2013年のヴェネチア、ビエンナーレで金獅子賞を獲得した、「Sacro Gra」。詩的で、映像コンセプトも登場人物も練りに練られたジャンフランコ・ロージ監督のドキュメンタリーが、ベルナルド・ベルトルッチを審査委員長とした、第70回ビエンナーレでLione d’oroを穫ったことは、感慨深くもありました。公開の前から、「Sacro Graはすごくいい映画らしいよ」「久々の傑作」という噂をあちらこちらで聞いてもいて、しかもドキュメンタリーが金獅子賞を穫るのは、ヴェネチア初の快挙なのだそうです。
「ラストタンゴ・イン・パリ」「ラストエンペラー」の監督として世界的に有名な、イタリア映画界の第一人者であるベルトルッチは、かつてピエールパオロ・パソリーニの助監督としてキャリアを開始した人物でもあり、ピエール・パオロ・パソリーニの映画デビュー作「アッカットーネ」のタイトルにも、助監督として、のちに映画監督となったセルジョ・チッティとともに、名前を並べています。
以前ベルトルッチが初めてパソリーニに会った際の印象を語っている映像を観たことがあります。ベルトルッチの父親である、詩人のアッティリオ・ベルトルッチを、パソリーニが訪れたある日曜のこと、玄関の扉を開けたのがベルナルド少年でした。
「それがピエールパオロとの初めての出会いだったんだ。とても印象深い瞬間だった。服装も普段見慣れた、うちを訪れる人々とはまったくちがうタイプの人物で、労働者が日曜に、無理におめかしをしてきたような、くたびれたスーツ姿でね。ひょっとしたら泥棒かもしれない、なんて思ったよ」とそのインタビューで、まだ青年ともいえる、若き日のベルトルッチは快活に笑いながら語っていました。
そのインタビューから30年を超える月日が経って、現在74歳のベルトルッチ率いる審査員たちが選んだSacro Graという映画の底流には、もちろん、パソリーニほどペシミスティックではありませんが、生命のやるせなさを慈しむ、繊細な感傷が流れてもいました。たとえば現代建築家プリーニも、「その名前が周縁にしか出てこなくとも、パソリーニがSacro Graプロジェクトに大きく影響を与えているのは明らかだ」と述べています。
この映画は日本でも、「ローマ環状線」という邦題であちらこちらで上映され好評を博したそうで、確かに間とか、行間とか、あまり緻密な説明を必要としなくとも、漂う空気感で場を掴む日本人の感性に、ジーンと響く、聞こえない「言葉」がある、と改めて納得もしました。
ところで、Sacro Gra( Grande Raccordo Anulare)というタイトルを、イタリア語から日本語にそのまま訳すと、「聖なるローマ環状線」となりますが、邦題から、このSacro(聖なる)という部分がはずされてしまったことを、わたしはちょっと残念に思っています。タイトルからこの形容詞がはずされたことで、この映画に込められた作り手側の人々の想いが、半減してしまうようにも、実は感じています。そのまま、「サクロ・グラ」でよかったんじゃないか、などとも思うのです。というのも、Sacro GraというタイトルはSacro Graal(聖杯)をも暗示しているからです。
ローマ市内に住む外国人として、Raccordoと聞いて、普通に思い浮かべるのはローマの果て、境界です。またその境界は、いわば経済的な格差をも暗示するかもしれません。この映画の登場人物を、都市生活者、といえば、確かにそう言えるのですが、それはやはり乱暴な定義のように思います。わたしは彼らを、ローマという都市システムの空間、時間、常識、経済活動のエッジに引っかかっているか、引っかかっていないかの、境界に生きる人々、と捉えました。
もちろん映画というものは、背景を知らなくとも、それを観ながら面白かったり、感動したり、共感したりすればいいわけで、あれこれと御託を並べるほど野暮なことはありません。わたしもほとんどの映画は、背景などまったく考えることはなく、場合によっては数日でストーリーすら忘れてしまうくらいです。それなのに、なぜSacro Graに関して、おおいにこだわるのかというと、この映画の背景を追っていくほどに、ローマという都市のひとつの文化のストリームにつきあたるように思えるからです。
この映画のそもそものアイデアの発端に、レナート・ニコリーニという、70年代以降のローマにとって重要な建築家、大学教授、また、長く政治家であった人物が関わっていて、その事実が何より興味深く思えます。この映画は製作中に亡くなったニコリーニに捧げられてもいて、エンドロールの一番最後に大きく名前が現れるのですが、このニコリーニという、今でもある年代の人々に絶大な人気を誇り、ローマの文化に大きな影響を与え、さらには海外でも高い評価を集めた人物については、後述したいと思います。
街ごと遺跡という都市、ローマを囲むGrande Raccordo Anulare、公称A90の構造はいたって殺風景な、鉄筋とコンクリートで固められた近代的な道路です。無料であっても高速道路なので、常に大変な交通量、渋滞しない限り、行き交う車は遠慮会釈なく飛ばせるだけ飛ばす、危険きわまりない事故エリアでもあります。車の窓を開けると、行き交う車の音で、助手席の人の声が聞こえないほどうるさいだけでなく、髪も服も排気ガスの匂いにあっという間に塗れてしまう。しかも戦後建設されてから、70年という時間が経っているので、ただ巨大なだけで荒れ果てた風情が漂っていて、ところどころ錆が浮き(現代美術的視点から観ると、コンセプチュアルで面白くとも)、入り口、出口の標識は分かりづらく、目的地点にたどりつくことが困難です。さらに、いったん渋滞すると全車一丸となって鳴らすクラクションの音で、頭が痛くもなります。
しかしながら、ローマをぐるりと囲みながら荒涼と横たわる、全長68,228kmのGRA、そのローマの果ての周囲には、どうやら電気に似た、磁石に似た神秘的なエネルギーが巻き起こるようなのです。