『鉛の時代』の黒幕と言われるフリーメーソン系『秘密結社、ロッジャ(ロッジ)P2』については、詳細を知り尽くしている方々がたくさんいらっしゃるので、ここでは、さらっと上澄みを撫でるだけに留めておきたいと思います。2015年12月15日、『鉛の時代』、ロッジャP2のグランドマスターとして君臨し 、当時起こったほとんどの大事件の背後に、必ず名前があがるLicio Gelli ( リーチオ・ジェッリ)が、96歳という高齢で、トスカーナ・アレッツォの自宅、Villa Wanda(ヴィッラ・ワンダ)で静かに息をひきとりました。そして、その死と同時に人々は、忘れがたく解きようのないわだかまりを記憶に甦えらせることになったのです(タイトル写真はLicio Gelli コリエレ・デッラ・セーラ紙より)。
「リーチオ・ジェッリ死亡。ロッジャP2代表、イタリアのあらゆるミステリーの背後にいた男:イタリアの首脳クラスの大部分が名を連ねる、秘密に包まれたそのフリーメーソンのロッジャの存在が明らかにされたのは81年のことだった。『人形遣い』、 『Belfagor(悪魔)』、『尊者』。この40年の間、イタリアの大きなスキャンダルの数々ー例えば黒い君主、ヴェレリオ・ボルゲーゼによるクーデター、『フォンターナ広場爆破事件』にはじまる Strategia della tensione(緊張作戦:極右テログループを実行犯に、軍、及び内務省諜報をはじめ、国家の中枢の一部が企てた国内の混乱)、ミケーレ・シンドーナの銀行破綻、ロベルト・カルヴィ事件(アンブロジアーノ銀行破綻ののち、カルヴィ暗殺)、主要メディアグループの統制、『アルド・モーロ誘拐殺害事件』、マフィアに関する事件、汚職事件ーにおいて、直接的にも間接的にも、彼はそう定義され続けた」(ラ・レプッブリカ紙)
81年、メンバーのリストの発覚と同時に解体され、母体となるフリーメーソン組織からも永久破門となったロッジャP2(Propagada due:プロパガンダ・ドゥエ)の最も高位、グランドマスター(親方)であったリーチオ・ジェッリが亡くなった翌日、当時、P2に情報を統制された経緯を持つコリエレ・デッラ・セーラ紙を含む主要各紙は、時の闇に埋もれていた「永遠のミステリー、ロッジャP2」に今一度光を当てました。それも、2013年に94歳で亡くなったジュリオ・アンドレオッティの死の際と同様、各紙とも哀悼なき論調で、「陰謀と秘密に満ちた人生を送ったジェッリは、結局あらゆる謎を墓まで持っていくことになった」と、決着がつかないまま置き去りにされた数々の事件への無念を漂わせたのです。
しかし、そもそも『ロッジャP2』という秘密結社とは、いったい何だったのか。
P2が関わったと言われる、どの事件ひとつとっても、国家機構に従事する、膨大な数の重要人物の名が上がり、と同時に網の目のように複雑なネットワークが現れ、全体を実感として把握するのは不可能のように思えます。そこでこの項では、事件の詳細には入り込まず、わたしが把握したロッジャP2の大きな流れ、リーチオ・ジェッリの人物像などを、元上院議員のセルジォ・フラミンニ著作「TRAME ATLANTICHE(トラメアトランティケ:北大西洋条約機構のシナリオ/KAOS出版)」、ネット、新聞記事、 またイタリア国営放送Raiが制作したものも含めたいくつかのドキュメンタリーを参考に、沿革のみ追っていくことにしました。日本語のWikipediaと多少重複、あるいは微妙に違う部分もありますが、とりあえずイタリア語の資料を参考にすることにします。
まず、『鉛の時代』の、現在のイタリアからは到底考えられない凄まじい連続テロの背景に、このような秘密結社が存在していたことについては、正直、信じがたいというのが本心です。実際、P2が企てたと言われる陰謀の仕組みとネットワークは、まるで緻密に構成されたスパイ小説の物語のようでもあり、69年から次々に起こるテロ、クーデター未遂、メディアの誤報、マフィアの暗躍、不自然なプライベートバンクの破綻、ヴァチカン絡みの銀行スキャンダル、巧みに演出された誘拐、殺人、自殺、暗殺、数々の謎を、P2をキーワードにこじ開けると、イタリアのシークレット・サービスを含む国際諜報がわらわらと顔を出し、時の重要人物アンドレオッティをはじめとする国家の中枢を担う人物たちの冷血が浮き上がってくるのです。
それらひとつひとつの物語の構成があまりに出来すぎているため、「まさか、現実にこんなことが起こりうるわけはないだろう」と、P2の発覚そのものが「作られた」のではないか、という疑念さえ湧いてきます。現在マスメディアも含めて、巷間で一般的に語られる、冷戦期における国の中枢が関わったイタリアの『緊張作戦』における、その謀略の「司令塔」としてのP2の役割が、本当に真実であるか否か、ジェッリをはじめ、P2メンバーが司法の場で裁かれ、実刑判決を受けても、実際はこれといった「重刑」を受けることもなかったため(ミケーレ・シンドーナなど一部を除いては)、ロッジャの発覚から35年を経ても、その存在は宙に浮いたままです。
さて、「フリーメーソン」というと、その昔から陰謀の坩堝として何かと取り沙汰される秘密結社ではあるし、ヴェールに包まれたオカルトな有り様が人々の想像をたくましくさせ、まことしやかな世界征服陰謀論や、その儀式をまるで黒魔術のサバトのように描いた物語などが人気を博します。しかし秘密結社とは言いながらも、透明性が増した現代では「フリーメーソンの陰謀」などと語ると、一笑に伏される傾向があることを、わたし自身は好ましくも思っています。なにしろイタリア統一を果たしたリソルジメントの英雄、ジゥゼッペ・ガリバルディもまた1844年にフリーメイソンに加入し、のちにグランドマスターともなっているのです。
ただし、ロッジャP2の例を鑑みるなら、活動が完全にオカルト、つまり存在そのものすら隠蔽された秘密結社という組織は、「決して公に漏らしてはならない秘密を隠匿するには最適である」という理由で、陰謀、策略に利用されやすい、という危うさはあるのかもしれません。いずれにしても世界に600万人存在すると言われるフリーメーソンには、さまざまなロッジがあり、人物がいるに違いなく、その方向性も多岐に渡るであろうと想像します。
事実、イタリアのフリーメーソン、Goi (Grande Orient d’Italiaーイタリア大東社)の、現在のグランドマスターであるステファノ・ビジは、「死者に鞭打つべきではないが、P2の残したフリーメーソンのイメージ、名誉の毀損を、われわれはいまだに拭うことができません。イタリアを旅すると、P2とフリーメーソンを同一視している人が多くいることにショックを受けます。P2の残したイメージがこれからもわれわれにつきまとうことを、何よりも恐れているというのが事実です」「P2の一件以来、『透明性』を第一に活動し、今後、P2のようなケースが現れないように非常に厳格にコントロールもしています」「フリーメーソンのメンバーはロッジャに集まって、われわれの内面に神聖な寺院を形成する儀式を行っているのです。それに多くのメンバーが、例えば夜間保育園、歯科センターなどイタリアの社会福祉に積極的に参加しています」「フリーメーソンはP2の犠牲となったと言えるでしょう」とP2に強く抗議をしてもいます。
69年の『フォンターナ広場爆破事件』から、前触れなく幕が落とされた『鉛の時代』、数々のショッキングな事件の真相が次第に明らかになりつつも、どの事件も二転三転、長期に渡って裁判が続き、一向に決着がつかない状態が続き、現在でも捜査が継続されているという状況です。多くの市民に犠牲者を出した現実があるにも関わらず、命令を下したと目される極右グループの幹部、実行犯となった極右テロリスト、あるいは容疑者の逃亡、証拠隠滅を幇助したとされるシークレット・サービスの幹部クラスすべて最終的には「無罪」。証言者の告発も顧みられることなく、有罪者がひとりも出ない、なんとも摑みどころなく、やりきれない時代が続きました。
そこに突然のどんでん返しが起こったのが、1981年3月17日のことでした。それまで表面に出ることがなかったフリーメーソン系『秘密結社ロッジャP2』のリストが、偶然とも思われる状況で発覚、その代表であるリーチオ・ジェッリの名が公となり、イタリアじゅうが騒然となりました。
きっかけは、瞬く間に巨万の富を得、イタリアのみならず、米国の銀行までをも所有した時代の寵児、銀行家ミケーレ・シンドーナ所有の、ミラノのプライベート・ファイナンスバンクの突然の破綻でした。そして、その天文学的な数字の損失(その総額はイタリア国民すべてが、400ユーロの損失を負った計算となるそうです)から徐々に明らかになった、ヴァチカンをも巻き込んだマフィア・マネーの資金洗浄と横領疑惑。さらには捜査を逃れるため、自作の誘拐劇まで演じたシンドーナの身辺捜査でした。なおかつシンドーナは当時、現代のイタリアでは正義を貫いた人物として、映画、小説ともなったジョルジョ・アンブロゾーリ殺害の容疑もかけられています。アンブロゾーリはイタリア中央銀行の要請により、大規模な銀行破綻の背景調査にあたった金融犯罪調査官で、殺害される直前に、シンドーナの不正の証拠を掴んでいました。
国家の中枢を担う人物たち、ヴァチカン、マフィアまで「共謀者」だったのか、という、このP2謀略ストーリーは、シンドーナを巡るこれらの事件の捜査をしていたゲラルド・コロンボ、セルジォ・トゥローネ判事が、前述したように、ほぼ偶然とも言える経緯で「P2メンバー962人の名と会員番号が記載されたリスト」を見つけたことからはじまっています。
そのとき、コロンボ、トゥローネ両判事が捜していたのはP2のリストではなく(彼らはその存在すら知らなかったわけですから)、存在すると言われていた「シンドーナの銀行を通して、イタリアから国外へ逃げた出所不明の資本500件が記されているリスト」でした。その捜査を進めるうち、やがて常にその影が見え隠れする無名の企業家リーチオ・ジェッリに強い疑念を抱くようになり、判事たちは不意打ちで、ジェッリの自宅、オフィスなど家宅捜査を決行。ジェッリの秘書が慌てて持ち出そうとしたバッグを押収し、探していたシンドーナの500件リストの替わりに見つけたのが、誰もその存在を知らなかったフリーメーソン系『秘密結社ロッジャP2』のリストだったというわけです。
「そのリストに連なった962人の名を見て驚愕、事の重大さを一瞬にして認識した」、とのちのインタビューで判事たちは語っています。リストには当時の内閣から3人の大臣、軍部、カラビニエリ、警察の首脳陣、軍、内務省のシークレット・サービス(SID、SISMI )の幹部、208人の高級官僚、18人のハイキャリアの司法関係者、49人の銀行家(もちろんミケーレ・シンドーナ、後述のアンブロジアーノ銀行頭取、ロベルト・カルヴィもメンバーに含まれています)、120人の企業家(コリエレ・デッラ・セーラ紙を買収したアンジェロ・リッツォーリ、当時企業家であったシルヴィオ・ベルルスコーニ元首相も含む)、44人の国会議員、影響力のある27人のジャーナリストなどが名を連ねていたからです。
また、69年の『フォンターナ広場爆破事件』で、起訴されながらも結局「無罪」となったSIDのD部門の幹部ジャン・アデリオ・マレッティ、アントニオ・ラブルーナ、また、ボルゲーゼのクーデター未遂をオーガナイズした SID司令官ヴィート・ミチェッリもP2のメンバーであったことが、このとき発覚しています。
判事たちは、リストに並ぶ1000人近い人物たちの名の意味、あらゆる未解決の事件に関与する人物たちが形成するネットワークの深刻さのため、狙われる可能性も考慮して、発見したふたりの間だけで厳重に極秘とし、そのリストの存在を告げるため、時の首相アルナルド・フォリアーニに直接会いに出かけました。リストに目を通した首相もその深刻さを瞬時に理解、翌日辞任しています。しかしながら、捜査を受けた政治家を含め、メンバーとして明記される国の中枢を担う人物たちは、口を揃えて「P2はフリーメーソンの普通のクラブに過ぎない。付き合いで加入しただけで、陰謀を企てたなどの事実はまったくない」などと、あらゆる陰謀の可能性を否定しました。
フリーメーソンの秘密結社というと、ミスティックな儀式とどこか魔術的なコミュティを想像しますが、P2に関して言えば、そのイメージからは程遠く、むしろ真逆にある、と言わざるをえないでしょう。これまでに再構築された一般の解釈に従えば、その存在に超俗的な神秘を醸す雰囲気はなく、ある種の「権威」政治=専制政治を理想に、それぞれの権力を駆使してお金を循環させ、恐怖に怯える市民の心理を計算し尽くし、恐怖から生まれる社会の新たな動きを利用。モラルは机上の空論と言わんばかりに、徹底的に政治的、経済的な利害で形成された実践ネットワークのように思えます。なにより、マネーロンダリングとアグレッシブな投機によって、一躍国際金融の表舞台に現れたミケーレ・シンドーナのプライベート・ファイナンスバンクのあまりに急激な破綻を巡る捜査で、メンバーのリストが発見された事実が、暗いお金を黙々と循環させたP2メンバーの、俗物的な側面を、物語っているかもしれません。