マフィアの語源とその誕生
そもそも「マフィアの語源、そしてその誕生の起源は不明であり、はっきりとは断定できない」とされ、古代宗教、あるいは伝説(4Pに後述)に端を発するなど、さまざまな仮説が存在していますが、いずれの説においても、確固とした証拠が見つかっているわけではありません。
ただし「コーザ・ノストラ」に関しては、いくらか残る記録から、その成立過程がおぼろげに見えてくるように思います。まず、「マフィア」という言葉の語源は、その理由は明確ではなくとも、おそらくシチリアが、イスラムの支配下であった時代(827~1130年)に普及したアラブ語から派生した古い言葉ではないか、と推測されているのです。
アントニオ・バルサモはその著書で、マフィアの語源として考えられるアラブ語として、mahàs(高慢、図々しい、攻撃的な自慢)、màhfal(大勢の人々の集会)、mùafàh(保護)などを挙げ、マフィアという言葉が歴史上に残る最古の記録として「I mafiusi de la Vicaria(ヴィカリアのマフィアたち)」と題された、パレルモの大衆演劇を紹介しています。
この戯曲は、ガスパーレ・モスカ (小学校教師)によりシチリア方言で書かれた2幕もので、イタリア統一直後の1863年にパレルモのサンタンナ劇場で初演され、その後、ジュゼッペ・リゾット(劇団長、俳優)が3幕、及びプロローグを追加して、芝居を膨らませました。当時はほとんど注目されることはなく、小劇場や路上などで細々と上演されるにとどまっていたそうですが、時が経つにつれ、次第に観客が集まるようになり、1875年にはパレルモだけで300回以上(!)も上演されるほどの大人気となります(イタリア語版Wikipediaなどより)。
やがてその名声はイタリアの主要都市に知れ渡り、北イタリアを含む各都市で上演されるのみならず、英語、スペイン語にも翻訳され、と同時に「mafiusi(マフィウージ)」というシチリア独特の言葉が、国内外に広がることになりました。ただし、劇中では「カモッラ(詐欺)」「カモリスタ(詐欺師)」という言葉は多用されてはいても、タイトルで使われた「マフィウージ(マフィアの構成員)」そして「マフィア」という言葉は、なぜか使用されていません。
モスカが描いた当初のストーリーは、刑務所の中でヒエラルキーを形成する「裏社会を生きる者たち」のボス的存在の物語であり、「虐げられた者や保護が必要な者を守り、死者に敬意を払い、新しい仲間には『洗礼』を施し、組織のルールを教えて部下とすると同時に、その代償として、部下たちからU pizzu(貢ぎ物)を集める」、現代の典型的なマフィアの下部組織の有り様に近いドラマでした。また、モスカが小学校教師であったせいか、刑務所を、いわば犯罪者たちの「学校」とでも表現するような内容となっています。
なお、「U pizzu(ウーピッツゥ)(貢ぎ物)」の語源は、ヴェネチアの刺繍職人の透かし刺繍を由来とするイタリア語「pizzo(ピッツォ)」であり、マフィア界隈においては、一般の商店から裕福な企業家に至るまで、破壊行為や脅迫から身を守るために収入に見合った金銭を支払う「みかじめ料」を意味します。
さて、ここで少し横道に逸れますが、つい最近のことです。ジョルジャ・メローニ現首相が、歴代イタリア政府の悩みの種である脱税との闘いのターゲットは、あくまでも大企業や大銀行であり、中小企業に「il pizzo di Stato(国へのみかじめ料)」を要求することではない、との主旨の発言をして、「税金を国家へのみかじめ料と表現するとは、国家活動とマフィアの活動を結びつける重大な発言」と大きな議論となりました。
メローニ首相が、税金を指す言葉としてこのようなマフィア的な表現を使ったのは、炎上を狙ったのか、自然に湧き出た言葉なのか定かではありませんが、5月に「アンチマフィア政府調査委員会」の委員長として抜擢された人物が、過去に重大事件を起こした極右テロリストと懇意であることが発覚するなど、現政府におけるなかなかの不透明感は拭えません。それでも5月末に行われた地方選では、与党である『右派連合』が大勝するミステリアスな結果となっています。
ところで、リゾットが書き加えた「ヴィカリアのマフィウージ」3幕では、服役を終え、通常の市民生活に戻った主人公の物語が繰り広げられます。これは2幕までの刑務所内における「ならず者たち」の強烈な印象に対する(その生き生きとした描写が、大人気を博したわけですが)、警察当局、知識人の非難から逃れるために、ある種の倫理の提示を図ったと見られています(Fablizio Fioretti)。このモスカ、リゾット版の芝居は1894年まで、その後は改訂され、ミラノ(テアトロ・ピッコロ)などで上演されたそうです。
いずれにしても、モスカ、リゾットの時代の「Mafiuso(マフィウーゾ:単数)」は、現代の「マフィア」のような、確固とした暴力×権力システムとして構築された、複雑な構造の犯罪組織を指す言葉ではなく、「弱者を助ける」というニュアンスの、肯定的な意味をも含む言葉であったと考えられ、この戯曲こそが、ハリウッド映画や小説などでピカレスクに描かれる、「善良なマフィア神話の初ヴァージョンである」、とバルサモは指摘しています。
また、芝居のタイトルとなった「Mafiusi(マフィウージ)」はリゾットが創作した言葉ではなく、すでにシチリアの一部、パレルモやトラパニ地域で、違う意味合いではあったものの、日常的に使われていたことが、当時の学者たちの調査により明らかになっています。
語源学者ジュゼッペ・ピトレ、 作家ルイジ・カプアーナによると、1860年のイタリア統一以前、「マフィア」という言葉は、男性美、優越性、才能を表現し、「男であることの自覚、過度ともいえる精神的確信、自信満々な態度」を指す表現だったのが、イタリア統一直後に成功を収めた戯曲「ヴィカリアのマフィアたち」で、「略奪は社会規範との闘いであり、詐欺行為は示談により不法に稼ぐため、盗みは庶民の特効薬」と表現されたため、マフィアの意味が多義的に変化し、いつしか「略奪、詐欺、泥棒」の類義語となった、と考えられるそうです。
そもそも「mafioso(マフィア的な、あるいはマフィアの構成員)」という形容詞/名詞は、泥棒や山賊に使われる言葉ではなく、優美で親切、ちょっと風変わり、傲慢だが洗練された、自身の男らしく、逞しい美しさに虚栄心を抱いている若者に使われる「緻密な政治的意図と繋がるシチリアのイデオロギー」を指す表現でしたから、リゾットとモスカが描いたひとつの芝居が、「マフィア」という言葉のニュアンスを大きく変化させ、さらに意味を多義的に増幅させながら、やがて世界中に知れ渡る運命を与えた、ということになりましょう。
ところでシチリアの「イタリア統一」、というと、すぐに思い出すのが、トマージ・ディ・ランペドゥーサ原作、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『山猫(Il gattopardo)』ですが、その映画に、13世紀から続くシチリアの領主である貴族、サリーナ公ファブリツィオ(バート・ランカスター)が、シチリアに上陸したガリバルディ軍に入隊することを告げる甥、タンクレディ(アラン・ドロン)に、「ガリバルディ軍はマフィアと詐欺師だらけだ」と言うシーンがあります。
映画は1963年に制作されているので、シチリアの1860年代に使われていた「マフィア」という言葉の意味を的確に表現しているか否かは定かではありませんが、『山猫』に、マフィアという犯罪組織を、直接的に表現しているシーンはなくとも、その後のマフィアシステムの原型を垣間見ることができる、との指摘もあるのです(後述)。
※映画『山猫』の、市長ドン・カロッジェロの娘であり、タンクレディの婚約者となったアンジェリカとサリーナ公ファブリツィオの有名なダンスシーン。貴族と平民のヒエラルキーがイタリア統一以後、見事に崩壊したことが暗示されてもいます。
ちなみに「イタリア統一運動」を牽引し、その後のイタリア王国の成立に貢献したジュゼッペ・ガリバルディがフリーメイソンであったことは周知の事実であり、Grande Oriente d’Italia(イタリア大東社)の初代グランドマスターとして、ローマのモンテ・ヴェルデにある本部にガリバルディの胸像が飾られているのを、「この眼で観た」という個人的な経験もあります。また、シチリア(両シチリア王国)のイタリア統一運動は、「陰謀、革命という暴力、フリーメイソンに似た秘密結社の組み合わせが特徴」だと言う歴史家も存在します(イタリア語版Wikipedia)。
なお、「すべてがそのままであることを望むなら、すべてが変わらなければならない」というサリーナ公の台詞は、のちにGattopardismo(ガットパルディズモ)という言葉を生むほど、象徴的な台詞となりました。これは既存の体制の支配層、富裕層に属す者たちが、その権力や特権を現状維持するために、刷新されようとしている政治・社会・経済状況に適応し、いかにもその推進者であるかのように振る舞うことを言います。
そしてこのガットパルディズモは、たとえば政治家や巨大資本家など、時代の権力者だけでなく、時の移り変わりを敏感に察知し、金融システムや公共医療機関をターゲットにした犯罪へと縦横無尽に順応する、イタリア各地のマフィアたちにも当てはまる表現かもしれません。
▶︎映画『山猫』に見る新興勢力としてのマフィア