ローマのエスニック・ゾーンのカーニヴァル
「イタリアは欧州の中でも、そもそもレイシズムが強い国なのだ。2017年の統計では63%の人が外国人流入に反対していた。英国や他の欧州各国のなかでも飛び抜けた数字だった」「いや、イタリアがレイシズムの国だったことなんて、今まで一度もない」「サルヴィーニの一党が現れてキャンペーンをはじめてから、突然強調された現象だ」、「いずれにしても難民の人々のために、いますぐ港を開くべき」「そもそも人身密輸ビジネスに関与する、マフィアが大問題であることを認識しているのなら、欧州が協力して全力で検挙すればいいだけで、難民の人々にはなんの罪もないんだ」「リビアの収容所に連行された人々が、どれほど過酷な拷問に遭っているか、現代のアウシュビッツはリビアだ」「アウシュビッツは秘密にされていた。われわれはリビアの状況を垣間見ることができるのに、何故、それをやめさせることができないのか」「なぜ世界は沈黙しているんだ」
ともあれ、政治家やジャーナリスト、識者がゲストのテレビ討論番組で、このように果てしなく議論を続けるイタリアでは、途中、声を荒げた激論、喧嘩になることも少なくない。しかし残念ながら、どんなに激論となっても、放送が終われば、誰もが「そろそろ寝ようか。明日早いから」と日常のサイクルに埋没してしまいます。
しかしその議論を、市民の強い意思として表現、実行するのが、前述したミラノの大規模デモであり、決して難民支援を諦めないバオバブ・エクスペリエンスのようなNGOです。そしてこのところのローマでは、難民や移民の人々の実際の支援に取り組む市民たちが、かなりの勢いで増加しているように思います。特に、中国人、バングラデッシュ人、パキスタン人、モロッコ人、エジプト人、セネガル人、コンゴ人、ペルー人、ボリビア人など、多くの国々から移民してきた外国人が多く集まるエスニックエリアであるエスクリーノ地区を含むローマ1区の区役所は、難民支援に大きな実績を持つカトリック系のコミュニティ、Sant’egirio サンテジリオと協力し、ヴィザがなく、住む家もなく、窮地に陥っている難民の人々のための滞在スペースを提供できる市民を募集。数日間で60以上の家族が、自宅の空いている部屋を彼らの滞在のために利用してほしい、と申し出たことが、ローカルニュースで報道されました。
さらに、エスクイリーノ地区では、さまざまな国をオリジナルとする子供たちが学ぶ小学校に通う子供を持つ両親たちが団結して、断固「レイシズムと闘う!」と立ち上げたアソシエーション「ドナート小学校の両親たち」をはじめ、チェントロ・ソチャーレ(文化的占拠スペース)の重鎮、Spin Time Labsや地区の労働組合で構成したRES(エスクイリーノ・ソーシャル・ネットワーク)が主体となって、今月に入ってさまざまなイベントを開催しています。それも音楽やダンスでいっぱいの、騒がしくて陽気、子供たちが走り回り、人々が歓声をあげる、温度に満ちた楽しいムーブメントです。
そもそもエスクイリーノ地区内では、他のあらゆる都会と同じように誰もがバラバラに個人主義で生活し、今まではなかなか住民同士のコミュケーションが取れませんでしたが、こうして、いくつかのアソシエーションが立ち上がったせいで、「アンチレイシズム」「サルヴィーニ法反対!」を核に地元意識が芽生えたように思います。地区をテーマにした映画を上映したり、ミーティングが行われたり、と毎週何らかのパブリック・イベントで人々が集まる機会が増え、ローカルな絆でグローバリゼーションが生んだ状況に対応していく、という姿勢です。
「Roma Capitale Umana (ローマは人間の首都)」をスローガンに据えた、このローカル・ムーブメントの決起集会(と言っても、風船が舞い、演説の合間に人々が歌い踊り、子供たちが遊ぶフェスタ)のポスターのイラストは、いまや超絶人気を誇るコミック作家ゼロカルカーレが提供、土曜の朝だというのに、広々とした公園に入りきれないほど、イタリア人やあらゆる国々から移民してきた人々、その子供たちが集まりました。
集会では、ローマはバリアのない、排斥のない街であり、すべての外国人コミュニティの権利を守るために、皆でしっかり闘う(といっても、明るく、楽しく、助け合う)ことを確認。『サルヴィーニ法』が施行されて以来、バングラデッシュ人や中国人の店が並び、アフリカからの難民の青年たちも多く集まるこの地区に、いつも大勢のポリスがパトロールし、歩く外国人を掴まえては職務質問、という殺伐とした空気が流れていましたが、ちいさい子供たちもたくさん集まった『ローマは人間の首都』の賑やかな集会以来、ずいぶん明るい雰囲気になったように思います。
そうこうするうちに開催されたのが、Spin Time Labsが中心となった毎年恒例の多国籍カーニヴァルのマーチ。今年のカーニヴァルには、『Scomodo(スコモド)』のメンバーも参加して、騒がしく、賑やかに開催されました。この『スコモド』の若者たちは、紙媒体季刊誌「Legge Scomodo(レッジェ・スコモド:面倒だけど読んでみて)」を核に、ローマの街中で、ナイトパーティやカンファレンスを開く高校生と大学生のグループで、子供たちが群れ遊ぶ中庭にサウンド・システムを設置して、なかなかかっこいい選曲とセンスで、揺るぎない存在感を見せていました。
余談ですが、この「スコモド」を形成する若者たちは、見た感じは普通のいまどきの若者たちなのに、彼らが編集した雑誌を読むと、その、あまりにプロフェッショナルな視点と分析に驚愕します。自分たちと同年代の若者たちの間をあたりまえに席巻するWebカルチャーから一歩引き、彼らが取り組んでいるのは、取材、執筆から編集、印刷まで雑誌づくりの全行程。ローマの社会問題、そして文化に、じっくり鋭く切り込む『スローインフォメーション』を旨とし、毎号アーティスト、コミック作家が表紙を手がけるその雑誌は、今年の3月で19号を迎え、7500部、ローマの街のいくつかのスポットで無料で配布され、急がないとなかなか手に入らない人気です。さらに今回の号は、2月号なのに3月に配布される、というちょっと遅れ気味の対応にも、まさに「スロー・インフォメーション」、と好感を持ちました。
見た目もなかなか豪華でシャープなデザインのその雑誌「Legge Scomodo」には広告は一切見当たらず、資金は、普段街にひっそり佇む廃墟を一晩じゅう占拠してのパーティ、Notte Scomodo(スコモド・ナイト)のカンパですべて賄っています。0号を読んだ時にも、「恐るべき子供たちの出現」と、その綿密な取材と分析に面食らいましたが、率直にいうなら、これほど濃密な仕事を勉学の片手間に続けていくのはおそらく無理だろう、高校生たちのちょっとしたクラブで、そのうちうやむやに消失するに違いない、とタカをくくってもいたのです。
しかし、彼らはその予想を見事に裏切って順調に活動を広げ、いまやANSA(イタリアの最大通信社)のディレクターや、70年代の『鉛の時代』の主人公たちを招いてのカンファレンスを開くのみならず、アートシーンや音楽シーンを含め、ローマのカウンターカルチャーに精通。機会があれば、彼らとじっくり話してみたいと思っているところです。
さて、カーニヴァルのマーチは、エスニックエリアのローカルな絆が強くなりつつある今年、例年よりも多くの大人や子供が集まって、魔女だの、王女さまだの、スパイダーマンだの思い思いに仮装して、地区を練り歩いたあと、Spin Time Labsに集結。たっぷり用意されたカーニヴァルのお菓子やリゾットやサンドイッチを頬張りながら、ダンスをしたり、歌ったり、おしゃべりをしたり、と誰もが仲良く、夜遅くまで楽しみました。バリアなく、排斥のない世界は、緊張なく自由で、こんなに安心できます。
外国人としてイタリアに暮らし、いまだ文化や習慣の違いから、途方に暮れることもあるわたしとしては、馴染みのあるエスニックゾーンに住む人々が、アンチレイシズムを断固アピールしはじめたことは力強い限りです。