1992〜93年「コーザ・ノストラ」連続重大事件Ⅲ:フィレンツェ、ミラノ、ローマに拡大した攻撃

Anni di piombo Cultura Cultura popolare Deep Roma Società Storia

「国家・マフィア間交渉」裁判

まず、特筆すべきことは、ベルルスコーニが政権を握ったその日から、マフィアによる大規模爆弾テロがまったく起こらなくなったことです。

これは逮捕されたリイナの後、「ボスの中のボス」として「コーザ・ノストラ」を率いた、「穏健派」とされるベルナルド・プロヴェンツァーノの政治手腕も影響した可能性があります。しかし最も大きな理由は、新政権の成立により、91年からはじまったエンナの会議以来の目標が、図らずも、なのか、予定通りなのか、達成されたからだと推測できるかもしれません。

ちなみに1963年から指名手配され、逃亡者となったプロヴェンツァーノは、2006年に逮捕されるまで、なんと43年(!)もの間、コルレオーネの粗末な農場の作業小屋に隠れていたそうです。その間、隠れ家を見つけたカラビニエリが急襲しようとしていますが、「Rosのモーリ隊長から足止めされた」エピソードもあり、プロヴェンツァーノは明らかに当局の有力者から保護されていた、と見られます。

なお、ベルルスコーニという人物は、『ロッジャP2』のグランド・マスターとして君臨したリーチォ・ジェッリが作成した「Piano di Rinascita Democratica(民主主義再生計画)」に描かれた、メディアの掌握二大政党政治を、結果的に実現した人物であり、生前のジェッリもそれを認めています。ベルルスコーニが『P2』リストに名を連ねていた人物であったことは、以前の項のいくつかに書いた通りです。

2023年にマリオ・キアヴァリン監督により制作されたドキュメンタリー「La loggia occulta: Democrazia a rischio(隠されたロッジ:民主主義の危機)」。2019年にリーチォ・ジェッリが亡くなった後も『P2』の存在は繰り返し語られ、亡霊(?)として社会を彷徨い続けています。インタビューで証言する元検察官ゲラルド・コロンボは1981年に『P2』の存在を発見した検察官で、のちに「マーニ・プリーテ」「アンブロゾーリ殺害事件」の捜査にも従事。ジュリアーノ・トゥローネは元検察官の作家で、コロンボとともに『P2』を巡る捜査を指示した人物です。

さて、「パペッロ」に記載された要望と引き換えに、凶悪な大規模爆破テロ事件を終了させるため、少なくとも5回は開かれた、国家当局の交渉人Rosの幹部と「コーザ・ノストラ」の「国家・マフィア間交渉裁判は、多数の元マフィア司法協力者から収集された証言と証拠、長期にわたる捜査に基づいて、2013年5月27日から開始されました。

なおこのとき、多くのメディアは、国家とマフィアの間に「交渉」が存在した、という単純事実から検察側が起訴に踏み切ったという論調で裁判を報じましたが、ニーノ・ディ・マッテーオは「そうではない」と断言しています。確かに国家がマフィアと対等に「交渉」することには倫理的な問題がありますが、メディアの論調をそのまま鵜呑みにするなら、国家が危機的状況にあるときには、外交問題と同様に「交渉」で解決しようとする姿勢は妥当ではないか、との誤解が生まれやすくなるからです。

「(マフィアと国家側の交渉人)が起訴されたのは『国家の政治機関に対する暴力または脅迫』であり、それは刑法第338条および第339条に定められる犯罪です。特に1992年から1994年にかけて相次いで成立した4つの政権、すなわちアンドレオッティ政権、アマート政権、チャンピ政権、ベルルスコーニ政権が対象となります」

「マフィアはこれらの政府を脅迫し、虐殺を実行し、マフィアとの闘いにおける国家の決定に影響を与えるため、仲介者を通じて政府に自分たちの要求を呑ませようとした罪で起訴されました。と同時にわれわれは、マフィア特定の行動(大規模爆弾テロ)に誘導した、あるいは政府への要請の伝達役として自ら行動した当局者に対し、その共犯者としての罪で起訴したのです」(いずれもニーノ・ディ・マッテオ、サヴェリオ・ロダータ共著/ Il Patto Sporco)

つまりマフィアに交渉を持ちかけたのは国家を担う一部の政治家たちから依頼を受けたRosの幹部たちであり、その交渉を優位に進めるため、マフィアは「大規模爆弾テロ」で国家を次々に脅迫し続けたわけですから、テロを防ぐどころかさらなるテロを生むことになった「交渉」に関わったRosの幹部たちも、マフィアたちと同罪だということです。交渉人たちは(この場合、国家も)、結果的にはマフィアの言いなりでした。もちろんこの「交渉」の背後には、前述した『P2』の流れを汲む傍系フリーメイソン、一部の諜報局幹部が存在していたことも裁判で明示されています。

2018年に開かれた第1審判決では「交渉」の経緯が確認され、マフィア幹部だけでなく、交渉に携わったRosマリオ・モーリアントニオ・スブランニマルチェッロ・デル・ウトゥリアントニーノ・チーナ(トト・リイナの専属の医者で、マッシモ・チャンチミーノとともに仲介を幇助)に12年懲役ジュゼッぺ・デ・ドンノマッシモ・チャンチミーノ(自宅軟禁となったヴィート・チャンチミーノは2002年に死亡)には8年懲役、「コーザ・ノストラ」の当時の幹部だったレオルーカ・バガレーラ(リイナは2017年、プロヴェンツァーノは2016年に獄中で死亡)に28年の懲役という判決が下されています。

この時元大臣カロジェロ・マンニーノは共犯者として起訴されましたが「無罪」となり、また司法協力者となったジョヴァンニ・ブルスカには時効が成立しました。第1審の判決文のボリュームは、なんと5252ページという膨大なものでした。

ところが検察側が1審の判決の維持を求刑した2021年に開かれた控訴審で、パレルモ控訴裁判所は、マリオ・モーリ、アントニオ・スブラーニ、ジュゼッペ・ドンノを「その行為(交渉)は犯罪を構成しないため」、マルチェッロ・デル・ウトゥリは「ベルルスコーニ政権が94年5月に発足して以来、虐殺も殺人もなく、物理的な脅威がなくなったため、犯罪を構成しない」、と1審を翻し「無罪」の判決を下すのです。レオルーカ・バガレーラは27年の懲役に減刑、ジョヴァンニ・ブルスカの時効は維持されました。

そして2023年最高裁は2021年の控訴審による1審判決の破棄確定します。「モーリ、スブランニ、デ・ドンノがマフィアと行った交渉は歴史的に確認されているが、司法上責任を問うには、交渉に関与したRosの職員が、実際にマフィアの脅迫を助長する意図があったことを示す証拠が欠けている」いう結論でした。その判決文はわずか数ページにしか過ぎませんでした。

「最高裁判所は、わずか数ページで、この問題に取り組んだすべての司法官に、審理段階や実質的な判断にかかわらず、次のように伝えたかったのです。『あなた方は許されるべきではない』と」

「1992年から1994年にかけての虐殺の2年間に、言葉では言い表せない許しがたい受け入れがたいことが起こったことは、文字に記すことを許されるべきではなかった。そして、その過ちを正すために、私たちは、そのような事実はなかったと主張することを選ぶ。必要であれば、物事の自然な秩序を回復するために、それらの事実に見ないふりをし、すべて無視し、犯罪の疑いも、より確固たる証拠必要性も認めないことを選ぶ」

「最高裁判所は、時効で無罪となったマフィアを除いて、すべての被告人を無罪とするよりも、彼ら(国家の交渉人たち)を、偶然にも地獄のような起訴機構巻き込まれた哀れな者たちとして表現したいと考えているようです」(ニーノ・ディ・マッテーオ、サヴェリオ・ロダータ共著/ Il colpo di spugna<一掃>)

国に身を捧げ、生涯を賭けてマフィアと闘ったファルコーネが亡くなり、ボルセリーノが亡くなり、その背景では諜報機関と傍系フリーメイソン、極右テログループが蠢きながら、戦後からのマフィアとの談合が連綿と続いていたというのに、最終的に国家側から交渉に従事した者たちが全員「無罪」とは、『鉛の時代』の極右テロ事件、あるいはアンドレオッティ裁判とまったく同じ構造が2023年のこの裁判でも見られた、ということです。

この最終判決を受け、ニーノ・ディ・マッテーオは、「国にとってあまりに不愉快な真実を消し去るための一掃措置」と表現しました。「勇気と専門知識を持った検察官たちが、非常に重大な事実を突き止めたのだ。結局のところ、レオナルド・シャーシャの言葉は真実のようだ。イタリア国家が本当にマフィアを消滅させたいのであれば、自殺するしかないのだ  (Se lo Stato italiano volesse davvero sconfiggere la mafia, dovrebbe suicidarsi-1989 Leonaldo sciascia)。」(ニーノ・ディ・マッテーオ、サヴェリオ・ロダータ共著/ Il colpo di spugna<一掃>)

Il Fatto Quotidiano紙の主幹マルコ・トラヴァイオは、マフィアが国への要望をざっくりと記した、件の「パペッロ(リスト)」のほとんどは、ベルルスコーニ政権のみならず、左派の政権を含め、議会に提案され、承認された法律として、実現されつつある、と結論づけています。たとえばアシナーラ島ピアノーサ島のように厳格に管理され、多数の41bis受刑者を収容できる大型刑務所は完全に廃止されました。また終身刑の廃止に関しても多くの提案がなされつつあり、恩赦の制度はマフィア組織には属さないマフィア的犯罪にも適用されるようになりました。イタリアの最も特徴的な厳罰刑41bisに関しては、人権の観点から欧州委員会から見直しを求められているところです。

トスカーナ州のピアノーサ島の41bis適用の厳重刑務所は2011年に閉鎖され、現在では一般の見学も可能です。写真はfirenzeurbanlife.itより引用。

またトラヴァイオは、「マフィアが銃弾を撃ちまくっている時は、何かがうまくいっていない時で、静かにしている時は何もかもうまくいっている時だ」とも言っています。そして現在は、といえば、「コーザ・ノストラ」の残党の大量逮捕の件以外、「カモッラ」に関しても、「ンドゥランゲタ」に関しても、メディアで語られることはほとんどありません。たとえばアンチマフィアの検察官として著名なナポリ検察局局長ニコラ・グラテッリは「状況は、ファルコーネ以前に戻った」とまで言っているのです。

なお、プロヴェンツァーノ(2016年獄死)の逮捕後、92〜93年の連続大規模爆破事件の全容を知る、最後の「コーザ・ノストラ」の大ボスとされ、トト・リイナ(2017年獄死)が息子のように可愛がったマテオ・メッシーナ・デナーロは、2023年に逮捕されてすぐ、何も喋らないままやはり獄中で亡くなりました。

トト・リイナはそのやり方が気に入らなかったようですが、メッシーナ・デナーロはプロヴェンツァーノの方向性を引き継ぎ、極力目だたないよう暴力犯罪を禁じ、みかじめ料にも慎重で、マフィアビジネスそのものをイノヴェーションした人物と定義されます。30年間逃亡し、パレルモのクリニックで逮捕されたメッシーナ・デナーロの隠れ家は、何度も捜査が行われたであろう家族も暮らすカステルヴェトラーノで見つかりましたが、リイナ、プロヴェンツァーノから引き継いだ巨額の資金、重要書類は何ひとつ見つかっていません。

ちなみに2024年、ファビオ・カッサドリア、アントニオ・ピアッツァ監督による、メッシーナ・デナーロの生涯にインスピレーションを受けた映画「IDDU-L’ultimo padrino (イッドゥー最後のゴッドファーザー)」が、エリオ・ジェルマーノ、トニ・セルヴィッロというイタリアを代表する俳優陣で制作されています。残念ながら、まだ観ていないのでコメントはできませんが、トレイラーを観るとなかなか面白そうです。

「国家・マフィア間交渉」裁判は、こうして不本意な判決で終結しました。しかし納得しない検察官、ジャーナリストたちは、現在も精力的に捜査を続け、何か新しい動きがあるたびに、主要メディア、そしてネット上では夥しい数の情報が飛び交います。また、現在はフィレンツェ検察局が、93年のジォルゴーフィリ通りで起こった大規模爆弾テロの捜査の一環として、「交渉」裁判の要素を引き継ぐ形で継続しています。

イタリアの人々の国民性は「どこか軽薄」と誤解される向きもありますが、いったん追求すると決めたら、辛抱強く、執念深く、細部の細部まで調べ尽くし、決して途中で放棄しない。その気概は凄まじく、頼もしい限りです。

ところで「国家・マフィア間交渉」裁判の最終判決ののち、フィレンツェの「ジォルゴーフィリの虐殺」遺族会がニーノ・ディ・マッテーオ、サヴェリオ・ロダータらを招いて開いた講演会では、「交渉」裁判に遺族代理人として出廷した弁護士、ダニーロ・アンマナートが、確固とした厳しい口調で、膨大な判決理由書から注目すべきデータのみを抜粋して、状況を説明しています。フィレンツェ検察局における捜査如何では、「交渉」裁判で「無罪」となった者たちの判決が覆る可能性もあるからです。抜粋して抄訳します。

「パレルモ裁判所における第1審5000ページ、また同じくパレルモ裁判所における控訴審3000ページ、さらにレッジョ・カラブリア控訴裁判所における『ンドゥランゲタ』に関する裁判(92〜93年の連続大規模爆破事件において、『コーザ・ノストラ』のグラヴィアーノ兄弟らと通じ、犯行に加わった『ンドゥランゲタ』のメンバーを精査する現在進行中の重要裁判)を含め、93年のフィレンツェの事件に関して、90人もの刑事司法官が12000ページもの刑事判決を調査し、評価しています。(略)検察官が起訴した3件の裁判は最高裁まで持ち込まれました。そして、3件の刑事上告審で、93年の虐殺は憲法秩序を破壊する虐殺であると認定された。つまり、国家心臓部攻撃しようとした、より具体的に言えば、1993年チャンピ政権攻撃するために起こされた事件でした」

「直近のレッジョ・カラブリア裁判所の判決文を少しだけ紹介することにしましょう。まず364ページ、「国家・マフィア間」交渉存在した。458ページ、虐殺事件連続させる役目を負ったのは、逸脱したフリーメイソンだ。676ページ、デル・ウトゥリは1992年から「コーザ・ノストラ」が希望する新しい政治体制との連絡を担当していた。783ページ、(一連)の虐殺事件国家不安定化させるためだった。1188ページ、したがって、刑事上証明されたもうひとつの疑いのない結論は、犯罪組織フリーメイソン、および政治家との間で確認された癒着であり、これは、旧支配層置き換えるため、という明らかな利害一致における共謀である」

「1202ページ、(イタリアの)諜報機関トップ存在した(秘密結社『ロッジャP2』)のリーチォ・ジェッリCIAにより創出された人物である。1214ページ、マフィア諜報機関国家不安定化計画において非常に密接な関係にあったことは証明されている。繰り返しますが、これはジャーナリストや市民の意見ではなく、2024年2月公表されたレッジョ・カラブリア控訴裁判所による判決文です」

「93年には(戦後イタリアの政治を担った)『キリスト教民主党』『イタリア社会党』『イタリア共和党』『イタリア自由党』『社会民主党』という5つの政党が解体します。そこに空白ができた。しかし政治はその恐怖の空白を容認できなかったのです。そして同時に各地に爆弾が仕掛けられた」

「ここでデル・ウトゥリを『無罪』とした、あの有名なパレルモ控訴裁判所判決文を読みます。無罪の理由は、ベルルスコーニ政権が94年5月に発足して以来、虐殺も殺人もなく、物理的な脅威がなくなったから、というものです。しかし2841ページには、デル・ウトゥリと、マフィア間に政治的合意が締結され、『フォルツァ・イタリア』に投票する方向へと利害一致した、とあります。2843ページには1993年にマルチェロ・デル・ウトゥリはマフィアの代表者たちと直接対話しながら謀略を企て、ベルナルド・プロヴェンツァーノジュゼッペ・グラヴィアーノの助けによって、マフィア誘導する仲介を進め、選挙を優位に進めようとした、とある」

「マルチェロ・デル・ウトゥリは1993年選挙前、および1994年選挙後の段階において、抽象的には別の刑事犯罪類型該当する行動をとったにも関わらず、国家を脅かすものではなかったため、控訴裁判所の判決は説得力のあるものになりましたが、われわれは、デル・ウトゥリは脅迫罪ではなく別の犯罪類型罪を問われるべきだと考えています」

「われわれの弁護人がデル・ウトゥリに関する(司法協力者の)証言、証拠という起訴要素についてリストを作成しています。まず、サルヴァトーレ・カンチェーミ、アントニーノ・ジュフレ、ガスパーレ・スパトゥッツァ、フランチェスコ・ディ・カルロ、トゥリオ・カンネッラ、カルメーロ・ダミーコ、ガエターノ・グラート、フランチェスコ・ラ・マルカ、ジュゼッペ・モンティッチェーロ、ジョヴァンニ・ブルスカ、ジュゼッペ・リーパリ、ジュゼッペ・ディ・ジャーコモ、さらにトト・リイナとジュゼッペ・グラヴィアーノの収監中の盗聴、2019年には、デル・ウトゥリとグラヴィアーノの密な交流について、フランチェスコ・スクゥイラチが語っています。リッジョ・ピエトロは、デル・ウトゥリこそが(93年の一連の虐殺事件の)発案者であり、(爆弾を仕掛ける)場所の選定を行なった人物だ、と言っているのです」

現在、フィレンツェの「ジォルゴーフィリの虐殺」遺族会は、起訴資料を考察した結果、フィレンツェ裁判所に、デル・ウトゥリの公判送致を要請しているところだそうです。

最後の最後に余談になりますが、イタリア現首相であるジョルジャ・メローニは15歳の時、ダメリオ通り大爆発の中継をテレビで観てショックを受け、「イタリアを変える必要がある」、と政治家になる決心をしたと述べています。

メローニはボルセリーノが辿ったように、MSI(イタリア社会運動)の青年部から政治のキャリアをはじめた、と何度も述べており、現政府上院下院議員による第14次「アンチマフィア委員会」、そして現在も「ダメリオ通りの虐殺」の捜査を維持するカルタニセッタ検察局への協力も表明しています。

ただ、現政府が政権を握るまで、ファルコーネ、ボルセリーノをアンチマフィアのシンボルとして、「カパーチの虐殺」「ダメリオ通りの虐殺」の捜査を同時に進めるのが通常でしたが、なぜか現在の「上院・下院議員アンチマフィア委員会」は、ボルセリーノのみ焦点を当て、ファルコーネについて語ることはほとんどありません。

さらに、現「アンチマフィア委員会」の背後には、第1審で有罪の判決を受けながら、最終的には無罪が確定した、国家側の交渉人であったRosの元幹部であるマリオ・モーリ顧問(!)として存在していたことが、国営放送Rai3の報道番組「Report」で公表され、強く問題視されています。

なお、現政府下にある「アンチマフィア委員会」は、委員会に最も相応しいと思われるメンバー、元パレルモ裁判所検察局の検察局長ロベルト・スカルピナート上院議員、および元国家アンチマフィア、アンチテロリズム局局長フェデリコ・ラフィエロ・デ・ラホ下院議員を「利益相反(?)」として排除する法律を政府に要請し、誹謗中傷を繰り返すなど、妨害し続けているのです。

しかも、この「アンチマフィア委員会会長を務める女性議員は、「ボローニャ駅爆破事件」の犯人として無期懲役となった犯人のひとり(現在は放免)と仲良さそうに写っている写真SNSに投稿し、騒ぎになったことがありました。最近では、ムッソリーニの胸像を傍に、楽しそうにビデオ撮りした様子も報道されています。

いずれにしても、ボルセリーノを敬愛する現首相の計らいで、「ボルセリーノを追悼する」として、33年の時を経た2025年の夏、下院議会があるモンテチトーリオ宮には、赤い手帳が入っていた(はずの)ボルセリーノの焼け焦げた鞄は、ガラスケースに囲まれ、うやうやしく展示されることになりました。

下院議会モンテチトーリオ宮に展示されたパオロ・ボルセリーノの焼け焦げた皮革の鞄。il foglio紙より引用。イル・フォリオ紙は、赤い手帳についてのマフィア研究者サルヴァトーレ・ルーポの見解に基づく記事を掲載していますが、ルーポ氏は優れたマフィア学者であっても、マフィアとフリーメイソン、諜報局、極右テログループの癒着に関して疑義を唱える、どちらかというと、政治的に差し障りのないテーマに終始する人物です。

こうして92年、93年に起こった連続大規模爆破事件、94年初頭の大規模爆破未遂事件は、多くの曖昧さを残したまま、現代を彷徨ったままになっています。

これらの事件の捜査、証言に関しては、『鉛の時代』のあらゆる事件同様、びっしりと詰まった網の目のように複雑な共謀関係、さらなる不審人物、警察側がマフィア組織に送り込んだ元ボスであるスパイ(ルイジ・イラルド)の暗殺事件など、詳細情報が次々と浮かび上がり収拾がつきません。そこで、その大筋だけを投稿することにしましたが、イタリアという太陽の光に満ちた美しい国の、過去に漲る凄まじさを、少し共有できれば、と思う次第です。

そして、イタリアのすべての裁判所に掲げられた「法は万人に平等」という清廉な言葉には、何かこう、虚しさのような感情を抱いていることを、告白しておきたいと思います。

RSSの登録はこちらから