奇想天外な人工ウイルス説の憂鬱
ずいぶん前から、イタリアのネット上でも「米国の軍隊が世界軍事運動会の際に武漢に持ち込んだものだ」とか「ウイルスは武漢のウイルス研究所で人工的に造られたもの」とか「中国の細菌兵器だ」など、このウイルスにまつわる各種陰謀説が語られていました。
『同盟』のマテオ・サルヴィーニ、『イタリアの同胞』のジョルジャ・メローニもさっそく便乗し、『武漢ウイルス研究所人工ウイルス説』をシェアしては、インフォメディックに貢献していて「相変わらずダイナミック」と彼らの賛同者ではない、われわれの微笑みを誘っていた。
それがここにきて「Sars-CoV-2は、実は武漢のウイルス研究所で人工的に作られたもので、研究員が誤って感染して広がったとの疑いがある」と米国政府がオフィシャルな場で主張する、驚愕のニュースが流れることになったわけです。
陰謀説や人工ウイルス説が流れはじめた頃は、世界中の多くの科学者たちが「Sars-CoV-2が人工だということはありえない」と否定していたにも関わらず、米国のマイク・ポンペオ国務長官が、フランスが協力して建設した、バイオセーフティレベル4の武漢ウイルス研究所のオフィシャルな査察を求める展開となっています。
しかし少し前には中国も(ロシアも?)「ウイルスは米国兵士が中国に運んできた説」を流していたので、どっちもどっち、というところでしょうか。
さらにAidsウイルスの発見で、ノーベル生理学、医学賞を受賞した経緯のある、フランスのリュック・モンタニエまでが、「Sars-CoV-2は明らかに人工のウイルスで、HIVとコロナヴィールスを結合させたもの。Aidsの治療薬を作るために試作されたものだろう」と発言したそうです。
ネットを調べれば、モンタニエ氏の評判がすこぶるよろしくないことは明らかであっても、マクロン大統領まで「われわれが知らないことが起きているんじゃないのか」と、どこか思わせぶりな発言をして、ええ?!と呆気にとられました。
確かに中国のデータはかなりの程度で信憑性に欠き、初動には明らかな隠蔽があったにも関わらず、WHOが中国の対応を称賛した微妙な力関係は認めます。
また、中国とWHOは「ヒトーヒト感染しない」から「やっぱりする」、と見解を二転三転させたうえ、すでに世界中で感染が広がっているにも関わらず、WHOはなかなか「パンデミック宣言」を出しませんでした。その対応が世界中の国々を油断させ、十分な感染対策を準備するほどの強い危機感を喚起しなかったことも認識しています。このカオスが過ぎ去ったのち、場合によっては追求の必要があるのかもしれません。しかし「人工ウイルス説」となると話は別です。
当然といえば当然ですが、イタリア政府はといえば、その「ウイルス人工説」には何の興味も示さず、完全に沈黙しています。また、NATOやUEに「イタリアは中国、ロシアからずいぶん支援を受けているようだが大丈夫なのか」との問いにコンテ首相は、「ロシアや中国の支援はありがたい。しかしわれわれが米国の同盟国であることに変わりない」と発言しました(ラ・レプッブリカ紙)。
また、イタリア「解放記念日」の前日にあたる4月24日にはパルチザンの墓標を訪れ、ナチファシズムの専制政治に強い反意を示しながらも、どの国とも敵対しない感を、さりげなく漂わせています。
もちろん、ウイルスについての基礎知識がまったくないわれわれには、何が真実で、何がフェイクなのか、皆目分かりませんし、今後何らかの証拠が出てきたとしても、「へえ」と思うぐらいで、それが捏造か捏造でないかの判断もできません。
とはいえ今このとき、世界中のウイルス学者が、われわれには想像もできない膨大な知識量を駆使してリサーチしている未知のウイルスの起源・正体が、どちらかといえば、謀略が得意分野のシークレット・サービスの隠密捜査で明らかになるとは到底思えません。
そんなことを思ううち、4月26日のコリエレ・デッラ・セーラ紙に「ウイルス研究所説を覆す証拠(決定的?)」と題した、非常に長く専門的な記事が掲載され、もちろん何の結論も出てはいませんが、なんとなくでもウイルスの世界の一端が見えたように思います。
それはリュック・モンタニエをはじめとする「ウイルス人工説」を支持する学者の言い分から、疑惑をかけられることになった、コウモリ由来のコロナウイルス研究者、武漢ウイルス研究所の石正麗の研究内容、人物の評判、「人工ウイルス説」を否定する学者の見解、媒介となったと考えられる野生動物(センザンコウ、ジャコウネコ)、さらにウイルスの特徴を追ったものでした。
記事では、2019年の9月ごろ、中国の他の地方で誕生したウイルスが武漢で爆発した可能性もあるという「スピルオーバー」論にも言及。特に革命的生物学者と言われるウイルス学者、エドワード・C・ホームズの言葉が印象に残ります。
「石正麗がコウモリから発見したコロナウイルスと、Sars-CoV2は、変化を起こすのに50年、あるいは少なくとも20年かかるであろう〈ゲノムの不一致〉が見られる。研究所で再結合させることは非常に難しい〈結果〉だ。センザンコウがウイルスの媒介になった動物と考えられるが、他の動物の可能性もある。武漢は、多分〈思ったよりも非常に複雑な〉疫病が浮上した、いくつかの経路が重なった交差点に過ぎないだろう」
繰り返しますが、ウイルスの知識がないわれわれには、何が正しいのか、正しくないのかの判断がまったくつきません。
しかしそもそも人間が、自然界を自在に操作し、知り尽くすなどという、思いあがった人類万能感は共同幻想に過ぎず、大自然は人間のキャパシティをはるかに超え、言語化できないほど複雑だということも、おぼろげに知っている。あらゆるテクノロジーを駆使しても、われわれには地震を予知することすらできないのです。
ウイルスが生き残りを賭けて、まるで意志を持っているかのように、突然に変異していくメカニズムも、われわれにはまったく理解できません。逆にわれわれ人間にはーそうすることができれば苦労もしないのですがー生き残りを賭けてウイルスに感染しないように、突然変異を起こす能力もありません。
そんな弱々しい人間であるわたしたちが、ただでさえ不確実な毎日を過ごしているというのに、決定的な真実が白日のもとに晒されることがなさそうな「人工ウイルス説」が、今の時期に語られること自体、不愉快を通りこして絶望というか、終末感というか、救いがない気持ちになります。
なぜなら今回の「人工ウイルス説」の急浮上は科学案件ではなく、根拠がまったく明確でない「この場に及んだ」政治案件に他ならない、と思うからです。
世界中で22万人もの方々が亡くなり、感染に苦しむ人が310万人以上も存在し(4月29日)、数えきれないほどの家族が悲しみの中にあるうえ、社会の経済活動はほぼ停止。市民は自由に動くこともできず「ウイルスに殺されるか、飢えて死ぬか」と不安に駆られた人々が窮状を訴えるその時、世界の科学者たちが口を揃えて主張するのであればともかく、科学ど素人の政治家が「人工ウイルス説」に便乗することには、心底うんざりします。
われわれは、ようやくロックダウンが解除になって第2フェーズに入っても、他人とは厳格に距離をとり、群れあうことも禁止され、いまだ不自然なよそよそしさで生活しなければならない局面にあります。
そのうえコンタクト・トレーシングアプリで、ひそやかに管理されるかもしれない(義務ではありませんが、この状況ではダウンロードしないわけにはいきますまい)、まさかのSF生活という驚天動地のウイルス急襲時に、素人に「このウイルスは人工なんだよ」と言われて、「ああ、そうですか」と納得するわけにはいきません。
そもそも、あまり素直でないわたしは、市民がこんな苦境にいるのに、世界を牽引する国々が、ウイルスの出どころを巡って声高に責任を押しつけあうことは、本来政府に向かうはずの不満、憎悪を、仮想敵への怒りへと転化させるためのレトリックではないのか、と勘ぐりたくなるのです。
米国では「犯人は中国」、中国では「犯人は米国」と決めつけるような情報を流し、イタリアを含むその他の国々のネット上では、次から次に流れる陰謀情報に反応して世界のナショナリストたちが団結。あるいは反対勢力を刺激して分裂を図り、混乱を生もうとしているのかもしれません。
イタリアにおいては、ネット上で「人工ウイルス説」を弾丸のようにシェアしていたのは、ロシア、東欧正教会の伝統保守主義と強い絆を結ぶウルトラ・ライトな方々だったことが、緻密なネット分析とともに、国営放送Rai3の報道番組「Report」で明らかにされたところです。
しかしながら世論調査によると、この「人工ウイルス説」を米国では23%(!)の人が、フランスでは17%(!)の人が「信じる」という結果が出ているそうで(コリエレ・デッラ・セーラ紙)、考えてみれば米国では大統領選挙も控えているし、陰謀として成立するのは、パンデミックよりむしろ、インフォデミックの方かもしれないな、とも思います。
いずれにしても 、世界の学者たちがウイルスの起源を出来るだけ早く解明し、われわれが疑いを持たなくてもいい、正確な経路が明示されることに期待したいところです。
ともあれ、現在の最重要課題は国際経済です。米国では、長期のロックダウンで原油在庫が積み上がって、史上はじめてマイナス価格となり、原油の値崩れによってロシアは大変な経済危機に陥っているといいます。国際通貨基金の試算では2020年のグローバル経済のGDPは-3%となり、中国の第1四半期のGDPは6.8%も急降下している。イタリアに関していえば、GDPは-8%~-9%と試算されており、もしこのウイルス禍が長引くようであれば、世界的なコロナ打撃はさらに深刻です。
こんな状況で、世界各国が互いが互いを責めあったり、攻撃しあったりする経済的余裕はもはやなく、ここで協調できないのであれば、荒んだ気持ちのまま共倒れになりかねない。
もはや、憎悪と恐怖と怒りで市民を煽り、分裂と混乱を引き起こしながら人心を誘導し、その背後でお金儲けを企てる「いかさま」な時代は、Covid-19の急襲とともに終わりを告げようとしているのだと思います。オカルトなわりに金銭勘定だけはいやに現実的な、ファッショ・ポピュリストたちが、その事実にそろそろ気づいてくれることを願ってやみません。
ローマの市民レベルでは、近所のマーケットの片隅やタバコ屋さんの店の脇に、窮状にある人々のために、それぞれがパスタやバナナ、オレンジやクラッカー、ビスケットを置いていくテーブルが置いてあり、市民同士のささやかな助け合いが見られます。世界中の国々が無闇に敵対することなく、ミクロレベルのこの精神を見習って協調すれば、この苦境にも穏やかさが生まれるのに、とも思います。
今後の世界経済の動向で、いったいどのような状態の社会が訪れるのか、その全容はまったく掴めませんが、2008年のサブプライム危機よりも、さらに厳しく、戦後同様に長い闘いになると予想されることは憂鬱なことです。
あまり悲観的には考えたくはなくとも、社会そのものがじわじわと退廃に陥るかもしれないことも勘定に入れておく必要があるかもしれない。この2ヶ月の生産活動の停止で、イタリアではすでに2100万人の人々が危機に直面し、収入が半分以下、あるいはまったくない状態となり、370万人の人が家族だけしかあてにできない、という状態になっているそうです(カリタス)。
さらに言うなら、これから目の前に待っている社会生活は、ソーシャルディスタンシングにマスクと手袋、消毒、殺菌、ときどきロックダウン、と、まるで「人類総潔癖症」状態であり、むしろこの潔癖生活が、逆に人間の細菌やウイルスへの抵抗力を弱めるのではないか、とも疑問を持つほどです。生き抜くために人間は、今後いくつものワクチンを摂取しなくてはならなくなるかもしれず、そうなるとわれわれは、いよいよ虚弱体質になるのではないか。
ロックダウンがはじまってすぐは、2ヶ月もすれば、多少経済的打撃を受けても、以前とほぼ同様のライフスタイルが戻ってくるだろう、とぼんやり楽観していましたが、時間が経つにつれ、「これはかなり長い間、玄関の扉の向こうには見えない敵との闘いが待っているぞ」という実感が重たくのしかかってきました。
とはいうものの、不穏なディストピアとしての近未来が語られはじめた今こそが、ピンチをチャンスに転換させる時なのではないか、とも同時に考えます。新しい動きは切羽詰まったギリギリの絶体絶命から生まれるくると信じたいとも思う。
ニューヨークのクオモ州知事ではありませんが、BBB = Build Back Better(前よりいい世界を再構築しよう)に強く共感します。フィナンシャルタイムズ紙によると、勘が鋭い投資の世界の興味が「環境」分野に向かっているらしく、それはこれからの世界を暗示する、いわば吉兆なのかもしれません。
▶︎Covid-19と大気汚染、PM10、PM2.5