地中海のカタストロフ、静かに聞こえてきたジョルジャ・メローニ政権の不協和音

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クートロの海難事故はどうして起こったのか

今回、海難事故に遭った人々は、冒頭に書いたように、アフガニスタン、イラン、トルコ、パキスタン、パレスティーナなど、紛争や自然災害から逃れ、「トラフィカンテ(人身密輸グループ)」を頼って欧州へ渡ろうとした人々でした。船に乗った人々は、子供4000ユーロ、大人8000ユーロ(!)もの大金を支払ったそうで、つまりそれぞれに合法的には逃げられない、切羽詰まった事情があり、家財を売ってかき集めた大金を支払ってでも、人身密輸マフィアに頼らなければならなかった人々だったということです。

リビア、エジプト、チュニジアなどの北アフリカ、あるいは今回のようにトルコなど中東、アジアから、戦禍や極端な貧困から逃げる人々を、大金と引き換えに、安全が保障されていない粗悪な船に詰め込めるだけ詰め込んで次々に地中海に流す、「トラフィカンテ」という、この組織的人身密輸グループの存在は、長らく大きな問題となりながら、今まで決定的な解決策が見つからず、放置されたままになっています。一方、実際に移民・難民の人々を乗せた船を操縦、あるいは同行する人物は「スカフィスティ」と呼ばれます。この組織的人身密輸グループに関しては、イタリア国内のマフィア、たとえばシチリアにおいては「コーザ・ノストラ」の手引きがあるとの報告もありました(Libyagate/Avvenire)。

今回の船に乗った180人の人々は、2月21日にいったんイスタンブールに集まって、スカフィスティが準備した2台の巨大なトラックに乗せられ、トルコのスミルネ(Smirne)の沿岸に到着。22日に出港したのだそうです。その時に乗せられた船は、それなりに豪華な「ラグジュアリー2」という名の白い客船でしたが、出港して3時間ほど経った頃、エンジンが故障し航海不能になったため、その代わりに送られてきた木造船「サマー・ラブ」に乗り換えざるをえなくなりました。180人を乗せた「サマー・ラブ」は、その後3日間、イタリアに向かって航海を続けます。

報道では「スカフィスティは4人逮捕され、ひとり逃亡」ということですが、生存者の証言によると、海のある地点まで到着すると、スカフィスティは「イタリアに到着した」と人々に告げ、ミッション完了の証拠として、そのとき甲板にいた人々の動画を撮ったあと、自分たちだけ小さいボートに乗って木造船から遠ざかったそうです。このように、ほとんどのスカフィスティは目的地に到着する前に、人々を船に置き去りにして、どこかへ消えてしまいます

なお、すべてのスカフィスティが犯罪グループに属しているわけではなく、単に船の操縦のみに雇われる、あるいは乗船する難民である人物に船の操縦を任せるケースも多くあると言います。

そして今回、木造船に乗り込んだ人々から集めた大金(推定約156万ユーロ)を入れたリュックサックは、スカフィスティと目される人物たちが逮捕されているにも関わらず、いまだに行方が不明であり、逃亡したと見られる残りのひとりが持ち逃げしたのかどうかも定かではありません。

「サマー・ラブ」からスカフィスティが消えたあと、乗船していた人々は、目を凝らして陸を探しましたが、そこには大海原が広がるだけで、しかしそのときはまだ、やがて訪れる時化の気配はありませんでした。

2月25日16時47分、国立海難救助調整センター(II  Cantro nazionale di coordinamento  del soccorso marittimo)が、一般的な通告として、イタリアのどこに向かっているか判然としない一隻の船が航海しているのを見つけ、「Warning」と注意を喚起しています。

25日18時、翌日の6時まで、イオニア海が強度およそレベル7の時化となる可能性がある、という予報をイタリア空挺部隊(L’Aeronautica Militare)が出しました。

25日22時30分、波間に漂う木造船を飛行機で捉えたFrontex(欧州国境及び沿岸警備エージェンシー)が、ICC(違法輸出入、密航などの案件に関わる警察機関)、さらにローマの沿岸警備隊の管理局に木造船の存在を知らせます。この時Frontexは、「一隻の船が規則的な6ノットで航海している。デッキにひとりの人物が見え、ライフジャケットは積載なし。浮力は良好」とのメッセージを送っています。

なお、理解できないのは、メッセージに添付されたサーモグラフィー写真が、「船首の舷窓は開いており、舷窓からはかなりの熱信号がある(デッキの下にもっと人がいる可能性がある)」、と木造船の船倉に乗り込んだ多数の人々の存在を感知していたにも関わらず、彼らが置かれている危険性を、なぜイタリア当局が明確に検知しなかったのか、ということです。

この時のFrontexのメッセージは、のちに大きな議論を巻き起こすことになりますが、Frontex側は「基本的に、われわれは状況を報告するが、次のステップに進むのはイタリアの管轄当局である」と主張しています。


Frontexのメッセージを受け取ったのち、26日2時20分から2時30分の間Guardia di Finanza(グアルディア・ディ・フィナンツァーイタリアの警察機関のひとつで、警察、金融に関する事例に権限を持つ。このケースでは密航の捜査。以下GdF)の船2隻が、カラブリアに向かって航行する木造船の調査に出港していますが、天候の悪化で航海不能の高波となったために、ターゲットである船に到達することなく、港に引き返しました。

そのため、26日3時40分、レッジョ・カラブリアのGdFのオペレーターは、同じくレッジョ・カラブリアの沿岸警備隊(Guardia di Costiera)にターゲットに到達する船を出して救助にあたるよう要請したとしています。ところがここで齟齬が生じるのです。沿岸警備隊は、同日3時48分に「GdFの2隻の船が、天候不良のため寄港した際、海上に沿岸警備隊の船は出ているか、と尋ねてきたので、今のところオペレーションに携わる船はない、と答えた。もし救助の要請があれば、われわれは出動した」と発言しているのです。

さらに「危険を予告する重大なエレメントはないことをわれわれ(GdFと沿岸警備隊)は合意した」と、両者ともに救助を出動しなかったのは、そもそもFrontexが初動で出したメッセージが原因だと言及しています。

しかしながら、航海しているのは粗末な木造船であり、悪天候の上、難民の人々を乗せた密航船であるため港に着くことはできず、夜半にどこかの砂浜を目指すしか他に陸に辿り着くことができないわけですから、GdFにしても、沿岸警備隊にしても、海上活動のプロが危険を察して救助に向かわなかったのは奇妙です。ちなみにGdFマテオ・ピアンテドージ大臣が指揮を執る内務省沿岸警備隊マテオ・サルヴィーニ大臣が指揮を執るインフラ・交通省に属しています。

もちろん、両者が故意に救助に向かわなかった、あるいは政府が救助活動を妨害した、とはまったく思いませんが、ここでなんらかの行き違いがあったことは確かです。のちに判明した、この「行き違い」が生まれる原因となった可能性がある規約(Legole d’ingaggio- Rules of Engagement)の存在については後述します。

2月26日4時30分カラビニエリが木造船からSOSの電話を受け取り、砂浜に出動。その後5時30分、「砂浜を見てきてほしい」と、アラームを受けた沿岸警備隊からの電話で、若い漁師がステッカート・ディ・クートロの砂浜に急行し、木造船が大破して、波間に人が浮かんでいるのを見て、無我夢中で海に飛び込んで救助にあたったそうです。しかし、砂浜まで自力でたどり着くことができず、波間をゆらめいていた人々は、たったひとりも息を吹き返すことはありませんでした。この若い漁師は、「海に浮かぶ人を引き上げても、引き上げても終わることがなく、すべて遺体であったことに絶望を感じた。しばらく海からは遠ざかりたい」と語っています。

翌日の左派系の新聞には「国家の虐殺」というショッキングなタイトルが一面に掲載されましたが、これまでの経緯の感触として、目の前の悲劇に怒りのぶつけどころなく、現政府に全責任を押しつけるそのタイトルは行き過ぎた表現だと思いますし、現在クロトーネの検察が事件の経緯を捜査しているところですから、たとえ政府の対応が、あまりに非人道的であっても、今の時点では責任の所在を決めつけるわけにはいきません。

ただ、沿岸警備隊のクロトーネ湾岸事務所の司令官が「われわれは、海上で人々を救助することを誇りに思っている。しかし政治が変わることで、空気が大きく変わった」と語った言葉は重く受け止めたいと思います。また、その日、レベル7とイタリア空挺部隊が予報していた海の時化は、実際はレベル4であり、沿岸警備隊はレベル8まで海上救助にあたることができる船を保有しているのだそうです。

元湾岸監督事務所(沿岸警備隊)司令官のスポークスマンだった人物は、いつから沿岸警備隊の空気が変わったのか、とのメディアの問いに、「マルタ合意」、そして「サルヴィーニ法」と呼ばれる、イタリア全土の港を閉じる国家安全保障法」の頃からだ」と答えています。「誰もが国境を守る、という陸の考えを海に持ち込む傾向があるが、海では選別してはならない。海では警察活動をしてはいけないのだ。なぜならそれは危険なことだからだ。Frontexは欧州の国境を守るために生まれた機関であり、救助ではなく、警察業務を行うことが任務だ。しかし沿岸警備隊は、違う歴史(海上で危険な状況にある船舶救助の歴史)を持っている」とも語っていました。

▶︎イタリアの沿岸政策の推移

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