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ローマ:ウクライナ危機の平和解決を主張するのは、現実を見ない夢想家の独善なのか

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武器とNATOとレジスタンス

近年、『鉛の時代』をリサーチしていたこともあり、NATO(北大西洋条約機構)には、そもそも馴染みがありましたが、1969年の『フォンターナ広場爆破事件』という無差別テロに使われた爆薬が、「来たるべき共産主義者との戦いのために」イタリアの各地に秘密に存在していたNATO武器庫に眠っていた爆薬だった、ということを知ってから、わたし自身はNATOに、そもそもあまり良いイメージを抱いていません。

当時、イタリア全土に衝撃を与えた『フォンターナ広場爆破事件』の犠牲になったのは、何の罪もない一般の市民でしたし、その背後に、イタリア国内を恐怖で緊張に陥れ、国内のカオスを創出する緻密な謀略「Strategia della tensione(緊張作戦)」があったことは、以前の項に書いた通りです。欧州が、米国主導の共産主義排斥作戦、グラディオ下にあった『冷戦』時代の話です。

その時代の名残りもあってか、(もしかしたら)現在は少しは変わったかもしれないNATOに、好感を持たない人々がイタリアには多く存在するように思います。『冷戦』以降、イラクにしても、アフガニスタンにしても、リビアにしても、戦地をカオスに導いたNATOが、ここしばらくの間、その存在感が薄れていたにも関わらず、ロシアのウクライナ侵攻を機に、突如として「正義の味方」として表舞台に躍り出た、という印象です。さらに、まさかのフィンランドやスウェーデンが加盟を希望しはじめ、いっそうの拡大の兆しに「まるで各国が第3次世界大戦の準備をしているかのようだ」と鼻白む人もいます。

たまたま乗ったトラムで、「だいたいNATOなんて、ソ連崩壊とともに解散するべきだったんだ。なんでEUに命令するんだ」と声を荒げて話す紳士たちが背後にいて、思わずその議論に聞き入ったり、「イタリアは、この際NATO離脱し、中立を宣言すべきだ。NATOは領土を持たないくせに、まるで独立国のように振る舞って、ヴァーチャルに拡大している。危険だ」と公園で、恋人らしき女性に熱弁を振るう青年を見かけたりしますが、当然「NATOが存在して本当に良かった」と公言する人々も多く存在します。

なお『鉛の時代』の悪役として名高い、ジュリオ・アンドレオッティ元首相は、ワルシャワ条約機構が解散した際、「存在意義がなくなったNATOは、いますぐ解散すべき」と話していたそうです。

ロマーノ・プロディ元首相も明言しているように、欧州の国々のほとんど、及びトルコが加盟しているとはいえ、NATOはあくまでも米国、英国主導の軍事同盟です。そういえば、かつてトランプ前大統領は「他の加盟国が軍事費を払わず、米国ばかりが損をするならNATOを脱退する」と言っていましたが、「トランプ前大統領はNATOという軍事同盟が、どういうものか理解していなかった」とトランプ大統領の元顧問という人物がインタビューに答えていました。しかし「損するのは嫌だ」とのトランプ大統領の思いつきで、米国が本当にNATOを脱退していたならば、今のような状況は訪れなかったかもしれません。

また、ロシアのウクライナ侵攻がはじまった際、EU議会で「NATOとはまったく関係のない、EU諸国のみで構成された軍事同盟を作る」という案が浮上した時期もありながら、戦争が長引き、米国、英国、NATOの存在感が膨らむにつれ、いつの間にかうやむやになってしまいました。それでもイタリアの多くの言論人、たとえばマッシモ・カッチャーリも、ロシアとの停戦交渉を第一としながらも、この欧州のみで構成した軍事同盟の結成には賛意を示しているのです。

なお、今までNATO本部がリクエストしていた、GDP比2%を軍事費とすることを律儀に守っていたのは、加盟国30カ国のうち、たったの10カ国だけで(これがトランプ前大統領を苛立たせていたわけですが)、ロシアのウクライナ侵攻を機に、今まで1.4~1.6%しか軍事費に充てていなかったイタリアを含む加盟国が、一斉軍事費増強する方向へと動いたのは、報道の通りです。

もちろん、ロシアという軍事大国に、突然暴力的に攻め込まれ、自らが生活する自由な社会、家族、自分自身を敵から守るため、軍隊、準軍隊、そして一般の市民が決死の覚悟で応戦するウクライナの武装レジスタンスは、人間の本能として当然です。しかしこれほど戦争が長引き、双方の攻撃が日に日にエスカレートすると、残虐極まるその戦闘の巻き添えによる市民の犠牲が増えるだけです。

ブチャの殺戮が起こったあと、ウクライナのクレバ外務大臣が、NATO本部で「われわれには3つのリクエストがある。それはArmi, Armi, Armi(武器、武器、武器)だ」と訴えた時点では、もはや停戦交渉は選択肢になくなったかのように、誰も語らなくなり、戦争がはじまった当初は「死に至らないような武器(防弾チョッキなどの)」を送る、と言っていたイタリアを含むEU諸国も、米国、英国につられるように次々に致死能力が高い武器を送ることを決定しました。

このように、イタリアがウクライナに武器を送ることには、第二次大戦中、武器を手に、野山のゲリラ戦で、ナチファシズムから自由を奪還したパルチザン英雄物語ウクライナの抗戦を重ね、多くのメディア、左派政党『PD-民主党』らが賛成しています。4月25日の「(ファシズムからの)解放記念日」には、セルジォ・マッタレッラ大統領までが、パルチザンのテーマソングである「ベッラ・チャオ」の「今朝、起きると侵略者がいた」という歌詞を引用し、ウクライナの戦いをパルチザンの戦いに重ねる演説をするほどでした。

ところがレジスタンスで自由を勝ちとった本家本元のパルチザンと、その共鳴者が構成するイタリア全国パルチザン協会A.N.P.I.は、というと、イタリアが武器を送ることには反対し、平和解決を訴えるフランチェスコ教皇の意見に、全面的賛成することを表明しているのです。

その、『A.N.P.I.』の代表が「ブチャの惨劇には、独立した調査団を送って、本当にロシア軍が関わったのかどうか事実確認すべき」と発言した時は、メインストリームの大新聞がヒステリックに反発しました。「その姿勢は間違いというより、滑稽でグロテスク。ロシアに肩入れしている」と『A.N.P.I』を批判したうえ、代表が2014年、2015年、米国の動きに疑問を抱いてSNSに投稿した、多少陰謀論めいた文章を掘り起こして、ことさらに問題視しています。

そのような経緯もあり、『PD-民主党』や各種労働組合も参加して行われた、4月25日の「解放記念日」における『A.N.P.I』のミラノ集会(7万人が集結)では、「Nè con la NATO, Nè con Putin(Natoにも、プーチンにも味方しない)」を掲げ、「武器を送ることに反対!」と「PD-民主党」に激しく抗議する人々が集まり、暴力的なヤジが飛び、騒然とした空気に包まれたそうです。

実際、ウクライナ危機を巡って、メディアや「PD-民主党」が、ウクライナをパルチザンと重ね、自由を勝ちとるレジスタンス物語を紡ぐ傾向には、「イタリアのナチファシズムへのレジスタンスとウクライナ危機は、何ら関係ない。まったくの別物だ」と多くの学者たちが異議を表明しています。

そりゃそうです。核の脅威が存在しなかった時代、パルチザンたちが、ミトラ(軽機関銃)を抱えて応戦した古典的レジスタンスと、世界大戦にまで発展する可能性があり、NATO加盟国が、対空ミサイル、対空戦車、ドローン、ヘリコプターを含む、致死能力の高い武器を湯水のように送り続けるウクライナのレジスタンスは、根本的に比べようがない、とわたしも思います。

また、『A.N.P.I』の「イタリアは武器を送るべきではない」とする主張には、イタリア国憲法の守護者である『A.N.P.I.』としては当然だ、という意見もありました。

イタリアの憲法11条には「L’Italia ripudia la guerra come strumento di offesa alla libertà  degli altri popoli e come mezzo di risoluzione delle controversie internazionale (イタリアは、他国民の自由を冒涜する行為として、また国際紛争を解決する手段としての戦争を完全に放棄する)」という一節があります。

さらに「祖国を守るためには、武装もやむをえない」と武器を送ることを容認する者たちが持ち出す52条「La difesa della patria è sacro dovere del cittadino(祖国を守ることは市民の神聖な義務である)」に、憲法学者ミケーレ・アイニスは、「イタリア人にとってウクライナは祖国ではない」と一蹴し、武器を送ることは完全な憲法違反であるとしています。さらには11条に、(戦争を)ripudia=ripudiareという「絶対に放棄する、絶縁する」意を持つ、きわめて強い意志を持つ動詞が使われていることをも指摘しました。 

ただし、11条には「 consente, in condizioni di parità con gli altri Stati, alle limitazioni di sovranità necessarie ad un ordinamento che assicuri la pace e la giustizia fra le Nazioni; promuove e favorisce le organizzazioni internazionali rivolte a tale scopo(他の国と対等の条件で、国際間の平和及び正義を確保する秩序のために必要な主権の制限を認め、この目的に専念する国際組織を奨励し、支援する)」という一文が続いており、法学者サビーノ・カッセーゼは、国際組織である「国連」のリストに基づいて、侵攻された国の「難民の方々の救援」と共に「武器を送る」ことも可能となる、と解釈しています。このように、イタリアが武器を送ることが、憲法違反かそうでないか、については現在でも議論が続いている状況です。

 

ペルージャ、アッシジ間を練り歩くピースマーチは、今年2万人もの人が集まったそうです。かつて歩いたことがありますが、かなりの体力を要するマーチでした。vacicannews.itより引用。

 

「今日、平和の論理で考えることが非常に難しくなっている。われわれは戦争の論理で考えることに慣れてしまった。今回もまた、何年もの間、煽られ続けた戦争であり、その凍てつく風に吹かれた苦しみに満ちはじめた。そう、この戦争は長い期間の、武器の投資、売買準備されてきたものだ。そして、第2次世界大戦と同じように、戦争こそが平和の希求、解決の方法として見なされ、どの地域で影響力を振るえるか常に探し求めている、ここ10年間、国際社会で衰退していたはずの少数の権力者たちが、自分勝手に振る舞うを見るのは悲しいことだ」(ANSA)

これはマルタを訪問した際に、フランチェスコ教皇が語った言葉です。この時教皇は「幼稚な攻撃性」という表現を使い、「残念ながら、傲慢な権威主義に惑わされ、新しい帝国主義、社会に広がる攻撃性のみが発展し、架け橋を作ることなく、最も貧しい人々に注目することができない(権力の幼児性は、消え去ることがなかった」とも言っています。

国連総長が和平交渉のためにロシアを訪れた、まさにその日にキーフで開かれた、ゼレンスキー大統領とブリンケン国務長官との会談では、「ロシアの力を脆弱化する」無尽蔵の武器で敵を叩き潰す、という方向性が確認されましたが、では、そのためにウクライナの市民が盾にならなければならないのか、と憤りを感じます。

また、前述のルーチョ・カラッチョロが、政治トークショーで「戦後から今までの平和幻想だったのだ」「まさか自分が生きているうちに、第3次世界大戦の戦禍に巻き込まれる可能性があるとは想像もしていなかったが、それは否定できない」と語って、われわれの未来が、見ず知らずの少数の権力者たちの手のうちにあることに、暗澹とした気持ちになった次第です。

この戦争が長引くことにより、エネルギー資源の供給、難民の方々の受け入れ、急激なインフレ、国家安全保障の確実性、と直接的に大きな打撃を受けるのはEU諸国であり、いまのところ米国は、得こそすれ、犠牲を払うことはほとんどありません。しかも米国は、ウクライナに莫大な金額の武器は支援しても、EUに比べると人道支援をほとんどしていない、という状況です。

なお、4月19日の世論調査では、「ウクライナに武器を送る」ことに賛成しているのは28%、反対50%、わからない22%(CARTABIANCA )となり、イタリアの、半数の人が反対を表明していることが確認されました。また、この世論調査は複数開催されており、賛成33.5%、反対43.6%(PiazzaPulita)、賛成43%、反対46%(SGW)と、いずれも反対が賛成を上回っています。

現在、ウクライナに殺傷能力の高い武器を送ることを決定したイタリアでは、「防御ではない、攻撃のための武器を送ることが適切なのか。そんな重大なことを議会を通さずに決めてよいのか」、との議論が進行している最中です。

一方「ウクライナには武器を送らない」と発表したドイツは、ゼレンスキー大統領から厳しく批判され、前言を撤回し、50台ほどの対空戦車を送ることに決めています。

▶︎産業としての武器

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