民主主義とロックダウン
ロックダウンというと武漢の封鎖を思い起こし、市民の自由が政府によって完全に規制され、武力で封じ込められる恐怖政治をイメージしますが、イタリアの場合は「なぜ、今われわれは距離を置いて、厳しく、孤独な状態で家に引きこもらなければならないか」、明確な感染状態のデータとともに、首相、大統領自ら誠実に、嘘なく語りかけたことが市民の理解を深めたため、市民は比較的落ち着いて、その判断に生活を委ねる覚悟ができました。
ロックダウンの前日、「Rimaniamo distanti oggi per abbracciarci più forte domaniー明日、力強く抱き合うために、今日は距離をとろう」と語りかけたヒューマンなコンテ首相の言葉は市民の心を鷲掴みにし、今でもさまざまなメディアで引用されます。
また、市民が慣れていくように少しづつ規制が厳しくなったことも、初期の北部封鎖時はともかく、全国封鎖の際にスーパーマーケットに人々が殺到する、などのパニックが起こらなかった理由のひとつでしょう。
日本では、当時のイタリアの状況をずいぶんセンセーショナルに報道されたようですが、少なくともローマのわたしの周辺では「仕方ないよね。ちょっと不自由だけど」ぐらいの空気が流れただけで、以前も現在もスーパーマーケットにはマスクや消毒剤以外には欠品がありません。むしろ最近は政府の要請もあり、あらゆる品々がぐんと安く手に入るようセールになっています。
いったい何が起こっているのか、皆目見当がつかないうちにいきなりロックダウンとなると、疑心暗鬼で強烈な恐怖に囚われるのだろうと想像しますが、事態がかなり深刻ではあっても、はじめからまったく包み隠さない情報と、見ているだけで涙がこぼれ落ちるほど厳しい医療の現場を、イタリアの市民はすでによく知っていた。
したがって、ひとりひとりのエゴイスティックな行動が、社会で最も守られるべき高齢の方々や病気に苦しんでいる人々、身体が弱い人々をウイルスに近づけること、さらに、もはや限界の医療現場にいっそうの負担をかけないために、「社会を形成する個人個人がその責任を果たす」という民主主義の基本に沿って、集団引きこもりへと突入したわけです。
1月31日には、すでに6ヶ月有効の『緊急事態宣言』が発令されており、2月21日からは感染状況の著しい変化、情報を政府と市民が共有していましたから、イタリアの市民は、疑いを持つことなく政府の決定を『信頼』することができました。
ユヴァル・ノア・ハラリがフィナンシャルタイムス紙やCNNなど、さまざまなメディアで語っているように、このような非常時、民主主義におけるロックダウンであっても、軍や警察が街をパトロールし、場合によっては市民を検挙する、いわば「ソフト戒厳令」という状況は、市民が政府を信頼できなければ成立しません。
現在、ハンガリーでは件の極右ナショナリスト、ヴィクトール・オルバンが無期限の『緊急事態宣言』を発令。議会を通すことなく、首相の一任で重大事項が決定できるようになり、事実上の独裁政権が樹立しています。
そのハンガリーで、言論が封殺されたり、思想犯逮捕のようなことが繰り広げられないことを祈りますが、欧州連合内で分裂をほのめかし、多くの物議を醸してきたオルバンのハンガリーを、今後、欧州連合がどのように処遇するかも見極めたいと思います。
実際、信頼できない政府に『緊急事態宣言』を許すのは危険だと感じますから、この災禍が、オルバンと思想を同じくする極右勢力『同盟』がいまだイタリアの政府を形成していた1年前でなかったことは、幸運であったとしか言いようがありません。
イタリアではこの緊急事、国民投票も、地方選挙も何もかもが延期になり、本来の民主主義の機能は臨時の議会を除いてストップしています。『民主党』『5つ星運動』によるジュゼッペ・コンテ政権が真に市民を守るという姿勢を明らかに示し、誠実に情報が共有されなければ、これほどの連帯は生まれなかったと思います。
もちろん、政府にもいくつものエラーがあり、問題視すべきことは山のようにありますが、今回は、その負の部分をも、市民は共に共有したのだと思います。イタリアにいると、政治を非常に身近に感じますし、政治も市民の生活をよく知っている。今回、強い痛み、悲しみや喜びを共に分かち合うことで、さらに政治に親近感を感じるようにもなりました。
また、そう感じるのは外国人のわたしだけではないようで、コンテ首相の支持率は急上昇し、現在2位の極右勢力『イタリアの同胞』ジョルジャ・メローニを15%以上引き離し、51%となっています(のちにさらに61%まで急上昇!説もありました)。特筆すべきは、いつの間にか『同盟』の支持率がぐんと下がって27%となり、『民主党』とはたったの5%ほどの差となったことでしょうか(コリエレ・デッラ・セーラ紙)。
いずれにしても 、マテオ・サルヴィーニがこれほど早く、メローニの後塵を拝することになるとは思いませんでしたが、今回のウイルス災禍におけるポジティブなことといえば、『同盟』の支持率低下と、あらゆる産業が停止したことで街の空気が格段にきれいになったことかもしれません。
過酷を極める医療の現場には、アルマーニやプラダ、モンクレールなど、モード界の金字塔が続々と多額の寄付をするだけでなく、防御服や白衣、マスクの縫製をも担当。有名アーティストや俳優が募る寄付にも驚くほどのお金が集まり、イタリアを代表するフェラーリをはじめとする大企業も次から次へと巨額の寄付を窮地にある病院へと送りました。さらに『サルディーネーイワシ運動』のメンバーたちが集めた寄付で購入した人工呼吸器も北部の病院に送られています。
また、カトリックのコミュニティであるカリタスやサンテジディオをはじめ、教会はといえば、たとえば住む家を失った路上生活の人々のために食事を提供し続け、避難スペースをも提供している。バオバブ・エクスペリエンスは、マスクをかけながらも相変わらず、難民の人々のための衣料や食事を用意し、さらにはローマ市が路上生活の人々のための避難所として、5000床のベッドを用意したというニュースも入ってきました。
SNSでは「われわれイタリア人は確かにろくでなしだが、いったいどこの国にアルマーニが病院の白衣を縫製し、フェラーリが人工呼吸器を作って、グッチがマスクを縫う国があるっていうんだ。ブルガリの消毒液? 確かに地獄に向かっているけど、われわれはエレガントに地獄行きなのさ」というジョークが矢のように駆け巡った日もあります。
とはいえ、皆が皆、ルールを守れるというわけでもなく、掟破りの不届き者が次から次に現れるために、規制は日に日に厳しくなり、現在ではたとえば陽性であるにも関わらず、外出すれば5年の刑、切羽詰まった用事もないのに他の自治体に出入りしたり、グループで行動するような輩には3000ユーロの罰金が課せられることになっています。
ロックダウン初期には、わりと自由に出かけられたジョギングなどのスポーツも、食料の買い出しも、今では単独で自宅から200m以内で行わなければなりませんし、家族で散歩する場合には、子供が複数いてもひとりだけしか連れていくことができません。
また外出のたびに、政府が用意した「自分は陽性ではなく、このような事情で出かけている」と理由の詳細を書いた自己申告書を持ち歩かなければなりません(ローマで家の近くを歩いている場合、呼び止められることは、ほぼありません)。この自己申告書に関して、先日新聞を読んでいて笑ったのが、警察に尋問された青年が血相を変えて「僕はドラッグを探しているんです。どうしても必要なんだ。僕にはドラッグが必要不可欠なんです」と大真面目に主張したという記事で、これには警察官もさすがにのけぞったようです。
なお、封鎖がはじまった3月11日から3月25日までに、違法営業も含め、警察のパトロールにより検挙された人々は、115000件(!)に上り、陽性の検査結果にも関わらず、外に出かけた輩が257人(3月31日:えー!)もいます。陽気がよくなった4月4日の土曜には、1日で、なんと9300人が検挙されている。そのせいもあって、今後はさらにパトロールが強化されることになりました。
一方、マフィアたちもウイルスが怖いとみえて、封鎖がはじまってからのイタリアでは75%も犯罪が減っているそうです。
ただ、多少の蓄えがある人々はともかく、長い封鎖で収入が途絶え、財布の底が尽きて生活が困窮しはじめた人々が続出しはじめています。そもそも失業率が高いローマ郊外を含む南部イタリアでは、一触即発で暴動が起こる可能性がある、とシークレットサービスが内務省に通達していたという事実もあります(ラ・レプッブリカ紙)。
また、困窮した人々のための食料を用意するカリタスに、3月末から何百人もの人々が並ぶという現象も起こりました。ロックダウンという経済封鎖は、社会における最も弱い立場にある人々を直撃することも忘れてはいけません。
パレルモではスーパーマーケット強奪未遂が起こり、数日前にはSNS上に「スーパーマーケットを集団で略奪しよう」とそそのかす音声がいくつも出回り、警戒が続いていました。生活難に陥った人々を煽って、混乱を誘発しようと試みる犯罪組織も存在します。
そのような経緯もあって、政府は4月中旬に拠出される予定の一連の生活支援に先駆け、緊急にイタリア全国の各市に4億ユーロを分配。食糧が買えない困窮に陥った家族を、各市が支援する運びとなりました。ローマ市は2200万ユーロ、ラツィオ州全体では4200万ユーロを受け持ち、現在は、困窮した市民すべてに食糧/日用品一時金がクーポンで分配されています。
▶︎EUは、欧州各国の市民と経済を守れるのか