フェイクテロ・パニックからモヴィーダ・カオスへ
それは6月2日、トリノの街が待ちに待った欧州チャンピオンズ・リーグの決勝、リアルマドリッドとユーベントスの試合が行われた晩のことでした。その夜トリノの市民の「サロン」と呼ばれる巨大なサン・カルロ広場には、マキシ・スクリーンが設置され、ユーベ必勝の願いを込めた、トリノ初とも言える大掛かりなお祭りが準備されていました。試合当日は、3万人を超えるユーベファンがイタリア中から集まっていたそうです。
それぞれがビールを片手に広場一面をびっしりと埋め尽くし、前半から旗色が悪かったユーベを力の限り声援。わたしはちょうどその時、ローマの広場の片隅のバールで試合を観ていましたが、リアルマドリッドのゴールが決まるたびに、そこに集まった50人ほどの人々は、みるみる不機嫌になり、イライラしてテーブルをコツコツ指で叩いていましたし、あまり好ましくない、険悪なムードの中、試合が進んでいったのは確かです。リアルマドリッドが勝利に一歩近づいた3本めのゴールあたりでは、ガタガタッと席を立ってその場を離れる人も数人いました。
トリノのサン・カルロ広場では、その3本めのゴールが決まった時に異変が起こったそうです。いったい何が起こっているのかわからないまま、何千人もの群衆が、怒涛のように逃げ惑い、足をもつらせて転んでは、逃げ惑う人に踏みつけにされる、という凄まじいパニックに巻き込まれています。
爆発のような音と、誰かの「爆弾だ!」という叫び声がきっかけだったということですが、そもそもユーベが劣勢で、誰もが苛立つ不穏なムードのなか、スクリーンを凝視していた群衆が、「爆弾!」の一声で、咄嗟に「テロだ」と信じ込み、瞬時に逃げ惑いました。その結果、群衆に押しつぶされた女性ひとりが死亡、重傷を含め、1527人が負傷するという大惨事となりました。その夜、テレビのニュースに映し出された広場の光景、ビール瓶の破片が散乱し、バックや靴が転がり、本物の爆弾が爆発したかのような惨状に、イタリア中が衝撃を受けたのです。
現在、トリノ市を含め、イベント制作者、当局の警備体制の管理に落ち度はなかったか、その夜のイベントの準備段階からの詳細が調査されています。もちろん、緊急の際のセキュリティが万全ではなかったことは否めませんが、現実はといえば、一体何が具体的に人々の恐怖をかきたてる引き金となり、群衆をパニックに陥れたか、その場にいた人々も「よく分からない」と首を傾げるだけでした。ただ、確実に言えることは、そこに集まった3万人が、いまやどこででも起こりうるテロの可能性を、あらかじめ漠然と共有しており、その群衆の意識の奥底に潜む『恐怖』が、ちょっとしたきっかけでコントロール不能な集団ヒステリーに陥らせた、ということです。
つまり、今回の事件は、物理的な武器、爆弾を使うことなく、無から「ひとりで」にテロが発生したと言えるかもしれません。そして人々の心理にテロの恐怖がしっかりと根を下ろす状態こそが、おそらくテロを起こす側が目的とする群衆の心理であり、それがすでに成功していることが、トリノの大パニックで歴然としたわけです。「恐怖」という感情が、どれほど人間を簡単にコントロールし、一瞬にして狂気に導くかを目の当たりにし、その場にいたら、おそらく自分も逃げ惑っていただろうと想像して、慄然としました。
さらにトリノに関しては、後日談があります。サン・カルロ広場の大惨事のあと、おそらく警察も、あらゆる地区のセキュリティに関して緊張状態だったに違いありませんが、トリノの「モヴィーダ」のひとつ、Vanchiglia(ヴェンキリア)地区で警察隊と市民の間で起こった衝突は常軌を逸していました。
スペイン語の「モヴィーダ」は通常、ペドロ・アルモドバルなど独特の個性輝くアーティストたちを多く輩出した、ちょっと退廃的な空気を持つ70年代の文化社会運動。イタリアでは最近、若者たちや観光客が、広場や通り、レストラン、バールの屋外のテラスなどで、熱い真夏の夜を楽しむことを表現する言葉として、そのスペイン語の「モヴィーダ」を使うことが多くなりました。そもそもイタリアで「モヴィーダ」という言葉が使われるようになったのは90年代。その頃のイタリアの「モヴィーダ」は、スペイン語の由来に近い、若い人々が集まるヴァイタリティのある真夜中のカルチャー・ムーブメントのことでしたが、現在では、ただ人々が集まって、なんとなく騒いで楽しむだけの、商業的なナイト・スポットを指すことも多くあります。
衝突の発端は、ビール瓶のガラスの欠片が散乱した、サン・カルロ広場で起こった大パニックを念頭に、近年、モヴィーダで起こるアルコール絡みの事件を防ぐため、5つ星運動のキアラ・アッペンディーノ、トリノ市長が決定した、夏期限定のアンチ・アルコール法でした。モヴィーダ地区では、道端で違法にビールを売る移民や、夜遅くまで開いているバングラデッシュ人が経営するミニマーケットでビールを買い込んで、夜遅くまで道端で騒ぐ若者たちが近隣の迷惑になるのみならず、暴力事件に発展することもあります。それらの事故を未然に防ぐために、アッペンディーノはミニマーケットや、移民たちの屋外での、ガラスのボトル入りアルコール飲料の販売を、22時以降禁止したのです。
その、少々威圧的なアンチ・アルコール法に反発、アッペンディーノのやり方に異議を唱える地元のチェントロ・ソチャーレ(文化的占拠グループ)『アスカタスーナ』の活動家たちと、数日間、ちょっとした諍いを起こしていた当局は、その日、よほど腹に据えかねたのでしょう。一般の人々がなごやかに食事をする広場、「モヴィーダ」に押し寄せ、レストランやバールを破壊するという暴挙に出ました。しかし、いくらなんでもこれは当局の過剰反応に違いなく、SNSやメディアで大きな非難を浴びることになりました。
さて、トリノ市長と『5つ星運動』のヴィルジニア・ラッジ市長が率いるローマでも、同様に夏期アンチアルコール法が制定され、0時以降午前7時まで、屋外でのアルコールの摂取は禁じられることになっています。その規則を破った場合はヴァカンス客を含め、150ユーロの罰金が課せられ、午後10時から午前7時まで、無許可でアルコールの販売を行った者には280ユーロ、午前2時から7時まで、パブでもバールでも、あらゆるアルコールの販売は禁止、販売を行った者には同様に280ユーロの罰金が課せられます。
繰り返しになりますが、わたしは個人的には罰金で人を規制することを好ましく思いません。しかし、いいか悪いかは別として、今回の一連の政策で、難民の人々の排斥傾向という姿勢も含め、なかなかシビアで融通が利かない、という息苦しい印象を、『5つ星運動』に改めて持った、というのが正直なところです。
ところで、ローマで「モヴィーダ」と呼ばれる地域はトラステヴェレ、リオーネ・モンティ、ピニェート、テスタッチョ、カンポ・ディ・フィオリ、サン・ロレンツォ、通好みの渋いアンダーグラウンド地区はティブルティーナからプレネスティーナ、チェントチェッレのローマEST(東)、といったところでしょうか。今年はしたがって、今のところは割合落ち着いた雰囲気の真夏の夜が進行中です。
また、嬉しいのは、70年代後半に端を発するローマ市が主催する真夏のイベント「Estate Roma-エスターテ・ロマーナ」が小規模ながら復活しつつあることです。去年まで下火となっていた、オープンシネマやライブが、今年はローマの街の各地区の広場や街角、公園で開催され、老いも若きも三々五々と集まって、庶民的で活気のある夏のイベントとなっています。近所のオープンシネマを覗いてみると、23時からの上映も満員盛況。もちろん、今年もトラステヴェレのサン・コシマート広場では、チネマ・アメリカの若者たちが、厳選した作品と、監督、俳優たちを招いて、映画の夕べを毎晩企画して、大賑わいです。
イタリア人よりも移民や難民の人々にすれ違うことの多い、わたしの住む地区では、夜が更けるにしたがって、たむろして飲み明かすグループがあちこちに集まり、酔っ払いの喧嘩が起こったり、ビール瓶を石畳に投げつけて粉々にしたり、朝、路上に注射器が転がっていたり、と真夏の深夜の無法地帯となっていましたが、今年は広場で夜遅くまでオープンシネマが上映されるせいで、人々が行き交い、明るく、健全な雰囲気ともなっています。そういうわけで、『鉛の時代』の暗い空気を一新したローマ市主催のイベント、エスターテ・ロマーナ以来の「文化が地域を活性化し、人々を健全にする」という定説は真実だ、と実感した次第です。
ローマの水問題、断水はとりあえず中止
世界中でじわじわと進行している温暖化のせいか、降雨量がきわめて少ない今年のイタリアは、全国的な大干ばつ。ローマも例に漏れず、水源のひとつであるブラッチャーノ湖が、1m60cmも標準値を下回り、生態系が変わりそうなほどの枯渇の危機を迎えています。
ローマ市の水の供給を行なっているのは、Aceaというイタリアのエネルギー主要会社のひとつですが、湖がこれほど枯渇する前に、何の方策も取らず、ひたすら汲水し続けたことに、現在調査が入ったところです。そのため、7月31日からラツィオ州、ローマ市内の水が供給制限され、8時間の断水が実施されるかもしれないと、この灼熱にとんでもない断水計画がAceaから持ち上がり、ヴァチカンは直ちに全ての噴水の水を止めました。ローマで「断水」なんて、古代ローマ時代以来一度もなかった、と市民からも大きな反発が起こっています。
しかしながら、土壇場になって「ローマで断水だなんて、国際社会の笑い者になる」と、断水は中止。ブラッチャーノ湖を保護するため、7月28日に設定されていた汲水中止は、1日の汲水量を厳重に管理されながら9月1日まで延期となり、市民はもちろん、レストラン、ホテル、バール、病院など、水なしの状況では運営できない施設に関わる人々も、深刻な事態に陥らず、ホッとひと安心した次第です。また、ナゾーネ(公共水道)が生命線でもある、路上で生活することを余儀なくされた人々にとっても、断水中止はとても良いニュースでした。
NYタイムズ紙は、今回のローマの水騒動を報道するにあたり、「そもそも古代ローマは、優秀な水道設備で『水』という自然を制覇したことから発展しているのに」と現代のローマを皮肉る記事を書いていますが、実際、NYタイムズの言う通り、現代ローマにおける水道管理はかなり酷い状況です。70年代以来、水道管設備が修復されていないため、水源から各地に水が運ばれる途中、水道管からは汲水量の44%以上!の水が漏れ出しているのを放置されたまま、という信じられない杜撰さが指摘されています。
今回問題となったブラッチャーノ湖は、ローマの水の供給の8%を担うにすぎず、水道インフラが100%管理されていたならば、まったく問題にならなかったはずであり、古代ローマからの街の水源でもある大切な湖が枯渇しそうなことは、環境の観点から大問題でも、明日にでも水が止まる、という緊急事態を煽る報道のあり方、Aceaの脅迫的な姿勢にも大きな疑問が残りました。さらにはラッジ市長が選挙時に掲げていた「水の公営化」の話はどうなったのか、水を議論するには絶好のチャンスだったというのに、何の議論も起こりませんでした。
いずれにしても、今回の水騒動の一件で、ローマの水道管のインフラ整備の見直しを、Aceaが大掛かりにプロジェクトするようで、多少ゼネコン臭というか、政争臭がしないわけではなくとも、水道管から44%も漏水するという尋常ではない状況は、責任を持って、一刻も早く改善してほしいものです。
街の隅々にまで噴水や、ナゾーネと呼ばれる常に冷たい水が迸る水道がある、水が豊かな印象のローマ。断水で街が荒れ果てることもなく、枯れた廃墟を抱きながらも。瑞々しいローマのまま、いよいよ本格的なヴァカンス・シーズンに突入です。そろそろ人々が、海へ、山へと旅立つ頃。街の満員感も、少しは収まるかもしれません。