『鉛の時代』: 「蛍が消えた」イタリアを駆け抜けた、アルド・モーロとは誰だったのか

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時代を覆う不安に共鳴したパソリーニとモーロ

レオナルド・シャーシャは、『モーロ事件』の序文で、「昨晩、散歩に出ようと家を出たとき、壁の裂け目に蛍を見つけた。少なくとも40年間、この田舎ではそれを見ることはなかったから、はじめは石、あるいは鏡の欠片が混ざった壁の漆喰かと思ったのだ」と、長らく見なかった蛍が戻ってきたシーンからはじめ、パソリーニの『蛍の記事』へのレスポンスであることを明らかにします。

「蛍。政府(il Palazzo)。政府による審判。コリエレ・デッラ・セーラにパソリーニが書いたこの記事(75年)のように、誰もいない部屋を、すでに一掃され空洞化した部屋を、アルド・モーロだけが駆けずり回っていたのだ。その部屋は、もっと安全で、新しく、重要な他の誰かのために、すでに一掃されていた。(ここでわたしが)もっと安全な、というのはさらに劣悪な者たち、という意味である。つまり(モーロは)遅れていて、孤独で、『最も巻き込まれないまま』、自分がガイドであるということを信じていた。そして遅れていて、孤独だったのは、『最も巻き込まれていない』からだった。『最も巻き込まれていない』からこそ、さらに謎めく、悲劇的な相関性へと運命づけられたのだ」

シャーシャが『モーロ事件』をパソリーニに捧げた時点で、このシチリアの偉大な作家が、2年半の時を置いて起こった、あまりに衝撃的なふたつの事件に、ある種の関連を認めていたことは明らかと思われます。

いずれにしても、2021年現在、75年の『ピエールパオロ・パソリーニの殺害事件』、78年の『アルド・モーロの誘拐・殺害事件』のいずれの悲劇も、証拠が多数残されているにも関わらず、検証が曖昧なまま犯人が断定された、『鉛の時代』に画策された謀略の一環と見られています。

また、パソリーニの殺害事件で唯一犯人として逮捕された少年、ピーノ・ペロージの少年犯罪裁判は、モーロの実弟である検察官カルロ・アルフレド・モーロが担当したという経緯があり、「あらゆる明白な証拠を鑑みるならば、明らかに集団による犯行であり、ペロージひとりの犯行とは考えがたい。共犯者が存在する犯行」とペロージ単独犯を否定する一審判決を下している。

しかしその後4年に渡る裁判で、その判決は却下され、のちにロッジャP2のメンバーであったことが明らかとなった少年側の弁護人の控訴で、「最終的には共犯者の可能性はありえず、ペロージひとりの犯行」と断定されることになりました。おそらくシャーシャは、何ひとつ具体的な証拠はなくとも(のちに多くの証拠が提示されることになりますが)、ふたつの事件の背後に横たわる、深い、底なしの闇を見据えていたのでしょう。

なお、シャーシャの『アルド・モーロ事件』の分析で、誠実に感じたのは、事件が起こった2日後から、それまで各種メディアがモーロを表現する形容詞であった、「重要なリーダー」から「偉大な政治家ーGrande Statista」へと、突然に変わった、という観察でした。

Statista=Uomo dello stato は国政に手腕のある政治家という意味です。シャーシャはメディアが一斉に、突然大袈裟な表現を使いはじめ、悲劇を煽りはじめたことに違和感を感じた、と率直に述べている。これは、シャーシャにとってモーロは政治家ではあっても、決してStatistaではない、という主張でもあり(敵対者でしたから)、と同時に、メディアが一斉に「偉大な政治家」の悲劇として、国中を巻き込む絶望的壮大メロドラマに仕立てあげようとしたことを指摘しているのです。

『モーロ事件』は、確かにイタリアの歴史を変えるほど、国中に衝撃を与える事件だったには違いありませんが、一般論として、突然大仰に論調を変えながら、市民の日常を飲み込むメディアの違和感は、わたしもたびたび感じます。メディアの大袈裟な表現による過剰報道は、人々を簡単に集団ヒステリーに陥れますし、リアリティ・ショーの原点はここにあるのかもしれない、と思うぐらいです。

さて、ダミラーノによると、シャーシャとパソリーニは共に互いを尊敬しあい、距離は遠くとも「兄弟」のような気持ちを抱いていたそうです。「わたしが感じている深い恐れパソリーニ同じだ」「イタリアの政治と知性は解体からはじめるべきだ」とも語り、パソリーニの死の知らせに、シャーシャは「心から話すことができる唯一の人物だった。わたしたちはすべてを殺してしまった」と号泣しています。

なお、パソリーニが予期せぬ死を前に、最後に読んだ本は、シャーシャの「マヨラーナの失踪(75年)」であり、「素晴らしい!なぜならシャーシャはミステリーを見たからだ。彼はそれを語ってはいないが、君にはわかったかい? この本が素晴らしいのは、分析のせいではなく、シャーシャが絶対に明らかにならないことを凝視しているからだ」と絶賛したそうです。

そのパソリーニの言葉に、わたしはハッとすることになりました。『マヨラーナの失踪』を読んだ時、その時代背景をまったく考えていませんでしたが、つまりシャーシャは、突然消えたマヨラーナの、決して明らかにならない真実に、真相が明らかにならない時代の事件の数々をクリプト化した、ということなのでしょう。

そしてシャーシャを絶賛したパソリーニは、それから時を置かず、自ら「絶対に明らかにならない」時代の闇のなかに消えて行くことになってしまう。それが忌まわしい時代の運命でした。

 

1951年から交流があるパソリーニとシャーシャ(中央)が共に写る大変珍しい写真。Sicilian postから引用。

 

マルコ・ダミラーノは、『真実の核心』を書いた動機として、歴史の記憶として『モーロ事件』にあまりにも強くイメージ付けられたアルド・モーロを、「人間として、政治家として、そして教授として、『赤い旅団』の人民刑務所、人民裁判から解放したかった。それが執念になっていた」と書いています。

事件現場からはじまり、シャーシャが『モーロ事件』を執筆したシチリアの小さい街ラカルムート、モーロが生まれ、青年時代を送ったプーリアを自分の足で歩き、それぞれの足跡を克明に調べ上げ、55日間もの間、人民刑務所に囚われたモーロが書いた多くの手紙、メモリアルに実際に触れ、インクの色や筆跡を確かめ、事件の背景モーロの心理を見据えています。

特に感銘を受けたのは、事件当時、『イタリア共産党』の上院議員で、モーロ事件政府議会調査委員会ロッジャP2政府議会調査委員会のメンバーであったセルジォ・フラミンニが集めた公文書、印刷物、極秘文書などを管理するアーカイブセンターを訪ね、膨大な数のアルド・モーロの写真や日常の手紙、いつもダブルのダークスーツを纏っていたモーロの、カジュアルな服装の写真などを一枚一枚選んで対峙しながら、人間としてのモーロの人物像に迫ったことでしょうか。

モーロがどの写真も大勢の人々と写っており、ひとりだけ目立つような仕草をしている写真が一枚もないことを、ダミラーノはまず指摘。その大量の写真や、忙しい中に丁寧に書かれた日常の手紙の数々から、SNSで攻撃し合い、ナルシシスティックなプロパガンダにいそしむ、現代の多くの政治リーダーたちとは人間の器が違う、と強調しています。

イタリアにおいて『モーロ事件』は、第1共和国=戦後政治の終焉のきっかけ、デカダンのはじまり、と定義されますが、事実、もはやモーロのような、生真面目すぎるほど実直な政治家は見当たりません。

また、大量の写真の中には、79年に射殺されることになるジャーナリスト、ミーノ・ペコレッリや、やはり80年にコーザ・ノストラによって射殺されるシチリア州知事、ピエールサンティ・マッタレッラ(現大統領セルジォ・マッタレッラの年長の兄弟で、モーロ派として、シチリア州議会でいち早く『イタリア共産党』と連帯)とともに写った、「死の鎖」とも呼べる時代の運命の予兆のような写真もありました。

なお、1969年から1993年までのあらゆるテロリズム、秘密結社ロッジャP2、マフィア関連資料、政治収賄事件など、極秘書類をも含む資料を集め、60のテーマに分けたアーカイブセンターを設立したセルジォ・フラミンニ元上院議員は、膨大な資料を背景に『モーロ事件』のみならず、『グラディオ』『秘密結社ロッジャP2』について、『鉛の時代』に関する多くの著作を書いています。

現在もご健在でいらっしゃるフラミンニは、1925年生まれの元パルチザンであり、記事を書く際に、文書をアーカイブすることの重要さを学び、上院議員時代を通して各メディアで報道された記事も含み、あらゆる文書をアーカイブしていたのだそうです。

現在では、95歳で亡くなったモーロ夫人が生前集めていた、モーロに関するパーソナルな資料「Chi è Aldo Moro(アルド・モーロとは誰だったのか)」が、アーカイブに寄贈されており、センターは歴史家やジャーナリストのリサーチのための貴重なハブとなっています。そのアーカイブの資料は、後年の研究者のために、デジタル化されつつあるそうです。

アルド・モーロという人物は、あまりにゆっくりとしていて、演説は回りくどく、難解であったというのが定説ですが、その内面は活力に溢れる、情熱的な人物だったのではないか、とダミラーノは考え、パソリーニがラテン語のようだと表現した、回りくどいモーロの言葉を、(国内にも、国外にも)敵ばかりの状況で、何かを隠しながら話さざるをえなかったからではないか、とシャーシャは分析しました。

そしてダミラーノは、正反対の立ち位置にいたモーロとパソリーニは、時代を覆う不安に共鳴しており、共に「新しい動力は政党だけでなく、政府と左派との合意のみならず、市民を含めすべてを巻き込んでいく」、つまり真の民主主義をイメージしていたのではないか、と言うのです。このダミラーノの分析には、両者が時代を覆う不安に共鳴していたこと、アルド・モーロが真の民主主義をイメージしていたことには賛成しますが、パソリーニの政治観に関しては、わたし自身は少し異なる印象を抱いています。

こうして、『鉛の時代』には、憲法、自由と公正、和解と共生という、民主主義においてはあたりまえの主張をした重要な政治家、影響力があるオピニオンリーダーたちが、大量殺戮事件の被害者となった無辜の市民たちとともに、時代の不条理に飲まれ、次々と消えていくことになります。

アルド・モーロに関する、さまざまな情報を調べていくうちに、暗い時代の最も過激な革命家は、極左武装集団ではなく、実はアルド・モーロだったのではないか、という思いが浮かび上がってきた次第です。

 

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