真夏の夜の夢、アンダーグラウンドで静かに語り継がれるローマの亡霊伝説 Part1.

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カンピドリオの怪現象

ローマを構成する7つの丘のなかでも、最も高い位置にあるカンピドリオ(カピトリーノ)の丘は、ローマの最も重要な丘でもあり、古代、その中核をなすユピテル(ジュピター)の神殿をはじめ、ユーノー神殿、ミネルヴァ神殿が祀られた、いわば古代ローマを象徴する場所でもあります。

その場所にはじめて建造物が建設されたのは、紀元前17世紀から14世紀青銅器時代(!)、紀元前9世紀から8世紀鉄器時代に遡る、と言われていて、ということは、非現実的とも感じられる長い時間、カンピドリオはローマの宗教的、あるいは政治的中核であり続けたということであり、実際、その辺りを通りかかると、重なり続けた時間のせいか、空気が重たく感じるような気がしないでもありません。

現在では市庁舎の両脇にカピトリーニ美術館も併設され、多くのトゥーリストが訪れる観光地ともなっていますが、パラッツォ・セナトリオ裏側、フォロを眺めながらモンテ・タルペーオ通りを下る途中には、エトルリア時代(d.c8世紀~d.c.1世紀)に造られた石の壁が続き、歩くうちに時間の感覚を失うというか、「何が起こっても、どうでもいいミクロの出来事でしかない。やがてマクロの時間が過ぎてゆき、今騒いでいる人間たちなんて、影も形もなくなるのだから」という気持ちにもなります。

ともあれ、その場に漂う3000年を優に超える、波乱に満ちた丘の歴史を追うことは来世に譲るとして、ヴェネツア広場から階段を上がり、ミケランジェロが設計した広場の真正面に聳える、怪奇現象の舞台であるパラッツォ・セナトリオ(元老院議会)の歴史にだけ、少し触れておきたいと思います。

ウィキペディアによると、パラッツォ・セナトリオは、12世紀から13世紀にかけて、タブラリウム(古代ローマの公文書館)、ヴェイオヴェ神殿の廃墟に、世界最古自治都市のための市庁舎として建造されました。16世紀には、カンピドリオ広場同様、ミケランジェロによるプロジェクトで改築、修復が行われ、ミケランジェロ亡き後は、ジャコモ・デッラ・ポルタに引き継がれています。

かつて、その由緒あるパラッツォ・セナトリオの内部にある「ジュリオ・チェーザレの間」で開かれるカンファレンスに1、2回出かけたことがありますが、議場正面に設えられた、真正のジュリオ・チェーザレの大理石の彫刻(紀元1世紀の作)が議場を睥睨しており、その険しい視線に圧倒されて、カンファレンスの内容がいまひとつ頭に入ってこなかった、という経緯もありました。いずれにしても、パラッツォ内はローマの歴史が凝縮された威風堂々とした内装だった、と記憶しています。

 

夕暮れ時、モンテ・タルペーオ通りを上がって、カンピドリオの入り口に当たるパラッツォ・セナトリオ、教皇ニコロ5世の塔の辺りから見るカピトリーノ美術館なんですが、この時間がカンピドリオの一番美しい時間です。

 

その、歴史の風格を漂わせるパラッツォ・セナトリオで、近年になって続々怪現象が起こっていたらしく、なんと、ジャンニ・アレマンノ市長時代の2011年市長自ら「ゴーストハンターズ」に極秘調査依頼していた、というのです。それからしばらくの間は、そんな事実があったことは秘密にされていましたが、時間が経つうちに少しづつ明らかになり、2016年にはヴィルジニア・ラッジ前市長まで、パラッツォに蠢く亡霊に「怖い」、とメディア(il Fatto quotidiano紙)に語っています。

思い起こすに、2011年頃はというと、国政に最も近いと考えられるローマ市政の中枢である政治家、官僚たちとローカル・マフィアが癒着していた、俗に「マフィア・カピターレ」と呼ばれる前代未聞の事件が、『L’Espresso』誌に、そろそろすっぱ抜かれる、という時期でもありました。また、2016年は『5つ星運動』の女性敏腕弁護士ヴィルジニア・ラッジが、史上最年少の女性市長として選出されたことで、総じて『5つ星運動』の各政党騒然とし、真偽が明らかではないスキャンダルが、毎日のように報道されていましたから、蜂の巣を突いたようなその騒ぎのなか、まさか亡霊が、ひっそりと市庁舎を徘徊していたとは思いもよりませんでした。

いずれにしても、パラッツォ・セナトリオはローマの歴史を体現すると同時に、ローマの市民たちの現実の生活における困難な諸問題に取り組む政治の場ですから、オカルト現象を声高に外部に語ることは憚られ、しかしながら内部で働く公務員の方々の間では、ひそひそと語られ続けていたそうです。

事実、今回、市庁舎の一連の怪現象を知ることになったわたしが、知人に「市庁舎の亡霊の話、知ってた? 有名な話らしいよ」と言っても、「それってゴミの亡霊じゃないの?」などと笑われる始末でしたから、懐疑的で批判精神旺盛なローマの市民に、亡霊の話でもしようものなら、「亡霊でごまかすな!路上にうず高く積もったゴミをなんとかしろ!」と抗議行動が起こるかもしれません。ローマの街には長年、マットレスやソファなど、通常ありえないようなゴミも含め、あらゆるゴミがどこからか溢れ出す怪奇現象が起こり、誰が市長になっても、なかなか解決できない大問題となっています。

さて、ゴミ問題はともかく、肝心のカンピドリオには、そもそもふたつの伝説がありました。ひとつは、中世の時代、ある僧侶が、カンピドリオの守護隊長の妻と密会していたところを見つかり、怒り狂った守護隊長に、パラッツォの一角にあるニコロ(教皇ニコロ)5世の塔の最上階、手足を鎖に繋がれ生きながらレンガの壁に塗り込められた、という凄惨なエピソードです。ちなみに市長の執務室にあたるオフィスは、このニコロ5世の塔にあります。

さらにもうひとつは、1700年代の日記作家であるフランチェスコ・ヴァレジオの『ローマの日記』に詳細が描かれています。その日記によると、1731年の7月26日、聖アンナの祝日に、カンピドリオの地下にある監獄に、ジュリオ・チェーザレ時代元老院の議員と名乗る長い白髭老人が現れたと言うのです。ちなみにこの監獄は、処刑前のサン・ピエトロ、サン・パオロが収監された、古代ローマ時代から続くCarcere Mamertino(マメルティーノ監獄)のことと思われます。

ちょうどそのとき監獄に囚われていたのは、喧嘩で捕まった床屋の少年で、突如として現れた元老院議員の老人は、少年の服装や年齢から、投獄を不自然に思ったのか、「なぜ投獄されているのか」と問い、少年が「喧嘩で捕まったのだ」と答えると、哀れがって金貨1枚(教皇GiulioⅡが刻印された)を渡し、「看守には知らせないように」と言い渡しました。

それまで老人に親切に接していた少年は驚き、しかし金貨を手にした途端に、小狡そうな顔つきで「もっと金貨が欲しい」と老人に催促する有り様でしたが、老人は、少年が投獄されていた独房の粗末な食器を取り上げると、「再び戻ってくる」とだけ告げて、消えてしまいました。そうこうするうちに、老人が持ち去ったはずの食器が、独房の外にあるのを見つけた看守が、少年がこっそり牢破りをしたのではないか、と疑い、厳しく問い詰めると、少年は老人との約束をあっさり破って、看守に洗いざらい話してしまいます。

その晩の23時、約束通りに再び戻ってきた老人は、少年が看守に話したことを知ると、「おまえは金持ちになるチャンス棒に振った」と激しく叱責し、いったんは床に置いた、少年のために持ってきたマント、シャツ、服とともに3つの箱(少年はその中に大金が入っている、と期待しました)を再び持ち上げて、独房から出ていってしまいました。慌てた少年は、開け放たれたままの扉から、元老院議員の老人の後を追いますが、途中で激しく転んで、叫んだところに看守が駆けつけて、少年はやはりここでも看守に一切を話します。

話を聞いた看守は、異常事態発生にけたたましい警報を鳴らし、同僚たちと共に監獄中をしらみつぶしに調べはじめました。やがて置き去りにされたマントとシャツが、独房の最初の扉とふたつめの扉に引っかけられているのが見つかり、服はといえば、牢の片隅に埃まみれになって打ち捨てられていましたが、どんなに探しても老人の姿を見つけることはできませんでした。独房に戻ると、3つの箱がいったん置かれた場所に、レンガが3つ置かれていたそうです。なおこの元老院議員という老人は、その後もその監獄に何度か訪れ、同じように囚人を試したそうです。

このふたつめの伝説は、あまりにも出来すぎていて、1700年代の日記作家の想像が生んだ寓話かもしれず、「相手が古代ローマの亡霊であっても、約束を守らないうえ、1枚の金貨に満足せず、もっともっとと欲しがる心に幸運は訪れない」という戒めであるとか、あるいは作家が床屋さんで聞いた話を多少脚色して書いたかもしれず、詳細は定かではありません。しかしながら、こと亡霊の話に関しては、誰が語るにしても、多少の脚色は許される、とは思います。

▶︎撮影された異常な何者か

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