2023年7月のローマは、10日を過ぎたあたりから地獄の番犬「サーベラス(Cerbero)」、および冥界の渡し守「カローン(Caronte)」の名を持つ、サハラ砂漠から押し寄せる熱嵐がダブルで吹き荒れて、最高42℃+という酷暑に見舞われました。それらはその名の通り、まさに絶望的と言える灼熱地獄をもたらし、シチリアに山火事を頻発させたり、北イタリアにテニスボール大の雹を降らせたり、いまだかつて体験したことがない暴力的な高気圧でした。「これからはひと夏ごとに暑くなる、もっともっともっと暑くなる。それが現実です」、と涼しい顔で語る気象学者の話を聞きながら、感染症といい、戦争といい、地球温暖化といい、まるでわれわれはSF世界に住んでいるようだ」と考えた次第です。そこで、そんなSF世界につつましく暮らしながら、ここ数年、ペンタゴンやNASA、米国議会から、突発的に、しかしけっこう頻繁に流れてくるUfo関連の話題のうち、米国のエリア51に保管されている(と言われる)、1933年にイタリアに墜落したUfo、及び地球外生命体と思われる2体の亡骸について、軽い気持ちで調べてみようと思います。
ムッソリーニのUFO
現在のわたしは、まったくUfoマニアではありません。ここ数年、NASAやペンタゴンが認めたUfo動画をニューヨーク・タイムズ紙が発表したとか、米議会でもその存在について話し合われている、というニュースが、静かに巷を賑わすたびに、信じるでもなく、疑うでもなく、「発表の時期が微妙に唐突」とは感じながらも、「このような時代なら、あらゆるすべてのことは起こりうる」ぐらいの距離感でしょうか。
しかし包み隠すことなく白状するならば、若かりし頃、2度ほどUfoらしきものを見かけたことがあり、それなりに興奮し、わざわざその筋の研究家を訪れて話を聞くなど、その追求に励んだ時期もあったのです。その時代、Ufo研究分野に関して右に出るものはいない、と言われたその専門家は、驚くべき気さくさと鷹揚さで、稚拙な質問にひとつひとつ丁寧に答えてくださったことを覚えています。
なにより「今の時代、のんびり空を仰ぐ時間などないじゃないか。僕がUfoを語るのは、Ufoを見つけることが重要だからではないんだ。ふっと空を見上げるような時間、つまり誰もがもっと心の余裕を持てるようになってほしいと思っているからなんだ」とおっしゃっていたことが印象に残りました。そして、この時のUfo研究家の言葉が、どういうわけか無意識に刻み込まれ、悲しい時も、嬉しい時も、虚無に襲われた時も、空を見上げることがいつしか習慣になってしまった、という経緯があります。しかし残念なことに、それからは1回も未確認飛行物体を見かけたことはありません。
ところが今年6月のことでした。イタリアの主要紙、コリエレ・デッラ・セーラ紙を斜め読みするうちに、「UFO:USAがエイリアンが乗る飛行船を保有している。Uap=Unidentified Aerial Phenomenon(未確認航空現象)タスクフォースの元メンバーが告白」というタイトルの記事に出会うことになりました。なお現在、米国ではもはやUfoとは呼ばず、Uapと呼ぶようですが、基本的には同じ現象だと捉えたいと思います。イタリアにおける未確認飛行物体は、「ウーフォー」と発音する人がいても、普通にUfo(ユーフォー)と言って通じます。ちょっと年齢を経た方々だと、I dischi volanti(空飛ぶ円盤)でしょうか。
そのコリエレ紙の記事はといえば、リチャード・グルシュという人物が、米国議会と諜報機関の監察総監に対し、「米国は、Ufoの残骸及びエイリアンを保管していることを隠蔽!」と内部告発をした、という内容でした。
主人公である、このリチャード・グルシュという人物は、アフガニスタンの戦闘にも参加した将校で、諜報機関であるNga=National Geospatial Intelligence Agency(国家地理空間情報局)やNro=Nationals reconnaissance office(国内偵察局)でUapの分析に携わり、2019年から2021年の間はUap分析機関の共同責任者でもあったそうで、「現在に至るまでの何十年もの間、米国政府、その同盟国、軍隊によって、人間由来とは考えられない航空機(?)の回収が行われながら、その事実が隠蔽されている」と主張しています。
政治の紛糾や深刻な社会問題の記事と並ぶと、きわめて特異な非現実感を放つ、イタリアで最大部数を誇る主要紙に突然現れた、この内部告発に興味を覚えて、少しネットを彷徨ってみると、グルシュという人物は、仏紙パリジャンのインタビューでは、あっと驚く発言をしていました。「1933年、ベニート・ムッソリーニ政権が、イタリアに墜落した人類由来ではないUfoの残骸を回収したのち保管(???)していたところ、第二次世界大戦中、ファイブ・アイズ(米国、英国、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアの5カ国の諜報機関が結んだ協定)とヴァチカンの援助で、1944年、あるいは1945年に、米国の戦略サービス局(OSS)が米国へ持ち去った、という報告公文書を読んだ」と、言っているのです。
その後、グルシュはNewsNationのインタビュー記事(独立系ジャーナリストによる)で、イタリアに墜落したUfoと地球外生命体の亡骸は、Ufoの聖地として有名なネバダ州レイチェルに位置する、かの「エリア51」に保管されていることを、さらりと述べています。さらに7月末には、グルシュのみならず、デビッド・ブラバー(元米海軍司令官)、ライアン・グレイブス(元F-18パイロット)が米国議会に招かれ、公聴会が開かれたことが、フィナンシャル・タイムスをはじめとする世界中の大手メディアで報じられました。
「わたしは、議会の監視なしに運営されている政府の秘密回収Uapプログラムについて、現職のUap分析機関のメンバー、元軍高官や情報筋から説明を受けています。これらのプログラムには秘密裏に資金が供給され、別の用途に使われるはずの国家予算から資金が流用されている。…略… 回収された物の中には、人間以外の生物的物質も含まれていました」(グルシュ)
「透明な球体の中に暗い色の立方体が入っているのを見たことがあり、それは飛行エリアの高度が高い場所で発見されています。われわれには、空で何が起こっているのか知る権利がある」(クレイブス)「これらの乗り物が何なのか、誰が操縦しているのか、どのように機能しているかを理解することが必要です。空中で停止した航空機が、すぐに方向転換したり、何千フィートも下降して、何時間もホバリングしたのち、再び離陸するような技術をわれわれは持ち合わせていない。その性質から、(われわれはUapと)戦うことも墜落させることもできないのです」(フラバー:いずれもラ・レプッブリカ紙より)
これらの告白が真実なら歴史的大事件!と驚愕すべき報告ですが、イタリアの市民は意外と冷静で、というかほとんど誰も関心を示さず、特に騒動になったわけでも、TVや雑誌で何らかの特集が組まれたわけでもありません。同様の日本語の記事やニュース動画もネット上で多く見かけましたが、やはり日本でも一部のマニアが反応したに過ぎず、シリアスな反応はまったく見受けられないようでした。
しかしわたしはといえば、長年ローマに住みながら、イタリアで墜落したUfoの存在については、今まで一度も聞いたことがなく、強く好奇心をそそられることになります。ただちに「ベニート・ムッソリーニが墜落したUfoを保管していたことを知っているか?」と複数の知人に聞いてみたところ、いずれも「聞いたことがないなあ。きっと作り話だよ」とつれなくあしらわれ、多少がっかりする結果となりました。
そこで、イタリアの人々のほとんどが知らない(多分)、この1933年のUfoというのは、いったい何なのであろう、と独自の調査を開始したわけですが、外出危険アラームが鳴り続ける灼熱のローマでは、なかなか動きがとれず、ひたすらネット宇宙を漂うことになります。まず「ムッソリーニ、Ufo」で検索したところ、主要紙も含め、意外と多くの記事がヒットし、しかしいずれも詳細が描かれない簡単な記事ばかりで、多少オリジナルな内容が描かれていたのはロンバルディアの地方紙、Il Giorno紙ぐらいでしょうか。
ここで一瞬、横道に逸れますが、Il Giorno紙といえば、イタリア主要エネルギー会社ENIの創立者エンリコ・マッテイが中心となって1956年、ミラノに創設された新聞で、当時は、ピエール・パオロ・パソリーニやウンベルト・エーコなど、錚々たる作家陣たちがコラムを担い、全国紙と並ぶ部数を誇った時代もありました。しかし時間とともにまったく名前を聞かなくなり、今回「ムッソリーニのUfo」の記事を見つけるまで、いまだに継続していたことを知らなかったため、少し感動した次第です。
エンリコ・マッテイ、といえばセブンシスターズと呼ばれる7つのアングロアメリカン石油会社が牛耳る戦後の原油市場に、単身で果敢に挑み、イタリア独自の市場を開拓。当時、現代のジュリオ・チェーザレとも称された人物ですが、1962年、事故に見せかけた飛行機爆破で暗殺され、その経緯も背景も犯人も、いまだに公的には解明されていません。このように戦後のイタリア、特に1970年代から80年代(あるいは90年代初頭)の『鉛の時代』には、背景となる真実、犯人がいまだに公に明かされることがない無差別大規模テロ、暗殺事件など、無数のミステリーが目白押しとなっているため、「現実のほうがよっぽどオカルト」、とUfoや心霊現象などの神秘は、あまり人々の注意を引かないのかもしれません。
さて、ここからようやく、Il Giorno紙の2015年11月15日の記事、及びスタンパ紙2017年3月20日の記事を基盤に、ネットにたゆたう物語の断片をつなぎ合わせて、ひとつの物語として再構築してみようと思います。ただ、どの記事もかなり曖昧なため、途中、Chat GPTにも聞いてみましたが、「ムッソリーニのUfoは存在しません」と断言され、何度か押し問答を繰り返したのち、結局諦めた次第です。
事件が起こったのは1933年6月13日のことでした。未明、いまだ夜の気配が残るロンバルディア州の上空に、彗星が流れるような光の弧が描かれたかと思うと、地を轟かす衝撃音が辺りに響き渡ります。何か巨大なものが墜落したようで、それはどうやら、マッジョーレ湖からさほど離れていないヴァレーゼ県ヴェルジアテ付近で起こったようでした。
異常事態の報告を受けた当時の安全当局が急行すると、その場所には大破した、見たこともないような巨大な飛行体の残骸、そしてふたりのパイロットの亡骸が残されていたそうです。墜落していたのは、筒状ーシリンダー型の巨大な飛行体で、側面にある舷窓から赤と白の光線が漏れていました。一方、亡くなったパイロットはふたりとも長身で、明るい色の髪と目を持つ、人間によく似た形状を持つ生物だったそうです。
この日は、国家の中枢に緊急電報が飛び交う慌ただしい1日となり、当初は特別法廷に引き出されることをも覚悟の上で「事件を無視せよ」という命令もあったと言います。現在は、この日送られたとされる電報を、国立UFO学センター(Centro ufologico nazionale=CUN)会長のロベルト・ピノッティとアルフレード・リッソーニが保管し、2000年に書籍で公表したのち、CUNのホームページ上(2ページ、3ページに英訳、電報、書類の写真、墜落した飛行体のイラストがあります)でも公開しています。なお、CUNは名称には国立と冠されますが、UFO関係の資料を収集する民間のアソシエーションです。
また、それらの電報はすべて「機密」扱いとなっており、送り主、宛先ともに不明ですがDir Gen Affari Speciali(特殊事件責任者)の記載とともに、ミラノの電信局から発信されていました。1番最初に発信された電報は「隕石の落下」を示唆していたそうですが、それは報道関係者に国家が直面している事態を隠蔽するためのフェイクニュースだったそうです。一方、別の電報は、午前7時30分に送信されたもので、いまだかつて見たことのない飛行体の着陸を知らせています。
この混乱ののち、最終的にはベニート・ムッソリーニ自身が、いかにも全体主義らしく「出所不明の飛行体に関するニュースを報道した場合は即時逮捕」、「ニュースを掲載しようとした新聞の記事の即時差し替え、および箝口令を無視した者は、国家保安裁判所へ送る」ことを決断したと言います。
もしこの一件が真実だとすれば、1947年に米国が墜落したUfoを歴史上はじめて回収した、とされるロズウェル事件より、さらに14年前に起こった、最も古い回収記録となるわけですし、CUNのプレス・リリースにも「それが認められた」ことが誇らしく主張されています。CUNのロベルト・ピノッティという人物は、今まで何冊もUfo関連の本を出版し、イタリア各地でUfo関連の会議を開く有名なUfo研究家ではありますが、実際のところ、この1933年のUfoに関する報告には、各メディアや他の研究者たちの疑惑の声が集中しているのです。
しかしながら、この一件を巡る各メディア、研究者たちの反応、警告については後述することにして、いったんこのまま物語を続けることにしましょう。
ムッソリーニはといえば、この飛行体はイタリア上空を無許可で飛行していた、優れた科学技術を持つ外国の実験機であると確信し、ふたりのパイロットの容姿からドイツ人に違いない、と考えていたそうです。飛行隊の残骸はただちにSIAI(Sosietà Italiana di Anatomia e Istologia?)のマルケッティ航空基地へ運ばれ、パイロットの亡骸は即座にホルマリン漬けで保存されました。
さらにムッソリーニはOVRA(Operazione Vigilanza Repressione Antifascismoームッソリーニ政権におけるアンチファシズムを監視する秘密警察)内にキャビネットRS/33(1933:Ricerca speciale=特別調査実験室)を設置し、飛行体の残骸を研究するために、当時の優秀な科学者たちをイタリア全土から集めています。そして、このRS/33を統括したのが、無線電信の開発で1909年にノーベル賞を受賞した、かのグリエルモ・マルコーニだと言うのです。また、この謎の飛行体の墜落は、即刻ヴァチカンにも報告されたそうです。
ところで1933年という年は、イタリアの科学者にとっては、量子化学分野の功績で特筆すべき年でもあり(個人的にはおおいに憂いますが)、のちに「マンハッタン計画」に加わるエンリコ・フェルミが、「パニスペルナ通りの少年たち」チームによる原子核物理学研究において、世界ではじめてニュートリノの存在を導入したベータ崩壊の理論を完成させた年となりました。
▶︎キャビネットRS/33とミスターX