感じたそうです。
ピチェーニックがその作戦を練っている間、『P2』が牛耳るタスク・フォース、そしてSISMI、SISDEの諜報たちが、強力な圧力をかけてきたようですが、彼らを落ち着かせることにも成功し、最終的に非常にうまく構築された作戦を、「実行するチャンスを待つだけとなり、あとはモーロを生かすか、それとも殺害するかを決めるだけだった」と、淡々と語ってもいる。
また、「こんな発言をするモーロは、皆が知っているモーロではない。ドラッグで操られているか、ストックホルム症候群に陥っている」という世論がいよいよ広まるよう、コッシーガに指示したのもピチェーニックだったそうです。
もちろんわたしは、モーロが完璧な人間だとは思いませんし、理想化したいとも思いませんが、少なくとも『イタリア共産党』という長年の政敵と合意することによって、イタリアにおける純粋な民主主義を、大きく、確固なものにしようと奔走した(それこそが秘められたモーロの野心だった、とコラード・グエルゾーニが強調しています)人物の尊厳を地に落とし、「生かすか殺すか」思いあぐねる無情を知るにつけ、権力に根づく悪意というか、非人間性に暗澹たる気持ちになります。
4月15日、そして遂に『赤い旅団』は、まるでピチェーニックの罠に自らかかるように6番目の声明を発表し、誰もが恐れていたモーロの「死刑宣告」を告知することになります。しかしこのときの『旅団』は、まさか政府が、それでも交渉を拒絶するとは、夢にも思っていませんでした。
「・・・・『キリスト教民主党』にはもはや秘密はない。ブルジョアの番犬として、プロレタリアートの存在を認めない多国籍企業に加担する国の、中核としての役割を持つ政党だ。搾取され続けるプロレタリアート、工員たちは、(真の)民主主義体制がどのようなものなのか知っている。なぜなら、彼らは肌で感じながら現実を生きているからだ。ブルジョア権力は、サラリーの奴隷になることに反抗し、闘ってきた粘り強い(プロレタリアート)のレジスタンスに対立しているのだ」
「『中道主義』『中道左派』『Strategia della tensioneー緊張作戦』『棄権政府』etc. (中略) したがって(モーロの告白には)もはやセンセーショナルに暴露することは何もない。(市民には)何の秘密もなく、何の謎もなく、何の暴露もない」
ところが、そのあとの文章で「モーロは、多くの卑劣な共謀を暴露した。イタリアの歴史の中で最も血塗られたページとなったこの数年間(『フォンターナ広場爆破事件』以降の、Strage di Statoー国家による虐殺)と、その事実と真に関わった黒幕の存在をも明らかにしたのだ。『キリスト教民主党』の、私利私欲、収賄で腐ったチンピラと黒幕たち、そして他党の者たちとの強い繋がりを暴露したのだ」、と『旅団』は得意げに綴っています。
そしてもちろん、その声明の文章の前後半に、大きな矛盾があることを、レオナルド・シャーシャは見逃しませんでした。
つまり『旅団』は、モーロが「卑劣な共謀」、『鉛の時代』の「黒幕」という、国家における重大案件以外の何ものでもない暴露をしたにも関わらず、「暴露することは何もない」と、前半ではさらっと言っているのです。しかも『旅団』は当初から、市民に包み隠すことなく、すべてを発表すると宣言しておきながら、当時の一般の市民はまったく知らなかったであろう、グラディオ下における『Strategia della tensioneー緊張作戦』の存在を仄めかすだけで、何ひとつ明らかにはしていません。
また、この声明には「自分たちが得た重大な秘密である裁判の経緯(「メモリアル・モーロ」)は、階級の敵である、嘘とペテンをルールとする体制側主要メディア、さらにはアンダーグラウンドな非合法情報網を使って拡散する」とありますが、結局彼らは、その暴かれた秘密を、獄中の同志たちにも、市民にも、自ら明かすことはありませんでした。市民がその内容を知ることになったのは、1990年、『旅団』のミラノの隠れ家だったモンテ・ネヴォーゾ通りのアパートで、「偶然に」見つかってからのことです。
ところでこの6番目の声明は、ラ・レプッブリカ紙のミラノ支部に送られていますが、『旅団』はこのように、「階級の敵」として攻撃し続けてきたメディアを最大限に利用して、ドラマティックでインパクトのある情報を、迅速にイタリア全土に拡散しています。
さらに重大な矛盾としては、まさにパソリーニが言ったように、権力のシナリオ、スキャンダル、収賄の数々に「最も巻き込まれていないように思われる」、むしろ証言者である(タヴィアーニの秘密を暴露して)モーロが、『人民裁判』とやらで、なぜ『死刑』の宣告を受けなければならなかったのか、その理由、罪状を、『旅団』が何ひとつ明確にしなかったことです。
『死刑宣告』などせずに、モーロを証言者として味方につけ、その「メモリアル」をセンセーショナルに暴露すれば、『旅団』は「国との戦争」に勝利を収めることができたかもしれませんし、少なくとも多くの支持を得ることになったかもしれません。モーロが『旅団』の尋問の答として綴った「メモリアル・モーロ」は、421ページのうちの43ページのみを、たまたま見た9人もの人々が暗殺されるような(1978年時点で)国家機密の暴露であり、『旅団』はそれほど強力な爆弾を手にしていたのです。
「ここでアルド・モーロの『人民裁判』は終わる。国家にとって最も重要な裁判であり、共産主義の階級闘争体制における決議がなされたアルド・モーロの裁判は休みなく行われたのだ。アルド・モーロに負わされた責任は、国(そのもの)が裁きを下された、ということと同義だ。また、共産主義戦士勢力のイニシャティブに決定的にたたきのめされ、打ち倒され、離散した『キリスト教民主党』と、その専制体制に下された裁きである、ということと同義でもある」
「アルド・モーロは有罪だ。『死刑』に処す」
しかしながら、この忌まわしい『死刑宣告』である、矛盾だらけの6番目の声明は、事件に終わりを告げるシグナルにはならず、むしろ事態を大きく動かす合図となりました。ここから『イタリア社会党』のベッティーノ・クラクシー、極左グループ『ポテーレ・オペライオ』、『継続する闘争』が「モーロ解放」へと、具体的な行動を開始するのです。
またこの間、モーロのスポークスマンであったコラード・グエルゾーニとエレオノーラ夫人は、なんとかしてモーロを解放するために、「アムネスティ」「国際赤十字」「カリタス」など、できる限りの支援を集めようと奔走していますが、相手が国ではなく、テロリストグループであるせいで、好意的な支持を集めることが、なかなかできなかったそうです。アムネスティが、ようやくモーロの救済に乗り出したのは4月17日になってからのことでした。
▶︎偽の声明