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テアトロ・ヴァッレ占拠中

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ローマの中心街、カンポ・ディ・フィオリにほど近い裏通りにあるテアトロ・ヴァッレ(ヴァッレ劇場)は、1700 年代に建設された、ローマで最も古い、格調高くともこじんまりと居心地のいい劇場です。

たとえば毎年、世界から気鋭のコンテンポラリー・ダンスのグループを招く「ローマ・ヨーロッパフェスティバル」で、テアトロ・アルジェンティーナやテアトロ・エリゼオなどとともに会場となる、ローマ市内の重要な劇場のひとつでもありました。

「でも、テアトロ・ヴァッレ、財政困難でやっていけないらしいよ。閉鎖が予定されているらしい」「ほんとに? それは残念。ローマ市もよほどお金がないんだね」「いや、もう破綻、デフォルト寸前」「しかし伝統ある劇場を閉鎖するなんて、考えられないな。あんなに重厚な劇場だぜ。ローマの文化はいよいよ死んでしまうな」と囁かれていた矢先、突如、そのヴァッレが、演劇関係若い有志によって占拠された、という噂が、瞬く間にローマの街を駆け巡ります。「役者も技術者も、もう1週間も、がんばっているらしい」

通常、市内の廃墟になった公共の建物が占拠される、という出来事には誰もが慣れているし、「ここ占拠されているんだな、面白いことやるといいね」ぐらいの反応ですが、ローマで最も伝統のある、つい最近まで機能していた劇場が占拠された、となると、勝手が違います。「よくあんな大きな箱を占拠できたね。全員若い子たちなの? すごいじゃないか。なかなか勇敢だ」

突然の快挙に、演劇人たちはもちろん、美術関係者たち、演劇、ダンス、音楽を愛する市民たちは、ヴァッレを占拠した若者たちにおおいに共感し、今後の運営には懐疑的ながらも、「でかした!」とエールを送りました。財政難ぐらいではどうにもできない、演劇へのやむにやまれぬ思いが占拠という形で表現されたのです。

2011年、6月には、初夏の熱気が街の闇を膨張させる夏、占拠されたヴァッレ前の薄暗い路地は、若い人々、演劇人、往年の活動家、美術評論家などのインテリ文化人、普通のおじさん、おばさんであふれ、向かいのちいさいバールも常に大混雑、というお祭り状態とあいなりました。しかしこの時点ではただのお祭りに過ぎず、それからの3年間、占拠を敢行した若者たちが立派に劇場を運営しただけではなく、ひとつの文化現象にまで育てていくとは、誰も考えていませんでした。

実のところ「このお祭り騒ぎのまま、ひと夏を越せれば楽しいじゃないか」というのが、集まった人々の本心でもあると思います。いつ退去命令がくだされるかあやうい未来を持つ、『自由』な違法スペースに、群れ、集うという行為は、人々を興奮させるものです。しかも季節は夏でした。

ところが、この占拠はWikipediaにも載るほどに注目され(2023年1月現在、いつの間にか、そのページが削除されているのは残念です)、近年のローマでも重要な文化的占拠と見なされることにもなりました。ここでWikiの記述より、ちょっとそれを引用してみます。

―イタリア劇場協会により閉鎖されたヴァッレ劇場は、2011年6月14日、閉鎖に抗議する演劇関係者のグループ、活動家、また市民により占拠され、一般の市民参加による、透明性のある運営により公共に開かれた劇場として維持された。3年間の自主管理の期間、占拠者たちは公共の劇場運営に関する新たな提案をし続けてきたわけだが、低予算における新しい文化的政治戦略を、再考させることとなった。
Teatro Valle Occupato ( テアトロ・ヴァッレ占拠中)は5つの賞を獲得。
5600人の支持者と市民参加規約のもと、テアトロ・ヴァッレ財団により、劇場は継続された。

占拠した若者たちがどんなに素晴らしい演目、イベントを思いついても、先立つものがなければ、運営はできません。また、ちいさな公共スペースならともかく、伝統ある巨大な劇場を維持するのは、なかなか容易ではないと想像します。たとえば一ヶ月のライト、電気料ひとつとっても馬鹿にならず、かなり老朽化していて、安全性にも問題があり、さらにいろいろな制約があるはずです。しかしながら、そこはローマらしい懐の深さが劇場を支えることになりました。

「この若者たちの心意気にひと肌脱ごうじゃないか」という人々が大勢いたのです。つまり、占拠者たちは劇場の運営を、演目を観に訪れた人々のOfferta – カンパ国内外のアーティストによる支援により成立させることに成功することになりました。しかも次第に不況の波が押し寄せるなか、なるべくお金を払いたくないローマの人々をその気にさせるには、占拠者たちの揺るがぬ覚悟のみならず、それ相応の演目構成、さらにマネージ能力が必要です。彼らはそれらもクリアしました。

「ヴァッレがいま一番生き生きしているね。毎晩誰か面白い人物がやってくるし、演目もいい」とローマのアヴァンギャルド演劇界の重鎮、シモーネ・カレッラ氏も会う人ごとに薦めていて、わたしも何度か占拠ちゅうのヴァッレを覗きに行くことになりました。

暗い明かりが灯る、古い劇場特有のおごそかな空気と色あせた緞帳の匂いに包まれたヴァッレは、いまや若い演劇人たちに占拠され、雑然と散らかり、しかし明るく、のびのびとした、自信満々の覚悟が漂っていました。女優さんらしき麗しい女の子たちが、演劇人らしい個性的なスタイルで、マジックや、プラスティックのコップ、楽器などが整頓されずに転がっているロビーを、忙しげに動き回っているのを見るのは微笑ましく、新しい何かが生まれそうな、大きな可能性が感じられました。

その様子を写真に撮ったり、ビデオ撮りする青年が何人かいて、まだ形を持たない、しかし人の心を逸らせる、ざわざわと落ち着かない強烈なエネルギーが、場に渦巻いてもいます。劇場にやってきた人々が「なかなかやるじゃないか」、と入り口に、無防備に置かれたダンボールの箱のなかに5ユーロ札を投げ込み、なかには高額紙幣を入れる太っ腹な紳士もいました。

占拠された劇場の入り口

占拠された劇場の入り口

実際、シモーネ氏の言う通り、興味深い演目が目白押しでした。えっと驚く大物俳優、文化人、歌手、舞踏家、映画人、法律家なども毎晩訪れて、無償で公演をしたり、カンファレンスを開いたり、ワークショップを開催したり、なかなか観ることのできない古いドキュメンタリーー例えばピナ・バウシュ初期のダンス映像などーで、劇場は連日定員オーバー、熱気にあふれ返ります。

「え、ほんと? 今夜、ダリオ・フォーが来るって。それ、カンパで観れるわけ?」というような会話が、あちこちで聞かれる日が続きました。ちなみに、わたしはダリオ・フォーの晩には劇場に行けませんでしたが、ちょうどそのときローマ暮らしをしていた舞台演出家高橋正徳さんは、「いやあ、ノーベル賞受賞者がふらり、と何気なく通りを歩いているんですよ」と興奮していて、そう、ダリオ・フォーはそうしていつも、ふらり、と広場やデモを訪れるのです。わたしもかつて、物見遊山ででかけたデモで、目の前にプラカードを持って歩くダリオ・フォーを見つけて、感激したことがあります。

演目が終わって大勢の人が満足げに行き交う、ぼんやり暗い灯りに照らされた観客席、バロック様式の劇場の天井のフレスコが美しいな、と頭上を見上げると、天井桟敷のすぐ下のボックス席、たったひとつだけ、白地に赤、手書きの垂れ幕が掛かっていました。

COME TRISTE LA PRUDENZA!
「思慮深くあるなんて、なんと陰気なこと!」

あっけらかんとした、この分別のなさが、自由でいい。
そして、その無節操応援する、これまた無節操な大人げない大人たちも、なかなか素敵じゃないか、と、そのときのわたしは感心したわけです。

※2022年に亡くなった(2023年1月追記)ピーター・ブルックからテアトロ・ヴァッレの占拠者たちに、17分ものビデオメッセージ。

▶︎続く(Teatro Valle Occupato)

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