ルーチォ・バッティスティ
「ところがのち、外国人のアーティストたちに『バッティスティはとにかく重要なアーティストだよ。聴いてごらんよ』と逆に勧められたんだ。そこで改めてレコードを聴いてみたんだけれど、本当に彼らの言う通りだった。もちろん、彼が活躍した時代にとっても重要な音楽性だが、彼の音は時代を超えているよ。イタリアだけでなく、インターナショナルに重要なレベル。カエターノ・ベローゾ、ジルベルト・ジル、ボブ・ディランを含める実験的なアーティストたちに匹敵すると思う。実際、アメリカのDJたちがバッティスティのディスクからサンプリングしていたりするんだから」
「そういうわけでバッティスティというミュージシャンを、僕は政治性とは全く違うアプローチから知ることになったんだが、彼の楽曲は、その時代に起こっていた現実とは距離をおいて、『自由な感性』から生まれているのだと思う。アレンジも細部に渡ってマニアックに構成されていて、彼のディスクの濃密さはなかなか超えられるものじゃない。しかもまったく音が古びない。だから他のどんなカンタウトーレより、バッティスティの作品が愛されるんだと思うよ。彼の作品は普遍だからね」
「細部に渡って気が配られているバッティスティのディスクに比べると、最近のイタリアのカンタウトーレたちは、音もテキストも、アレンジをあまり重視せず、細部が荒い作りになりすぎている。イタリアには『サンレモ派 (サンレモ音楽祭を由来とする)』というか、声、テキスト、楽曲が人々に強い印象を与えて、記憶に残さなければならない、という傾向があって、アレンジをその背景、ぐらいにしか考えていないんだ。作品に色彩を添える、ぐらいの考え方なんだと思うよ。しかしアレンジは、声、テキストと同じぐらい重要なもので、決して軽んじてはならないものだと僕は思っている。アレンジを軽んじる、という傾向は、ここ20年~25年の間のイタリアの音楽産業によって生まれたんだけれど、過去のアーティストたちが創造してきた音楽の濃密さを、音楽産業が破壊しているように見えるね」
70年代のおすすめカンタウトーレ
「70年代に重要なミュージシャンといえば、まずアレッサンドロ・アレッサンドローニだね。彼は、エニオ・モリコーネが作曲したウエスタンの口笛で有名だけど、そもそもはギタリストで作曲家だ。そして生涯のキャリアで全ての音楽に関わるという偉業を成し遂げてもいる。ジャズ、ビート、グルーブもフォークも、さらにはポップのディスクまで作成する幸運にも恵まれたんだ。特に『Alessandro Alessandroni e il suo complesso』はその時代の一線のミュージシャンとアレンジャーたちがコラボレーションした豪華なディスクで、今でも大変な人気だよ」
「それからこの『The feed back』というディスクのオリジナルは、コレクター垂涎のレコードでもある。エニオ・モリコーネも参加したインプロヴィゼーションのグループで、70年代、ドイツと英国の実験的なプログレッシブ・ロックシーンとサイケデリックの周辺で生まれたコラボレーションなんだけど、当時の第一線のミュージシャンたちが加わっている。つまり、1970年代のイタリアの音楽産業には、これほど優れたミュージシャンたちが関わっていた、ということだよ。とても1970年代に録音されたとは思えない音。すごく新しい音だ」
「イタリアの音楽やカンタウトーレを語るときは、誰がアレンジに関わっているか、誰が演奏しているか、必ずジャケットを見るのがちょっとした『秘密』なんだ。ジャズプレイヤーがいたり、作曲家がいたり、オーケストラの指揮者が加わっていたりするからね。だからこそ質の高いプロダクションが生まれた。非常に丁寧に構成され、楽曲の魅力を倍増させ、あるいは楽曲そのものを超えるような作品を生み出している」
「個人的に一番好きな70年代のカンタウトーレは、クラウディオ・ロッキというミラノのアーティストかな。彼は英国のフォーク・サイケデリックに影響され、とても豊かな表現で曲を作っている。ひとつのモデルとなるカンタウトーレだと思うよ。さらに、『Living music to Allen Ginsberg」という、アレン・ギンズバーグに捧げたディスク一枚しかリリースしてないローマのグループ。これも時を超えたディスクだと思う。彼らは一種のコミューンというか、街から離れて農業をしながら集合的でアウトノミーな生活を送っていたんだ。もちろん政府的選択でね。反議会主義のほぼアナーキーな思想。農園を作りながら、こんなすごいディスクをリリースするなんて、信じられないよね」
70年代以降
「70年代は、イタリア音楽にとっての『革命』が起こった、と言ってもいいと思うが、80年代、90年代、2000年代も時代とともに、音楽が大きく変わって行くことになった。新しいテクノロジーの登場で、エレクトロニックがアレンジの分野でも重要な位置を占めるようになり、オーケストラやセッションマンによるアレンジは省かれるようになる。また、ニューウェーブの影響もあって、イタリアン・ポップのアレンジの世界にもエレクトロニックが入ってきて、80年代からそのメタモルフォーゼがはっきりと見えてくる。それぞれの楽曲がさらにポップに、ナンセンスに、甘ったるくなって、洗練されたアレンジを求めるわれわれにしてみれば、聞き苦しいと言わざるをえないような音に変わったかもしれないね」
「80年代にはダンスミュージックも耳に入ってくるようになるんだけど、英国、ドイツのポップヒットチャートがイタリアの音楽にも影響して、その中には、とてもよくできた音楽もけっこうあるよ。例えば、フランコ・バッティアートはイタリア音楽界の巨匠だけど、70年代にアバンギャルド、ミニマリズムを追求し、80年代にはポップも手がけている。しかも彼はテクノロジーのことも、アレンジのことも知り尽くしていたから、素晴らしいポップを作っているんだ。そしてイタリアの80年代の音楽というのは、プログレッシブ・ロックの流れからきたアーティストたちが、生き延びるためにポップを手がけるようになった例が多いかもしれない。いずれにしても、その頃から音楽そのものは忘れられて、誰か有名な人物にプログラムされたようなテキストだけが強調された楽曲ばかりになったように思うよ」
「イタリアのポップと外国のポップの違いというのは、現代も含めて言えることなんだけれど、例えばビヨンセにしても、ディスティニー・チャイルドにしても、つまり商業的な音楽であってもアメリカのポップはアレンジの細部を丁寧に追求し、音作りはマニアックだ。バックミュージシャンたちも優れている。一方、イタリアのポップは起伏がないというか、平坦な作りなんだよね。なぜなんだろう、と考えた結果、TVショーのせいだと思うんだ。この15年間、イタリアのTVはタレントショーばかりで、その番組では音楽そのものより、アーティストの容姿やファッション性、話題性を重視するようになったから。写真やビデオで、タレントを売って行くためにね。音楽そのものは忘れ去られ、隅っこに押しやられてしまった。僕にしてみれば、イタリアのポップは完全に衰退した、と思うよ」
「で、ピニェートに戻ってくるわけだけれど、ここにはまだまだ音楽の可能性があると思う。この地区は、ある意味音楽的に保護された数少ない地区のひとつだよ。多様なタイプのバンドがいるし、アーティストがいるし、ファンフッラや他のクラブで演奏しながら、面白い音楽が生まれる可能性がかなりあるよね。音楽が好きな人にとっては一息つくことができる場所。マーケティングのない、人工的でもない、商業的でない、実験的で自然に生まれた音楽を聴くことができるからね」
現代のポップ・ミュージック
「カルクッタをも含む、最近のカンタウトーレの傾向を一言でいうなら、彼らは社会的無関心を代表しているように思えるかな。最近の若い世代の子たちというのは、確固とした政治的な考えというものを持っていないし、投票にも行かない傾向にある。僕らが育った70年代後半は、普通に道を歩くのも危険という時代だった。あちらこちらでデモ隊が衝突し、それも互いが銃で撃ち合うような激しいものだったからね。幼い頃、母と一緒にいるときに、目の前で爆弾が激しく爆発したこともあるんだ。僕はまだ6、7歳だったけれど、時代の空気はよく覚えているよ。僕が育った地域にはMSI(『イタリア社会運動』ー極右グループ)のオフィスがあったんだが、そのオフィスにも爆弾が仕掛けられたしね。自ずと政治を考えざるをえなくなった」
「現代の音楽というのは政治的なことだけじゃなく、あらゆる社会的な要素というものを反映していない。現代の若い人々は、ひたすら個人的なーIndividualeな音楽を求めているんじゃないかな。もちろん彼らもコンサートに行くわけだが、音楽から何らかの動きがはじまることもないし、刺激もないんだ。それぞれのアーティストの内面の告白を共有するというか、他人の日記を読んでいるのと同じような音楽だと思うよ」
「僕の聴く音楽というのは、70%がインストゥルメンタルで、実験的なエレクトロニックやサイケデリックだけれど、そこにテキストがなくとも、その音楽から素晴らしいテキストを読むことができると思っている。だから、メガコンサートなんかで、トラップで忘我に踊る若い子たちの姿をみると、から騒ぎのようで空虚に思う。僕が心配するのは、彼らには参考にできるような、強い考えに出会えないように思えることなんだ」
「確かにインターネットが民主的だということは認めるよ。しかしそれはかなり表層的なものではないかとも思っている。現代ではみな携帯で、YoutubeやSpotifyアプリから音楽を聞いているから、あるタイプのディスクは売れなくなるわけだけどね。しかし過剰な情報は、まったく情報がないことと同じだよ。僕らは昔、かなり勉強していたじゃないか。僕は音楽の勉強をしていたわけだけれど、たとえばザ・クラッシュのおかげで、米国がニカラグアに侵攻したことを知り、『なんてことが起こっているんだ』と国際政治にも興味を持ちはじめたんだから」
「さらに英国のパンクは『反サッチャー』や、レーガノミクスを歌ったり、もちろんかなり強調されて、エッセンスだけだったけれど、トピックを深めるための大きなきっかけとなった。音楽を聴きながら、ウイリアム・バロウズなどのビート・ジェネレーションとも出会った。これらすべては音楽のおかげだったよ」
「僕には、現代の若者たちが、音楽からいったい何を学ぶのか、それがわからないんだ。もちろん、日常というか、ライフスタイルかもしれないが、それは他人の日常で人工的なライフスタイルだよね。僕はそれを心配する。音楽というのは、ある種、社会の鏡だと思うから。批判がないところには分析は生まれない。そこにあるのは産業化されたエンターテインメントだけだよ」
いつの間にかシックな店が並び、ファッショナブルな若い子たちが行き交う街角になったピニェートですが、ミュージック・パルチザンたちが砦を守るレジスタンスの地、ピニェートの魂は、まったく失われていない。ルカ・コッレピッコロの話を聞きながら、そんなことを考えました。
ローマにいらっしゃる機会があるならば、ピニェートをぜひ訪ねていただきたいと思います。アヴァンギャルドなアートに満ちた、多様な個性がせめぎ合う、なかなか刺激的な街角です。