ラッキー・ルチアーノ以降、戦後イタリア「コーザ・ノストラ」の激変と巨万の富

Anni di piombo Deep Roma Società Storia

現代のイタリアにおいては、潜伏中の大ボスが捕まったり、いまだ真相が明らかにならない過去の重大事件の断片が、ときおり浮上する以外、ほとんど「コーザ・ノストラ」の名を聞くことがありません。しかしながら「コーザ・ノストラ」は、「近代マフィアとともに構築された」と言われるほど、戦後から90年代初頭にかけてのイタリアの歴史に、その痕跡と深い傷を残しています。しかも「コーザ・ノストラ」が連続して起こした1992年から1993年にかけての重大事件の真実は過去に置き去りにされ、『鉛の時代』に起こったあらゆる事件と、いわば「同質」の秘密に覆われたままなのです。というか、「これが真実であろう」と推測できる数々の情報がありながら、確実な証拠が見つからず、現在も検察による事件の再捜査が繰り返されます。それらの重大事件に言及するのはもう少し先の項になりますが、まず、第2次世界大戦以降の「コーザ・ノストラ」の発展過程、政治、および公権力との関係、マフィアを巡る検察の闘いを追うことで、事件の背景が浮き彫りになるのではないか、と考えています。

はじめに

冷戦下NATO加盟諸国には、ソ連、およびワルシャワ機構加盟諸国の侵攻を水際で堰き止めるための米国主導の準軍事作戦「グラディオーステイビハインド」が張り巡らされていた、という史実は、以前のいくつかの項で述べた通りです。

特に共産主義勢力が社会に強い影響力を持った当時のイタリアにおいては、米国をはじめとする国内外のシークレット・サービス、国家の中枢にある一部の政治家軍部、フリーメーソン由来の秘密結社『ロッジャP2』、そしてネオファシストたちが複雑に入りくんだ「緊張作戦(strategia della tensione)」と呼ばれる謀略が、1969年の『フォンターナ広場爆破事件』を皮切りに実行されます。

その後十数年間というもの、イタリアの各地では極右、極左両勢力による(と見せかけながら組み込まれた政治謀略含み)無差別爆破事件、虐殺、誘拐、暗殺、街頭デモにおける銃撃戦などのテロ頻発しました。互いの勢力の挑発がさらなる挑発を生み、やがてイデオロギーをまったく持たない普通の学生たちまでが発砲する「市民戦争」に発展。『鉛の時代』として歴史に刻まれることになったのです。

そして、その血塗られた時代を形成する謀略の要素として、「コーザ・ノストラ」が重要な役割を負っていたことが、現在では明白な事実となっています。ただし、このシチリア・マフィアは「政治権力に近づきながら、やがて自らも権力の一端を担う重要なポジションを得る」という野心から一連の謀略に加担した、というわけではなく、組織の莫大な富構築とその存続を図るために、国家を形成する一部権力と手を結び、徹底的にそれを利用し尽くしたのだ、と理解しています。

というのもマフィアが認識されはじめた1800年代から、日常からはまったく見えない、しかしアンダーグラウンドでは強大な影響力を持つ犯罪組織として、「国の中の国」と表現されてきたからです。マフィアはそもそも国家に近い構造を持つ政治権力でもあり、特に戦後は、限られた地域にのみ影響を及ぼす犯罪者集団というレベルをはるかに凌ぎ、国家スケールとも言える影響力を持つに至ります。「コーザ・ノストラ」は、まるで国家間外交のように、イタリア国家(おそらく外国の国家とも)と対等に、あるいは優位に立つこともありえる権力を持った組織となっていったのです。

「マフィアは1度乗ったら、2度と降りられないタクシーのようなものだ」

これはジャーナリスト、マルコ・トラヴァイオがマフィアを表現した一節ですが、『鉛の時代』の謀略の首謀者たち、あるいは政治家、企業家たちは、自らの利益のためにマフィアを利用しようと、気楽な気持ちでそのタクシーに乗ってしまったばかりに、いつの間にかどうにも降りられない状況に陥り、そのまま地獄(暗示的にも、現実的にも)にドライブ、という結末となりました。あるいは「ミイラ取りがミイラになった」というケースもありましょう。そういえば、マフィアとの強い絆を築き、捜査上に必ず名が上がり、数えきれない裁判で無罪となったジュリオ・アンドレオッティシルビオ・ベルルスコーニは「マフィアとは共存しなければならないのだ」という主旨の言葉を残しています。

それほど大きな影響力を持つにも関わらず、ある時期までは「マフィアは存在しない。ただの伝説に過ぎない」という主張がまかり通るほど、マフィア組織は、入念に隠され続けた「国の中の国」でした。保護という名目で、市民、企業、大企業から「(みかじめ料)」を徴収し、執拗な脅しと陰湿な暴力という政治で人々を沈黙させ、確かに起こった夥しい数の殺人、さらにはあらゆる手段ーたとえば麻薬密売、公金の横領、恐喝、盗みなどーで得た富の不正搾取証拠を、「タクシーに乗った」外部の共謀者たちの助力を得て、いつの間にか深い闇に呑み込んでしまうからです。

実際、米国に渡ったシチリアマフィアが組織した「コーザ・ノストラ」の前身、「マーノ・ネーラ」の時代から、マフィアに支配される地域の人々は、たとえ何らかの犯罪の証拠を握っていたとしても、表立って口にすることはありませんでした。「みかじめ料」の拒絶同様、マフィアの動向について公言することは死を意味します。

L’EUROPEO LE RADICI DI GOMORRA/Luglio 2010より一部を引用。シチリア、戦後の街角。

さて、これから第2次世界大戦以降の「コーザ・ノストラ」の変遷を追っていこうと思いますが、あらゆる事件における登場人物があまりに多く、その関係性複雑すぎて、ひとりひとりに焦点を当てることは不可能だということを、まず率直に告白しておこうと思います。したがって基本的には、戦後マフィアの総体的な動きから、70年代から90年代にかけて最も強い影響力を持ったコルレオーネ・ファミリーに、それぞれのファミリーのボス、主要人物を巡る動きを追っていきたいと思います。

また、現代においては「コーザ・ノストラ」より、カンパーニャ州を縄張りとする「カモッラ」、カラブリア州の「ンドゥランゲタ」が、イタリアの犯罪組織シーンでは多く語られますが、それぞれの組織に犯罪の傾向、不正搾取の特徴、その性格に違いがあっても、いずれのマフィアも横に繋がっており、あるいは複数の犯罪組織に所属する人物たちも存在するため、本質的に大きな違いない、と認識して、この項を進めます。

*この項は「ファルコーネとボルセリーノの最後の言葉(Le ultime parole di Falcone e Borsellino : Chiarelettere 2012)」、L’EUROPEO( Le Radici di Gomorra : 2010)、「イタリア・マフィア(シルヴィオ・ピエルサンティ/朝田今日子訳:ちくま新書)「マフィア その神話と現実(竹山博英/講談社現代新書)、CHE COS’E`LA MAFIA (Salvatore Lupo/ Donzelli)、Il Patto Sporco/Nino di Matteo Saverio Lodato Chiarelettere 2018), L’EUROPEO LE RADICI DI GOMORRA/Luglio 2010、MAFIA fare memoria per combatterla (Antonio Balsamo/PICCOLO BIBLIOTECA PER UN PAESE NORMALE 2022)イタリア語版Wikipedia、Mafia Dossir 、Wikimafia、各種ドキュメンタリー(Raiplay)、各種新聞記事、Youtubeにアップされている関連ドキュメンタリー、映画などを参考にしています。

❷シチリアにおける戦後マフィアの登場と政治 ❸戦後マフィアの原点、ラッキー・ルチアーノ ❹金融界の寵児、ミケーレ・シンドーナとマフィア、そしてヴァチカン ❺シンドーナの失墜と『P2』スキャンダル ❻マフィアの近代化とコルレオーネ・ファミリーの台頭 ❼アンチマフィアの抵抗、ペッピーノ・インパスタート

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