希望と絶望の闘い
そもそもケン・ローチが、ローマの映画館以外の場所を訪問する、という予定はなかったのです。ところがある日、ケン・ローチの舞台挨拶の予定を見ていると、「スピン・タイム」訪問決定!のお知らせが忽然、と現れ、危うく見逃しそうになるところでした。
ヴァチカンからも強い支持を受け、いまやローマで最も注目を集める占拠スペース「スピン・タイム・ラブス」については、このサイトでも何度か触れたことがありますが、その歴史は2013年10月、廃墟となったまま捨て置かれた17000平米という途方もない表面積を持つ10階建ての元Inpdap(全国社会保証保険公社Inpsの従業員のための宿舎)を、住居を失った家族たちのために、市民の有志で形成したNGOが占拠したことにはじまります。
わたし自身は、8年ほど前にこのスペースを知って、イベントに通ったり、いくつかのミーティングに参加したり、と人生初の占拠ムーブメントを体験し、『鉛の時代』以来の政治的なルーツを受け継いでいるとはいえ、市民たちの「やむにやまれぬ型破りな善意」、「卓越したオーガナイズ力」には、カルチャーショックを受けました。
まず、ローマが日本の都市と大きく違うのは、家賃が払えず住居を失った人々や、何らかの理由で家族や共同体から追い出され、行き場を失くした人々が路上で暮らすケースが、かなり多く見受けられることでしょうか。わたしが住む地域のアーケードは、夜ともなれば、彼らが寒さを凌ぐ寝室と化し、最近では移民の人々らしい外国人や女性も多く見かけるようになりました。
また、テルミニ駅周辺を寝室にする人々には、教会を含める多くのボランティアグループが毎日食事を配布しています。ローマでは、このように日々深刻になっていく市民の困窮の状況が、日常的に、目に見える形で迫ってくるのです。
とはいえ、ローマが特別に治安が悪いわけではなく、寒々とした冬の夜、冷たいアーケードの石の床に眠らなければならない人々を見て、悲しい気持ちにはなりますが、危険を感じるようなことはありません。絶望的な貧困に陥った人々は犯罪者ではないのです。よく耳にする「イタリアにおいて、特にローマは治安が悪い」というのは俗説で、統計によると、ローマやナポリより、裕福なミラノの方が、断然犯罪が多い都市となっています。
閑話休題。
「スピン・タイム」は、ローマの住宅を失くした人々の増加、移民の人々の困難を見るに見かねた市民たちが、住む場所の権利、移民の人々が異国で問題なく生活できる権利、労働の権利の保護とともに、市民の公共財産の定義を改めて熟慮するために占拠されたスペースです。打ち捨てられたまま、廃墟と化した17000平米の巨大建造物は、もともとローマ市民が収めた税金が湯水のように使われた元Inpsの官僚宿舎でもあり、その巨額の税金はまったく市民に還元されることなく、ただの無駄遣いとなる可能性がありました。
この10年の間というもの、「スピン・タイム」は、10階建ての2階以上の階を、さまざまな事情で住居を失った約150の家族、総勢400人超(現在)のイタリア人、そして移民の人々の住居として整備し続け、1階、地下1階は「経済循環と公共財産における都市再生」をテーマに、若い有志たちを巻き込んで、コンサートホール、アウディトリウム(劇場)、ライブラリー、オステリア(食堂)、スタディルーム、法律相談の窓口、ソーシャルワーカーのための窓口を配備して、多くの市民活動の場となるまでに成長しました。
つまり10年の時を経て、単なる「伝統的」占拠スペース(チェントロ・ソチャーレ)と定義することができない、住民400人と多くの市民アソシエーション(たとえば地域の小学校の父兄によるアソシエーションやエスクイリーノ地区、社会活動ネットワークなど)が合体した、実験的なソーシャル&カルチャー複合コミュニティに発展したのです。さらに興味深いのは、サンタ・クローチェ・ジェルサレンメ教会をはじめ、カトリック教会が運営するアソシエーションなどが関わって、毎週1回、貧困に苦しむ人々に食事を配布するホットスポットとして施設が活用されるのみならず、ビザンチン美術のイコンの修復作業工房をも提供していることです。占拠スペースには、住人たちとともに生活する在家の修道女の方もいらして、病人の治療の手配や子供たちの教育の相談に乗っています。
「スピン・タイム」を訪れるたびに、とても素人仕事とは思えない、モダンで機能的な施設が増設されていることに驚きますが、近年では、2016年に高校生が立ち上げた、欧州で、18歳以下の若者たちに最も読まれている雑誌「SCOMODO(スコモド)」の編集室及び、誰でも訪れることができるスタディ・ルームが地下1階に併設されています。ちなみにこの「スコモド」は、イタリア主要各紙がたびたび取り上げるほどプロフェッショナルな内容で、グラフィック的にも質が高く、たとえば国内外の社会問題、エネルギー問題、著名人へのインタビュー、アンダーグラウンドカルチャー、音楽、アート情報などで充実した、野心溢れる雑誌です。
そういうわけで、「スピン・タイム」全体が、文化、年齢、言語、宗教の壁を超えて機能する民主的で平和に満ちたスペースで、ある種ユートピア的とも言え、2021年には人気コメディアンで女優、映画監督のサビーナ・グッザンティがドキュメンタリー「Spin Time – Che fatica la democrazia!(民主主義ってなんて大変)」を制作して注目を集めました。現在では、多様な背景を持つ市民の共生モデルとして、あるいは演劇、音楽などアンダーグラウンドカルチャーの発信地として、さらには市民が集う質の高い勉強会、討論会、講演会の会場(ナオミ・クレインをはじめとする国内外の著名知識人、映画人、演劇人が頻繁に訪問)として高い評価を得、ローマのみならず、欧州各地の大学の研究モデルとなっています。
とはいえ、「占拠」は違法行為には違いなく、ここ数年、「占拠スペース」の強制退去が続く中、「スピン・タイム」も多分にもれず、幾度となく「強制退去」が勧告されましたが、ヴァチカンからの強力なバック・アップもあり、2023年5月、ローマ市が建物そのものを買い取ることで合法化されることが決まりました。ところが、誰もがホッとしていたそんな矢先のこと、突然、現在の所有者(Investire SGR)が「物件をローマ市に売らない」と言いはじめたのです。というのも、「2025年に控えたジュビレオ(聖年)に訪れる巡礼者を見込んで、その建物をホテルとして修復するから」だそうで、と同時に内務省からは12月末までの立ち退き命令、「強制退去」勧告が通達されました。
もちろん、その決定に「スピン・タイム」も、市民アソシエーションも大きく反発し、「ローマ市と協力して、なんとしてでも『スピン・タイム』を守り抜く」と強い意思表示を示し、大規模デモを含め、すべての市民に開かれた討論会を繰り広げています。また、各主要紙のみならず、「聖年」の真の主人公であるヴァチカンの公報紙であるオッサルバトーレ・ロマーノ紙までが、「スピン・タイム」の存在の重要性を訴え、現在、ローマ市及び有志の上院議員が、「スピン・タイム」の運営者とともに、その状況を打破すべく、奔走しているところです。
というか、だいたいたったの1年で、あの広大な建物がホテルとして修復可能であるとはまったく思えません。わたしが住む地区にある、コロナ禍で廃業した「スピン・タイム」の建物と同規模の巨大ホテルは、売却が決まって修復がはじまり半年以上経っても、まったくと言っていいほど、作業は進んでいないのです。
ケン・ローチ監督が「スピン・タイム」に現れたのは、ちょうどそんなときでした。
監督に「スピン・タイム」の存在を知らせたのは、高校生によるトラステベレの伝統的な映画館「チネマ・アメリカ」の占拠からはじまり、街角やローマ郊外のオープンチネマでその実力が認められたのち、現在はローマ市からトラステベレの映画館、チネマ・トロイージの運営を任されている「チネマ・アメリカ」の若者たちだったそうです。いまやチネマ・トロイージは、ローマ市の文化スポットのフラッグシップともなっていて、新作映画は、まずこの映画館で封切られると同時に、国内外の監督、俳優がプレゼンテーションに訪れることで有名です。ちなみに「チネマ・アメリカ」の若者たちは、2023年の春に、ローマの若者たちとケン・ローチ、さらにノーム・チョムスキー(!)を結ぶリモート・ミーティングを実現しています。
前述した通り、ケン・ローチ「スピン・タイム」訪問の当日は、いまだかつてないほどの人々が「スピン・タイム」に集まり、人を押し分けながら建物内に入らなければなりませんでした。ケン・ローチ監督が現れた瞬間、10階建ての建物全体が揺れるような歓声に包まれ、報道陣、カメラマンが取り囲んで、いったいどこに監督がいるのか分からないまま、ただ人波に揉まれながら、監督が現れるはずの地下のアウディトリウムに押し流されてしまうことになります。
しかし当然のように、アウディトリウムは満席どころか、ロビーまでが超満員で、「これでは話を聴くことすらできないかも」と思っていたところ、人の流れに押されて歩を進めるうちに、幸運なことに、アウディトリウム付近の開放された扉に辿りつき、そのまま押し流されないように、がっつり扉に捕まって、とりあえずは多少舞台が見える、という場所を確保できた次第です。
周囲を見回すと、往年の活動家と思しき紳士や仕事帰りに寄ったらしいスーツ姿の青年、ファッショナブルな高校生の女の子たち、素敵な装いのマダムなど、さまざまな年齢のさまざまなタイプの市民たちが監督の登場を待っていて、やはりここでも10代、20代の若者が観客の約半分を占めていることを意外に感じました。
そうこうするうちに、「スピン・タイム」のスタッフが、その人波を掻き分けて、ようやく監督がアウディトリウムに到着すると、そこにいた子供たちが怖がって両耳を塞ぐほどの満場の拍手が鳴り止まず、その大歓迎に監督自身も驚いて、開口一番「まさかこんな歓待を受けるなんて、想像していなかったよ」と、嬉しそうだったのが印象的でした。
そして、ここから監督のスピーチがはじまるわけですが、あまりの熱気のせいで、まるで集会のような雰囲気となり、その日いくつかの映画館で舞台挨拶があったにも関わらず、まったく疲れを見せない(なんと、87歳!)監督は、40分(通訳の時間も含めて)以上も、人々に語りかけたのです。のちに放送されたTV番組のインタビューでは「信じられないほどの歓迎で、このスペースの人々の寛容さに本当に感動したし、大きな感謝を覚えたよ。人々がこのような偉大なスペースを成しうるパワーを持っているという、素晴らしい、最高の例じゃないか。(略)われわれにはパワーがあるんだ。ただそれを使うべきなんだ」と答えていました。
さて、「スピン・タイム」に住む人々、市内全域から集まったローマ市民たちに監督が話したのは次のようなことでした。前述した映画のあらすじや、そのときイタリアで話題になっていた話をいくつか省略して、ざっくり要約したいと思います。
「こんな熱狂に迎えられるとは予想していなかったよ。素晴らしいことだ。本当にありがとう。あなたたちが、この場所でやっていることはスペクタクルなことだ!家を失った人々に住む場所を提供し、希望がない人々に希望を与えることは大切なことだ。わたしはこのスペースを、まだ少ししか見ていないけれど、玄関の展覧会(住人である子供たちが、自分たちで企画した、子供たち自身の「スピン・タイム」での日常の写真)を観て、そこに写る子供たちの生き生きとした笑顔がすべてだと思ったよ。その表情が(このスペースの)すべてを物語っている。大切なのは、子供たちに希望を与え、安心して過ごせる場所を保証することだ」
「わたしの国ではー多分あなたたちの国でも同じだと思うけれどー人々が住むための建物を建築するプロセスは、すべてマーケット(市場)が決めている。マーケットは豪勢な家を建て続け、もちろんその家を所有することができるのは、お金を持っている人々だけだ。しかし、街にはなくてはならない仕事、公共の仕事に携わるエッセンシャルワーカーの人々のための住居は造られることがないじゃないか」
「いいかい。マーケットそのものはまったく働いていないんだよ。マーケットにとっては利益のみが必要で、それがなければ満足しない。このようなことが起こるのは、国そのものが『貧困は犯罪』だと見做しているからだよ。さらにいえば、移民、難民の人々の問題は、あらゆる側面で意味があることなんだ。なぜなら難民の人々の存在は、われわれ市民を分裂させるために使われているからだ」
「われわれが今まで取り組んできた問題、たとえばホームレスの問題、公共サービスの崩壊、貧困と空腹の増加は、難民の人々がやってくる前から存在していた問題だ。しかしそれらはすべて難民の人々のせいだ、と人々に吹き込む勢力がいる。というのも、彼らは市民であるわれわれを怖がっているからだ。彼らは市民の連帯による集合的な力を知っている。ワーキングクラスが非常に強い力を持ち、搾取する側よりもずっと強いことを知っているんだ。だからこそ、(あらゆる不幸は難民の人々のせいだ、と吹聴して)われわれを分裂させようとしている」
「イギリスもイタリアも同様に、ワーキングクラスのストライキの時代を生きてきた。そのストライキが成功して、公共医療サービス、鉄道問題を解決もしてきた。もちろん政府は『あらゆる公共サービスは機能しなければならない。いつでも機能する公共サービスが必要なのだ』とストライキを禁止しようとするだろう。つまりワーキングクラスに穏当な給料を渡すわけにはいかない。安い賃金で働かせよう。そしてとにかく、ストライキは禁止だ。彼らが、そう考えていることは明白だ」
「希望と絶望の闘いだ。希望はただ手を合わせて祈ることじゃないよ。希望は政治。十分に強い、変化が起こせる可能性に根差した政治だ。われわれは十分に知的だし、現実的な変革を望んでいるにも関わらず、もしわれわれが絶望して、自分を信頼できなければ、強い力を発揮できない。ならば強い者たちの出現を待とう。希望はあなたたち自身なんだ」
「どうすれば勝てるか分かるかい? 討論(agitate)し、教化(educate)し、オーガナイズ(organize)する。こうして僕らは勝たなければならない。さて、話しはじめた時は、こんな結末で終わるとは思わなかったよ(笑)。われわれの世代は実現できなかったが、君たちの闘いは実現する。前に進もう!連帯!」
このスピーチのあとは、アウディトリウムは再び割れんばかりの拍手に包まれ、やがてイタリアのパルチザンのレジスタンステーマソング「Bella Ciao(ベッラ・チャオ)」の大合唱が沸き起こって会場が一体となった瞬間、監督は涙ぐんでいるようにも見えました。
「スピン・タイム」は、「オールド・オーク」の物語の核となる「皆で食べることは、連帯すること」というコンセプトをそのまま体現したようなムーブメントですから、監督と集まった市民たちの希望は完全にシンクロし、会場に強い連帯が生まれたのでしょう。あまりにもエネルギッシュな熱気に包まれ、汗までかいてアウディトリウムを離れる際、監督のスピーチに涙ぐんで囁きあっている女の子たちや、会場を出た暗い大通りに立ち止まって、顔を紅潮させ、議論する紳士たちのグループを見かけもしました。
「オールド・オーク」は、もしかしたら、ケン・ローチ監督の最後の作品になるかもしれない、と言われていますが、まだまだお元気に新しい作品と信念で、「われわれはこれでいいのか」と世に問うて欲しい、と考えながら、ローマの夕闇、爽やかな気持ちで帰路に着いた次第です。