Tags:

ローマ:ウクライナ危機の平和解決を主張するのは、現実を見ない夢想家の独善なのか

Deep Roma Eccetera Storia

われわれが暮らす世界には、特定の都市に照準を定められた13000を超す核弾頭が存在するというのに、自分が生活する領域は安全だ、と何の根拠もなく楽観的に思い込んでいました。しかしロシア軍のウクライナ侵攻以降、そんな曖昧な平和の幻想は薄れていき、長らく培ってきた世界、そして欧州への理想信頼が足下から崩れ落ちそうです。戦地から遠いとは言えず、他の欧州各国同様、ロシアから天然ガス、石油、穀物、資源を輸入しているため、ダイレクトに経済の影響を受けることになったイタリアの、怒涛のような報道、分析に接していると、ウクライナの戦況以外、まったく頭に入らなくなります。世界中の多くの専門家の方々が、毎日戦況を分析していらっしゃいますが、あくまでも、イタリアに暮らす市井の外国人の視点から、現在の時点で、印象に残った出来事、記事、動きを、率直に書き残しておきたいと思いました(タイトルの写真は「平和にYES、戦争にNO : 高校生たちが開催した平和集会で)。

非現実的な現実とのセンセーショナルな対峙

ロシアのウクライナ侵攻を知ったのは、日本に帰国していた時のことでした。その時はもちろん、「信じられないことが起こった」と驚愕しましたが、2014年のクリミア半島への侵攻は数日間で終わった、との記憶も蘇り、客観的に状況を観察する多少の余裕もあったように思います。その戦争が今日まで長引き、欧州全域のみならず、世界中が、経済的、倫理的、感情的に根底から揺さぶられるような、悲しく、痛ましい状況が、ウクライナに訪れることになるとは、まったく予想していませんでした。

やがてローマに戻ったのは戦闘が激化しはじめた頃。長旅から少し落ち着いて、TVをつけたその瞬間から、ショッキングな映像として分刻みで流れてくる破壊と死の現実、核兵器の脅威とロシア軍に占拠されたチョルノービリ、ザポリージェ、とふたつの原発の危機に直面し、すくみ上がることになります。

今から思うなら、まったく心の準備がなかったため、あまりに衝撃的な映像とニュースに飲み込まれ、茫然自失に陥ったのだと思います。飛行機で、イタリアから2時間40分ほどで行けるウクライナの「戦争」という非現実的暴力を、現実として、ほぼリアルタイムの映像で体験し、しばらくの間は理性が機能せず、恐怖と怒りと悲しみに打ちひしがれました。誰もがそうだと思いますが、これほどダイレクトに、メディアやSNSで、毎日繰り返し、戦争の残虐な殺戮を見せつけられるのは、はじめての経験だったのではないでしょうか。

確かに21世紀に突入後のわれわれは、アフガニスタン、イラク、シリア、リビアと大きな戦争を経験し、その状況を日々のニュースで知ることはできても、ウクライナ危機ほどセンセーショナルに報道されることはありませんでした。今回の、イタリアの戦争報道のあり方を「センセーショナリズム。演劇的」と、国営放送Rai3の元ディレクターが批判する局面もあったほどです。

たとえばウェブニュースサイト、Ytali.itは「米国や他の欧州の新聞と比べると、イタリアの新聞は叫ぶようなタイトルに占められている」と、メインストリームの新聞(ラ・レプッブリカ紙、コリエレ・デッラ・セーラ紙、ラ・スタンパ紙)の一面が、怒り、恐怖の感情を掻き立てるタイトルで占められていることを指摘。それら大新聞の、いわばタブロイド化を、「ブチャの殺戮を世界に訴えるゼレンスキー大統領の演説の翌日、各国の新聞が一面でどのような報じ方をしたか」で比較し、批判しています。他国と比較すると、確かにイタリアの新聞の一面は、ほとんどウクライナの戦況に占められ、冷静さを欠く、大仰な見出しが躍っています。

改めて新聞を観察すると、ウクライナ危機がはじまってからは、それまで毎日のように大々的に報じられていた地球温暖化、グリーンエネルギーなどSDGs関連の話題は、控えめに、思い出したようにたまに報道されるだけです。その大部分をロシアに依存していた天然ガス、石油由来のエネルギー危機がイタリアに訪れ、さりとて再生エネルギーだけでは追いつかず、それを補うために石炭(!)火力発電所(全国に7箇所ある発電所のうち4箇所)も再稼働せざるをえない状況となりました。したがってあれほど注目されていたサスティナブルな社会の実現は、再生エネルギーが十分に得られるようになるまで、遥か向こうに遠ざかってしまった、ということです。

 

高校生たちが企画した平和集会には、子どもたちも参加して、戦争に反対するダンスやパフォーマンスが披露されました。

 

また、現地に近いせいもあり、現在、各メディア、あるいはフリーのジャーナリストが相当数現場入りして戦況を報告する毎日で、それぞれのジャーナリストの多様な視点、感性で現場を知ることは重要ですし、危険な現場に立ち向かうジャーナリストの方々を応援し、尊敬します。しかし、なかには視聴者の感情を掻きたてるように、怒りと恐怖の興奮状態強調する番組もあり、いかにも演出され、歪められた現実を見せつけられているような不自然さは不快です。

さらに異様に感じるのは、瓦礫と化した街の風景や、人々の亡骸、逃げ惑う人々のシーンを、よりショッキングに、感情に訴えかけるよう巧みに編集した映像が、BGMとともに流れてくることでしょうか。その悲劇が凝縮されたシーンが終われば、何事もなかったかのように、素敵な女の子たちが群れ遊ぶ、あるいはしあわせな家族がビスケットを頬張る広告が次々に流れてきて、そのふたつの現実のギャップに、なんてグロテスクで無神経なことだろう、とも感じます。

それらの報道に触れながら、あまりに残虐なシーンを繰り返し見せられ、語られることで、人間は戦争という暴力に慣れるのではないか、その状態が当たり前になるのではないか、との疑問が湧き上がり、また極限の暴力シーンが、日常に絶え間なく入り込むことで、別の暴力を誘発するのではないか、と心配もします。わたしを含め、人間はよほど強い信念がないと、環境情報に簡単に流され踊る烏合の衆だと考えるからです。

なにより現在、戦時下にあるウクライナの市民の方々は、不条理としか言いようのない、悪意に満ちた暴力による破壊と死に直面し、家族や友人たちと共に紡いできた生活という物語が、瞬時に無に吸い込まれる、ありえない現実に対峙しています。かつて人々が溢れていた学校や病院、劇場や美術館が瓦礫と化した街中から、着の身着のままの避難を強いられ、その避難の道中に殺戮に見舞われるケースもある。はたして西側のメディアが、その状況を尊厳ある、冷静な視線で報道しているだろうか、と疑念を持つのです。

この、ロシアのウクライナ侵攻は、「グローバルな紛争、つまり第3次世界大戦に発展する可能性がある」「戦術核の使用はもはや現実的」と多くの識者が語っていますし、わたし自身、このままでは、どこにも出口がないのではないか、と心配します。われわれ市民が「これからもっと酷いことが起こるのではないか」、と恐怖と怒りと不信で萎縮している間に、欺瞞に満ちたグローバリズムのお祭り騒ぎは背後に押しやられ、ロシア、中国、中東諸国、南米諸国、アフリカ諸国 、南米諸国 VS.西側諸国が憎悪し合う、危うい未知パワーバランスが構築されはじめたのではないか、とも考えます。

そんな考えが杞憂であることを切に願いながら、なにより一刻も早く、とにかく早く、国際法に基づいたロシアとウクライナの停戦、あるいは休戦合意が結ばれるよう、訴えたいと思います。戦況が悪化するにつれ、双方譲れない状況となり、外交による交渉はもはや無理かもしれない、との声が聞かれるようになりましたが、われわれの未来を真に思うなら、外交による平和解決以外に道はないのではないか。どちらが勝っても地獄、どちらが負けても地獄です。

主権国家であるウクライナに一方的に侵攻し、市民をも標的に、残虐な無差別殺人、大量破壊を継続するロシアに、当然非があるのは明らかであり、議論の余地はまったくありません。多くの専門家の方々が語るように、ソ連崩壊以降の31年間、ロシアとNATO加盟国、特に米国との長い確執と経済制裁で、「ソ連崩壊が、自分の人生で最も辛い出来事だった」と語るプーチン大統領(と大統領を支えるエリート、オリガルヒ、学者たち)のプライドが、ズタズタに引き裂かれ、西側諸国への復讐に追い込まれたにしても、それは何の言い訳にもなりません。

さらに政敵やジャーナリスト、裏切り者を毒殺銃殺、あるいは不当逮捕するような独裁政治には強烈な嫌悪を感じると共に、かつてソ連領だったウクライナが、NATO、EUの秋波になびいたとしても、それを力ずくで取り戻そうとする執着心を醜悪と捉えます。ただし正直に言って、今に至るまでのNATO、つまり米国の動きにも大きな疑問を感じています(後述)。

また、「非常にプラグマティック」とも評価されるプーチン大統領ですから、その説に信憑性はあまり感じられませんが、アレクサンドル・ドゥーギン周辺の、保守思想界隈の狂信的な支持で、政治メシア、「神の申し子」と、自らを神格化するに至り、自らを頂点とする『ネオ・ユーラシア主義』(後述)を推し進め、欧州を呑み込もうとしているのなら、狂気の沙汰としか言いようがありません。

欧州で最も影響力のある政治学者のひとり、イワン・クラステフは「プーチン大統領は、リビアのガダフィ大佐が連行され、死刑となった最期のビデオを、まるで取り憑かれたように、何時間も繰り返し観ていた。これは彼が、何らかの終末論的(Apocalittico)な気分を抱いていたことの証だろう。大統領がガダフィ大佐に自分を重ねていたことは明らかだ」と、コリエレ・デッラ・セーラ紙のインタビューで語っています。そのインタビューを読みながら、プーチン大統領の中で怪物と化した権力欲と憎悪は、ある種、欧米から騙し討ちにあったとも言えるガダフィ大佐の怨念と一体化してしまったのかもしれない、と思った次第です。

❷「民主主義VS.権威主義」の二項対立 ❸平和主義はロシア擁護主義なのか ❹ロシアとの蜜月、ネオ・ユーラシア主義 ❺ドンパスという黄金地帯 ❻米国とウクライナの普通でない関係 ❼武器とNATOとレジスタンス ❽産業としての武器

RSSの登録はこちらから