11月25日 ローマの広場:女たちの終わらない闘い We Together

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11月25日は、国連が1999年に定めた『女性への暴力に反対するメモリアルデー』です。世界各国の女性たちがストリートに飛び出して、DV、レイプ、ストーキングなど、近年いよいよ増加の傾向にある『女性への暴力」に断固、NOを突きつけ、それぞれの社会における女性やLGBTの人々への、不当な待遇や不条理な性差別も含めて、We Toghetherと、共に闘う覚悟を確認する日でもある。同日、パリやイスタンブールでも大きなデモが催されたようですが、もちろんローマでも、イタリア全国各地から15万人!という人々が集まり、大がかりで賑やかなナショナルウーマンデモが繰り広げられました。

イタリア全国で、デモンストレーションされた女性たちへの共鳴

ローマで生活するようになって、わたしが何より心地よく感じたのは、どんなに気合いを入れても「物事が決して思い通りには進まない、議論ばかりでスロー」、さらに悪く言えば「けじめなく」「甘えに満ちた」「いい加減」な社会でありながら、裏を返せば、それぞれのありのままの個性をありのままに受け入れる、寛容で、懐の深いヒューマンな空気が街に漂っていることでした。また、その緩やかさのなか、何より素晴らしいと思ったのは、困難な立場に置かれ、攻撃、排斥で苦しむ、世間の荒波に溺れそうになっている人々を、なんとか助けようとする人々が必ず現れることです。

難民の人々、貧困で家を失った人々、社会の大きな変動で差し迫った困難に絶望している人々にとって、そばに寄りそってくれる人々が、一緒に闘おう、状況を変えていこう、と勇気づけてくれることは、どんなに心強いことだろう、とそのようなシーンに出会うたびに思います。また、人々の困難な問題を解決するために、どんなに強く主張しても国や地方自治体が動く様子がないのなら、自分たちでなんとか解決しなければならない、とみるみるうちに市民運動グループが結成されるという、市民たちの自主性をも驚異的に感じました。その市民グループの運動が次第に広がり、声が大きくなるとマスメディアも無視できなくなり、国や地方自治体の政治に影響するまでに発展することが、かなりの頻度で見受けられます。

今回のローマにおける『女性への暴力に反対する』大規模デモも、イタリア全国の市民有志が連帯するフェミニストグループのネットワーク、Non Una di Menoの呼びかけで開催されたデモでした。しかもフェミニストグループ主催のデモに集まった15万人の半数あまりが、運動に共感する男性たちだったことが、強い印象として残った。参加している人々の年齢もタイプも、おそらく支持政党も多岐に渡り、小学生から大学生、往年のコミュニスト、フェミニスト、トランスフェミニストや、音楽隊、ダンスグループ、コスプレの若者たちや熟女たち、障害を持つ車椅子の青年などが、それぞれにピンクの風船を手に、プラカードを掲げ、曇り空の広場は柔らかく、やさしい熱気に包まれました。

2、3万人規模の通常のデモにはちょくちょく出かけることはあっても、わたし個人の経験では、15万人という人々が集まる大規模デモに参加したのは、2002年の NATOのイラク侵攻に反対する大規模デモ (300万人を超える参加者と言われ、街じゅうが七色のPace『平和』の旗で埋め尽くされました) 以来かもしれません。また今回のように、世界の大問題である『肉体的、心理的な、女性への暴力』に、強く反対する声を上げるフェミニストたちが主催したデモに、これだけ多くの人々が集まったことは、何かが少しづつ動いている、状況は変わりつつある、と勇気づけられることでした。Non Una di Menoのグループは、去年から11月25日にデモを開催しはじめ、2年続けてイタリア全国から10万人をはるかに超える人々を集める大規模デモとなっています。

もちろん、『女性への暴力』という喫緊のテーマを扱う政治デモには違いありませんから、誰もが真剣に参加していますが、思いつめた攻撃的な雰囲気や悲壮感は微塵もなく、女性たちの力強い演説があり、男性たちの賛意を表する意見が述べられ、詩の朗読があり、経験談が語られ、音楽があり、ダンスがあり、6時間あまりの長い時間、暗くなるまで街じゅうを練り歩き、終点のサン・ジョバンニ広場へと感動的に到達した、という具合です。

出発地点のレプッブリカ広場は、すでに地下鉄のホームから、女の子たちのひたすら元気のいいシュプレヒコールが響き渡り、駅員さんや警備の軍隊たちも一歩退いて、プラカードを掲げた女の子たちに道を開ける、という感じでした。地下鉄から広場に出ると、14時ちょうどあたりには、すでにたくさんの人々が集まっていた。ひょっとすると70年代のイタリアのデモはこんな感じだったのかもしれない、と思わせる風情のLove & Peaceないでたちの若者が結構多いのに驚きました。イタリアにおけるフェミニストの台頭は、何と言っても『鉛の時代』と並行しているので、その時代の空気を、若者たちが意識したのかもしれません。

11月25日のこの日は、ローマのNon Una di Menoの大規模デモだけでなく、イタリア全国でさまざまなデモンストレーションが行われています。ローマのシナゴーグは『あらゆる性差別と暴力に反対』するためにライトアップ。また、シナゴーグだけではなく、イタリア海兵隊本部から、スぺッツィアの海軍工場、ターラントのアラゴン城まで、各地が同様にライトアップされ、ミラノピレッリの摩天楼には『あなたたちはひとりではない」という巨大なサインが掲げられました。

同じくミラノの中心街、マゴルファ通りの『女流詩人アルダ・メリーニ館』の壁一面には人形を施したインスタレーションが設置され、トスカーナではあらゆるモニュメントが赤くライトアップされています。同市議会の建物の内部には、誰も座っていない椅子の上に赤い靴がシンボルとして置かれ、被害に遭い、犠牲となった女性たちへの、深い追悼の意が表された。そのほか、『女性への暴力』を巡る演劇、展覧会、コンサート、フラッシュモブも各地で多く開催されました。

このように、今年の11月25日のイベントは今までにないほど、全国的に大きな広がりを見せました。その背景として、レイプ、DVという「女性への暴力が、殺人にまで及ぶFeminicidio(女性殺人)がイタリアでも頻繁に起こり、それが大きな社会問題になっているという現実があります。暴力が殺人にまで発展するケースの事件数は2013年を境に多少の減少がみられますが、男性による、女性への肉体的、心理的暴力はまだまだ減少の兆しが見えず、大きな社会問題のままです。

ミラノの『女性への暴力対策』センターのリサーチでは、2016年にミラノだけで1671件の暴力事件が起こり、その80%が配偶者、あるいはパートナー、元配偶者からの暴力、レイプ、嫌がらせだったそうです。一方、通りすがりの男による犯行は、2%にしか過ぎません。また、2017年には女性への暴力事件が2000件を超えるとも予想されている。事態を重く見たミラノ市は、『女性への暴力反対』センターに、市の予算60万ユーロを2018年、2019年と2年間融資し、その120万ユーロで緊急な対策を図ることを決定しています(ラ・レプッブリカ紙)。

なお、ローマ市内には、暴力に遭遇した女性(老人や子供たちを含め)のサポートをするセンターは、民間を含めて7つ以上あり、相談のため、政府がプロモーションする公共のTelefono Rosa1522(ピンクの電話1522)、NGOのホットラインも常に機能しています。

Non Una di Menoのデモにはコスプレで参加する人々も大勢いた。真っ赤な僧衣を纏った尼僧や魔女、悪魔などが、どこからかふらり、と現れてドキッとさせられました。

そもそもフェミニズムとは何なのか、を考える

フェミニズム、ジェンダー論は、ひとつの学問として洗練された研究が積み重ねられた分野で、多岐に渡る議論、論理構築がなされてもいるし、学問として『フェミニズム』を学んだことのないわたしには、その詳細を語る資格はありません。そこでひとりの女性として、肌で感じる社会システムと女性との関係を軸に、わたしが現在捉えている『フェミニズム』というものを、大まかにまとめてみたいと思います。

70年代、『鉛の時代におけるイタリアでは、Partito Radicale(急進党)が中心となった、フェミニズム運動が世間を席巻、「離婚」や「中絶」など、イタリアの人権運動の父とも言えるマルコ・パンネーラを核として、草の根で署名を集め、女性の主張を法律化、現実に『権利』を勝ち取っていったという歴史があります。さらにイタリアでは、女性が自らの正当な権利を主張することは、いわば当たり前のことで、むしろ主張しなければ生活できない、という社会でもあります。いわゆる『忖度』が、まったく通用しない世界です。

また、イタリアにおいては若い女性が管理職として組織の采配を振るう、あるいは司法機関の重要なポストを担う、内閣で重用される。という風景は、少しも珍しいことではありません(残念ながら、カトリック教会で、女性の枢機卿、あるいは教区司祭が選出される、ということはありませんが)。たとえばわたしが利用している銀行の支店長は、30才台半ばの若く、頼もしい女性です。

そういうわけで日本の状況に比べると、女性やLGBTの人々の、昨今のめざましい社会進出に、「女なのに」「ゲイなのに」という偏見は比較的少なく、まず、イタリアの女性たちもLGBTの人々も、臆することなく、自らをパワフルに主張しますから、男性たちがそのパワーにひるむ、という傾向がなくもない。しかしながら、それでは女性の社会的地位、妊娠、出産、子育ても含めて、福祉が行き届き、職場での条件が完全に男性と同等であるか、と問われると、残念ながらまだまだ女性に多くの負担がかかるシステムとなっています。また、父権社会の名残りを引きずった世代が権力サイドに居座って、顰蹙を買う男性優位の発言と行動を繰り返す、家父長制的ステレオタイプはいまだ崩壊していない、とがっかりする場面に多く遭遇することもあります。

たとえばベルルスコーニ元首相の、原始的でハーレムなライフスタイルなどは、マスメディアのプロパガンダに形成された、まさに現代イタリア的な家父長制の理想の体現イメージのひとつ、と言えるかもしれません。そして、そんなライフスタイルに憧れるマッチョ志向の青年たちも存在し、その青年たちもまた、女性の立ち位置が拡大することを好ましく思っていない様子です。中央からひたすら右へ、進化なき古き良き原始時代へ、とトリップする人々がけっこういることも否めません。

長い時間をかけて構築されてきたフェミニズム運動の原点を見つめるならば、過去数千年に渡って西洋社会に脈々と受け継がれた、戦争に出かける強い男たちを中心とした家父長制父権社会の余韻を、いまだに引きずったままの現代の社会構造のあらゆる問題点が、全て浮き彫りになってくる。支配者の権力と被支配者の従属。人種差別にしても、LGBT差別にしても、経済差別にしても、あらゆる差別の基本心理、原点は、原始的な家父長制、家族間の『女性支配』にはじまる、とわたしはほぼ、確信もしています。

人類の進化史上、まず最初に男たちに差別され、支配されたのは女たちに他ありません。だからこそ、フェミニズム運動が、あらゆる差別に反対する運動の最前線にあるべきだ、とわたしは常日頃から思っているわけです。わたしたちなら、差別をされる側の強い痛みが理解できるはずです。

そしてなにより、フェミニズムとは、決して女性たちがひたすら攻撃的に、自らの権利を主張する運動ではなく、あらゆる全ての人々が正当な権利を得て、権力に不当に支配されることなく、誰もが居心地よく、やさしく寛容で民主的な社会を構築してゆこうとする運動である、とも解釈しています。性暴力をはじめとする女性への暴力の根幹にある社会システムを見つめるなら、社会に顕著な右傾化が現れるほどに、女性の人権が蔑ろにされる、と同時に、あらゆる全ての人権が蔑ろにされる傾向にある、という事実を把握しておきたい、と今回のデモに参加しながら再確認した次第です。

Non Una di Menoの大規模デモの街宣車に貼られていたポスター。地球上の全ての人種の女性が描かれていて、なかなか素敵なポスターばかりでした。

▶︎11月25日の由来、ミラヴァル3姉妹の果たされなかった願い

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