4世紀の忘却から甦り、瞬く間に称賛の的となった、女流画家アルテミジア・ジェンティレスキ

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いまや世界中で人気の、バロック初期の女流画家をテーマにした『アルテミジア・ジェンティレスキー戦士の画家』日本語版が、Amazonプライム11月25日から配信されます。その作品を制作したのが知人だったので、事前に見せていただいたのですが、知らなかったエピソードが数多く盛り込まれた、とても興味深い内容のドキュメンタリーでした。尊厳を深く傷つけられ、人々の好奇の目に晒されるスキャンダルを毅然と乗り越え、画家として生き抜いたアルテミジアは、カラヴァッジョ派の中でもひときわダイナミックな、珠玉の作品を多く残している。はるかな時を遡り、ローマのバロック初期を放浪します(タイトル写真はArtemisia Gentileschi, Autoritratto come allegoria della pitturaー絵画の寓意としての自画像, 1638-1639, olio su tela, 98,6×75,2 cm, Kensington Palace, Londra)。

近年になって巻き起こったアルテミジアブーム

そもそもイタリアで、アルテミジア・ジェンティレスキといえば、戦後のフェミニストたちのシンボルとして、そしてもちろん、稀有な才能を持つカラヴァッジョ派画家として、マニアックな美術ファンの根強い人気を集めていました。

そのアルテミジアがここ数年、にわかに世界中人気となり、今年2020年7月8日、427回目の彼女の誕生日には、Googleのdoodleアートとして登場するという事態にまでなっています。現在、ロンドンナショナルギャラリーでは来年1月24日まで、アルテミジアの有名な作品を一堂に集めた展覧会が開催中で、Covid-19の心配さえなければ、観に行きたいところです。

また、2019年11月には、パリで3番目に大きいオークション・ハウス『Artcurial』で、アルテミジアの1630年代の作品『ルクレツィア』が、60~80万ユーロの予想に反して、478万ユーロという破格の値段で落札され、どよめきが起きました。2014年には『恍惚のマッダレーナ』(1623年)が、サザビーのオークションで86万5千ユーロで落札された時にも「最高価格」として話題になりましたから、それから5年の間に5倍強の値がつくほどの人気となったわけです。

わたし自身は、芸術作品を巡る市場価格というものをもともと信用していませんし、その価格が作品の価値を計るバロメーターになるとも思っていません。しかし希少性であるとか、話題性の基準ではある、とは考えます。

それに現代アートの世界でも、いまだに女性アーティストの作品の価値が、正当に認められない傾向にあることには憤慨もしていますから、古代ローマ時代、自らの尊厳を守るために自害した女性をテーマにした、アルテミジアの『ルクレツィア』に破格の値がついたことは小気味よくもありました。

『(自害する)ルクレツィア』はティッツィアーノグイド・レーニなど多くの画家が描いたテーマです。が、アルテミジアのそれは、17世紀バロック初期のカラヴァッジョ派特有の「テネブリズモ(深い闇を使った光の強調)」の技法で、自らの胸に向けたナイフを握りしめ、背景の闇から劇的に浮かびあがるみずみずしい女性の裸体に、ひときわ鮮明な絶望が表現されている。

おそらく男性の画家には描けないであろう、女性の深い悲しみと、揺るぎのない覚悟の瞬間が同時に封じ込められた、一度見たら忘れられない印象的な絵画です。

 

破格で落札されたアルテミジア・ジェンティレスキ『ルクレツィア』の一部。Artemisia Gentileschi, Lucrezia, olio su tela, 95,5 x 75 cm, foto © Artcurial アルテミジアは他にも同じテーマを描いており、2019年、DorotheumからMuseo Nazionale di Capodimonte a Napoliに188万5千ユーロで売却されています。

 

1593年、アルテミジアはカラヴァッジョ派の画家として、現在でも高い人気を誇るオラツィオ・ジェンティレスキとしてローマで生まれました。

つまりアルテミジアは、1600年代、サン・ピエトロ大聖堂、モンテチトリオ宮やバルベリーニ宮など、その後のローマの風景となる典型的なバロック建築や噴水、モニュメントを片っ端から手がけたジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598~1980)やフランチェスコ・ボロミーニ(1599~1967)とほぼ同時代のローマで、娘時代を過ごしたということです。

父親であるトスカーナ出身の画家、オラツィオ・ジェンティレスキの家族は、アルテミジアの祖父にあたるジョバン・バッティスタ・ローミ、そしてオラツィオの兄弟たちもみな、画家として生計を立てたアーティスト一家でもあり、オラツィオは、兄弟が父方のローミ姓を名乗ったため、混乱を招かないように母方の姓、ジェンティレスキを名乗るようになっている。そのためアルテミジアも、ローミ・ジェンティレスキとふたつの姓で表記されることがあります。

当時、サンタ・マリア・マッジョーレ教会やサン・ジョバンニ・ラテラーノ教会のフレスコ画を描くなど、ローマの重要な画家のひとりであったオラツィオの、4人の子供たちの長女がアルテミジアでした。兄弟姉妹の中ではたったひとり、父方の一族の才能を受け継いで、子供の頃から比類のない絵の才能発揮して、父親を狂喜させたそうです。

しかし、カトリック教会ドグマと、はなはだしい父権制度がローマの世界観であったこの時代、娘が自由に出歩き、向学のために外の世界に触れたり、趣味・教養の粋を超え、職業画家として人生を歩む選択はあり得なかった(結果的に彼女はそれを成し遂げたのですが)。したがってアルテミジアは家に閉じ込められ、父親の工房の中だけで、オラツィオの弟子や友人である、一流と言われるアーティスト、職人たちから影響を受けながら絵画を学んでいくことになります。

なお当時、女性の社会的地位がまったく認められず、自立した職業を持つことすらできなかった事実は、その時代の国勢調査で女性が税金を払った記録がないことから明らかになっています。つまり女性は常に父親、あるいは夫である男性の所有物として扱われたということですが、皮肉なことに、アルテミジアの絵画のテクニックは、その自由なき、閉ざされた工房で磨かれることになったわけです。

さて、幼いアルテミジアが父親の工房で絵画を学びはじめた頃は、仕事を求めてローマにやって来た、かのミケランジェロ・メリージ・カラヴァッジョがサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の聖ペテロの磔刑、サン・ルイジ・ディ・フランチェージ教会の『聖マタイの召命』『聖マタイと天使』『聖マタイの殉教を仕上げていた時代にあたります。

カラヴァッジョとアルテミジアの父親は友人でもあり、いまや神格化すらされる、その天才画家は、オラツィオの工房に絵具や画材を借りに、ふらり、とやってきていたそうです。よって、幼いアルテミジアは生身のカラヴァッジョと面識があったということです。

そもそもマニエリスム後期の画家であったオラツィオは、カラヴァッジョとの出会いで決定的な影響を受け、その後はカラヴァッジョ派として、作品に「テネブリズモ」を用い、劇的な構図で写実的な絵を多く描いています。個人的な印象から言えば、同様にカラヴァッジョから多大な影響を受けた娘、アルテミジア大胆さ野性味とは対照的に、繊細でまとまりのある、上品な絵が多いようです。

ともあれ、こうしてつつましく、父親の庇護の下で絵画を学んでいたアルテミジアの人生を大きく動かした事件は、1610年に起こることになりました。

そして、その事件の経緯と、彼女の画家としての力量が、400年後の現代、#me too ムーブメントにも呼応して、あれよあれよという間に現代のフェミニズムのシンボルとなり、アルテミジアブームを起こすことになったのです。

 

アルテミジア・ジェンティレスキ、聖カテリーナとしての自画像(1615ー1617)Artemisia Gentileschi, Autoritratto come santa Caterina d’Alessandria, 1615-17, Olio su tela, 71 x 71.5 cm | © The National Gallery, London 背景は『ホロフェルネスの首を斬るユーディット』(1620)©︎Galleria degli Uffizi, Firenze.

▶︎アルテミジアの人生を変えた、屈辱的な事件

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