今だからこそ、あえてシルヴィオ・ベルルスコーニという人物について考察する

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コーザ・ノストラ

コーザ・ノストラ」とベルルスコーニの関係については、ベルルスコーニが政界進出以前は密やかに、それ以降は、かなりかまびすしく語られ続けた経緯があるというのに、司法においては、ベルルスコーニの盟友であるマルチェッロ・デル・ウトゥリのみ中途半端に裁かれたに過ぎません。近年、ベルルスコーニと関係を持ったというマフィアたちの証言、あるいは盗聴が、次々とメディアで公表されているにも関わらず、今回の訃報において、92-93年の「コーザ・ノストラ」による大規模連続爆破・テロ事件に、ベルルスコーニが関係している可能性があることは、ほとんど語られることがありませんでした。

というのも、真実を明かさない、あるいは真偽入り混じって何が真実なのか判然とはしないマフィアたちの証言のフィルタリングは慎重に慎重を期すべき案件だから、という理由がひとつ、さらにすでに開かれた裁判においては、ベルルスコーニの起訴断念されていること、そしてイタリアのメディア界の大部分は、いまだベルルスコーニの影響下にあるからだと考えます。

なお、大規模連続爆破・テロ事件については、国営放送Raiを含めるTV、新聞が、それぞれの重大爆破事件にスポットを当て、頻繁に特集を組みますが、それはあくまでも、捜査で浮かび上がった新事実の検証、あるいは手がかりにしか過ぎません。したがって、これから再構築する一連の事件の背景は、ベルルスコーニ元首相を巡るひとつの物語、伝説(今のところは)として捉えていただければ、と思います。

まず基本として、ベルルスコーニという人物が、1981年にほぼ偶然に見つかったフリーメーソン系『秘密結社ロッジャP2』のリストに名前が上がる人物であったことを確認しておかなければなりません。その事実については、執拗にその関係が追及されましたが、そのたびに「P2から勝手に会員証が送られてきた」とか「リーチオ・ジェッリには2回しかあったことがなく、ほとんど面識はない」など、ベルルスコーニは『P2』のグランドマスターリーチオ・ジェッリとの親密な関係を否定し続けています。

なお、『P2』は冷戦下、共産主義勢力が優勢になりそうだったイタリアが、市民戦争と呼べるほどに荒れ狂った『鉛の時代』(1969ー1983年、あるいは1993年まで)、その状態を引き起こすため、極右、及び極左グループによる、作為的な大規模爆弾テロ、暗殺、衝突で構成された「La strategia della tensione(緊張作戦)ー安定的統治のための国内不安定化」の中核に存在した、軍諜報、内務省諜報主要幹部、各省庁幹部官僚、司法幹部、政治家、企業家、銀行家など、国家を形成するあらゆる分野の重鎮をメンバーとするフリーメイソン系秘密結社です。その不透明性から、イタリアのフリーメイソン本部である「イタリア大東社」からは、1976年に破門されています。

また、この『P2』に属する軍諜報幹部、内務省諜報幹部、政治家が、「コーザ・ノストラ」をはじめ、「ンドゥランゲタ」「バンダ・デッラ・マリアーナ」など各地のマフィア組織と関係が深かったことは、その後の捜査ですでに明らかになりました。

さらに、やはり1981年に、リーチオ・ジェッリが密かに構想していた、国家と市民の新体制民主主義再生プラン-Piano di rinascita democratica」と名付けられた文書が発見されています。その文書には、たとえばその時代にイタリアに存在した多数の政党を、大きくふたつに分けて、二極対立の構図を創出するとか、TV、週刊誌、新聞、出版などあらゆるメディアをコントロールする、あるいはメディアロビイを構築する、など結果的にベルルスコーニが実現した、と解釈できる項目が多くあります。もちろんベルルスコーニ時代以降は、文書作成当時とは存在する政党、社会を巡る状況は大きく変わりましたが、次第に左派、右派政党の二極対立政治の構図は定着していきました。

文書作成者であるリーチオ・ジェッリ自身は、2008年、「すべての政党が、このプランからヒントを得ているが(ロイヤリティを主張したい、との皮肉とともに)、実際に実現したのは「ベルルスコーニだけだった」と、多少の自画自賛をも含めた発言を残しているそうです(イタリア語版Wikipedia)。なお、この『民主主義再生プラン」文書は2010年、マルコ・トラヴァイオによる分析とともにIl fatto quotidiano紙により全文公開されています。

一時期、話題になった写真です。若き日のベルルスコーニの背後の机の書類の上にピストルが載っているのがお分かりでしょうか。ラ・レプッブリカ紙掲載の写真を編集して引用(もちろん合成はしていません)。

さて、ここから少し現代の話題へと移りますが、一見したところ、ベルルスコーニとは直接関係ないように見えても、ごく最近起こった一連の出来事が、今後の捜査において重要になる、と思われるため、ざっと事情を説明しておきたいと思います。

2022年11月のことでした。現在、大規模連続爆破・テロ事件を含む多数の凶悪殺人事件のため、終身刑(Ergastro ostativoー特にマフィアのような凶悪犯に課せられる恩赦のない刑罰)で、41bis(外部との連絡が全く取れず、音楽も聴けず、本も読めない厳戒体制の特別刑務所)に収容されている、「コーザ・ノストラ」のボスのひとり、ジュゼッペ・グラヴィアーノのスポークスマンとされる、サルヴァトーレ・バイアルドという人物が、民放La7の政治トークショーに出演しました。

その番組でバイアルドは、「(30年間逃亡中の『コーザ・ノストラ』の大ボス)マテオ・メッシーナ・デナーロ不治の病で、まもなく逮捕されることになる。そしてそれは、政府による41bisと終身刑の廃止との交換だ」という主旨の発言をしたのです。グラヴィアーノはトト・リイナ、及びマテオ・メッシーナ・デナーロなど、大ボスの中の大ボスたちと極めて深い絆を持つ、パレルモのブランカッチョ地区のボスです。

つまりバイアルドは、30年もの間、41bisに収監されているグラヴィアーノをはじめとする、他のマフィアたちの出所を条件にメッシーナ・デナーロ自ら逮捕されるよう仕向ける、という筋書きを予知(あるいは予告)し、そしてその通りに、メッシーナ・デナーロは2023年の1月、地元であるシチリア、トラーパニ州の病院に、末期癌の放射線治療を受けるために訪れたところを逮捕されています。

ちなみにメッシーナ・デナーロの主治医は「イタリア大東社」のフリーメイソンメンバーで、即刻業務停止を本部から命じられています。逮捕されたメッシーナ・デナーロはといえば、そのスポークスマンの予告(?)について、「まったく馬鹿げている」と言い放ったそうです。この41bisと終身刑については、人権の見地から、欧州委員会懸念を示し続けてはいても、マフィアが跋扈するイタリアでは、なかなか廃止される気配はありません。

なお、グラヴィアーノ、メッシーナ・デナーロ、及び「コーザ・ノストラ」の大ボスの中の大ボスであったトト・リーナベルナルド・プロヴェンツァーノは、92年からはじまった、ジョヴァンニ・ファルコーネ判事パオロ・ボルセリーノ判事という国民的英雄を含む、検察のマフィア撲滅チームのメンバーを次々と爆弾、及び銃弾で殺害し、93年には、ミラノ、フィレンツェ、ローマにおける爆弾テロで多くの市民の生命を奪った、大規模連続爆破・テロ事件の首謀者たちです。

さらに94年1月、「コーザ・ノストラ」は、ローマのスタディオ・オリンピコで100名以上の人々を殺害する大規模爆破を計画していましたが、爆弾の不調で未遂に終わったことが明らかになっています。これらの連続爆破事件は「La Trattativa Stato-Mafia(国家・マフィア間交渉」と呼ばれ、30年間の捜査を引き継ぐ形でフィレンツェ検察が継続し、かなり突っ込んだ捜査が繰り広げられていたところでした。

バイアルドは、といえばメッシーナ・デナーロの逮捕後も、何度もトークショー、報道番組に出演し、遂には政党を立ち上げるとして、現在では約3万5千人のフォロワーを獲得したSMSをほぼ毎日更新しているという状況で、ベルルスコーニの生前、その弟であるパオロ・ベルルスコーニと会ったことなども、思わせぶりに告白しています。

ところが2023年5月、そのバイアルドが出演する予定になっていた件の政治トークショーが、突然打ち切られることになり、各メディアにざわざわ、と静かな波紋が広がることになりました。

というのも、バイアルドとコンタクトを取り続けていたトークショーの司会者であるジャーナリストが、バイアルドが所有しているという一枚の写真を見たことから、その写真を巡る番組を展開しようと企画していたため、ベルルスコーニと交流の深いLa7の所有者からストップがかかったのでは、との噂が広がったからです。この一枚の写真の存在については、トークショーの司会者であるジャーナリスト、及びLa7の所有者が、すでにフィレンツェの検察事情聴取を受けています。

では、検察が執拗に追及する、1992年に撮影されたその写真とはいったい誰が写った写真だったのか

ジャーナリストは、そのひとりが若き日のシルヴィオ・ベルルスコーニであることはすぐに分かったそうですが、バイアルドによると、一緒に写っているのは、ジュゼッペ・グラヴィアーノ、そしてカラビニエリの大佐であるフランチェスコ・デルフィーノだ、というのです。

かつて軍諜報幹部であった、このデルフィーノ大佐という人物はかなりの曲者で、『P2』とも緊密な関係を持つ『鉛の時代』における「緊張作戦」のとなった人物とも言われ、のちに誘拐に加担して逮捕された人物です。いずれにしても、当時、複数の凶悪殺人で逃亡中だったマフィアであるグラヴィアーノと軍諜報幹部であった人物、政界進出以前のベルルスコーニが一枚の写真に収まる、という状況は尋常ではありません。

なお、92-93年のマフィアによる大規模連続爆破・テロ事件には、『鉛の時代』の「緊張作戦」同様、一筋縄では行かない複雑な背景があるとされ、捜査線上には『P2』、シークレットサービス、極右テロリスト、当時国家の中枢にいた人物たちの名が上がります。現在バイアルドは、何事もなかったかのように前言を翻し、ベルルスコーニ+グラヴィアーノ+デルフィーノが映った写真など所有していない、と言いはじめ、ジャーナリストが見たというその写真が、本当に存在しているのかいないか、判然とはしない状況になっています。

しかしその写真が本当に存在し、真性であるならば、マフィアによる大規模連続爆破・テロ事件の背景にベルルスコーニも絡んでいた可能性がある、ということであり、検察は現在、事件の外部煽動者の存在を推定して、捜査を続行しているところだそうです。そしてかなり高い確率で、これは「」、と見做される数々の証言が存在するのです。

▶︎沈黙を守った居候

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