芸術家ディエゴ・マッツォーニとフラミニオで

Deep Roma Intervista Musica Quartiere

特殊な街としてのローマ

さて、ローマ。この街のことを語るときは、「誠実」でありたいと思うんだ。だって、ローマはほかのどの街とも違うだろう?

ローマは独特の「様相」を持っていて、それは廃墟の様相、考古学の様相、歴史の様相、そして何千年もの間に築かれ、集められた芸術作品によって形成された様相、それら多様な様相の集積だ。でもね、この特殊で多様な様相を持つ都市を舞台に表層的に起こっていることは、ひょっとすると、ほかの都市とそう変わらないのかもしれないとも思う。僕らはグローバリゼーション真っ只中に生きているわけだし、社会市場システムで形成もされている。しかし「いやいや、それでもやっぱりローマは、ほかの都市とは、まったく違う」と僕は感じるんだ。

何が言いたいか、というと、世界にはアーティストを生もうとする街がある、ということさ。アーティスティックなリサーチのために特別なエネルギーを放ってそれを助け、刺戟する街があるとすれば、その街のひとつがローマだと僕は考えているわけだ。ローマには混乱も、葛藤も、困難もあるが、それらを含めてアーティストにエネルギーを供給しているとも言えるんじゃないかな。例えば絵描きにとっては最悪の街だよ。ギャラリーは少ないし、チャンスも少ない、援助もなければ、社会保障も、文化予算も少ない。それでもローマという街は、人間としての僕の繊細さを鋭敏にすること、また歴史、つまり時間に対する感性を磨くことを支えてくれるからね。それにアーティストとして生きてゆく具体的な困難は、ある意味人格を鍛えるものだ。

ローマは、メタファーとしても、そして実態としても自然を抱いた都市だろう? 見回してみるといい。ローマの随所に、野生の『自然』がある。山々荒野だって1時間ほど車を走らせればあるし、ジャングルーもちろんアジアのそれとは比べものにならないがー、つまり深い森もたくさんある。街中にも、例えばモンテマリオ、ヴィラ・パンフィーリ、ヴィラ・ボルゲーゼ、フラミニオ・・・どの地区にも、少しづつだけれど自然のすべてがあって、それもちょっと奇妙な形で混じりながら存在している。

確かにスーパーモダン高層ビル群にも住んでみたい、と思うことはあるけれど、正直にいえば、ローマが東京やニューヨーク、パリみたいな大都市にならなくてよかったと、僕は思っているんだ。『近代的な大都市として発展する』ということは『街の個性を剥奪すること』でもあるからね。ローマほど個性的な街はないだろうから。

たとえばね。ほら、今僕たちがいるこの公園、地面見てごらんよ。ここに陶器の破片がある。そしてこれは古代ローマの陶器の破片なんだ。冗談じゃなくて本当だよ。古代ローマでなければ、少なくとも中世紀の壺の破片だ。このあたりの公園は、古代ローマの建造物が朽ち果て埋もれた場所を掘り返して、その土を運んで来て埋め立てて造られたんだからね。つまり掘り返した古い土の層にはローマ時代の壺の破片が混ざったまま、いや、陶器だけでなく、鉛の破片、鉄の破片、古代ローマ時代地層に紛れていたものが、ごろごろ出てくる。彫刻の破片だった大理石も紛れ込んでいるし、たまには古代のコインを見つけることもあるんだ。

もちろんこの公園だけじゃなく、ローマの街のあちらこちらにこんな場所があるよ。テスタッチョMonte di Cocci(モンテ・ディ・コッチ)は、壺の破片だけで造られた丘陵地だ。ほら、Mattatoio(旧屠殺場)、今はMACRO(ローマ現代アート美術館)になっているあの通り、テヴェレに向かって左側、少し盛り上がったところがあるだろう? Monte di Cocciという名の由来は、その丘の下にあたるところに、遠い昔に生活していた古代ローマ人たちがテラコッタを焼くための窯を持っていたからなんだけど、Cocciというのは『陶器』や『陶器の破片』という意味だからね。

そのすぐそばには、地中海沿岸諸国との貿易船が出入りする古代波止場があって、その窯で焼いたテラコッタの壺に輸出品であるオリーブオイルやワインを流し込んで異国に運んでいた。でもテラコッタという素材は意外と脆いから、搬入の途中に割れると無造作にその破片をそこらへんに捨てて捨てて捨ててまた捨てて、そこに丘陵ができるまで捨て続けた。すごいよね、丘ができるまで捨て続けるなんて。

ローマはだからミステリアスなんだ。何でもない地面の土にも、ひそやかに時間が眠っている。無造作に捨てられたたくさんの物語が、拾われるのをじっと待っているかもしれないじゃないか。そうそう、僕がローマの郊外の田舎に住んでいた時期があっただろう? その家の隣には、エトルリア時代の古墳、墓がなにげなくあったんだよ。つまり古代ローマ以前の住人の墓、3000年ほど前に確かに生きた人間の墓の隣で僕は生活していたということになる。しかも、僕が住んでいた家そのものは1600年代の建造物にも関わらず、有史以前の、巨大な一枚岩、「モノリス」で出来ていた。いまだに謎深い、ローマ史以前に住んでいた人々が造った一枚岩の礎とはね。そのあとにエトルリア人たちがやってきて、そしてローマ人。中世になって、僕が住んでいたあの建造物、ヴィッラが建造されたというわけだ。

ローマじゅうにそんな場所があるよ。普段通りなれていた道の脇にある丘陵の基礎が、ローマ史以前の人々たちが運んできた「モノリス」でできていた、なんてことはしょっちゅうだ。つまりそれらは、ロムルス、レムルスの神話以前のものだということになる。そんな場所には、気が遠くなるくらいの時間の層ができていて、いやはや、大変な時間エネルギーが溜まっているんだ。ローマはね、それほど昔から居心地のいい場所だった。人が暮らしたくなるような気候の穏やかさ、自然の豊かさを誇る土地だったってことさ。

- APPAGATO - olio e cera su tela, cm 200 x 200, anno 1998

Appagato『満足』

あれ? 気候がいいという話をしたら、何処からかインコが飛んで来て騒いでいるね(インコがそのとき激しく啼き声をあげたので)。いま僕らが話している公園って、車も通らない、気持ちいい場所だから。僕らが気持ちいい、という思う場所は動物たちだって、気持ちいいのさ。

そうだ、動物といえば、僕が現代のローマについて残念に思うのは、街の自然をリスペクトする人々が少ないっていうことなんだ。ローマの街には自然保護地区があるんだけれど、例えば猫たちが住んでいる場所、鳥が集まる場所、小動物の住処になっている土地には建造物を建ててはいけないし、あるがままの自然を保たなければならない。ところがプライベートな場所、誰か個人の所有になっている場所が、たまたま猫の生息地になっているとするだろう? その場所に巨大な新しい建造物を建てるプロジェクトが持ち上がった場合には、そこに住む猫たちを保護する法律がない。

だから猫たちの存在など完全に無視して、建造物の建設がはじまり、動物たちは住処を失ってしまうんだ。こういう自然に対する現代ローマ人たちの鈍感さは、本当に嫌いだ。特に新しいビジネスのために次々と巨大建造物をプロジェクトする、ローマの金満家たちは街の自然に鈍感すぎるよ。商売が機能することだけしか考えていないからね。いわば自由経済主義市場至上主義そのものの鈍感がその姿勢に象徴されていて、きっと世界じゅうがこんな感じなんだと想像するけれど、守るべきものは守らなければならない。自然を無計画に破壊するということは、われわれ人間、そしてあらゆる生物の生活を破壊することと同義なんだから。

と、そんな不満はあるけれど、ローマはまだまだ今のところは、自然と共生している美しい街だと思っているよ。たとえばテヴェレはいまだにたくさんの物語を語りかけてくる川だしね。川の堤防に降りて散歩すると、古代ローマ時代の下水道がそのままの形で残っているのをはじめて見つけて、驚いたりもする。「下水」というのは、古代ローマ発明した重要なシステムなひとつだけれど、ローマじゅうを網の目のように流れる下水は、その時代、テヴェレの堤防、テスタッチョあたりで合流していたんだ。その合流地点であるテヴェレの下水道は巨大な扉のような形、しかもすべてゴージャスな大理石造り。ローマに流れた長い時間に朽ちることなく、観光客の目に触れることなく「あれ? これいったい何なんだ?」と、忽然と目の前に現れるんだけれど、面白いよね、街を歩くたびに、毎回発見があるというのは。

それに古代ローマ人たちは、非常に興味深いシステムを構築していた、と僕は考えている。遥か彼方の昔、アフリカや中東を侵略したが、その文化を壊すことなく宗教も風俗もリスペクトしながら自分たちの文化として吸収していくおおらかさもあった。ローマに侵略された国、民族が、ローマへの忠誠として、ただひとつ守らなくてはいけなかったのが「ローマ法」だったなんて、不思議な侵略のシステムだよ。

宗教も風習もなにもかも自由だが、法律だけは守らなければいけない。現代の世界が、侵略した国に『民主主義』ー一応、とりあえずは便宜上、そう名付けられている思想だけどーを無理やり持ち込むより、古代ローマ人たちのように、互いの文化をリスペクトできる方法を考え出せるなら理想的だと思うよ。本来「侵略」なんか存在するべきではないが、もしどうしてもそうしなければならないのなら、互いの文化を充分にリスペクトすべきだ。

 

- Bersaglio - cm 50 x 50, oil and print paper mountated on canvas, year 2010

Bersaglio エル・グレコのキリストの『パッショーネー受難』をモチーフに、その聖痕をさらなる銃弾で打ち抜こうとする世界を風刺して

 

確かに世界の現状に、リミットまで突き進みそうな、強烈で破壊的な気配漂っているのを感じているよ。非常に暴力的な文化を持つ国があり、部族がいて、「リスペクトし合おう」などという「理想」を語るなんて夢物語でもあることは、僕だって理解しているさ。しかし現在、世界を震撼させているテロ集団の暴力的な文化は、突如として現れたのではなく、いままでの長い世界の歴史の結果だろう?

僕は殺人者は殺人者として生まれてくるのではないと思っている。人は殺人者に『なる』んだ。両親を、兄弟を、婚約者を殺され、暴力的な光景を毎日見て育ち、その恨みを晴らすために自らも殺人者になる。10歳くらいの兵士だっているじゃないか。子供のころから暴力こそが、ただひとつの生き延びる手段だとメンタルに叩き込めば、自分と異なる民族、宗教を持つ者たちを殺戮するしかない、という思想を持つようになるよ。その子供たちにいったい何の罪があるっていうんだい?

非常に危うい状況に直面している現代、われわれすべての人間は、世界で起こるあらゆるすべてのことに責任がある、と僕は感じている。僕らは自分以外のすべての人、つまり世界で起こるすべてのことに責任を持つべきなんだ。紛争地の人々は誰からも助けれず、守られもせず、侵略されつづけ、長い期間に渡って、戦争の残虐行為を受け入れなければならず、生活は貧しく、豊かさはいつも国境の向こうにあったんだよ。アフガニスタン、イラク、リビア、シリア・・・・何百万、何千万という死者のほとんどは無辜の市民だ。戦争で何かがいい方向へ向かった、などという試しはない。国家が暴走して戦争に走りそうになったとき、われわれ一人一人はその意味をよく考えなくちゃならない。それが現代を生きる人間としての責任だと思うね。

ところで、ねえ、そろそろ何処かのバールに入らないかい。コーヒーでも飲もうよ。ずいぶん話したから、喉が渇いたよ。話の続きはまた、次の機会にしよう。録音はここでストップ。今日はおしまいだ。

 

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壺の破片、大理石の欠片、あらゆる時代の思い出がひそやかに物語を語る公園の土

 

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