山場を迎えたイタリアの組閣:『五つ星運動』は他勢力との連帯に成功するのか

Deep Roma Eccetera Società Teatro

ついにイタリアに政府が樹立した!という項にする予定でしたが、待てど暮らせど結果が出ない状況に、痺れを切らして途中経過を書くことにしました。イタリア国内の政治地図を塗り替えた3月4日の総選挙の後、もはや50日もの膠着状態が続いたイタリアの組閣が大詰めに近づく気配は、なんとなく漂っています。過半数に満たない第1党『5つ星運動』が、他勢力とのドイツ式の契約連帯による組閣を模索し続けてはいても、あちらを立てればこちらが立たず、「すわっ!『五つ星』と『同盟ーレーガ』、あるいは『右派連合』の連立か」「いや、『民主党ーPD』との連帯の可能性もある」「組閣は無理。どうにもならない」とみなが好き勝手に未来を予測、次から次に情報が錯綜し、何がどうなっているのか混乱状況が続く中での山場です。(写真はイタリア新政府を静かに待つキージ宮)

だいたい『5つ星運動』と『同盟ーレーガ』の連帯は可能なのか。

本来は『連立』と呼ぶべきなのでしょうが、『5つ星運動』が他勢力との契約による連帯を強調しているので、『5つ星』に関してのみ『連帯』という言葉で統一することにしました。

ともかくこの項を書きはじめて、「あ、また今日も報道が昨日と違う」と、時事刻々と状況は変化し、何度か書き変えなければならないことになってしまいましたが、ここに来て、消去法で少しづつ『方向性』が決まりはじめた、のかもしれません。紆余曲折を経た、たった今の状況は、EUを敵に回しかねない、イタリアにとってはかなりヘビーな組閣となる『5つ星運動』と『同盟ーレーガ』の連帯もありうるシナリオとなっています (※この項を投稿した4月24日の夕方、昨日までレーガに組閣を呼びかけていた『5つ星』が、『民主党』との交渉のため『レーガ』との連帯を閉じましたが、まだ何が起こるか分かりません)。

というのも、選挙で両政党を支持したイタリア国民の多くが、この連帯を望んでいるという世論調査の結果があり、各政党との2回のコンサルテーション直前のマッタレッラ大統領も「イタリアの新しい2大勢力を巡る組閣の試み」と総選挙の結果を意識した発言をしているからです。

まず、『5つ星運動』のリーダー、ルイジ・ディ・マイオが「イタリア国民が選んだ勢力が組閣すべき。僕らなら、きっとすごい仕事ができる」、と一刻も早く『レーガ』が『フォルツァ・イタリア』、『イタリアの同胞』と形成する『右派連合』から分離して、『5つ星』との連帯(公約ひとつひとつを照らし合わせる『契約』を手はじめに)を受け入れることを促しました。ちなみにDemopolisによる世論調査の具体的な数字は以下のようなものです。

『5つ星運動』の支持者の46%『5つ星』と『レーガ』の連帯に賛成、『民主党ーPD』との連帯には18%のみが賛成、『レーガ』の支持者の65% が『5つ星』との連帯に賛成、ベルルスコーニを含む『右派連合』の一角として、『レーガ』がPDと連立を組むことには、84%が反対の意を表しています。また、現在の膠着状態に解決策がない場合に考えられるGoverno Instituzionale (各政府が参画しての大政府)には、43%のイタリア国民が反対、賛成は24%、「わからない」が32%。では、この膠着状態から抜け出るために重要な役割を負うのは誰か、という問いには、ディ・マイオと答えた人が20%、サルヴィーニが17%、ベルルスコーニが13%、PD  (現在書記長不在)8%、「わからない」が40%

とはいっても、ここ数日の『民主党ーPD 』の出方次第では、たった1日で状況がガラガラガラ、と音をたてて変わる可能性ももちろんあって、目が離せない緊急事態には違いありません。このように、イタリアにおける選挙権のないわたしは、部外者とはいえドキドキしながら毎日を過ごしているわけですが、周囲のイタリア人たちは意外と冷静で「そのうち政府も誕生するだろう。『レーガ』は嫌だけどしかたないよね。万が一連帯したとしても、長く続く政府にはならないよ。10月に選挙になるかもしれない。それよりなんていい天気なんだ。そろそろ海に繰り出したい気分だね」などと呑気に春の日差しを楽しんでいるようです。

さて、前回の項「どうなる、イタリアの春」では、マッタレッラ大統領による各政党の1回めのコンサルテーションが終わったところまで追記しましたが、2回めのコンサルに前後して、シリア情勢に切迫した空気が漲り、EUから急かされ続けているせいもあって、何がなんでも政府を構築することが、イタリアの喫緊の課題となりました。大統領は「コンサルはここで打ち切り、その後はわたしが決定します」と宣言し、先に選出されたイタリア女性初の上院議長、『フォルツァ・イタリア』のマリア・エリザベッタ・アルベルティ・カセラーティに、4月18日から19日の48時間に渡って『5つ星運動』と『右派連合』の妥協点を探る役割( mandato esplorativo) を命じ、連帯を促したわけです。カセラーティ上院議長は忠実なベルルスコーニ信奉者、『フォルツァ・イタリア』創設以来のメンバーでもあります。

ところで、カセラーティ議長が挑んだのは、あくまでも『5つ星』と『右派連合(フォルツァ・イタリア、同盟ーレーガ、イタリアの同胞)』による組閣の模索。そもそも「正直さ」、「法的正当性」をスローガンとする、どう考えてもアンチ・ベルルスコーニの『5つ星』は、『レーガ』との組閣は目指しても、『フォルツァ・イタリア』との連帯は「考えられない。総選挙の結果、『5つ星』と『レーガ』という風が吹き、イタリアに新しい政治が始まろうとしているのに、そこにベルルスコーニが加わるのであれば、以前と全く変わらない談合政治になってしまう」と、一貫して『フォルツァ・イタリア』を拒否しています。

今回立候補はせず、アクティビストとして退いた『5つ星』の中枢メンバーのひとり、アレッサンドロ・ディ・バティスタは、「ベルルスコーニは『絶対悪』だ」とまで言い切る始末。実際のところ、今回の『5つ星』の躍進は、もちろん『民主党ーPD』のエスタブリッシュ議員たちへの反感もありますが、談合、汚職、マフィアとの絆で、「ひと握りの権力者たちとその縁故者のみが利益を得て、国債はますます赤字、若者の失業率は増加、市民の暮らしは苦しくなるばかり」という、ベルルスコーニをシンボルとする旧態依然とした泥沼政治モデルに、国民がノーを突きつけたからでもあります。

しかも、このディ・バッティスタ発言から「ベルルスコーニは絶対悪か?」という世論調査(Rai3: EMG Acqua)をしたところ、とてもそう思う50%まあまあそう思う28 %、あまりそうは思わない10%、全然そう思わない2%、わからない8%と、79%弱の人がベルルスコーニを『絶対悪』と思っていることが判明しました。「ならば『レーガ』はベルルスコーニに遠慮せずに、『右派連合』から分裂すればいいじゃないか」とも無邪気に思いますが、なかなかそうは問屋は卸しません。というのも今回、流れを追って驚いたのは、ベルルスコーニという人物が、選挙で惨敗してもなお、右派の各政党にいまだに強烈な支配力を持っている、という構図をまざまざと見せつけたからでした。

支持率では『レーガ』が『フォルツァ・イタリア』を凌いでいますから、このままマテオ・サルヴィーニがベルルスコーニを見限って、相思相愛のごとくに互いが意識しあう『5つ星』と連帯するのでは、とハラハラもしますが、しばらくシーンと鳴りをひそめていたベルルスコーニが、突如として声高に「われわれ『右派連合』は一致団結。分裂はありえない。サルヴィーニは右派のリーダーだ」とサルヴィーニに釘どころか、鉄杭を打つ発言を繰り返しはじめた。

しかも、未成年買春事件「ルビー・テール」をはじめ、数多くの訴訟で議員資格を来年まで剥奪されているにも関らず(したがって現実には、ベルルスコーニは政界には存在していません)、2回めの大統領府でのコンサルテーションには『右派連合』の一角をなす代表者として悠々と出かけ、ベルルスコーニらしく「無礼」というか「怖いもの知らず」というか、会見するサルヴィーニの傍で、その勢いをざっくりと削ぐパフォーマンスも披露。その健在ぶりをアピールして、『5つ星』に牙を剥きました。われわれ傍観者は苦笑しながら、「面白おかしく」そのパフォーマンスを見たわけですが、勢いに乗るサルヴィーニを打ちのめそうとするそのパワーを、多少空恐ろしくも感じたというのが正直なところです。

「サルヴィーニがベルルスコーニから遠く離れることは、非常に困難、しかも危険だと思うよ。腹心とみなしていた人物が、ちょっとでも遠ざかると、ベルルスコーニは自ら所有するメディア総がかりで裏切り者に暴行を加え、八つ裂きにするんだ。今までも多くの政治家たちが政治生命を絶たれ、闇に葬り去られたんだからね。サルヴィーニも遠ざかれば同じ運命なんじゃないかな。ベルルスコーニは金の持つ威力をフルに利用する人物だ。彼に関わった人間は『買われる』か、暴行を加えられるか、何があっても彼に従順に仕えるかのいずれかなんだ」

このような発言は、多少おおげさのようにも感じますが、どうしてもベルルスコーニとの連合を解消しない(できない)サルヴィーニを見ていると、アンチ・ベルルスコーニをルーツとする新聞、イル・ファット・コーティディアーノ紙の主幹、マルコ・トラヴァイオのこの評価は、当たらずとも遠からず、なのではないかとも思います。ベルルスコーニは80歳を超えてなお、成熟しないというか、老成しないというか、われわれの期待通りに悪しき『権力』のステレオタイプを体現する、悟りなき「いつでも主人公」ではあります。

 

ある日、ローマの街角に出現したストリートアート。残念ながら朝のうちに消されましたが、右からディ・マイオ、サルヴィーニ、ベルルスコーニを配したカラヴァッジョの『いかさま師たち』のパロディが、一斉に報道されました。

微妙に変化した『右派連合』に決裂はありうるのか

そういうわけでベルルスコーニから首根を掴まれて身動きができない様子のサルヴィーニではありますが、だんだんに「ディ・マイオは頑固だし、ベルルスコーニもあんな風だし、自分は間に挟まれて、もう限界に近づいている」と苛立ちを露わにしています。では、『右派連合』と『民主党ーPD 』との連立はありうるのか、というと、ベルルスコーニは「彼らは民主主義を知っている」と、どうやら連立に乗り気の様子でも、サルヴィーニは「PDとの連立はありえない、PDと連立したいなら、自分は抜ける」と完全に拒絶。いずれにしても、第1党に躍り出た『5つ星運動』を差し置いての組閣では、『選挙』の意味がありません。

そんないがみあいが続く中、ちょっとした早とちりもありました。組閣交渉中の記者会見で、サルヴィーニが「われわれは、遂にディ・マイオと合意した。今日にでも組閣できるだろう。いよいよイタリア政府の発足だ」と発言し、「ええ?? ということは、あれほど拒絶していたディ・マイオがベルルスコーニを受け入れたのか! どうやら『5つ星』が、解決策として提示していた、『フォルツァ・イタリア』が例外的Apoggio esterno(アポッジョ・エステルノ:組閣には加わらず外部勢力として過半数を支持)に退いて、組閣に加わらないという情報がある」と激震が走りました。

慌ててテレビを点けると、ベルルスコーニ抜きの『レーガ』との連帯ならありうるが、『5つ星』と『右派連合』の連帯は絶対にない、この交渉は決裂以外にありえない、とその日の朝まで力強く報道していたジャーナリストの誰もが、悲壮な顔つきで「これはどういうこと?」と状況の分析を試みていましたが、途中、『フォルツァ・イタリア』はアポッジョ・エステルノに退くつもりはさらさらない、との情報が入ってきて、とりあえずその騒ぎは収まったという次第です。

結果、カセラーティとの交渉を終えたディ・マイオが語ったのは、やはり「われわれはあくまでも『レーガ』のサルヴィーニと合意したのであって、『フォルツァ・イタリア』とも『イタリアの同胞』とも同じテーブルで組閣を話し合うつもりはない。組閣を考えるのは『レーガ』とだけだ」というきっぱりとした意思表示でした。『レーガ』との組閣の扉は開いたまま、改めて『右派連合』との交渉を拒絶した形となったわけです。サルヴィーニという人物は、時々このように衝動的に無鉄砲な発言をして、世間を騒がします。

しかしこの騒ぎにはベルルスコーニも黙っていませんでした。交渉の直前には「実はわたしは『五つ星』には何の反感も抱いていないのだ」と、急に持論を曲げて神妙な顔で語っていたくせに、カセラーティ上院議長が、組閣交渉の失敗を大統領府で発表するや否や、「民主主義のABCもまったく分かっていない『5つ星』はただの危険分子。社会の嫉妬と憎悪を代表する失業者の集団だ。メディアセッテ(ベルルスコーニ所有のTV局)でなら、トイレ掃除にしか使えない」と、とんでもない悪態をつきはじめた。

そういうわけで、毎日言うことがコロコロ変わる、スキゾフレニックなベルルスコーニの態度には、さすがのサルヴィーニも業を煮やし、「マッタレッラ大統領に談判して、今後は自分ひとりで組閣を試す」と反発。『右派連合』がついに分裂の兆しを見せ、サルヴィーニはベルルスコーニが裏切り者に加えるという政治的八つ裂きを恐れず、単独でディ・マイオとの組閣を試す事態になるのか、と一旦は思いました。が、数日経つと「自分はベルルスコーニ側に残る」と前言を翻し、結局分裂はありえないようです。

と、そうこうするうちに、偶然にしてはあまりにも出来すぎた裁判の判決が下されることになりました。

それは、1992-1993年、パレルモでマフィア撲滅を目指して活動していた裁判官ジョバンニ・ファルコーネ、パオロ・ボルセリーノとその家族を、マフィア『コーザ・ノストラ』が車ごと爆発、殺害した凄惨な事件を含む、一連の『国家ーマフィア談合』事件の、気が遠くなるほど長く続いた歴史的裁判の決定的な判決でした。そしてこの事件に関わっていたのが『フォルツァ・イタリア』の創設者のひとり、マルチェッロ・デル・ウトゥリという人物で、ベルルスコーニの無二の親友でもあります。

 

ジョヴァンニ・ファルコーネ(左)とパオロ・ボルセリーニ(右) corriere della sera紙より引用

 

『右派連合』として『フォルツァ・イタリア』が『5つ星』との組閣交渉に失敗したその日のうちに、当時ベルルスコーニと『コーザ・ノストラ』の仲介をした、このデル・ウトゥリに12年の実刑が確定、というニュースが駆け巡り、ディ・マイオは早速政治利用。「この判決が『フォルツァ・イタリア』の終焉、『墓』を意味する」とコメントしています。

さて、連帯交渉の決裂を受け、「来週まで考えさせてほしい」、と声明を出したマッタレッラ大統領は週末、『5つ星』と『レーガ』の組閣の合意に可能性があるかどうかを見定めながら、『5つ星運動』の下院議長ロベルト・フィーコに、『5つ星』と『民主党ーPD』の組閣交渉を託しました。そしてその交渉如何では、ひょっとしたら、たとえば各政党の代表ではない第3者をマッタレッラ大統領が擁立して、各政党から選んだ人物で組閣する『大政府』、などという、やや唐突な事態も起こりうるかもしれません。もちろん、一旦政府を樹立させたのち、『選挙法』を改正して解散、『再選挙』というシナリオも否定できない。

後述しますが、『5つ星』のなかでも左派、と言われるフィーコなら、選挙後、ただちに「われわれは野党を貫く」と扉を閉ざしてきたPDとの連帯が、ひょっとしたら奇跡的に実現するのではないか、という向きもあります。「だいたい『5つ星』が新しいイタリアの左派と言われる流れになったわけだし、政策の公約も互いにリンクする部分もあるのだから、本来はそうあるべきなのだ」と、そのどんでん返しを期待している左派ジャーナリストや知識人たちも多くいるようです。両者の交渉の核は、格差、貧困、若い世代の失業などの社会問題、人権問題、環境問題に関するテーマになる、と見られています。

ここ数日、氷解の兆しが垣間見えるPDとはいえ、ディ・マイオを首相とする組閣を受け入れることに対しては大きな反発もあり、『5つ星』との連帯はまったくの未知数です。『5つ星』きっての左派、ロベルト・フィーコが組閣を試す、ということになれば、その働きが期待されるところですが、PD側は、たとえばデイ・マイオを首相としないことを条件にするなどの難題を持ち出してくるかもしれず、『5つ星』もそう簡単には受け入れないと予想されます。

そういう具合で、くる日もくる日も、ああでもないこうでもない、とあれこれ情報が飛び出して、昨日の予想は覆され、朝と夜とでは状況が変化し、膠着状況が続いているようでも微妙に力関係が流動、終わらない議論が繰り返されている。各メディアの報道にも諦観が漂い、『民主主義』ー特に多様を極め、互いが絶対譲らない、かと思えば明日は気持ちが変わっている、というヒューマンなイタリアンデモクラシーは、本当にくたびれるシステムです。いずれにしても週末開催されたモリーゼの県知事選では、『右派連合』の候補者が44 %と38%の『5つ星』に差をつけて勝利。その勝敗が国政にも大きく影響する、とも言われていて、さらなる波乱が待ち受けているかもしれません。

選挙後の膠着状態で見えたこと

ところで大統領府での2回めのコンサルテーションの後、それぞれの政党の代表者たちは現在のシリア情勢について、「政党としてどのような方針を持つか」、記者会見で語ることを、マッタレッラ大統領から指示されました。そしてこの指示は、各政党の国際外交の方針を見極める一種のテストでもありました。その会見で、そもそもNATOの再編成を謳っていた注目の『5つ星』は、以前の姿勢を大きく変え、イタリアは北大西洋条約機構の方針に沿って、連合国として状況に対処していくことを明言。PD同様に、EUの一員としてNATOを支持することを強調し、国際政治においては、意外と慎重に振る舞うことを印象づけた格好となりました。

一方、今までロシアを支持してきた『レーガ』のマテオ・サルヴィーニは、米国、フランス、英国の一斉ダマスカス攻撃の後、即刻ツイッターやビデオで「アサド政権は、内戦でほぼ勝利を収めているのだ。今更化学兵器を使う必要などないのではないか。国連の精査が入る前の爆撃は国際法違反だ。今すぐ停止するべき」と反応し、「こんな時はとりあえず黙っておきべきだ」と、ベルルスコーニからたしなめられてもいる。方針を変えず、率直に発言したことは認めますが、EU内では確実に反発を買う、この性急な反応は、リーダーとしては「いかがなものか」という印象を残しました。

サルヴィーニという人物は、状況を理性で判断することなく、感情にまかせて、衝動的に発言する傾向があり、そのシンプルなマッチョさが人々の共感を集めるのかもしれませんが、政治家としては簡単に判断を誤りそうで、どうにも信頼できません。それにひきかえ、サルデーニャの別荘に招くなど、プーチン大統領と家族ぐるみで仲の良いことで有名なベルルスコーニは、「わたしが率いる『右派連合』なら、プーチンとNATOの間でうまく仲裁役を引き受けることができる」と自己アピールに余念がありませんでした。

『5つ星』といえば、この10年あまり、極めて攻撃的に脱ユーロ、アンチグローバル、アンチシステム、NATOの再構築などを謳ってきましたが、今回、組閣の可能性を目の前にして、あれ? というほど柔軟な姿勢に様変わりしています。直接民主主義システムであるネット上のデジタルプラットフォーム『ルッソー』で決を取って定めた公約の、特にEU関係、NATO関係の部分が、選挙の直前にいつのまにか削除されていたり、書き換えられていたりと、国際社会を意識、国家機構、つまりシステムへの涙ぐましい順応の模索が見られる。

確かについ最近まで、ひたすらのアンタゴニズムで勢いを拡大していたにも関らず、総選挙の前後からあまりに柔軟にその姿勢を軟化させるため、PDからは「プログラムを簡単に変える『5つ星』は信用できない」などとも批判されていますが、わたし個人はこの姿勢を、思想や歴史、伝統には根を持たない、ネットをベースに勢力を拡大したポピュリズムを懸念する、国際社会や経済界の『常識的感性』への歩み寄りストラテジーと見ています。経験の乏しい若い世代にしては、『5つ星』のメンバーは政治的な駆け引きに長けているのかもしれません。しかしながら、3月27日付のラ・レプッブリカ紙では、『5つ星運動』のメンバーが諜報分野の権威に師事、研究しているという報道もあり、国家を治めるためには、確かに諜報分野は大切な要素であることは承知していても、多少失望したのも事実です。

PDは、といえば、選挙後早々に「他の政党とは連立しない。われわれはあくまでも野党だ」と宣言したことで、「まだ組閣もされていないうちから野党を宣言するなんて、おかしいじゃないか」と今までPDを支持してきた左派のメディアから総攻撃を受けました。伝統的左派のエスプレッソ誌に至っては「PDなんて消してしまえ!」という特集を組み、「そもそも『解決策』であるはずのPDが『問題』になるなんて、いったいどういうことなんだ」と糾弾しています。また、PDは『待ち』の戦略を取っている、とも言われていて、「どうにも収拾がつかない混乱で他勢力が破綻しそうな時、一気に攻め込むつもりではないのか。それではただの策略政治で国民のことなど考えていないのでは?」との批判もありますが、この数日の対応が、PDの今後を決定する、ひとつの山場かもしれません。

セルジォ・マッタレッラ大統領という人物

普段は政治的な言動なく、淡々と国事に従事する国家の最高権力者『イタリア共和国大統領』の、政治における権限の凄みをはじめて知ったのは2011年、イタリアが『市場』から攻撃され、ベルルスコーニ第4次内閣が一瞬にして崩壊、国債のスプレッドが天井知らずに跳ね上がり、明日にでも財政破綻しそうに緊迫してイタリアじゅうが恐怖に包まれたときのことでした。経済紙 il sole 24 oreが一面全面に巨大な級数で「即刻解決せよ」とだけタイトルを打った、待ったなしの緊急時、当時の大統領ジョルジョ・ナポリターノの見事な采配で、瞬く間に『マリオ・モンティ暫定政府』が形成され、数日で債務危機は収束。ご高齢にも関わらず、素早く精密な判断力でイタリアを救ったその雄姿に、大統領の威厳を思い知ることになった。

そのナポリターノ大統領の後を引き継いだのが、現在のセルジォ・マッタレッラ大統領ですが、2015年に大統領に選出されるまではメディアに露出せず、一般的にはほとんど知られていない人物でした。最近の写真もビデオも見つからず、各メディアともにリサーチに追われたそうです。しかしマッタレッラ大統領は、イタリアの波乱の現代史鉛の時代を当事者として生きた豊かな政治経験を持ち、穏やかながらも一本筋の通った信頼できる人物、と欧州各国、イタリア国民から高い評価を得ています。ジョルジョ・ナポリターノ大統領ですら、「こんなに混乱した状況には遭遇したことがない」と言う、非常に難しい現在の政治カオスの突破口を創出するのは、このマッタレッラ大統領の采配以外には道はありません。

では、マッタレッラ大統領という人物は、どのような歴史を持つ人物なのか。

セルジォ・マッタレッラ大統領は、戦後のシチリアに、『キリスト教民主党ーDC』の基盤を創った政治家、ベルナルド・マッタレッラの息子として生まれています。兄であるピエールサンティ・マッタレッラは、若くしてパレルモの県知事として頭角を現しており、マッタレッラ家は、シチリアでは名の通った政治一家でした。

若きセルジォ・マッタレッラが大学教授の職を得たあと、本格的に政治を志したのは、マフィア取り締まり強化を進めていた兄ピエールサンティが1980年、『コーザ・ノストラ』に惨殺されたことが強い動機となっています。ローマで学んだピエールサンティは敬虔なカトリックの信者で、アルド・モーロ元首相の忠実な弟子でもありました。モーロ首相の多くの弟子たちの中でも傑出した人物で、ローマからパレルモに戻って、その政治手腕をふるっていた最中の事件だった。

『コーザ・ノストラ』が、時の『国家』の一部と談合し、長期に渡り猛威を奮っていた時代です。ピエールサンティが銃殺された2年後には、パレルモに栄転した『赤い旅団』捜査の指揮をとったアンチテロリズム特殊部隊長カルロ・アルベルト・デッラ・キエザも殺害されています。ピエールサンティ・マッタレッラは、妻や娘、そして大学教授であった弟、セルジォ・マッタレッラの目の前で銃殺されました。そして兄の死のその衝撃が、セルジォ・マッタレッラをローマへ向かわせることになったのです。

 

若き日のセルジォ・マッタレッラと父、ベルナルド・マッタレッラ。Wikipedia 英語版Fileより

 

エスプレッソ誌によると、1984年のラ・レプッブリカ紙は「強靭で穏やか、アンチヒロイズムのセルジォ」と当時のマッタレッラを表現しているそうです。「セルジォ・マッタレッラは、白髪なのに少年のような顔を持ち、冷静で粘り強く、権力に由来する派閥に心を乱すことなく、岩を穿つ水滴のようにじっくりと政治に向かう。水滴が、急流よりも効果的なことがあるのだ。騒ぎを引き起こすような大きなアクションと同じぐらい、小さな一歩が大切なのである」

1981年には、秘密結社ロッジャP2スキャンダルの政府議会捜査に携わり、リストに上がっていたキリスト教民主党メンバーから、党員資格を剥奪、あるいは保留、以後、党員の秘密結社への加入を厳しく禁止しています。その後は歴代の政府で、議会関係相、教育相、国防相、副首相などを勤め、1989年のジュリオ・アンドレオッティ第6期内閣では、シルビオ・ベルルスコーニが所有するメディア会社を優遇する法律の制定に反対し、他の大臣たちとともに教育相を辞任して、強く抗議しました。

イル・ファット・コーティディアーノ紙は、この時の行動を、「マッタレッラは政治的な見地からではなく、倫理的な見地からアンチ・ベルルスコーニであった」と、その正直さと真面目さを高く評価。マッシモ・ダレーマ政権下では、『鉛の時代』にグラディオで数々の罠を仕掛けた影の主人公たち、軍部諜報組織を含む諜報分野の編成改革にも従事しています。また、たゆみないアンチ・マフィア政策の推進のせいで、過去にはマフィアに狙われ、家族にもたびたび脅迫電話がかかってきたのだそうです。何より、ベルルスコーニが絶対に大統領にしたくなかった人物だと言われています。

新しい政治家モデルとしてのロベルト・フィーコ

さて、『5つ星運動』というと、31歳のリーダー、ルイジ・ディ・マイオにばかり脚光が当たりますが、もちろんその若さに関わらず、まったく物怖じなく、歯に衣を着せぬ物言いで吸引力を発揮する首相候補に敬意は表しても、わたしは下院議長に選出されたロベルト・フィーコという人物に、より人間的な魅力を感じています。いずれにしても、ディ・マイオもフィーコもナポリを基盤に活動してきた人物で、最近のナポリの人材は、Fanpageなどのネットメディアにしても、オスカーを受賞した映画監督にしても、各方面に著しい活躍を見せている。

フィーコは下院議長に選出されたのち、市営バスで議会に向かい、大統領府のコンサルテーションには、議会のあるモンテ・チトーリオから徒歩で出かける(※4月25日の時点で、フィーコが徒歩で出かけると、大変な人垣ができて大勢の警備を出動させなければならず、当局が悲鳴をあげたため、これからは車での移動となりました)など、一市民としてのライフスタイルを崩さないそのあり方で、政界の若い世代に一種のトレンドを巻き起こしました。「倹約主義はみっともない」とフィーコスタイルを一蹴した『フォルツァ・イタリア』の代表たちは、通常通り、黒塗りの大型車で大統領府に乗りつけましたが、PD、『レーガ』、『イタリアの同胞』と各政党の若い世代の代表者たちは、『トレビの泉』付近のローマ中心街をジャーナリストたちに囲まれながら、それぞれ徒歩で大統領府でのコンサルテーションへと赴いています

 

市営バスに乗って下院議会モンテ・チトーリオへ向かうロベルト・フィーコ。huffingtonpost.itより引用。Roberto Fico. ANSA/ANGELO CARCONI  Twitterですぐに#ficosubitosanto( フィーコをすぐに聖人に)というハッシュタグができて、「政治家もバスに乗るべき」「ナポリ的プロパガンダじゃないのか」など賛否両論、盛り上がりました。

 

また、フィーコが下院議長に選出された日は、奇しくも「フォッセ・アルディアティーネ:大戦中、パルチザンたちがラセラ通りのナチス兵舎を攻撃し、33人のナチス兵を殺害したことへの復讐として、牢獄に収容されていたユダヤ人、共産主義者、市民、兵士など335人がナチスに処刑された事件」のメモリアルデーでした。そこで議長挨拶冒頭では、ナチ・ファシズムの圧政から解放され、重い歴史からイタリア国民が勝ち取ったイタリア共和国憲法の重要さを、フィーコはまず強調した。

そもそもナポリで、Bene Comune( 公共財産:水、環境、道路、遺跡、美術館を含む公共建造物など)を民営化から守る運動に携わってきた彼は、その『公共財産』の保護のコンセプトを地域から国のレベル、さらには欧州へと広げていきたい、と抱負を語り、下院議会が市民には解放されずに閉ざされたまま、政府執行部の付属機関としてしか機能していないことに警鐘を鳴らしました。下院議会はあくまでも市民の声を反映する場であり、議員たちがそれを熟考し、法案を決議する場である。また、議会は政府執行部の個人的な権益に使われる場ではなく市民すべての集合的な善を達成するために存在するのであるから、そのような『あるべき姿の議会』を全力で守る、という主旨の挨拶で、満場の拍手をさらった。

公共財産』『集合的な善』というコンセプトは、今でもイタリアの反議会主義の極左グループが主張する伝統的左派のコンセプトでもありますから、『5つ星』のメンバーから、この言葉が放たれることは、正直、意外にも感じました。

そもそもフィーコは、ベッペ・グリッロがブログを書きはじめた2005年あたりから、ネット上で『ベッペ・グリッロの友達』というミート・アップをオーガナイズした、アヴァンギャルドな活動家で『5つ星』のオーソドックスとされる人物です。大学ではコミュニケーション・サイエンスを学び、卒論は『ナポリの新しいメロディを持つ歌曲、社会的アイデンティティと表現』というテーマを選んでいます。

その後、ミート・アップの核となる『5つ星』のメンバーとして、地元ナポリ市長選など、いくつかの選挙に立候補するも落選。その間、コールセンター(大学を卒業しても仕事が見つからない若者たちの、典型的解決策)で働き、レストランのマネージャー、ツアーコンダクター、モロッコ生地の輸入業など、いくつもの職を転々として、まさに現代イタリアの若者たちが直面する『現実』を自ら体験しながら政治活動を続けています。また、『5つ星運動』のメンター、今は亡きジャンロベルト・カサレッジョの秘蔵っ子のひとりでもあったのだそうです。

そのフィーコが本格的に国政に進出、下院議員として当選したのは2013年の総選挙のこと。『5つ星』内での紛争に巻き込まれたり、若い世代の躍進で、執行を彼らの手に委ねた時期もありましたが、その地道な誠実さ、勇気ある行動で、今回の総選挙では再び重鎮として選挙キャンペーンに携わった。手練れたレトリックがまったくない、その朴訥とした、繊細そうな立ち居振る舞いが「そもそも左派」、の人々の人気を集めています。

さて、いよいよロベルト・フィーコのPDとの交渉がはじまったわけですが、『5つ星運動』のパートナーとなる政党は、PDなのか、『レーガ』なのか、それともさらなる波乱があるのか、どんなにくたびれても、裏切られても、焦らされても、この数日はイタリア政治から目が離せない状況です。どうなる、イタリア。

※この項は、組閣が決定し次第、追記するか、別項を立てるつもりです。

4月26日 追記

ロベルト・フィーコの『5つ星』とPDの交渉は、とりあえず今後、「公約をひとつひとつ検討する話し合い」の扉は開いたまま、ポジティブに終了しましたが、現在、書記長不在のPDでは、5月3日に開かれる会議で、今後の方向性を決めることになりました。PDの約60%が前書記長マテオ・レンツィ派であり、当初から連帯を拒絶、大きな反発があり、交渉は彼らの出方次第となります。なんらかの形で書記長選挙が行われるとも思いましたが、まだまだそこまではいかないようです。

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