『鉛の時代』:その後のイタリアを変えた55日間、時代の深層に刻み込まれたアルド・モーロとその理想 Part2.

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偽の声明

4月18日は、本来であれば『キリスト教民主党』が戦後初の選挙で大勝して30年の節目を迎える、記念すべき日となるはずでした。しかし、党にとってはきわめて大切なこの日に、『モーロ事件』を大きく動かす重要な出来事が、2件立て続けに起こることになります。

午前9時25分のことでした。ローマに本社があるイル・メッサッジェーロ紙の編集部に、匿名の電話があり、『赤い旅団』の7番目の声明が置かれた場所が告げられます。そしてその声明には、「モーロは自殺し、その亡骸はドゥケッサ湖(ラツィオ州、リエティ県)に沈めた」と書かれており、当然のごとくイタリア中に衝撃が走りました。

同日、マリオ・モレッティとバルバラ・バルツェラーニが拠点にしていた、グラドリ通りのアパートの階下の住人から「水が漏れている」と管理者に連絡が入り(7時30分)、9時30分に消防署が駆けつけています。消防署は住人が不在だったため、警察に連絡し、数人の警官とともにベランダから入ったところ、「偶然」にも、それが『赤い旅団』の拠点であることを発見することになりました。

その朝、モレッティとバルツェラーニは早朝から外出しており、誰もいないアパートには、大量の武器と『赤い旅団』の今までの声明のコピー偽造された身分証明書(ドイツ赤軍メンバーの偽IDカードもここで発見されています)などが残されていました。

即刻、警察隊、Digos(特殊部隊)、カラビニエリなどが大挙して押し寄せていますが、どういうわけか、TV、新聞などのメディアが当局者より早く駆けつけており、すでに現場は騒然としていたそうです。しかしなぜ、警察隊よりも先に、メディアに連絡が行ったのか、そもそも誰が連絡をしたのか、明確な経緯は不明のままです。

当時のローマ警察署長は、その日の朝の様子を振り返り、「メディアに連絡をする前に、密かに警察が張り込んで、彼らが帰ってきた時に逮捕するのが当然だ。しかしわれわれが駆けつけた時は、すでに現場は大騒動だった」と語っています。また、下の階に水が漏れたのは、バルツェラーニがシャワーの蛇口を閉め忘れた、というのが『旅団』の供述でしたが、実際は、シャワーをわざわざ壁に向け、排水溝にタオルを詰め、下の階に水が流れやすいように細工されていた、という消防隊員の証言もありました。

つまり、大勢の当局者と何台ものテレビカメラが集まったグラドリ通りで、故意に大袈裟な『赤い旅団』拠点発見劇が繰り広げられた、というのがセルジォ・フラミンニ指摘するところです。しかも同日に届いた7番目の声明で、「モーロは自殺した」と宣言されたわけですから、この日、人々の不安と絶望、緊張は、最高潮に達しています。

1978 RAPIMENTO MORO IL COVO DELLE BR A VIA GRADOLI 実際、警察よりもメディア関係者が大勢いる、『赤い旅団』の拠点が発見された直後の1978年4月18日のグラドリ通り。Il fatto quotidiano 紙より引用。

『旅団』の声明にあったドゥケッサ湖は、標高1800mの位置にあり、4月になっても厚い氷に覆われている、という状態でしたが、湖の周辺には、夥しい数の警察、軍部が投入され、厚い氷を割って、水中に潜っての過酷な大捜査が行われています。しかしながら、長時間の捜査が行われたにも関わらず、モーロの遺体が見つかることはありませんでした。

というのも、この声明は、ローマのローカルマフィア、「バンダ・デッラ・マリアーナ」の一員で、あらゆる公文書の贋作造りを得意とするトニ(アントニオ)・キッキアレッリが作った偽物だったからです。シャーシャはこの偽の声明を、グラフィックとしてはオリジナルを真似てはいるが、そこに書かれている文章は「人をなめたように冷笑的で、ゾッとほどするくだらない」と酷評しています。なお、キッキアレッリという人物は1984年、暗殺と見られる不可解な死を遂げています。

ところで、この7番目の偽の表明は、コッシーガ内務大臣とともにスティーブ・ピチェーニックが発案したオペレーションであったことを、ピチェーニックは、エンマニュエル・アマーラのインタビューで明確にしました。

「イタリア、及びヨーロッパの市民が、モーロの死が実際に起こった時のために、心の準備ができるよう考案したもので、われわれはそれを『心理オペレーション』と呼んでいた」「『赤い旅団』は、市民の心理操作に長け、事件を利用して自分たちを罠に陥れるような、別のテロリスト(これはピチェーニックとコッシーガのこと?)が現れることを考えていなかった。(『死刑宣告』などをしなければ)もっと簡単に事を運べたかもしれないが、彼らは(自ら進んで)罠に落ちたんだ。いまや彼らはモーロを殺害する以外に手はなかった。それがこの物語の最大の悲劇となったわけだ」

「彼らは罠から逃げることができたはずだし、わたしは彼らが罠に陥ることなく、モーロを解放することを望んでいたんだ。もし彼らがモーロを解放していたなら、『旅団』勝利を得たであろうし、モーロは救われただろう。コッシーガはともかく権力の座に残ったまま、アンドレオッティは中立を保つことができ、コミュニストたちは『キリスト教民主党』との『政治的合意』を遂行することができたに違いない。それぞれが満足いく状況になったはずなんだ」

「コッシーガは、わたしのアイデアに全面的賛成していた。モーロは絶望しており、確実に、アンドレオッティのような政治家たちの重要な秘密を、『旅団』に暴露しているに違いなく、われわれは瞬時に『旅団』を緊張させるオペレーションを実行しなければならないと考えた。アルド・モーロは、暴露した内容とともに死ななければならない。警察もカラビニエリも、決してモーロを見つけない。いや彼らはモーロを見つけたくないのだ」

このインタビューを追うだけでは、モーロを「救いたかった」のか、それとも「消えて欲しかった」のか、ピチェーニック、コッシーガ、そしてアンドレオッティが本当は何を望んでいたのか、論旨がコロコロ変わるので、彼らの明確な目標が見えてきません。

ピチェーニックは『旅団』に罠にかかって欲しくなかったが、秘密を暴露したモーロは死ななければならない、と矛盾を語り、「米国にとって『イタリア共産党』が政府に参画する『歴史的妥協』はなんとしてでも粉砕しなければならない、許されざることだ」と断言しながら、「モーロが解放されれば、『イタリア共産党』も含み、誰もが満足いく状況になる」とも言うのです。

結局のところ問題は、やはりモーロが尋問に答える形で書いた国家機密の暴露、「メモリアル・モーロ」だったのだ、と思いますし、おそらく「メモリアル・モーロ」のその内容を、政府のタスクフォースは、何らかのルートを使って、すでに知っていたのかもしれません。

したがって、わざわざマフィアに作らせたこの偽の声明は、「市民に心の準備をさせる」と同時に「モーロの死を市民がどう受け止めるか」を知るためのマーケティングでもあり、さらに政府、タスクフォース側からモーロへの『死刑宣告への同意を、『旅団』に伝えるためのツールだった可能性があります。結果、政府側のこの冷酷な判断に、『旅団』は慌てふためくことになるのです。

4月20日、『赤い旅団』は、モーロの無事を知らせるために、4月19日付ラ・レプッブリカ紙を持ったモーロのポラロイド写真とともに、「ドゥケッサ湖を巡る偽情報を記した声明は贋作だ」と非難する真正7番目声明を公開しました。

しかしこの声明で「おや?」と思うのは、「偽の声明は心理戦争のスペシャリストによる仕業だ」と『旅団』が明記しており、「獄中の『旅団』メンバーを解放するならば、モーロの解放はありうるのだ」、とアンドレオッティ首相とその「共犯者」たちに呼びかけていることです。まず「心理戦争のスペシャリスト」と断言する、ということは、『赤い旅団』はやはりピチェーニックの存在を知っていたということでしょうか。

レオナルド・シャーシャもまた、偽の表明についての捜査も行われず(それがキッキアレッリの犯行だと判明したのは、のちのことです)、まったく説明がつかない状況だというのに、『旅団』が、自分たちが心理戦争の前線にいると、確信を持って断言していることに注目しています。そして、こんな細工ができるのは内務省以外にはないかもしれない、と彼らの主張に賛成しているのです。もちろんシャーシャもまた、この偽の表明によって、モーロが『キリスト教民主党』、そして政府からも、間接的に『死刑宣告』を受けた可能性に迫っています。

また、『旅団』はこの日、モーロの手紙3通をアントネッロ・メンニーニ神父を経由してエレオノーラ夫人に渡しています。一通は『キリスト教民主党』書記長代理ザッカニーニ、そしてもう一通は教皇パオロ6世宛であり、この手紙は枢機卿を通じて、教皇の手元に届くことになります。

4月19日には、極左グループ『継続する闘争』が、モーロの家族の周辺からメッセージを受け取ったとして、政府と各政党に「深刻な状況にある、すでに過酷な経験をした、ひとりの人間を解放するために必要なことをすべきである」と強く要請。ハインリヒ・ベル、ダリオ・フォーアクション・カトリックのリーダーなど、連名での署名を発表しました。

その要請にはカトリックの聖職者たちの他、交渉を拒絶し続ける『イタリア共産党』を批判し、離党した党幹部や、アントニオ・グラムシ、パルミーロ・トリアッティの同志として『イタリア共産党』を結党したウンベルト・テラチーニが賛同することになりました。

特殊部隊が氷が張った湖に潜って、大がかりな捜査が行われたドゥケッサ湖。もちろん何ひとつ見つかることがなく、捜査陣にとっては、寒いだけの無駄骨となりました。メッサッジェーロ紙より引用。

▶︎わたしの血

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