コロッセオに現れた悪魔たち
ローマに暮らしてかなりの年月が経ちますが、コロッセオの脇を通り過ぎるたび、いまだに思わず見とれて、「コロッセオは、やっぱり本当に存在するんだな。2000年もの間、あちらこちらが崩壊しているとはいえ、よく今まで残っていたものだ」と、毎回新たな感慨に耽ります。
古代、市民の政治に対する不満が暴動に向かわないよう、グラディエーターと野獣を死ぬまで闘わせる、などという、現代ではとうてい考えられない、市民のカタルシスとしてのグロテスクな見せ物が繰り広げられたコロッセオも、今では灰白色の廃墟となり、ローマの街のシンボルとして観光客が押し寄せる、歴史を語るモニュメントになっています。もちろん昼間も壮観ではあっても、やはり人々が寝静まる時間、静かな闇にふわっとライトアップされるコロッセオは、えもいえず幻想的です。
さて、紀元80年にティトゥス皇帝により、ローマ市民に開かれたコロッセオは、その名からして謎に包まれており、最も有力な説である「近くに巨大(colossale)な皇帝ネロの像が存在していたから、そう呼ばれるようになった」など、さまざまな説があります。
しかしファルコーニは、建造された場所(コレ・オッピオ)の隣にイシス(エジプトの豊穣の女神)の神殿があったことから、Collis Isei =イシスの丘=コロッセオと名付けられたのではないか、という説をとり、古代ローマ人にとっては神秘に映ったであろう、おそらくその土地に充満する魂としてのエジプト、及び東洋の宗教観を、円形競技場に託したのではないか、と推察しています。確かにローマには、キリスト教以前の宗教、ミトラ信仰、イシス信仰の痕跡が、至るところに存在し、ハッと驚くことが多くあるのです。
ともあれ、コロッセオが紀元71年に完成した際には、その建造を祝うために100日間のフェスタが開かれ、100匹余りのライオンや虎、3000人のグラディエーターが血まみれの戦闘で生命を失い、その血の赤が、建造されたばかりの円形競技場のシンボルともなりました。やがて、瞬く間に時は過ぎ、円形競技場としての役割を終えたコロッセオは、何世紀もの間、死と苦しみを閉じ込めたままに打ち捨てられることになります。1750年、教皇ヨハネ23世がVia Crucis(イエス・キリストの十字架への道行き)の儀式を、復活祭の前の聖金曜日にコロッセオで開催することに決め、そこから再びコロッセオが、建造物として使用されるようになったわけです。
その残酷で痛ましい歴史から、何世紀もの間、コロッセオには夜になると、浮かばれない魂たちが彷徨う、という物語が語られ続け、悪魔が住んでいる、とも言われてきましたが、それらのエピソードの中でも、特に有名なのが、フィレンツェの著名な彫刻家、ベンヴェヌート・チェッリーニと、その友人ふたりが体験した出来事で、彫刻家の自伝「Vita di Benvenuto Cellini fiorentino, scritto, per lui medesimo, in Firenze(ベンヴェヌート・チェッリーニの生涯/フィレンツェで本人によって書かれた)」に、その詳細が描かれています。
古代ローマの時代には生者と死者の世界は繋がっていると考えられていたそうで、チェッリーニが生きた16世紀には「コロッセオには地獄の門がある」と言われていたそうです。コロッセオの冒険に出かけた頃のチェッリーニは、アンジェリカという恋人がいて、しかしアンジェリカの母親にふたりの交際を強く反対され、離れ離れとなったせいで、寝ても覚めても彼女のことばかり考える日々で、その、あまりに打ちひしがれた様子を見かねた友人が、チェッリーニに魔術をよくする司祭を紹介したのでした。
「非常に才能があり、ラテン語、ギリシャ語を得意とする、シチリアのある司祭と友人になったことから、たびたび風変わりな出来事に出くわすことになった。ある時、その司祭がやってきて、魔術の技法について話しはじめたのだが、わたしが『その技法を実際に見たり、聴いたりする、というのが生涯の大きな夢だ』、と言うと、司祭は『見るだけでいいならば、わたしがそれを実現しましょう』と言うのだった」
かくしてチェッリーニは親友ふたりを誘って、期待に胸を膨らませ、司祭と共にコロッセオの冒険へと向かいます。
なお、その当時のコロッセオは、大理石や装飾が教会を建てるためにごっそり持ち去られ、あちらこちらが崩れ落ち、草木が生茂る荒れ放題のまま、完全に打ち捨てられており、いつ亡霊が現れてもおかしくない様相だったそうです。このように古代ローマの主要な建造物の貴重な大理石は、カトリック教会がほとんど持ち去ってリサイクルしており、改めて考えてみると、ローマという街は、2000年を超える時の流れの中であらゆる建造物がリサイクルされ続けていますから、ある意味、21世紀的な街なのかもしれません。
ともあれ、チェッリーニたちがコロッセオに到着すると、シャーマン、すなわち魔術師の装いをした司祭は、ミステリアスな円形のサインを杖の先で地面に描きはじめました。司祭は円陣を描き終わると、呪文を唱えながら、チェッッリーニと友人に手を繋がせ、ひとりひとり、円陣の中に入るよう促します。
そのまま1時間半ほど経った頃でしょうか。3人の目の前に、夥しい数の悪魔が現れ、ふと見上げると、それらはコロッセオ中に充満していたのです。そこで司祭は、「ようこそ!彼らに何か願い事をしてみてください!」と叫び、彫刻家は自分の目が信じられないままに、かねてから思いつめていた「遠いシチリアにいるアンジェリカに会いたい」という願い事を口にしました。
残念ながら、このときのチェッリーニの願い事は実現しませんでしたが、一度そのような異景を体験した彫刻家は、そのスペクタクルな感触を忘れることができず、司祭に「できるだけ早く、もう一度、コロッセオの悪魔たちを見たい」と告げました。すると司祭ー魔術師は快く引き受け、しかし次回は、悪魔との意思疎通を可能にするために、ヴァージンの少年を連れて来てほしい、と彫刻家に念を押したのです。
大喜びしたチェッリーニは、さっそく12歳の少年をリクルートして、やはり親友ふたりを誘って、司祭とともにコロッセオに出かけることになります。彼の自伝のこのあたりの記述は、グロテスクとも言えるほどに詳細を描いているそうです。また、この時代の司祭は現代とは違って、魔術やオカルティズムに精通することは異端とはされなかったようで、宗教と魔術の両方に携わる司祭が多く存在していたようです。
さて、2回めの訪問の際も、司祭は1回め同様、ユダヤ語、ギリシア語、ラテン語で呪文を唱え、皆で手を繋いで悪魔の出現を待ちました。しばらくすると、5人の目の前に悪魔の大群が現れましたが、時間が経つにつれ前回をはるかに上回る、無数の悪魔たちが5人を取り囲みはじめたのです。そこでチェッリーニがすかさず、「アンジェリカをこの胸に抱きたい」と訴えると、悪魔たちは、「これから30日の間に彼女が現れるだろう」と答えたそうです。一方司祭はというと、姿を現した悪魔の数に恐れをなして狼狽している様子で、さらに同行した少年は錯乱して「死んでしまいたい」と叫びながらしゃがみこんでしまい、チェッリーニはその少年を抱きながら周囲の様子を伺っています。
現れた無数の悪魔のなかには巨大な4匹の悪魔もいて、5人を取り囲むや否や、口々に脅しはじめ、ふたりの友人たちも、司祭の怯えた顔に不安を募らせてガクガクと震える始末で、チェッリーニは大声で、「落ち着くんだ」とふたりをなだめなければなりませんでした。このようなとき、悪魔を近づけないためには、ひたすら嫌な匂いを撒き散らす、硫黄と汚物を混ぜた秘薬を掌に塗る必要がありますが、幸運なことに、全員がそれを容器に入れて持ち込んでいました。しかしこのときは霊媒師の祈祷も、持参した秘薬も、最強のお守りと言われるソロモンの封印も役に立たず、予期せぬ出来事が起こったことで、悪魔の大群を追い払ったのです。
というのも、友人のひとりが、秘薬が入った容器を混ぜる余裕がないどころか、その場にうずくまって粗相をしてしまい、それが悪魔を遠ざけることになったのでした。
その様子を面白がったチェリーニは、友人たちを笑いながら励ましつつ、やがて少年の「悪魔たちが消えていくよ」と言う声に、ふと見上げると、無数の悪魔たちの大群は、ゆっくりと朝焼けに消えていくところでした。夜明けの鐘を聞き、それぞれが恐怖を乗り越え、ようやく落ち着いた時、「何年もコロッセオに通っているにも関わらず、これほど大がかりな悪魔の襲来には出会ったことがなかった」と、司祭はチェッリーニに告白し、ひどく満足した様子だったそうです。この司祭は、チェリーニが書くという本に貢献することで、無限の富が得られる、と考えてもいたようで、悪魔たちに「金満家になりたい!」と聖職者にしては、かなり世俗的な願い事をしています。
その日、家に帰ったチェッリーニたちが、揃って悪魔の夢を見たとはいえ、その後誰ひとり、何らかの悪魔の被害に遭った者はいませんでした。チェッリーニは、悪魔との約束通り、それから30日の間にアンジェリカに再会し、しかし司祭の願いが聞き入れられた、という記録は残ってはいません。
このように、ローマの中心に建つ、古代円形競技場周辺では、トーガを纏った古代ローマ人の亡霊のみならず、ジュリオ・チェーザレや、前述のメッサリーナを見かけた、という人々が、現代にも多く存在するわけですが、残念ながら、何度もコロッセオに出かけたことがあるにも関わらず、わたしはたった一度も、そのような怪奇現象に出会ったことはありません。
なお、ファルコーニの『I fantasmi di Roma』には、サン・ジョバンニ教会前の広場で開かれる、ヘロデ王の妻であり、サロメの母親であるエロディアーデの魂が主催する「魔女のお祭り」や、ホラーのエキスパートであるダリオ・アルジェントが語った体験談など、共有したい面白い話が沢山あるのですが、切りがなくなるため、ローマの亡霊リサーチは、このあたりでいったんおしまいにしたい、と思います。
そういうわけで、ローマの真夏の熱帯夜を、いくらかは涼しく過ごしながらも、現代の世界を見渡すなら、やっぱり最も怖いのは人間だ、というのが、率直な気持ちです。一刻も早く、互いが互いを尊重し合う、少なくとも互いを傷つけ合うことのない、平和な世界が実現することを、コロッセオの悪魔たちにお願いしたい、と心から思った次第です。