1931年、全米犯罪シンジケートの頂点に「コミッション」と呼ばれる一種の議会を設立し、「コーザ・ノストラ」を誕生させた「暗黒街の実業家」ラッキー・ルチアーノは、シンボリックな意味で1秒に100万ドルを稼ぐ男となっていました。リトル・イタリーのストリートで万引きや窃盗を繰り返していたイタリア系移民の少年は、20年ほどの間に、最高級のオーダーメイドのスーツを纏い、ウォルドーフ・アストリアホテルのスイートルームで暮らす大富豪となったのです。ところが1936年、ルチアーノ本人が直接関わっていたとは考えにくい犯罪の主犯として逮捕され、30年から50年という重い懲役刑を受けることになります。そうこうするうちに第2次世界大戦が勃発するわけですが、ルチアーノは獄中で米海軍「アンダーワールド作戦」に協力するようになり、その功績(?)が認められ1946年に恩赦。と同時に米国からは追放され、イタリアへと帰還しました。PartⅡでは、ルチアーノが中心となった「コーザ・ノストラ」の米海軍への協力の経緯とその後のイタリアの運命、現在でもルチアーノの関与があったか否かの議論が続く、1943年の英米海軍シチリア侵攻に伴うシチリア・マフィアの復活、そしてイタリアに帰還してからのルチアーノの動きを追っていきます。 Continue reading
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ラッキー・ルチアーノ Part Ⅰ : 「禁酒法」を経て、暗黒街の分岐点となった「コーザ・ノストラ」の誕生
ニューヨーク、ロウアー・イースト・サイドのストリート。徒党を組んで万引きや窃盗を繰り返していた、イタリア系移民のタフな少年サルヴァトーレ・ルカーニアが、巨万の富を誇るチャールズ・ルチアーノ、「ラッキー・ルチアーノ」としてその名を轟かすには、さほど時間はかかりませんでした。このルチアーノに関しては、単なるギャングというよりも、当時の米国に跋扈する、シチリア・マフィアの旧態依然としたシステムを一気にイノベーションした、「暗黒街の実業家」と呼ぶ方が相応しいかもしれません。資本主義に基づく市場の自由が保証された1900年代の米国のカオスを背景に、まるで小説か映画のようにゴージャスでシック、そして残虐なサクセス・ストーリーを紡いだのち、1946年、ルチアーノは国外追放となってイタリアへ帰還します。なにより興味深いのは、PartⅠで追う米国におけるルチアーノのイメージと、PartⅡで追うイタリアにおけるルチアーノのイメージに、明らかな差異があることでしょうか。その理由も推論しつつ、2回にわたって、ラッキー・ルチアーノの生涯をたどります。 Continue reading