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高校生のスロー・インフォメーション:Scomodo No.0

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なるほど。マニフェスト紙は、ローマの高校生たちの編集によるこの月刊誌、『Scomodo(スコモド:厄介な、迷惑な、邪魔な、気難しい)』を、「スロー・フード」ならぬ、「スロー・インフォメーション」と表現しています。スピード軽さインパクト、玉石混淆でWeb上を濁流となって流れ、巨大な渦になったかと思うと、瞬く間に消え去る無限の情報に、まさに「Webド真ん中世代」にいる高校生の有志たちが「待った」をかけたという現象です。超人気アンチグローバルFumettista(フメッティスタ:コミック作家)、ZeroCalcare(ゼロカルカーレ)デザインの表紙で、No.0がいよいよ登場しました。

ほぼ大人、デリケートなもどかしい自意識を持て余し、とどまることなく溢れるエネルギーで爆発しそうな、なかなか大人たちの手には負えない高校生たち。その彼らの間に世の中の流れとは逆行する、「月刊誌」という紙媒体のみで情報を発信しようという「へそまがり」なアナログムーブメントが起こったことを、わたしはまず、面白い!と考えました。

しかもその、「へそまがり」な動きにあっという間に共感者が続々と現れ、ついには学生による大がかりなジャーナリズム・コミュニティができあがるに至ったのです。また、大人たちが彼らのその動きに早速注目、学生たちが秘める可能性をバックアップしよう、と盛り上がる様子から、現在のローマという都市に生きる人々のメンタリティの深層を垣間見ることができるのではないか、とも思います。

イル・マニフェスト紙は、彼らの月刊誌『Scomodo』を、「さまざまな社会的テーマを調査し、考察を深めるだけの雑誌ではなく、新旧の音楽、文学、芸術、つまり自分たちを取り巻くカルチャーへの情熱をもぶつけた、『マス』の高校生による『実験的』行動」と書いています。「マス」と表現されるのは、アドリアーノ・カーヴァトマーソ・サラローリエドアルド・ブッチという3人の高校生の思いつきが波紋を起こし、そのアイデアに共鳴した総勢200人(!)余りの学生が「編集」に参加しているからです。9月はじめの編集会議にはじまり、あっという間にコミュニティが構成され、出版に至っている。もちろん紙媒体の月刊誌の実現には、かなりの費用がかかりますが、その約4000ユーロの出版費用もすべて学生たちが自ら捻出するという、完璧なインディペンデント出版です。

さて、ローマの高校生の有志たちが、自力で資金集めをして月刊誌を出版しようとしている、という情報をはじめて得たのは、とあるチェントロソチャーレ(イタリアに多く存在する反議会的文化占拠スペース)がSNS上にシェアしたコリエレ・デッラ・セーラ紙の記事でした。以下、意訳します。

サン・ロレンツォのマッキャベッリ高校を、月刊誌『スコモド』出版費用捻出のため、高校生たちが一晩占拠。

ゼロカルカーレがデザインした表紙は、月刊誌『スコモド』を読む男の子が、2人の警察官に引きずられ、連行されている、というもの。100人以上の学生たち(コリエレ紙に取材された時点では、まだ100人そこそこだったメンバーがマニフェスト紙の取材の時点では200人余りになっています)が参加、企画編集した新しい月刊誌『Scomodo』が出版されることになった。「僕らの雑誌を読むのは、Scomodo(厄介な、迷惑な、邪魔な、気難しい)な人々なんだろう、と思うんだ」トマソ・サラローリとエドアルド・ブッチと共に、この月刊誌のアイデアを思いついたアドリアーノ・カーヴァは、「真の情報を与える者も、それを読む者も、(真実を誰にも知らせたくない何者かにとっては)スコモド(邪魔な、迷惑な、気難しい)な人間なんだよ」と言う。今夜、彼らはまず最初の試みとして、出版費用を捻出するために、マッキャベッリ高校を一晩占拠する(学生たちが校舎を占拠して「Notte bianca(白夜)」と呼ばれるカルチャーイベントを開催)。

9月初旬の、はじめての企画編集・決定会議

9月初旬に開かれたこの会議には、かなりの数の高校生たちが参加した。「確かにすごい数の参加者だったが、僕らはそのすべての参加者と共に、この月刊誌を編集出版しようと思っている。外部とのコミュニケーションを担当する者、Webサイト、グラフィックを担当する者、それぞれがそれぞれに違う仕事を引き受けている。多くの人間が参加したほうが、いい雑誌を作ることができる、と思うんだ。議論がさらに豊かになることを、僕らはなにより歓迎している。僕らが編集した全ての記事は、起草の段階から編集と執筆者、そして会議の参加者全ての協同作業で出来上がったものなんだよ」とアドリアーノ・カーヴァは言う。出版は10月20日〜24日の予定。巻頭は、「オースティアにおけるマフィアに関する調査」、そしてローマ郊外に存在しながら、いまや、まるで廃墟のごとき様相の巨大な建造物「コルヴィアーレ」に関する評論が飾る。

「出版過程を全て僕らの手で行うだけでなく、費用は僕らが『Notte Scomodo(やっかいな夜)』と名付けたNotte Bianca(一晩じゅう行われるイベント)を通して集めたいと思っている。まず最初の『ノッテ・スコモド』は、今夜、サン・ロレンツォのマッキャベッリ高校を占拠して開催する」

配布(学校、大学、図書館、店など)も、月刊誌に関するキャンペーンもすべて、編集に関わっている学生たちが行うと言う。初版は7500部の予定。「僕らと同じ年代の子たちが世の中で起こっている現象を見直し、批判的な考えを持つようにエンジンをかける必要がある。僕らは僕らのミクロコスモスから始め、「現実」を読んで、解釈した上での議論を発展していきたいと思う」「確かに僕らの周囲には、ニュースがとめどなく流れている。しかしその情報には人間的な温度が感じられないし、情報の背景を探ることなく平べったく書かれている

事実、(彼らが言うように)掘り下げられた情報というものは、まったくScomodo(厄介)な情報であるには違いない。

つまり、イタリアの最主要新聞であるコリエレ紙が、学生たちがこれから出版する月刊誌の資金集めのためのノッテ・スコモド、「マッキャベッリ高校占拠ナイト」の、いわば告知記事を掲載したということです。

アイデアを出した高校生メンバーのひとり、エドアルド・ブッチは、「月刊誌『スコモド』をひとつの都市における新しい文化社会モデル実験にしたいと思っている」「僕らはWebを拒絶しているわけではなく、WebにはWebなりに、便利で有効なことが沢山ある、とも思っている。ただ紙媒体を使って、さらに深い考察が必要な情報も存在するじゃないか。スローガンだけの1日限りのコンテンツだと、その背景に光を当てて深く掘り下げることもないからね」「ゆっくりと熟考しなければならない情報が確かにある。そういうわけで僕たちは、ローマだけではなく、世界に横たわる様々な問題を調査し、歴史科学経済、そして音楽と文化の世界をも含め、深く追求していきたいと思っている」とマニフェスト紙に語っています。ちなみに月刊誌『スコモド』は、無料で配布されます。

また、『Notte Scomodo』イベントが開催される予定の日には、コリエレ紙だけでなく、ラ・レプッブリカ紙も同様の告知記事を掲載しました。イタリア主要2紙が学生たちが出版する月刊誌を印刷する資金集めのための「高校校舎占拠ナイト」を告知する記事を載せた背景を鑑みるなら、ZeroCalcareという大人気のコミック作家が『スコモド』の表紙をデザインしていることもひとつの要素だったかもしれません。

というのも、表紙を描いた、このゼロカルカーレは、ここ数年の間に、ローマからイタリアじゅうでみるみるブレイクした、まだ32歳という若さのアンチグローバル・コミック作家。いまやWiredイタリア、インターナショナル誌が、バックアップするほど注目度の高い作家です。そもそも彼は、ちょっと物騒で怪しい雰囲気を醸しながらも、ローマのストリートアーティスト、ストリート・カルチャーの中心地ともなったローマ・エスト(東)のチェントチェッレにある有名チェントロ・ソチャーレ(反議会主義文化占拠スペース)、パンクロックなCSOA Forte Preneste(フォルテ・プレネステ)が運営する出版グループのメンバーでした。その頃の彼は、イベントのフライヤーやデモの横断幕などをデザインしていたそうです。

zerocalcare

ゼロカルカーレが、イラク、シリア、トルコ国境をルポルタージュした「KOBANE CALLING(コバニ・コールイング)」

そのゼロカルカーレが、アンチグローバルの学生たちのデモと警察の衝突で大騒乱となり、警察が無抵抗の青年を射殺、学校に乱入するなど、社会に大きな禍根を残した国際サミット、2001年ジェノヴァG8を2006年にコミック化、ローマを中心に人気を集めはじめ、2011年には『Profecia dell’almadio(アルマジロの予言)』を出版。さらにその年からはじめた、自身の毎日をコミックで描いたブログは、2012年、Macchianeraアワードで、風刺作家として「最優秀デザイナー賞」を贈られています。

それまでは、ほとんど無名だった彼ですが、この賞をきっかけに瞬く間に注目を集め、2013年に毎年ルッカで開かれる「コミック&ゲームフェスティバル」では最も優秀なアニメに贈られるGran Giungi(グラン・ジュンジ)を受賞、2015年にはイタリアの文学界の権威でもある文学賞、プレミオ・ストレーガ次点として評価されました。

また、2015年には、インターナショナル誌の企画で、ISISと闘っているクルドの人々をコミックでルポルタージュ。シリア、イラクとのトルコ国境Kobane(コバニ)に滞在した経験が描かれた、このときのルポルタージュは「Kobane Calling(コバニ・コーリング)」として発表されています。余談ではありますが、最近、ZeroCalcareが米国で開催されるコミック・フェスティバルに参加するためヴィザを申請したところ、イラク、シリア、トルコに滞在したことを理由に、ヴィザ申請米国に拒否されたことが話題になりました。

彼のコミックは、ローマだけではなく、世界の状況に関しても一定の共通認識を要する、なかなか深いアイロニー、複雑な、しかし独特な感性で表現されており、コミックではあっても確かに文学的とも言えます。緻密に書き込まれ、幾重にもニュアンスが織り込まれた作品を読むのはけっこうくたびれますが(吹き出しの文字が手書きのせいもあり)、読みはじめるとにもなります。超有名になった今も、例えばアンチファシズム・アンチグローバルデモ横断幕などをデザイン、彼のスピリットは、あくまでもローマ・エスト、チェントロ・ソチャーレ文化に根ざしているのです。

なお、ZeroCalcare(カルシウム・ゼロ)という一風変わったペンネームは、インターネット上の議論で使うニックネームを考えていた際、テレビで洗剤のコマーシャルが「Zero Calcare! Zero Calcare!(カルシウム・ゼロ、カルシウム・ゼロ)」(イタリアの水はカルシウム分が多く、水道管からガス湯沸かし器、何から何まですぐに真っ白に結晶化するため、カルシウム除去洗剤が存在)と連呼していていたので、それをそのままニックネームにし、今でもペンネームとして使っているのだそうです。

そのZeroCalcareが表紙をデザインした、つまり出版の門出を応援した、ということで、まず、この月刊誌『スコモド』に大きな注目が集まったとも考えられます。が、しかしながら、イタリア主要2紙が揃いも揃って、ゼロカルカーレの知名度だけで高校生の自費出版雑誌のためのイベントを告知するとも思えません。いや、そのコンテンツがかなり充実しているからに違いない、とわたしは考えました。また、ゼロカルカーレも、月刊誌の内容に共感したからこそ表紙を引き受けたのでしょう。

そこで、早速ネットで検索したところ、すでにスコモドチームは、シンプルなWebサイトを開いていました。月刊誌の名前は正式には『Leggi Scomodo(レッジ・スコモド:厄介な内容だが読んでくれ、ぐらいの意味でしょうか)』というようです。その飾りがまったくないサイトで、スコモドチームが宣言している短い文章を読んで、一瞬、「あれ? これ本当に高校生の意見?」と背景を疑ったことを告白したいと思います。わたしの常識から言えば、高校生らしからぬ、非常に慎重な、まるで大人の意見のごとく思え、実を言えば、常日頃、わたしがぼんやり思っていることと重なる部分もいくらかあったのです。

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