検察官ジョヴァンニ・ファルコーネ、パオロ・ボルセリーノを核とした「プール・アンチマフィア(パレルモ裁判所反マフィア特別捜査本部)」が、「コーザ・ノストラ」の重要ボス、トンマーゾ・ブシェッタの司法協力を得て、1986年から開廷した史上最大のマフィア裁判、マキシ・プロチェッソ(大裁判)は、1990年12月12日、346件の有罪判決をもって終了しました。さらに1992年1月には、判決の破棄、差し戻しの権限を持つ、日本の最高裁にあたる破毀院が、その有罪判決を有効とします。しかしその直後から、イタリアが不安定化するほど、衝撃的で残虐な重大爆破事件がたてつづけに起こることになるのです。ファルコーネ、ボルセリーノは、事件から33年以上が経った今でも、アンチマフィアの絶対的英雄として語られ、賞賛され続ける検察官ですが、そのふたりを追い詰め、死に導いたマフィア以外の者たちの暗躍は、いつのまにか沈黙の底に沈もうとしています。
はじめに
イタリアの深い夜の闇には、ぞっとするような事実が隠されていることがあります。個人的にはイタリアの人々、その歴史、芸術・文化に強い愛着と尊敬の念を抱いていますが、92~93年に起こった連続重大爆破事件の詳細を調べれば調べるほど、暗澹とした想いが湧きあがることを告白しなければなりません。しかもその事実は、いったん白日の下に晒されながら、ある時点から、まるで何事も起こらなかったかのように、再び闇の中に吸い込まれそうになります。このもどかしい感覚は「アルド・モーロ誘拐・殺害事件」を調べていたときの感覚と同質です。
ただ、「モーロ事件」と大きく異なるのは、当時、重大爆破事件の標的となって生命を失った、ジョヴァンニ・ファルコーネとパオロ・ボルセリーノのふたりが、国家に仕える検察官ではあっても、権力を持たない、われわれと同じ市井の人だったことでしょうか。
生前のふたりの発言、佇まいを知るにつけ、検察官という職務への誠実さ、善良さ、人間らしさ、貫かれた正義感が伝わり、彼らの同僚の検察官たちや親しかったジャーナリストたちのみならず、事件を知らない世代の人々が、義憤にかられて調査を継続する理由が理解できるように思います。
イタリアには真実が明かされないままの戦後の歴史に、粘り強く立ち向かう人々が多くいます。なぜなら彼らはその過去が途切れることなく、現代に大きな影響を与えている、あるいは「表面上、状況は変わったように見えて、システムそのものはあまり変わっていない(Gattopaldismo)」ことを熟知しているからです。
その、1992~93年に起こった「コーザ・ノストラ」+αが実行犯となった連続重大爆破事件の背景を、気鋭の検察官たちがつぶさに調べ上げ、裁判に持ち込んだ、俗に「Trattativa Stato Mafia(国家・マフィア間交渉)」と呼ばれる裁判については、一部の国家権力側の者たち、ジャーナリスト、知識人たちが「陰謀論」、あるいは「背景論(dietrologia)」と一蹴しています。長期にわたる裁判において、いったん「有罪」となり、最終的に「無罪」判決を受けた一部の国家要人、当局者である被告たちは言わずもがな、先の項で多く引用したマフィア学者サルヴァトーレ・ルーポもそのひとりです。
しかしながら、「国家・マフィア間交渉」裁判は、多くの検察官たちが、あらゆるすべての捜査の結果を根気よく裏取りし、夥しい数の「コーザ・ノストラ」悔悛者たちの証言を精査したうえで、司法に委ねた現実です。最近は多くのフェイクニュースや「陰謀論」がSNSで瞬く間に広がり、たびたび問題になりますが、その多くが根拠のない、煙のような話だというのに、多くの人々が信じ込んでしまう。特に問題なのは、司法、政治権力、あるいは社会的に影響力のある者が、明確な根拠のある事実を、「無効」「フェイク」「陰謀論」と断罪し続けることによって、いつの間にか現実が書き換えられてしまうことです。
さて、これから時間をかけて3回の予定で、1992~93年に起こった連続爆破重大事件を追っていくことにします。
基本的には2013年3月からはじまった、「国家・マフィア間交渉」訴訟の予審に従事した検察官ニーノ・ディ・マッテーオ(2023年まで、Il Consiglio Superiore della Magistratura<CSM>ー司法高等評議会委員:イタリアの司法自治政府機関メンバー、Direzione nazionale antimafia e antiterrorismo ー国家アンチマフィア、アンチテロリズム対策本部長を歴任 )、アントニオ・イングロイア(ディ・マッテーオとともに訴訟を立ち上げた元検察官、作家、政治家)、ファルコーネ、ボルセリーノのパレルモ裁判所時代の同僚でもあった、現上院議員ロベルト・スカルピナートの捜査、分析を基本に、サヴェリオ・ロダータ、マルコ・トラヴァイオ、シクフリード・ラヌッチ、アンドレア・プルガトーリ、アッティリオ・ボルツォーニなど、現代イタリアの代表的ジャーナリストによる報道番組、記事、書籍を参考にしながら、本稿をまとめるつもりです。
この、「国家・マフィア間交渉」裁判の核となったニーノ・ディ・マッテーオは、ファルコーネ、ボルセリーノに憧れて検察官を目指したそうで、1992年、パレルモ裁判所での研修生時代には実際にふたりと知古を得た経緯があり、その後ふたりを襲った悲劇に直面した際は、計り知れない衝撃を受けたと言います。さらにディ・マッテーオが検察官としてはじめて「トーガ(官服)」を纏ったのは、当時ファルコーネが犠牲となった「カパーチの虐殺事件」を捜査したカルタニセッタ裁判所でもありました。
1992~93年に起こった6件(+1件の未遂)の重大爆破事件は、長い期間、すべて「コーザ・ノストラ」が単独で仕掛けた、マキシ・プロチェッソ(大裁判)での大量有罪判決を許した、友人であったはずの国家要人たちへの復讐、あるいは脅迫と考えられていました。
しかしながら先の項で繰り返し述べたように、戦後マフィアは独立して地方に存在する、ロマン・ノアールな小規模犯罪組織ではなく、麻薬の密輸や巨大インフラに流れる公金横領などの犯罪で構築した巨万の富を背景に、政治家を含む公権力(の一部)、極右勢力、フリーメイソン系秘密結社『ロッジャP2』、国内外の諜報局幹部らとの相互利益関係を発展させ、イタリアの『鉛の時代』の一端を担った犯罪組織です。
レオナルド・シャーシャの言葉を借りるなら「特定の文脈で活動し、不正な方法で資金を集める暴力システムで形成された権力。特殊な文化コードを活用し、一定の社会的合意の上で、経済、社会文化、政治、司法間に相互作用を及ぼす複雑な構造で構成された犯罪組織」であり、確かに92~93年の重大爆破事件の動機のひとつに「脅迫」「復讐」の意図があったとしても、そのストーリーを巧妙に利用した政治的背景があったとしか考えられない捜査結果が明示されています。まず「コーザ・ノストラ」が単独で起こした犯罪にしては、爆弾の規模が大きすぎます。
約160年の歴史を持つマフィアは常に、そして特に戦後は、顕著に時の政治権力を抱き込んで利害関係を結ぶことに優れた能力を発揮し、またそれゆえにスタイルを変化させながらも消滅することなく、現在まで続いている、と言えるかもしれません。強調しておきたいのは、イタリアの政治家、当局者のほとんどは強力なアンチマフィアですが、ごく一部、それも国家要人、軍部諜報局、警察幹部という重要な地位にある者たちの中でマフィアと緊密に通じる者たちが存在したことも事実だ、ということです。
「政治とマフィアは、同じ領土を支配して生きるふたつの権力である」(リリオ・アバーテ、ピーター・ゴメス)
冒頭で述べたように、マキシ・プロチェッソ(大裁判)でマフィアたちを一網打尽にした「プール・アンチマフィア」の精鋭であるファルコーネとボルセリーノは、現代でもアンチマフィアのシンボルとしてイタリア各地にグラフィティが描かれ、映画、演劇となり、彼らが遺した言葉の数々は中学、高校など教育の現場での教材ともなっています。しかし確かに英雄には違いなくとも、周到に準備され、心理的にじわじわ追い詰められた彼らの苦悩と事件の背景を知らないまま、単純に賞賛することには疑問を感じる、というのが正直なところです。

プーリア州の海辺、ヴィエステ市による文化プロジェクトでLo studio 167B/Streetが学校の壁面に実現したふたりの検察官を描いたグラフィティ。(Palermo Todayより引用) I volti di Falcone e Borsellino sulla facciata di una scuola a Vieste https://www.palermotoday.it/cronaca/murales-falcone-borsellino-scuola-media-spalatro-vieste-puglia.html © PalermoToday
*この項は、前項「コーザ・ノストラ」とジョヴァンニ・ファルコーネ、史上初のマキシ・プロチェッソ(大裁判)と重複する部分を含めた内容となっています。
「ファルコーネとボルセリーノの最後の言葉(Le ultime parole di Falcone e Borsellino : Chiarelettere 2012)」、L’EUROPEO( Le Radici di Gomorra : 2010)、「イタリア・マフィア(シルヴィオ・ピエルサンティ/朝田今日子訳:ちくま新書)、Il Patto Sporco/Nino di Matteo Saverio Lodato Chiarelettere 2018)、Il colpo di spugna – Trattativa Stato Mafia: il processo che non si doveva fare(Nino di Matteo/Saverio Lodato RCS Media Group S.p.A.,2024)、MAFIA fare memoria per combatterla (Antonio Balsamo/PICCOLO BIBLIOTECA PER UN PAESE NORMALE 2022)、裁判記録、イタリア語版Wikipedia、Mafia Dossir 、Wikimafia、各種特集番組(Raiplay)、La7 Atlantide, Rai3 Report, 各種新聞記事、YoutubeにアップされているRoberto Scarpinato、Nino di Matteo、Saverio Rodata、Marco Travaglioの講演(Youtubeチャンネル : ANTIMAFIADuemilaTV, Rai, Malgradotutto, il fatto quotidiano, Fanpage, La7, MoVimento 5 sfelle ecc.)などを参考にしました。
❷いま一度、マフィアの変遷 ❸受難のはじまり ❹「わたしをひとりにしないでくれ」❺パレルモからローマへ ❻1992年5月23日17時58分