イタリア音楽シーンに革命を起こすピニェートのオーソリティ: ルカ・コッレピッコロ

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ようやく組閣が決定したところで、政治の話からはぐんと遠ざかります。イタリアの音楽シーンに影響を与え続けるローマのアンダーグラウンド・ミュージックのメッカピニェートのオーソリティ、ルカ・コッレピッコロCantautore (カンタウトーレ=シンガーソング・ライター)について、あれこれ話を聞きました。イタリアにおける伝統的なカンタウトーレというジャンルは、音楽シーンだけではなく、その時代を生きる若者たちの感性、生き方そのものに影響を与える『オピニオン・リーダー』的な存在でもあります。ピニェート、伝説のクラブFanfullaから現れ、いまやイタリア全国で大ブレイク中の現代のカンタウトーレのひとり、Calcutta(カルクッタ)についても語っていただきました。

最初から少し寄り道になってしまうのですが、映画と演劇の話からはじめたいと思います。『万引き家族』でエントリーした是枝裕和監督が、最高賞のパルムドールを受賞したカンヌ映画祭で、マテオ・ガローネ監督による『Dogman』の主人公を演じた、マルチェッロ・フォンテが主演男優賞を受賞して、イタリア中が湧きました。この映画は1988年、ローマの郊外マリアーナで起こった実際の事件にインスパイアされた作品で、かなり暴力的なシーンがありながらも繊細な優しさに溢れ、全体に詩的な甘美さが流れている。そしてその空気は、おそらくフォンテの好演から醸されているのだと思います。

ところで、その受賞ニュースを観た時、瞬間的に「マルチェッロ・フォンテ? どこかで見かけたことのある人だな」と思っていたところ、SNSに流れてきたFanpage.itのネットニュースで、彼がテアトロ・ヴァッレ・オキュパートのメンバーだったことが判明したのです。テアトロ・ヴァッレ・オキュパートは、ローマの中心街にある経営不能に陥った、伝統ある市営ヴァッレ劇場を、演劇界の有志たちが2011年に占拠。市民のカンパと演劇人の支援で運営され、国際レベルで活躍する豪華キャストも参戦し、質の高い演目を連日上映して、イタリアのみならず、欧州各地の高名な演劇人たちからエールが送られたシアターグループです。テアトロ・ヴァッレ・オキュパートという現象は、いまやローマのアンダーグラウンド・カルチャーの『神話』ともなっています。

こうしてテアトロ・ヴァッレは、ひとつの劇場のあり方の実験として、多くの市民の賛同と熱狂的な人気を博して3年近く続いたにも関わらず、時の『民主党』党首、マテオ・レンツィ元首相が就任早々「多くの人が、テアトロ・ヴァッレはひとつのカルチャー・モデルだと僕にアドバイスするけれど、僕はそうは思わない」とテアトロ・ヴァッレに言及。違法『占拠』であると同時に、商業施設として機能していない、また当局に管理されない文化活動が政治力を持つことの恐れから(表向きは劇場が老朽化していて危険だという理由でしたが)、2014年、時のローマ市政(『民主党』)から強制退去に追い込まれました。

その乱暴な強制退去の有り様に「文化を殺す」と、主要メディアをはじめ、市民からの大きな抗議と批判が巻き起こったことは記憶に新しいニュースです。しかもテアトロ・ヴァッレは現在も空っぽのまま、市政からは全く利用されずに放置され、硬く扉が閉ざされている。

イタリア音楽シーンと冒頭で書きながら、こんな話からはじめたのは、世界を当たり前に覆う経済システムからは距離を置くローマのアンダーグラウンド・カルチャーシーンには、たとえばマルチェッロ・フォンテに代表するような、個性的な逸材がかなりの数で存在しているように思うからです。ローマにも、それだけで食べていくのはかなり難しいと分かっていながらも、詩や演劇、音楽など、『芸術』と呼ばれるものに魅入られて、ストラッグルな人生を送りながら創作に対峙するアーティストたちが数多く存在しています。

フォンテもカンヌを受賞するまではそんなアーティストのひとりで、今もサンロレンツォのチェントロ・ソチャーレNuovo Cinema Palazzo (ヌオヴォ・チネマ・パラッツァ:アーティスト、学生、市民に占拠された文化センター及び住居)を拠点にする、ピニェートあたりのストリートでも、なんとなく見かけられる人物でした。

もちろん、現代社会においては、経済性、生産性を二の次に考える文化活動は、ひとりよがりな理想主義でしかない、という考え方が主流であることをも認識してはいますが、社会の豊かさというものはそれほど生産性はないながらも、ストラッグルな芸術生活 (もちろん芸術だけじゃなく、市民運動でも、宗教活動でも)を送る、いわば自らの現実に忠実に生きる多様な個性を受け入れる許容力ではないのか、とも思います。そんなアーティストたちから人の心を掴む表現が、ある日突如として、しかし生まれるべくして生まれ、広がり、それが社会、つまりわれわれへ「なんて素晴らしい作品(活動)なんだ」、と感動として還元されるのではないでしょうか。

本来文化の流れというものは、誰かが計画的に採算を考えて人工的に作るものではなく、自然発生的にドドドッと満を待して湧き出るのが理想です。そしてローマには、政治や社会の変化による多少の危機感はあっても、まだまだそんな非近代的な、いわば古めかしい(非常に良い意味で)、わたしにとっては好ましいヒューマンでオルタナティブな緩みがあちこちに残っている、と言ってもいいでしょう。

ピニェート

さて、そういうわけでピニェートという、ローマ・エスト(東)の入り口にあたるゾーンもまた、音楽を愛するアーティストたちに、自然発生的時間をかけて形成されたカルチャー・スポットです。いまやローマだけでなく、海外にも名を馳せるアンダーグラウンド・ミュージックシーンとなったこのゾーンに、ミュージシャンだけでなくインディペンデントの映画監督、ビデオメーカー、ジャーナリスト、作家、ファインアートやストリートアートのアーティストたちが自然に集まって、十数年の間に街の空気が徐々に変化していきました。

いかにもローマの庶民が住む街、というネオリアリズムな街角を背景に、ローカルマフィアが跋扈することでも有名だった物騒な地区から、今では流行に敏感なラディカルシックな若者たちが集まる街並みになり、その動きはさらに東へ、東へと郊外へ向かって広がりを見せています。

ところでイタリアの音楽界では、今がまさにインディ・ポップの黄金期とされ、新しい音楽の動きはすべてインディから生まれる、と言われています。名前をあげればキリがないのですが、その代表的なポップ・ミュージシャンは、Cosmo(コスモ)、EX-Otago(エックスーオターゴ)、I cani(イ・カーニ)、Thegiornalist(ザジャーナリスト)というところでしょうか。そして、そのインディ・ポップ爆発のきっかけを作り、イタリア中でブレイクしているのが、かつてピニェートにふわっと集まってきたアーティストのひとりであるCalcutta(カルクッタでした。「彼、このあたりでよく見かけたよ」と、数年前まで街角の風景だった彼が、いまや正統派のカンタウトーレとしてイタリア版ローリング・ストーンの表紙を飾るという具合です。

しかしながら、イタリアでは重要視され、事あるごとに語られるこのカンタウトーレ=シンガーソング・ライターの存在感が、異文化を持つ外国人のわたしには、いまひとつピンとこず、どうやらわたしが考えるシンガーソング・ライターとはニュアンスが違うようにも感じます。そこで、イタリアのカンタウトーレをもっと知るために、かねてからお話を聞きたかった、ジャズ、サイケデリックを中心に、音楽のことなら何でも知り尽くしているピニェート音楽シーンのオーソリティ、ルーカ・コッレピッコロに、「カンタウトーレとは、いったいどのような存在なのか、そしてその変遷は?」というテーマで話を聞くことにしました。

ルーカ・コッレピッコロとお嬢さま

コッレピッコロは音楽家族に育った影響で、子供の頃から、ザ・クラッシュ、デビッド・ボウイ、トーキング・ヘッズ、イギー・ポップ、フランク・ザッパなどを聴いて成長、10代の半ばから音楽ジャーナリストとして、月刊音楽誌に音楽批評を書くほど成熟した感性を持つ人物です。その後、主要紙の音楽批評、国営放送Rai3のラジオ番組を担当するなど、イタリアの音楽シーンでキャリアを積み、現在はピニェートをベースに、インディのレーベルとディスクのディストリビュート(Good Fellas)に関わっています。

また特筆すべきは、かつてヨーロッパで絶大な人気を誇った、日本の伝説のインディ・ポップグループ『ピチカート・ファイブ』のディスクを、イタリアでディストリビュートした人物でもあります。なにより、とめどなく溢れる音楽への愛情を語る言葉そのものが、もはや『音楽的』とも言えるものでもありました。また、超レアなディスクが並ぶ彼のコレクションには、コレクターでなくても「ええ!」と目を見張るはずです。

「子供の頃から音楽に囲まれて、その中で育った影響が、時間とともに熟成され、20代になってその影響の凄みを感じることになったんだ。その頃からあらゆる音楽のディスクを集めるようになったんだけどね。今でも一番好きなのは、やっぱりジャズとサイケデリックに集約されている。マインドを開く実験となるような音楽が僕にとっての理想だし、それを追い求めているんだ」

さて、そうおっしゃるコッレピッコロに、ここから一気に語っていただくことにします。

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