25万人もの市民を集めたアンチレイシズムデモが、3月2日、ミラノで大々的に開催されました。People–prima le persone (ピープル・ファースト)をスローガンに、カーニヴァルの華やかな季節に開催されたこのデモは、音楽やダンス、かなり凝ったコスプレのグループなど、先頭の一団が目的地のドゥオモ広場に到達した時に、まだ出発地点で動きがとれない人々がいたほど、街中が人、人、人で埋まったそうです。市民たちの賑やかで陽気なこの反乱は、もちろん難民の人々に対する残酷な政策や暴言、女性差別的な法案を無理やり押しつけようとする現政府に翻した、市民のパワフルな反旗に他ならず、ミラノだけでなくイタリア全国でアンチレイシズムの機運がますます高まっています。ミラノまでは残念ながら行けませんでしたが、ローマのエスニックエリアで開催された、あらゆる民族の子供や大人たちが、思い思いのコスプレで仲良く参加した、ローカルで温かい『すべての色のカーニヴァル』マーチに参加しました(タイトルの写真は、ローマのカーニヴァルのワンシーン)。
ミラノのアンチレイシズム大規模デモ People – prima le persone
マテオ・サルヴィーニ副首相兼内務大臣がイタリアのすべての港を閉じるのみならず、国内に滞在しながら正式なヴィザを心待ちにする難民の人々が暮らしていた、ささやかなキャンプを次々に破壊、彼らの生きる権利まで剥奪しようとする国家安全保障、『サルヴィーニ法』が可決されてからというもの、今までのイタリアでは考えられなかったような、差別的な出来事や犯罪が次々に報道されるようになりました。
たとえば地方都市の小学校教師が、アフリカ人の両親を持つ小学生を教室に立たせて、「ほら、見てごらん、この子はこんなに醜いよ」と他の生徒たちの前で侮辱した、というにわかには信じがたい、とんでもない報告がなされるや否や大きな非難が巻き起こり、地方自治体や国家を巻き込んで、大きな議論に発展。当事者である教師が「社会問題の実験をしただけ」と、説得力のない弁解をしても、教育省の大臣は「学校はすべての市民に開かれ、それぞれがリスペクトされなければならない場所だ」とただちに教師の労働契約を保留、アッシジの修道院の神父も「時代錯誤で非現代的、非人間的な行動」と強く批判しています。確かにこのような、非常識甚だしい、『グリーンブック』時代をも彷彿とさせる出来事は、わたしが知るイタリアでは聞いたことがありません。
サルヴィーニが表舞台に立ってからというもの、このような人種差別に基づいた非人間的な出来事、さらには「女性は家庭に入り、家族を支えるべき」などという、まるで中世にタイムワープしそうな性差別甚だしい『同盟』諸氏の発言が、次から次にマスメディアを通じて批判的に報道され、そしてもちろんSNSでも膨張しながら拡散されるため(と同時にSNSでは難民の人々を侮辱するフェイクニュースも拡散されますが)、それに呼応するように市民の反発も一段と大きくなってきました。
日に日に存在感を増す、このアンチレイシズム運動の背景を冷静に考えるなら、連帯契約現政府『同盟』『5つ星運動』の対抗勢力である、たとえば先ごろ総裁を巡ってイタリア全国選挙が開かれ、新しい書記長が決まったばかりの『民主党ーPD』、そしてその他左派勢力の、多少の政治プロパガンダもありましょうが、わたしの周囲でアンチレイシズムのデモに出かける、あるいは何らかの意思表示をする人々は、あくまでも難民、移民の人々や、女性たち、LGBTの人々の自由、平等、権利、尊厳を死守する決意を表明するためであり、政党の旗を掲げて参加する人々は皆無です。すべての人間それぞれのあらゆる差異、個性を保証することは、すなわち自らの自由と尊厳、差異、個性を保証することと同義だと考えるからです。
他方、サルヴィーニ内務大臣はといえば、イタリア国内に正式なドキュメントを持たないまま滞在していた難民の人々を祖国に送り返すことで、国内に滞在する難民の人々の数が、ごくわずかだけ減少し、「ほら、イタリアはこれで安全になった」と強調、自画自賛しています。サルヴィーニ内務大臣は、2019年の2ヶ月の間に、イタリア国内に到着した262人の難民の人々に対して、1099人の人々を祖国に送り返すことに成功、結果、イタリア国内に滞在する難民の人々が837人減少したとして #dalle parole ai fatti (言葉から実行へ)キャンペーンで自らの勝利をSNSで拡散しました。
しかしながらFanpage.itのファクトチェックによると、この数を基準に計算すると、50万とも60万とも言われる正式なドキュメントを持っていない難民の人々を、すべて祖国に送り返すには、少なくとも1194ヶ月かかることになるそうです(それも、今後、イタリアに上陸する難民の人々がゼロだと仮定して)。つまり99年と6ヶ月かかるという計算になる。
さらに人気ジャーナリスト、ミレーナ・ガバネッリによると、2018年の6月から現在までサルヴィーニ大臣が祖国へ送り返した難民の人々の数を1日に換算すると18人となりますが、この数字は『民主党』政権時代の1日17人、とほとんど何の変化もありません。というのも、イタリアとの間に、いったん出国した難民の人々を、金銭を含め、なんらかの交換条件に基づいて再び受け入れてもいい、という合意があるのは、チュニジア、エジプト、さらなる条件付きでモロッコ、ナイジェリアなど、少数の国々にとどまるからです。
しかも、『人道的滞在許可』を一切認めない『サルヴィーニ法』により、いったんはヴィザを取得したにも関わらず、それを剥奪される多数の人々がいるわけですから、イタリア国内に「不法」に滞在しなければならない難民の人々の数はさらに増えるということになる。したがって、マテオ・サルヴィーニ内務大臣が「難民たちの極楽生活はもう終わり」などと暴力的に叫んで難民の人々の排斥を推進、勇敢に実行しているかのように見えても、それはまやかしに過ぎず、欧州議会選挙に向けた、口先だけのプロパガンダ以外のなにものでもないことは、数字が物語っています。
このような現状を憂う大勢の市民たちが集結し、ミラノで大規模なアンチレイシズムデモが繰り広げられたわけですが、このデモにはイタリア全国の1200のアソシエーション、Facebook上の4万のグループが参加、またリアーチェ市を含む700の地方自治体が賛意を表明し、さらには多くの左派政党の政治家たち、労働組合、エマージェンシー(長年に渡り、紛争地での難民支援を行うNGOで、『5つ星運動』がいまだ野党であった時代、創立者であるジーノ・ストラーダを大統領候補に推薦したこともあります)、アムネスティ・インターナショナル、国境なき医師団などのNGOも参加。ラ・レプッブリカ紙によると、参加グループの数はイタリアにおける全国記録となったそうです。
もちろんどのアソシエーションにも籍をおかず、自らの意志で参加を決めた市民たちも全国各地から続々と集まり、移民、難民の人々だけでなく、LGBT、障害を持つ人々などマイノリティの人々との連帯、そして『同盟』がプロモートする『中絶廃止法』『ピロン法案(今後、審議が予定されている、離婚にまつわる女性の権利を侵害する法案)』を巡る女性たちの権利の死守も含め、複合的なテーマに共感する人々のネットワークを形成しての抗議デモとなりました。そして、イタリア各地で最近繰り広げられている抗議活動はこのように、『差別主義』として複合的に括られるさまざまなテーマを、一気に集約しての抗議活動が主流となっています。ちなみに国際婦人デーの3月8日にローマで開かれた、フェミニストたちのストライキ及びデモも、平日だというのに5万人を集めて、ミラノのデモ同様、性差別だけではなく、さまざまなテーマの差別反対が主張されました。
ところで、政治家が多く参加していたとしても特定の政党が主催する集会ではなかったにも関わらず、デモを牽引した『民主党』主要メンバーのミラノ市長が、「ミラノがイタリアのガイドになりうるはずだ。このドゥオモ広場から、イタリアの左派を再構築する」と発言したため、多少『民主党』カラーが強くなり、これはどうなのかな? とも思いました。すると案の定、『五つ星運動』の創立者のひとり(3月11日に創立者から保証人に退いています)、ベッペ・グリッロが沈黙を破って、ブログで次のような異議を表明しています。
「25万人の人々は、そもそも存在していない、メディアが作り上げた『レイシズム』のデモ集会に参加したんだ。われわれは分断した状態にいる、とサーラ(ミラノ市長)は定義している。そしてそれには理由がある。良識ある人はみな、レイシズムが存在しているとは見ていない。社会的なエゴイズムが膨らんでいるだけなのだと理解している。一体何が起こっているんだ。イタリアは真の幽霊に向き合おうとはしていない。もしアンチエゴイズムや Il mors tua vita mea (おまえの死がわたしの生)に反対するデモであれば、僕は幸福だろう。アンチマフィア、アンチカーストであれば、さらにその幸福は増す。・・(後略)・・」(意訳)
その発言に対してミラノ市長は「親愛なるグリッロ、(政治に)参加することがどういうことなのかを多くの人々に理解させた君こそ、多くの人々が広場に繰り出し、声を上げることはリスペクトされなければならない、と知るべきだと思うよ。政府を担う勢力の創立者である君が、現実を軽視しようとするのは残念だ。多分、ミラノの人々がVaffa( くそくらえ!5つ星運動の初期のスローガン)と叫ばなかったのが嫌だったのかい?」と挑発的に答えました。
さて、明らかに政治信条の対立による、この両者の応酬から少し考えたのは、メディアの報道のあり方として、差別的な事件がひとつ起こると、「パブリックに訴えたい」「現状を伝えたい」と迸る熱意で執拗に語られ、議論が繰り返され、内容が強調され、増幅されます。したがって世の中にレイシズムが満ち溢れているような空気を形成することは確かです。
時系列で考えるなら、『同盟』が推進する「Prima gli Italianiーイタリア・ファースト」に伴う、難民やロムの人々に対して繰り返される暴言、フェイクニュースと『サルヴィーニ法』、さらに女性の権利を失効させようとする態度(たとえば 女性たちの間に大きな反発が生まれている『ピロン法案』は、女性の権利を限定するための序章にしか過ぎない、などという挑発)や衝撃的にショー・アップされた難民キャンプの強制退去 → メディアが政府のあり方を問題視し、集中的に反応 → 現実的に次々に起こる差別的な犯罪や出来事の増加 → メディアのさらなる反応と、情報の増幅と拡散 → 市民たちのレイシズムへの反発、あるいは同調という形で、社会が大きく分断、という感じでしょうか。
いずれにしてもことのはじまりは、『同盟』、及び『プロライフ』や『世界家族会議』のカトリック原理主義者、彼らと緊密に繋がる極右グループが、何年か前から打ち出した、移民、難民、ロムの人々の排斥キャンペーン、そして女性の権利を奪う、あるいはLGBTの人々の権利を認めない、という姿勢にあるには違いありません。
日常のレベルでは、イタリアで育ち、市民権を持っているにも関わらず、アフリカ、アラブ諸国をオリジナルに持つ若者たちが、警察から呼び止められ、犯罪者でもないのにしつこい尋問を受けた、という話をよく聞くようになりました。わたし自身、市役所に用事があって長蛇の列に並んでいたときに、外国人は言葉がわからないと踏んで、中国人の悪口を大声で言ったり(わたしを中国人だと思ったらしく)、アフリカの人々に対して差別用語を連発しているおじさんがいて、心底うんざりした経験があります。そのおじさんが横入りしそうになったので「先に並んだのはわたしです」と言うと、バツの悪そうな顔をして、途端に静かになりましたが、このように公衆の面前で露骨に外国人の悪口を言う人に出会ったのは、ほぼはじめてだったので、帰る道々、あれこれと思いを巡らさざるをえませんでした。
つまり面と向かって悪態はつけないけれど、心の中では外国人を軽蔑し、憎悪する人は日常にやはり存在し、そしてその人々は意外と普段は「善良」な、気のいい人々なのかもしれない、と考えます。そしておそらく、日々の生活がそれほど危機的ではなかった何年か前までは、外国人の存在など気にもかけてはいなかったのではないか、とも思う。そういえば、「サルヴィーニが政権を握る以上、もうイタリアには戻らない」とローマから飛び出した、イタリア人の母親とアルジェリア人の父親を持つ知り合いの女の子もいましたが、イタリア国籍を持ち、イタリア文化に育ち、難民支援活動を行なっていた彼女に、「父親が暮らすアルジェリアに逃げ出したい」と思わせる空気がローマには流れている、ということです。『同盟』とその周辺のプロパガンダは、じわじわと功を奏しはじめています。
もちろん、外国人であろうがなかろうが、まったく分け隔てなく、むしろ好奇心いっぱいに話しかけてくる、いかにもローマの温かい下町っ子と言う人々も多く存在しますが、サルヴィーニが政治の核に躍り出てからというもの、外国人であるわれわれは、自分たちが『エトランゼ』であることを、今まで以上に意識せざるを得なくなりました。とはいうものの、『エトランゼ』にしか見えない、理解できない諸々の事情もあり、いろんな意味で人間のさまざまな側面、そして心理の動きを学ぶよい機会となっています。
また、個人的にはまったく興味がないサンレモ音楽祭で、今年優勝したミュージシャンはエジプト人の父親とイタリア人の母親を持つ青年でした。この結果を一部の右派論客たちが、最も重要なはずの彼の音楽性をまったく議論することなく「左派のジャーナリストが多い審査員の陰謀」「国民的音楽祭を政治に利用している」と決めつけ、優勝者にとっても、最後まで闘ったイタリア人のミュージシャンにとっても、後味の悪いお祭りになったのは残念です。
▶︎イタリアで本当にレイシズムは拡がっているのか