ヴィルジニア・ラッジがローマ史上初の女性市長として華々しく就任して、約100日。時間と闇、利権と癒着、虚偽と犯罪とゴミに覆われた、ローマという都市を正常に機能させる行政システムを構築するには、確かにかなりの荒業が必要とは想像していました。それでも飛ぶ鳥を落とす勢いの『五つ星運動』の新星、ヴィルジニア・ラッジ率いるローマ市政が、こんなに早い時期に、収拾のつかない混乱状態に陥るとは想像しませんでした。
わたし自身は、『5つ星運動』の政策に賛成できない部分も、いくらかありますが、ベッペ・グリッロという人気コメディアンのブログをベースにしたソーシャルネットワーク・ミートアップから、あれよあれよという間に市民に浸透した『五つ星運動』のデジタル・ストラテジーには感嘆しています。政治家ではない普通の市民が、「市民」のセンス、価値観で想うことを政治の舞台で発言する機会を得たことは、それが衆愚と呼ばれようと、時間の無駄と切り捨てられようと、価値ある試みだとも思うのです。『民主主義』という政体に生きているのであれば、市民は現在自分が置かれている状況に、ほどほどの自覚と情熱を持つべきだとも考えます。
ネットを含むあらゆるメディアを駆使、大量の情報を使い捨てながら人々の意識を撹乱する情報コントロール、背後にぞっとするような巨大な不正を隠蔽しつつ、選挙シーズンのみ「正義」を振りかざして、互いを罵りあう各候補者陣営のネガティブ・キャンペーン合戦など、政治には何ら関係のない情報も含め、大量に情報を錯綜させて人々の感情を昂ぶらせ票を奪い合う、ある意味、過剰にショービジネス化した『民主主義』社会において、カウンターとして『五つ星運動』のようなポピュリズムが起こることは、健全でシンプルな反応だとも思います。若い世代が未来に希望が抱けない、こんな生きにくいシステムに覆われた世界のあり方に、断固として団結、反旗をひるがえそうとする、彼らの意気込みも理解できます。
しかしながら口説いようですが、わたし自身は『5つ星運動』を理解できても、政策のいくつか、特に移民政策、ユーロ離脱には全く賛成しておらず、さらにはその動きがファナティズムのレベルに達することは好ましく思っていません。彼らの議論がバランスを失って、ネットのデジタル論調そのままに、ヒステリックで騒がしいだけのパフォーマンスに終わることが多々あることも確かです。癒着、談合、謀略に塗れなければ政治ではない、とでもいうような老獪で一筋縄ではいかない権力層に対抗するには、ある程度バイオレンスなインパクトが必要ではありますが、その行動もまた、いつしかショーと化し、熱狂している人々はともかく、傍観しているわれわれをうんざりさせることもあるのです。
先日、ウルトラ極右グループのリサーチをしている人物と話していて、「ファシズムという言葉は政治的なボキャブラリーだと捉えられがちだが、実は人としての考え方、生き方だと思うんだ」という意見にハッとするという体験がありました。イタリアの各分野の状況を緻密にリサーチ、諸問題を解決するための代替プロジェクトを提示する能力のある、若いエキスパートたちが中核メンバーである『5つ星運動』の、プロフェッショナルな考察は高く評価しますが、他の意見が存在することを全く受け入れない独善的な姿勢、自分たちのアイデアこそが絶対、と主張する頑固さ、緩まない緊張にその危険を感じなくもない、と言っておきましょう。
と同時に、今回のローマ市庁舎、カンピドリオを舞台に繰り広げられている混乱と政争、それを日々はしゃぎ気味に伝えるマスメディアのあり方にも疑念を抱きます。実際の市政の核となるGiuntà(行政執行委員会)も完全に構成されないまま、カンピドリオの現在がライブストリーミングされるその様子は、喜劇なのか悲劇なのか、ラッジ市長を巡る、まさにカンピドリオ劇場、第一幕の様相です。ラッジ市長に投票した市民たちの困惑は蚊帳の外に置かれ、ゴミ、交通網、都市計画、郊外の貧困、衛生問題など、ローマ市に立ちふさがる具体的な問題解決とは遠い次元で騒動が大きくなりつつあり、「ほら、こんなにひどいことが起こっている。『5つ星』の限界はローマで見えた。こんなことでは『5つ星』に国政は任せられない」と、9月20日には、なぜかローマには関係のない、ニューヨークタイムス紙まで取り上げました。
夏の終わりの大量辞任劇
カンピドリオ劇場の幕が開いたのは8月31日、莫大な借金を抱えたローマ市の執行委員会における中枢のポスト、財政評議員(財政アドバイザー)の座にいたハイキャリアのエコノミスト、マルチェッロ・ミネンナが、SNS上に9月1日付けで辞任の意志を投稿した時でした。それも朝5時という尋常ではない時間の投稿です。
その突然のミネンナの辞任を追うように、サラリーの巨額さを問題視されていた行政執行室長カルラ・ライネッリも辞任。さらに同日、ローマ市のゴミ処理、清掃を引き受けるAma(Azienda Municipale Ambiente)、市内バス、メトロ、トラムを運営するAtacと、ローマ市が抱える諸問題を象徴する公営会社の責任者も辞任しました。バカンス中の8月にローマの清掃が行われ、街じゅうがスッキリして皆が喜んでいたところに、たった1日の間に重要ポストの責任者が次々に辞任したことで(最終的には5人辞任)、各マスメディアは「史上最悪のローマ危機」のタイトルで、蜂の巣をつついたような騒ぎになります。
そもそも「メディアは嘘をつく」という主張でネットでのコミュニケーションを中心に活動している『5つ星運動』ですから、各メディアとも、『5つ星』のシンボルともなったラッジ市長の統率力への疑問を、歯に衣を着せぬ厳しい論調で、大げさに報道。ラ・レプッブリカ紙に至っては、8ページもの特集記事を組んだほどの熱の入れようでした。これはヴァチカン教皇選挙コンクラーベ特集に匹敵する、作為すら感じさせるページ数です。
しかもそのスキャンダルは大量辞任劇のみにとどまることはありませんでした。ラッジ市長の肝いりで任命された環境問題評議員(公営会社Amaが請け負う街のゴミ、衛生問題を統括するローマにとって重要なポストです。マフィア・カピターレでは、このAmaが犯罪組織との癒着の主な舞台となりました)のパオラ・ムラーロが、2014年、ローマ市と犯罪組織の癒着が暴かれたマフィア・カピターレの捜査リストに名前が挙がっていることが発覚。「onesta(正直さ)とtrasparenza(透明性)」を強調して当選した市長、また『5つ星』の幹部も、当初、ムラーロが捜査リストに挙がっている、という事実を「全然知らなかった」と言及していたにも関わらず、後日「実は知っていたが、まだ書類を見ていないので詳細は分からない」と前言を翻したため、「何が、正直、透明性だ!これは裏切りだ」と総攻撃を受けます。
この、パオラ・ムラーロの捜査リスト疑惑についてヴィルジニア・ラッジ市長は、メディアの直接のインタビューを受けることなく、ビデオを作成し、ネットを通じて、次のような見解を述べることになりました。
「今回のムラーロの一件について明確に説明したい。私たちは捜査リストにムラーロの名が記載されていることは知っていても、その書類を一度も見たことがない。したがって一体どういう状況で、彼女が捜査されることになったのか、何も詳細を知らない。1日も早く、その書類が手元に届くことを私たちは願っているし、ムラーロ評議員もそれを願っているのが現状だ。もし彼女に辞任を求めなければならないような真実があれば、私たちは即刻、それを宣告するだろう。今までと同じように、そしてこれから先も、私たちは誰をも大目に見ることはしない」
「しかしながらはっきり言っておくが、首相をはじめ、他の政党やメディアが確証もなく公約違反だと決めつけたからといって、彼女を市政執行から外すことはできない。したがって真実が明らかになるまで、ムラーロ評議委員には今までどおり、ローマの街を清潔にするために働いてもらうつもりだ。そしてわたしが、市長に任命されてから今日までの間、(市長行政執行部に対する)攻撃、非難、論争がなかった日は、たった1日もなかったのだ、とはっきり言っておきたい。私はそれらを背負っても少しも動じないし、執行部である評議委員も相談役も皆同様に、30年間も悪政が続いて、めちゃくちゃになったローマを市民の手に取り戻すために働いていく。その私たちのやり方を邪魔に思い、恐怖に感じている人々がいることも知っている。しかし我々はとどまることなく、市民の利益のために働き続けるのみだ」(要旨のみ意訳)」
混乱はさらに続きます。辞任したマルチェッロ・ミネンナ財政評議員の後任として、ラファエッレ・デ・ドミニチスの名前が挙がったその日のうちに、突如として「デ・ドミニチス『職権乱用』疑惑」がメディアに書き立てられました。「これは陰謀だ! わたしは潔白」とデ・ドミニチスは声高に事実無根を訴えましたが、そののち、彼の財政評議員の後任問題はうやむやになり、インパクトとスピードが勝負のマスメディアの無限の海の藻屑となって消えてしまいます。なんだかデ・ドミニチスを気の毒に思って、その後の行方を調べてみると、ローマのすぐ近くのブラッチャーノ市の司法相談役に任命されたそうで、他人事ながら、なんとなくホッとした次第です。
ところで、この騒ぎの最中、Il Fatto Quotidiano紙(イル・ファット・クオティディアーノ:2009年に創立された、産業界からは一切支援を受けず、ウェブ上の騒乱にも惑わされず、真のジャーナリズムのあり方を問う、若い世代に人気の新聞)の主幹、マルコ・トラヴァイオがTV討論で「ローマでオリンピックを開催する、と言っていれば、こんな騒ぎは起きなかったかもしれない」というようなことをチラッと言っていて、「なるほど」と思った次第です。トラヴァイオは厳しい質問をレンツィ首相にぶつけ、激しい論争を繰り広げるなど、ぶれのない姿勢で信頼のおけるジャーナリストとして高く評価されています。
いずれにしても、実際、3週間あまりの短い期間にここまで不自然なスキャンダルが続くと、『5つ星』が好んで主張する陰謀説も、ひょっとしたらあり得る、と説得力があるようにも思えます。また、オリンピックだけではなく、今後、国政を揺るがす可能性のある「国民投票」イベントを控えたイタリアには、『5つ星』を今のうちにローマで潰しておかないとまずい、と焦る勢力がかなり強力であることは、想像に難くありません。
この混乱の中、『5つ星』のカリスマリーダー、ベッペ・グリッロと、『5つ星』が国政を握った暁には首相候補と目されているルイジ・ディ・マイオ、アレッサンドロ・デ・バッティスタは、一貫してラッジを擁護する立場を取り続けましたが、そうこうするうちに、そもそも一枚岩ではない『5つ星』の主要メンバーの間にラッジ批判が巻き起こり大混乱、という状況となりました。この混乱は、肉薄する支持率で政権を脅かされるPD『民主党』現首相レンツィ派にとっては、またとないネガティブキャンペーンのチャンスではあっても、『民主党』内部も旧勢力と現政府勢力の合意不能が続いており、どこもかしこも侃侃諤諤、イタリアの政治は雲行きがいよいよ怪しくなっています。
当のラッジ市長は、大量辞任の際は泣き崩れ、卒倒した、という報道もありましたが、現在は、行政執務委員会の重要ポストは空席のまま(財政評議員は9月26日からの週に発表予定だそうです)、厳しい警察の護衛で周囲を固められながら(これは悪意とも親切とも取れるローマ警察からの提案でした)、心ここにあらず、と多少芝居がかった笑顔で、とりあえずは公務をこなしています。それでもオリンピック招致中止に関する9月21日の記者会見までは、ローカルなイベントに参加するのみで、正式にはジャーナリストの前には姿を現さず、予定されていたヴァチカンの行事にも参加していません。
オフィシャルにオリンピック招致立候補断念を発表
騒ぎが起きてからは、ほとんどのメディアはラッジ市長と『5つ星』の無能を、大げさに強調するような書き方をしていますし、FacebookなどのSNSでも「ラッジは役不足」「がっかりした」「市長として準備ができていると信じていたのに」と厳しい批判が巻き起こっています。確かに支持者を動揺させるに足る、インパクトの強い数週間ではありましたが、就任から100日、市庁舎内の右派の市職員幹部が、『5つ星』が任命した評議員の足を引っ張り、執務室内は争いが絶えず、とても仕事に従事できる環境ではなかった、との評議員の告白もあるのです。また、市庁舎職員幹部70人が連名で、「これでは全く仕事にならない」と、市長に手紙を送るという出来事もあったそうです。実際、市長の手腕を判断するには時期尚早であり、『5つ星』の方針にカンピドリオ市庁舎関係者の一部が敵対、協力が得られていないという印象が残るのは否めません。
個人的には、ローマ市長という大任を預かった以上、どんなにひどい状況にラッジ市長が置かれようとも全く同情はしませんが、67.17%という支持率で大勝、市民の期待を背負っているにも関わらず、少しも建設的ではない政争で、市政が滞ることにはがっかりしています。
そんな騒乱の最中の9月21日のことです。メディアから無能の烙印を押されつつあった渦中のラッジ市長が反撃、起死回生を狙うかのごとく、ローマ市の、2024年オリンピック招致立候補断念が公式に発表されることになりました。市長は選挙の時点から、オリンピックについては諸問題を解決したのちに、市民と相談して明らかにする、場合によっては市民投票を行って決定する、と発言していましたが、「市民投票はしないのか」と、今回ジャーナリストから質問されても、「70%近いわたしの支持者はオリンピックに賛成していない」と答えるにとどまっています。このオリンピック断念は、記者会見の2日前に、『5つ星運動』が市長に先行する形で発表、「オリンピック、ノー・グラッツェ」と、ベッペ・グリッロのブログで大々的に宣言されていました。
ローマ・オリンピック招致プロジェクトは「イタリアに雇用を生む絶好の機会」として、現首相レンツィをはじめ、Coni(イタリアオリンピック委員会)、ルカ・モンテゼーモロが委員長を務めるオリンピック推進委員会、金融界、スポーツ界総出で積極的にプロモートしていましたし、オリンピック招致立候補はすでに決まったこと、とあちらこちらで広告も打たれはじめていましたから、ラッジ市長の公式発言に先行して『5つ星』のオリンピック中止宣言が発表された途端に、不穏な風がイタリアじゅうを駆け巡ることになりました。ワシントン・ポスト紙までが、「2024年はローマ最有利」という記事を掲載していたのです。
『5つ星運動』のネット宣言に慌てたConi(イタリアオリンピック委員会)の責任者マラゴーは「この時点でローマが立候補しないのは、大変みっともないことだ。国際的にひどい悪印象を生む」と懇願状態で、9月21日午後 2:30にラッジ市長に、直々の会談を申し込んでいます。ところが市長は、その待ち合わせに現れず、「これ以上待てない」とマラゴーがカンピドリオを後にしたその数十分後、まるで不意を突くかのように、オリンピック招致立候補に関する市長緊急記者会見がスペクタクルに開かれたというわけです。
確かに『5つ星』がオリンピック中止を決定した後は、ラッジ市長もその方針に沿うであろうことはすでに周知のことでした。したがって、いまさらConiと会談しても無意味ではありますが、駆け引きとはいえ、公の話し合いに姿を見せず、その後一方的に緊急記者会見を開く、というのは敵意を露わにした挑発的な肩透かしでもあり、このような成り行きは演劇的ではあっても、政治的にはあまりスマートとは思えない、というのが率直なところです。「現在のローマにオリンピックなんて必要なし」と思っていたわたしですらそう感じたので、オリンピック推進派の方々には、かなり強烈な侮辱に感じられたかもしれません。イタリアのオリンピック推進派の中核にいる裕福でエレガントな紳士たちは、かなりプライドも高く、国境を越え、世界主要産業界とも深い友情でつながっています。彼らがこのまま黙って引き下がるとも思えません。
ともあれ、そのような経緯で開かれた記者会見で、ラッジ市長が提示したオリンピックの招致を断念した理由については、130億ユーロ(13miliardi)という借金を背負ったローマの現状を鑑みれば、納得の行く内容のものでした。
「オリンピックやワールド・カップは、政治的にも経済的にも、夥しい山師たちを錯綜させ、利権を貪る企業家たちを満足させるだけのイベント。通常オリンピックは、若者たちの未来に大きな借金を残し、人々を放心させてしまうものだ。世界じゅうのTVで放映される競技は、1日限りの社会的、経済的に共有される家族のささやかな慰めでしかなく、多分、メダルの数にしばらくの間満足するだけのイベントに過ぎない。そのために骨を折るなんて、膨大なコストがかかりすぎだ」(意訳)
ネット上に発表された『5つ星』の宣言通り、ラッジ市長も「今、ローマ市がオリンピックに立候補することは、あまりにも無責任な行動だ。考えを翻したわけではなく、そもそものわれわれのポジションを強力に示したまで。これ以上、ローマ市は借金を抱えるわけにはいかない」とオリンピックにはっきりとノーを突きつけたというわけです。
「ローマ市民はいまだに1960年に開催されたローマ・オリンピックの借金を抱えている(この言及については真偽不明で、そんな事実はない、とConiは反論しています)。もちろん、オリンピックそのものを否定しているわけではなく、スポーツがロビー活動に利用され、使い捨ての巨大インフラの言い訳になることを危惧しているのだ。No alle Olimpiadi del mattone(レンガ、セメント=《意味のない》インフラのためのオリンピック)にはノーということ」「オックスフォード大学のリサーチによると、オリンピックは開催国にとって金額が記載されていない小切手のようなものでもある。つまり当初の予算はいつの間にか反故にされ、50%、あるいは100%超過、つまり2倍、3倍に膨れ上がり、みんなの夢が悪夢になる可能性がある。我々はまだリオのデータを掴んでいないが、リオの住人たちの反対運動をこの目で見ているのも事実だ」
久々にジャーナリストの前に公式に現れ、かつてローマで催されたオリンピック会場、世界水泳競技会などの会場が、廃墟と化し打ち捨てられているスライドをパワーポイントで流しながら、よどみなく話すラッジ市長は、混乱の真っ只中にありながら、いや、混乱にあるからこそか、時折、過剰な余裕と笑顔を演出しながら会見。しかし残念ながら、その若さとカジュアルな立ち居振る舞いのせいで、深みというか、人々の信頼の要となるであろう強い「覚悟」のオーラが今ひとつ伝わってこなかったようにも思います。これだけ多くの市民の期待を背負いながら、富裕権力層に向けて好戦的なパフォーマンスを企てたのなら、多少の毒、というか凄み、というか、重厚なオーラが欲しかったところです。とは言ってもラッジ市長は、これから更なる難関を乗り越えていかなければならない女性なので、今後の政治家としての責任ある成長に期待したいと思います。
市民の反応はというと、TV中継と同時にSNSでライブストリーミングされた記者会見コメントには「よくやった」という声と「ラッジには市政を仕切る能力なし」「オルンピック以前にローマは崩壊している」という両極端のコメントにあふれました。どちらかというと、オリンピックに関するコメントより、市長批判の声が多かったかもしれません。いずれにしても「『5つ星運動』にはまったく賛成していないが、オリンピック立候補中止には共感する」という市民が多かったので、オリンピック招致そのものに関する議論は巻き起こらず、今後、オリンピック招致断念が、どのような政争に発展するかに人々の注目はおのずと集まっています。
ラッジ市長の会見を受け、イタリアのオリンピック委員会のマラゴーは「(自分との会談の約束のすぐ後に)記者会見が予定されているなんて、全然知らなかった」と憤懣やるかたなしといった風で、「少なくとも今後20年は、イタリアはオリンピック招致に立候補しない」となかば自暴自棄の発言をしています。オリンピック招致推進委員会のルカ・モンテゼーモロは「ラッジは『5つ星運動』の専制の下、リモコンで動かされているだけだ」と困惑気味に語りました。
レンツィ首相は「賄賂や癒着を怖がってオリンピック招致を断念するなんて、ローマ市執行部の、信じられないくらいの無能を表明したようなものだ。ラッジは職業を変えた方がいい。オリンピックまであと8年もあるのだから、もし自分にローマのオーソリティとしての信念と覚悟があるのなら、その利権泥棒たちを追い払ってしまえばいいじゃないか。オリンピック断念を表明したイタリアのイメージは、NOに集約され、現実以上にメタフォライズされる。市相談役たちが、彼女の発言に責任を負ってくれることを願うよ(ラッジ市長の発言は、ローマ市相談役の投票にかけられ、最終的に決定されたと『5つ星運動』が言及したため)」とラッジ市長をオープンに攻撃しています。
M5sの勢いは、このまま膨張し続けて、国政を握るのか
さて、とりあえずはオリンピック・パフォーマンスで、市民にインパクトを与えた『5つ星運動』とローマ市長ですが、今後どのような動きを見せるのか、今の時点では全くわかりません。政治学者ロベルト・ビオルチョは、「『5つ星運動』は猛スピードで支持者を拡大し、地方政治から国政に進出したが、ヨーロッパで最も統制が難しいと言われるローマという都市を制するには、政治経験があまりにも未熟だ」と語っており、今のところわたしもその意見に、ほぼ賛成です。
反体制のポジションでは存在感があっても、政治の中核を担うのは、もう少し政治の経験を積んでからでも遅くなかったはずです。記者会見前の数字ではありますが、直近のM5sの支持率は4ポイント下がっても29%、現在政権を担う『民主党』の32%とほぼ肩を並べています(ラ・レプッブリカ紙)。さらに今回のオリンピック招致断念のスペクタクルな記者会見が、今後の支持率に影響するかもしれません。
現在『5つ星』は「国民投票」にNOを突きつける(#IO DICO NO)、大規模政治集会ツアーを行なっているところですが、24日から行われている、グリッロを始め、『5つ星運動』のスターを総動員したパレルモでのメガ集会を見ていると、ローマの騒乱を打ち消すように、若い世代だけではなく年配の人々も熱狂し、この勢いで国政まで一気に走る可能性もあるかもしれない、とも考えられる勢いです。メディア、新聞もこぞってその様子をニュースで流していますから、突如として『5つ星運動』の勢力が拡大したようにも錯覚します。ジュリアン・アサンジもビデオで参加し、「あらゆる戦争のきっかけを探ると、ほとんど濡れ衣、虚偽から起こっている」と語るほど『5つ星運動』に肩入れしていました。
懸念の上院権限の縮小で政治の合理化、税金の節約を図る(?)憲法改正、と謳うイタリア「国民投票」の期日も間もなく決定するはずですが、『5つ星運動』が主張するNOという結果であれば、政権を降りると宣言していたレンツィ首相も、ここにきてYESでもNOでも、イタリア政治不安が引き起こす欧州経済の混乱の危惧も鑑み、政権交替なしとの意思表示しています。しかし結果によっては、現政権を左右する山場となりえます。
それでも国際経済紙が、「イタリア国民投票でユーロ離脱を謳う『5つ星運動』の台頭を許せば、イタリアは欧州の火種になる」と記事にするほどには、ローマの人々は世界への影響を考えている様子はありません。「イタリアの上院権限縮小に関する国民投票が、何故国際金融投機の対象になるのか、さっぱりわからない」というのが大抵の人々の反応でもあります。だいたい世界じゅうの不安要素を毎日探しては、必要以上に煽り立て、その不安につけ込んだ秒刻みのアグレッシブな投機に支えられるグローバリズムそのものが、悠長に混乱する民主主義とは両立していないのです。このように、国民が直接民主政治に関わる「国民投票」という、いわば「聖域」をも、場合によっては投機という爆弾で脅される可能性がある、ということは覚えておいたほうがいいかもしれません。
この国民投票に関して言えば、何日か前、在伊アメリカ大使がオバマ大統領の意向として、「国民投票がNOと出れば、イタリアから国際資本が逃げていく。我々はYESを望む」という、余計なお世話発言もありました。「なんで米国大使がイタリアの政治に口を出すんだ。国民投票でイタリア国民を脅迫するなんて、イタリアは米国の属国じゃない」と批判が巻き起こったばかりです。また、「イタリアじゃ、何が起こってもすべてがノーマル」と、無責任に笑うイタリアの人々がグローバルな空気を読んで行動するとは到底思えません。先日も、何気なくTVの対談番組を見ていて、「合理化してスピーディにシステム化するための工夫」である技術に、MCが「どういう理由でスピーディに合理化する必要があるのか、ゆっくりで不合理だといけないのか」とコメントしていて、思わず笑ったところです。
※追記 国民投票は、12月4日に決定しました。