『鉛の時代』:その後のイタリアを変えた55日間、時代の深層に刻み込まれたアルド・モーロとその理想 Part2.

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悲劇の共有

ヴィテルボのグラドリ大捜査が行われた4月4日はまた、『赤い旅団』の4番目の声明とともにモーロからベニーニョ・ザッカニーニへの手紙(同時に、『キリスト教民主党』幹部、ピッコリ、ガローニ、ガスパリ、ファンファーニ、アンドレオッティ、コッシーガ宛となっています)が、ラ・レプッブリカ紙のミラノ支社へ届いた日でもありました。

その内容は『イタリア共産党』、そして4月1日に公式に発表された『キリスト教民主党』の「テロリストとの交渉の断固とした拒絶」への強い抗議とともに、この事件に関しては『キリスト教民主党』全体責任をとるべきだ、と主張されています。

また、モーロはその手紙で、「警護の増強が行われていたならば、今頃ここにはいなかったはずだ」、と警護官の増強と防弾車の不備について、明確に触れており、しかし事情を知らない当時の人々は、この一節には注意を向けなかったようです。

前項に書いたように、イタリアで国の重要人物を狙ったテロが起こる可能性が、すでにベイルート勤務のSISMIの中東エキスパート、ステファノ・ジョヴァンノーネ大佐から警告されていたにも関わらず、『キリスト教民主党』リーダーの警護の増強は遅々として進まず(アンドレオッティの警護は万全であったにも関わらず)、15年間、モーロのボディガードとして片時も傍を離れなかったオレステ・レオナルディをはじめとする警護官たちは、神経を尖らせていたという経緯があります。

ともかく、ここでわざわざモーロが警護の増強の不備を手紙に書くということは、結果的にファーニ通りの殺戮を許すことになった当局責任を問い、非難すると同時に、さらに深読みするならば、事件の背景を鋭く見通したモーロが「警護の不備、遅れには、こういう理由があったのか」と、誰かに向かって念押ししたのかもしれません。

「とりわけ、『交渉の拒絶』を主張する『イタリア共産党』について言う。わたしの悲劇的な誘拐が、その構築に懸命になった政府を祝福するために議会に向かっているときに起こったということを忘れないでほしい」「わたしは少し見捨てられたように感じている」「抽象的ではない話し合いが行われるべきであり、これは人間的にも、さらには政治的にもチャンスなのだ。わたしが考える唯一のポジティブな可能性として、この政治事件の文脈における緊張をやわらげるのは、(『赤い旅団』の獄中の)受刑者たちわたし自身解放(交換)だ」

「わたしが考えるような、このような文明人らしい(civile)方法を多くの国々が実践している。他の党がそれをする勇気がないのならば、最も難しい状況においても、遂行しうる感受性を持つ『キリスト教民主党』がやるべきだ。もしそれができなければ、君たちが望むようにはならないうえー敵意なくいうならばー政党個々人因果が巡ってくるだろう。そして、もっと酷く、際限のない悪循環がはじまることになる」

また、その手紙で「誰からも強制されることなく、自らの持つ明晰さでこう言っていることを明確にしておく」とモーロが強調しているのは、コッシーガ内務大臣に送った手紙の評価として、「テロリスト命令されて書いているのでは?」「ストックホルム症候群なのでは?」などという論調の記事がメディアに現れはじめたからでしょう。

なお、『キリスト教民主党』、『イタリア共産党』の「拒絶」を非難するこの手紙で、最も重要な箇所は、本来ならば『赤い旅団』が主張すべきである、獄中の『旅団』メンバーとモーロの解放という具体的な解決策を、モーロ自身が提案していることです。そもそも初期の犯行声明では、『旅団』がいったい何がしたいのか(国家への宣戦布告はともかく)分からない状況でしたが、モーロのこの手紙で、交渉の核となるテーマ明確になったわけです。

このときモーロが、長年、共に働いてきた『キリスト教民主党』の同僚たちが交渉に応じるよう、「人民刑務所」から外に向かって政治をはじめたことには、『赤い旅団』執行幹部マリオ・モレッティも、コマンドであったヴァレリオ・モルッチも、魅了されたかのような発言をしています。

「モーロは素晴らしい明晰さを持っている人物だった。素早く、完全に状況を見抜くのみならず、『赤い旅団』、それぞれの政治家のポジションを理解していた。彼の最も有益なカード『赤い旅団』であり、最初の手紙から目覚ましい明晰さで書かれたんだ。『キリスト教民主党』の協力者たちに、『赤い旅団』の受刑者たちと自らの交換以外には、他に交渉の余地がないというメッセージがなされたが、それこそが『赤い旅団』が真に望むことだった」

「モーロは明晰さを失わないまま、『赤い旅団』の立場を考慮して、国と交渉し続けた。まったく正直な気持ちとして、モーロがわれわれのグループの交渉人になったように思えたよ。しかし、『赤い旅団』のためではなく、まるで自分の利益のみを考えているかのように振る舞ったため、(『キリスト教民主党』内に)混乱が起こり、『友達』のはずの政治家たち利用されたのだと思う」

このモルッチ、そしてモレッティの発言には、ファーニ通りのコマンドとしてモーロを誘拐、監禁したテロリストとは思えない、一種の親しみと尊敬が込められているように感じます。さらにモルッチは、「われわれは誘拐には成功したが、その後の状況を支配していく能力がなかった。そこで最終的にはモーロが進めていくことになったんだ。『断固とした拒絶』にわれわれが落胆したとき、その壁になんとか風穴を開けようと、モーロは彼の『友達』、そして『家族』すべてに明確な要請をし続けた」と、まるでモーロが仲間のひとりであるかのようにも語っているのです。

いずれにしても、わたしの知る範囲では、『旅団』メンバーで、モーロを口汚く罵る人物はひとりも存在しません。

 

※1978年、事件2日後の3月18日に行われた学生たちのデモでは、レジスタンスを謳いながら「何が武装闘争だ。もう終わりにしよう。『赤い旅団』はいますぐ崩壊だ」と強い抗議が行われています。もはや学生たちにとって『赤い旅団』は、パルチザンをモデルとする英雄たちではありませんでした。

 

一方、レオナルド・シャーシャは、「イタリアという国は弱者に強く、強者に弱い」というモーロ政権の副首相を務めた『イタリア社会党』ピエトロ・ネンニの言葉を引用して、現在イタリアで最も弱者であるのは「モーロとその家族」だとし、モーロは自分が生き延びるためではなく、国への奉仕のために、ここで潰されたくないと考えていたのだ、と、この手紙を分析しています。

また、シャーシャはモーロが書いたどの手紙にも、ファーニ通りで亡くなった警護官5人に対する哀悼の気持ちが表現されておらず、「もしモーロがその気持ちを表現していたら、世論を動かせたに違いないのだが」との疑問をも呈しました。しかしのちに、シャーシャが直接エレオノーラ夫人にその理由を尋ねたところ、「あなたはモーロの手紙がすべて公開されたと思うのですか?」という答が返ってきたそうです。

前述したように、おそらくモーロは、政府の「拒絶」の背後にさらに大きな圧力がかかっていることを理解しており、今後、政府の方針が変化しないことを、ある程度覚悟していたのか、4月5日、6日には、「遺言」として6通の手紙を書いています。その「遺言」を、74~76年の文化省大臣であったジョヴァンニ・スパドリーニ、さらに自身のスポークスマンであるコラード・グエルゾーニに託し、秘書官ニコラ・ラーナへの5通めの手紙では、自分の家族の今後を見守ってくれるよう懇願しています。しかし『赤い旅団』は、なぜかこの手紙を投函していません。

その後、改めて「遺言」は作成されることになりましたが、その「遺言」は、外部の人間で唯一「人民刑務所」を訪ね、モーロとご家族の橋渡しをしたと言われるアントネッロ・メンニーニ神父に託されたそうです(ミギュエル・ゴトール)。また、モーロにとっては唯一の家族との絆でもあった(であろう)、このメンニーニ神父に、モーロは多くの手紙、メッセージを書いていますが、そのほとんどが投函されていません。

なお、モーロの手紙のいくつかには、それぞれに別ヴァージョンがあり、それらは1990年にミラノのモンテ・ネヴォーゾ通りの『旅団』の隠れ家で発見されることになります。おそらく、モーロが書いた2、または3ヴァージョンの手紙から『旅団』が検閲して選び、投函していたのではないか、と思われますが、あるいはモーロ自身が選んだ手紙もあるのかもしれません。

ところで投函されなかった、このザッカニーニへの手紙の別ヴァージョンは、さらに厳しい口調で書かれており、「(なぜ)『キリスト教民主党』のために、わたしが『死刑』にならなければならないのか」、「その血は、政党、そして個々人に降り注ぐであろう。そしてさらなる悪循環が留まることなく継続していくだろう」との凄まじい表現が使われています。

そしてモーロのこの、「血」という表現こそが、総督ピラトに「十字架につけよ」「その血の責任がわれわれとわれわれの子孫にかかっても構わない」と叫び、『キリストの磔刑』を望んだ民衆の姿と、「交渉を断固として拒否」する同僚たち、そして主要メディアの有り様をオーバーラップさせるのです(Part1.冒頭)。いずれにしても、この表現は、その後の手紙で何度も繰り返されることになりました。

ところでモーロが誘拐されている55日の間、コマンド以外の『赤い旅団』のメンバーは、ミラノで1件、トリノで1件の殺人事件、その他7件の傷害事件を起こし、社会の緊張に拍車をかけています。

さらにはこんな緊張にありながら、事件に便乗する輩もいて、その男は『旅団』を騙ってピストルを片手に銀行に押し入り、震え上がって要求に素直に応じる行員たちに、淡々とした口調で現金を用意させ、その現金を受け取ると、律儀に「領収書」まで発行したそうです。「夕方6時まで通報しないように」と言い残すと、悠々と立ち去っていますが、もちろん行員たちは男との約束を守って、その時間まで通報していません(レオナルド・シャーシャ)。

▶︎死刑宣告

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