「マフィア」という言葉は、「ピッツァ」や「スパゲッティ」同様、ほぼ世界中に知れ渡るイタリア語のひとつです。もちろんイタリアに、マフィアという名の特定の犯罪組織が存在するわけではなく、資本、権力と密に繋がる、あるいは権力そのもの、というケースもある、複雑な犯罪・違法システムを指す象徴的な名称だと認識しています。イタリアの『鉛の時代』を調べると、たとえば1970年、黒い君主と呼ばれるユニオ・ヴァレリオ・ボルゲーゼのクーデター未遂の影に「コーザ・ノストラ」が現れたり、1978年の『アルド・モーロ事件』に「ンドゥランゲタ」、あるいは「バンダ・デッラ・マリアーナ」が現れたりと、マフィアと時の政治権力の繋がりが強く疑われる現象に遭遇します。さらに92年、「コーザ・ノストラ」による『ジョバンニ・ファルコーネ検事爆破事件』『パオロ・ボルセリーノ検事爆破事件』、93年にローマ、フィレンツァ、ミラノの爆破事件が起こるわけですが、テロを使って国家権力と対等に交渉した、そもそもマフィアと呼ばれる犯罪組織、そのネットワークがいったいどのような環境で生まれたのか、まず、その起源を調べることにしました。 Continue reading
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マルコ・ベロッキオ監督映画、共有された悲劇としての『Esterno Notte(夜の外側 イタリアを震撼させた55日間)』
イタリアでは2022年5月にPart1、6月にPart2が劇場で短期公開、11月に国営放送RaiでTVシリーズとして放映されて「最高傑作!」との絶賛を浴び、2023年のイタリア映画祭で公開された、巨匠マルコ・ベロッキオ監督の『Esterno Notte(夜の外側)』が、2024年8月9日からBunkamura ル・シネマ渋谷宮下を皮切りに、全国で順次公開されます。当時のイタリアで最も政治的影響力があった『キリスト教民主党』党首アルド・モーロが極左武装グループ『赤い旅団』に誘拐されたのは、『鉛の時代』まっただ中の1978年3月16日。その日から55日間というもの、イタリアは緊張と恐怖に打ちひしがれ、混乱し、翻弄されました。ローマのカエターニ通りに駐車された赤いルノー4のトランクで、モーロの亡骸が見つかったのは、誘拐から55日を経た5月9日のことです。『Buongiorno, notte(夜よ、こんにちわ)』から20年を経て、ベロッキオ監督が再び「アルド・モーロ事件」をテーマに、6つのエピソードで構成した、この330分のオムニバス超大作映画の背景を探ります。個人的には劇場で観て、TVシリーズで観たあと、Raiplay(イタリア国営放送Raiオンラインサイト)で連続して2回観返すほど夢中になった映画です。 Continue reading
映画「La scuola cattolicaー善き生徒たち」が描く、ローマのもうひとつの70年代
プリーモ・レーヴィ、クラウディオ・マグリス、とイタリアの深層を描く作家たちの作品を世に問う、気鋭の翻訳家、二宮大輔氏の寄稿です。社会、あるいは人間の本質に、日常の感性からさらりと食い込む、氏の視点にはいつもハッとさせられます。今回選んでくださった映画『La scuola cattolica (邦題:善き生徒たち)』は、ローマで実際に起きた「チルチェーオ事件」の犯人たちと、当時同窓だった作家、エドアルト・アルビナーティの同名の小説(2016年プレミオ・ストレーガ受賞)が映画化された作品です。この、あまりに衝撃的な事件については、多くのドキュメンタリー、映画、書籍が発表されていますが、「善き生徒たち」は事件そのものというより、その背景から、事件の原点へと導きます。浮き彫りになるのは、市民戦争にまで発展したイタリアの70年代という特殊な時代を生きた、裕福な家庭の青年たちの欲動と退廃。かなりヘビーな映画ではありますが、これもまたイタリアの真実です(タイトル写真は、「善き生徒たち」の一場面の写真ーcinemaserietv.itーをGlitch Imageで加工しました)。 Continue reading
地中海のカタストロフ、静かに聞こえてきたジョルジャ・メローニ政権の不協和音
2月26日日曜、イタリアに暮らすわれわれは、凝視できない酷いニュースで目覚めることになりました。事故が起こったのは、午前4時すぎだったそうです。カラブリア州、クロトーネ市のステッカート・ディ・クートロの砂浜から、わずか100mの海上で180人の密航者を乗せた木造船が座礁して大破。幼い子供たち、未成年35人を含む88人の犠牲者(3月19日現在)を出す海難事故が起こりました。この事故は、2013年10月、368人の犠牲者を出したランペドゥーサ島沖で起こった、移民・難民の人々を乗せた船の沈没事故以来の重大海難事故です。彼らは確かに違法密航者と位置づけられますが、アフガニスタン、イラン、パキスタン、パレスティーナ、トルコ、シリアなど、戦禍、紛争、あるいは天災に見舞われ、生き抜くことが困難となった故郷を離れ、生きる希望を胸に船に乗り込んだ人々でした。 Continue reading
「すべては聖なるもの」: P.P. パソリーニ生誕100年、ローマで開かれた3つの展覧会 Part2.
Part1.で紹介したローマ市立美術館の展覧会が、パソリーニを核とした大規模な展示であるのに対し、バルベリーニ宮(Barberini Gallerie corsini Nazionali)、Maxxi(国立現代美術館)の展覧会は、「すべては聖なるもの」というタイトルは共通でも、前者が「予言的身体」をテーマに、バロック(あるいはマニエリスム)の絵画作品や1950年代のローマの郊外の写真と、パソリーニ作品との比較における身体の検証、後者が「政治的身体」をテーマに、パソリーニからインスピレーションを受けた、あるいは関連性のある現代美術の作品とのコラボレーションという形で展示されています。特にカラヴァッジョの作品とパソリーニ作品が並べて展示された、ローマならではの豪華なパルベリーニ宮の展覧会は、「僕は過去の力だ」(「リコッタ」)と言うパソリーニの美意識の根源が理解でき、個人的には最も興味深く鑑賞できました。もちろん、詩人の最晩年となった1975年に限定し、自身のメモやオリジナル原稿、話題となった新聞の寄稿、雑誌の記事などが展示されたMaxxiの展覧会も、十分過ぎる見応えです。 Continue reading
「すべては聖なるもの」: P.P. パソリーニ生誕100年、ローマで開かれた3つの展覧会 Part1.
今年2022年で生誕100年となるピエール・パオロ・パソリーニのメモリアルとして、「Tutto è Santo(すべては聖なるもの)」をタイトルに、ローマの3つの美術館で展覧会が開かれています。今年に入って、パソリーニのゆかりの地であるオースティアをはじめ、ローマの各地で展覧会やイベントが開かれていましたが、ひとりの詩人、ひとつのタイトルで、ローマ市立美術館(Palzzo delle Esposizioni)、Maxxi(国立現代美術館)、バルベリーニ宮(Barberini Gallerie corsini Nazionale)という、ローマの重要な美術館において、これほど大がかりな展覧会が開かれるのは異例です。さらに、Macro(ローマ市立現代美術館)では、パソリーニとエズラ・パウンドをテーマに、ローマ市立近代美術館(Galleria dell’Arte Moderna)では、パソリーニ自身が描いた絵画の展覧会が開かれ、ローマ市が全面的にバックアップした映画の上映会、イベントが、毎日のようにどこかで開催されています。 Continue reading
参考 : ジョルジャ・メローニ新政権 : 首相の下院議会における初スピーチが示唆するイタリアの方向性
新政府が樹立してしばらく時間が経つにつれ、その時はさらっと聞いていた、下院議会における信任を問う、メローニ新首相の初スピーチ(新政府のプログラム)の詳細に込められた意味が、だんだんと浮き彫りになってきたように思います。世論調査(DEMOPOLIS)によると、市民の45%がポジティブに、34%がネガティブに捉えたその初スピーチでは、「イタリア」「政府」「われわれの」「ヨーロッパ」「自由」「企業」「国家、あるいは国家の」という言葉が多用され、全体的な表現としては、予想していたよりはソフトに、イタリアの経済の緊急事態が語られましたから、まさか経済政策より先に強権的な法律が次々に提案され、難民の人々の海上封鎖、感染症の大幅緩和、レイブ禁止法などによる混乱が創出されるとは思いませんでした。そこで、ここではその演説の全体の要旨をまとめながら、いくつかの詳細を解釈し、メローニ政権の方向性を探ってみたいと思います。 Continue reading
ジョルジャ・メローニ新政権 : たちまちカオスと化した、イタリアのFar-Right politics
いずれ状況は、少しずつ悪化するのだろう、と朧げには予想していましたが、こんなに早く、しかも立て続けに「なにこれ?」と驚く出来事が次々と起こることになるとはまったくの想定外でした。『右派連合』連立与党内の激しいいざこざを経て、上院、下院議会における信任も終了し、ジョルジャ・メローニ女史を首相とする新政府が稼働する運びとなった際は、若く、勢いのある女性が首相の座についたことが喜ばしく、一瞬ではありますが、「意外とソフトで思いやりのある中道右派政治が繰り広げられるかもしれない」との好意的な空気が流れたことも事実です。しかしそれは虚しい幻想であり、新政府がまず着手したのは「誰もが一刻も早く」と渇望していた、切迫したインフレから市民を救済する経済政策ではなく、体制には何ひとつ影響を及ぼさない、緊急性のない社会現象を叩き潰そうとする、挑発的な法律の立案、そして2018年の「サルヴィーニ法」を彷彿とする、難民の人々を国内外のプロパガンダに使う残酷な仕打ちでした。 Continue reading
極めて右を歩むことを民主主義で決めたイタリアの、限りなく不透明な未来 Part2.
今までは「当たり前」、と改めて考えることも、ありがたく思うこともなく使っていた、ガス・電気という現代生活の基盤でもあるエネルギーが、ウクライナ危機の勃発とともにみるみる高騰し、われわれが生きる世界が甚だしく脆弱なシステムの上に構築されていることを、ひしひしと実感する毎日です。個人的には、あまり納得できない人選でしたが、上院、下院の議長が、ようやく決定したにも関わらず、懸念の組閣はなかなか進んでおらず、連立与党『右派連合』の『イタリアの同胞』『同盟』『フォルツァ・イタリア』間では、重要な閣僚ポストを巡って、熾烈な争いが繰り広げられ、憎悪まで噴出しはじめました。イタリアの市民、企業にとって一刻を争う緊急時、10月23~25日あたりに樹立する予定とされる政府が、早急に、確実なメンバーで構築されることを願います。ただし、新政府につきまとう不安として、国家主権主義を謳う『イタリアの同胞』及び『同盟』の人権問題への姿勢、そして無謀な『憲法改正』の提案があることを、まず強調しておきたいと思います(タイトル写真は2018年、イタリア全国パルチザン協会A .N.P.I.ローマ集会の1シーン)。 Continue reading
極めて右を歩むことを民主主義で決めたイタリアの、限りなく不透明な未来 Part1.
パンデミック、エスカレートする戦争、核兵器使用の可能性、エネルギーの高騰、インフレと、世界中に暗雲たちこめる乱世ですから、イタリアの総選挙が「エポックメイキング」と表現される、このような結果となっても、それほどの驚きはありませんでした。しかし、イタリアの戦後から『鉛の時代』に暗躍した極右政党『イタリア社会運動ーMSI』を出自とし、ポストファシスト、ネオファシストと表現され続けた『イタリアの同胞』が、共和国憲法に明記されたアンチファシズムの精神が根強いはずのイタリアで、まさか第1党に躍り出るほどの支持を集める時代が来るなんて、幻覚のようではあります。懸念の組閣すら終わっていない現在、これからイタリアに何が起こるのか、意外と何も起こらないのか、まったく予想できませんが、現在イタリア国内で語られるあれこれや、今までに得た情報などを、ざっと整理してみようと思います。