立憲主義を蔑ろにした政治の暴走に、きっぱりと異議を主張する、いかにも2015年らしい、ヒップでパワフルなデモが、日本でも毎日のように繰り広げられる昨今、イタリアでは日常のデモ風景が、日本のあちらこちらで一気に盛り上がる様子を、わたしは頼もしく思っています。
政治意見の違うグループ同士が議論を超えて、互いを過剰に罵倒しあったり、暴力的な挑発行為を繰り返すデモにはまったく賛成しませんが、多くの人が集まって、自らの意見を公共の場で主張するメガデモは、イタリアでもことあるごとに行われ(その主張があまりに多様すぎて、全てを把握することはなかなか難しく、大規模デモのたびにバスの路線が変更されることには辟易もしますが)、民主主義における、ごく日常的な市民の政治主張、当然の権利であると認識もしています。
今のところ、日本でもイタリアでも、貧困率の上昇が問題となってはいても、その生活がアフリカの一部の地域のような極限状態に置かれていることは稀で、われわれは必要最小限、とりあえず「快適」といえるモデラートな日常を送っているし(2023年の時点では、かなり深刻な状況になってきましたが)極端なイデオロギーに凝り固まっている人々の絶対数もきわめて少ないので、今のところ、デモが「暴動」に発展するようなことは、まずありえない状況です。
また、特に日本のデモは、ある意味、とても理性的に管理されていますから(イタリアでは、ときに参加者、あるいは警察官やカラビニエリが軌道を逸し、デモが暴力的に発展するのを何度か実際に見ているので)誰もがカジュアルに参加できるのは、好ましいことです。
さて、そんなこんなで日本のことをも思いながら、1ヶ月も更新を滞らせた今回は、今年の前半に開催されたローマのアンチファシズムデモについて、少しレポートしてみることにしました。もちろん日本と、EUの一国であるイタリアでは、政治状況も違えば、歴史、社会事情、人々の精神性も違うので、一概に同じレベルでデモを語ることはできませんが、ファシズムというムッソリーニを由来とする、イタリアの暗黒時代を想起させる専制政治を忌み嫌う人々が多く存在するのは同じです。
1945年、イタリアがムーソリーニから解放された4月25日は、日本の終戦記念日と同じく、国を挙げてのセレモニーが毎年開かれ、かつてイタリアを覆った理不尽な時代を記憶から呼び戻し、二度と同じ過ちを起こさないために、その傲慢な野心と無謀が再確認されます。現代でもムッソリーニ的なファシズムをイメージさせる行為は厳格に禁じられ、たとえばサルート・ロマーノ(ナチスと同様に右手を135°に掲げ、国家に忠誠を誓うポーズ)を公共の場で行った場合、ポリスがわらわらと走ってきて、場合によっては逮捕されるほど深刻に忌まわしいシンボル、『タブー』ともなっています(2022年、イタリアに極右と呼ばれる政府が誕生しましたが、それでもサルート・ロマーノは厳しく糾弾されます)。
言うまでもなく、『鉛の時代』をも経た現在のイタリアには「極右」を支持していることを主張しても、歴然と「自分はファシストである」などと言い切る人はなかなかいませんし、いわゆるムッソリーニ的に極端なファシズムを支持する輩は、もはや影も形も見当たりません。それでも欧州債務危機以後に続く現代の「エクソダス」、戦禍を逃れ、中東、アフリカから「聖書的」ともいえる膨大な数の難民の人々が地中海を渡り、イタリアを訪れる現状に、他のヨーロッパ諸国と同様、生活を脅かされることを恐れる人々が増加、排他的な運動も巻き起こり、極右傾化の兆候は少なからずあるように思えます。
しかしそのような状況下においても、中央左派、イタリア現政府の「避難民の人々の人権擁護」、さらに絶大な影響力を持つヴァチカン、フランチェスコ教皇の「避難民を拒絶することは、戦争に加担することと同じだ」という発言は多くの人々の強い共感を得ており、命からがら逃げてきた避難民の人々を全力で救援する、教会関係機関を含むボランティアのNPOが多く存在。国内に数多くの問題を抱えてもなお、避難民の人々を寛容に受け入れ続ける姿勢は、イタリアという国の何より素敵な一面だとわたしは思います。
直近では、ドイツがシリアからの難民の受け入れを表明、英国、その他の国も人数限定ではあっても受け入れを表明(英国、フランスは難民受け入れと同時に即刻シリアを空爆し、純粋な善意の表明とは言いがたい行動をとりましたが、ここではそのような、込み入ったpolitica estera ー国際政治については触れますまい)。シェンゲン協定を持つ欧州が、難民に対しても国境管理を緩め、先の見えない問題に真摯に取り組む機運が高まりつつあるのは、心強いことです。
ところで、「ファシズム」という言葉。最近、日本でもかなり頻繁に使われますが、ファシズムの本家本元、いわばファッショの老舗、イタリアにおける現代の「ファシズム」の定義について、ウンベルト・エーコの言論、「永遠のファシズム」から、少し引用してみたいと思います。
エーコはそのエッセイで、ベニート・ムッソリーニ由来の「ファシズム」を「王制と革命を同時に置くことのできる」ご都合主義のフォークロア、確固とした哲学のない(一方「ナチズム」には一枚岩とも言える哲学があったと言及)ファジーな全体主義と見なし、そののちのヨーロッパ各国をはじめ、世界じゅうの類似の全体主義を代表するレジームともなったと捉えています。そしてそのレジームをUr Fascismoー原ファシズムと名付けました。
『Ur Fascismoは、いかにも市民的な姿に形を変え、いまだに我々の周囲に存在している。我々の義務は、毎日、世界のあらゆる場所で、新しい形として存在するUr Fascismoの仮面を剥ぎ、正体を見定めることだ』
エーコは、このコロンビア大学のシンポジウムで発表した言論を、改めて加筆したエッセイの帰結として、そう警鐘を鳴らしてもいます。つまりそもそも核となるべき一枚岩の哲学を持たない「ファシズム」という専制主義は、あらゆる状況、条件で、ご都合主義的に変幻自在に姿を変えながら、確実に社会をコントロールしようとする全体主義だというわけです。そしてそのUr Fascismoは、実のところ政治の有り様だけには止まらず、現実世界のさまざまな分野の奥底に、ひっそり影をひそめながら、知らず知らずのうちに人々を従属に導いているかもしれない、実に厄介な観念でもあることをも、エーコは暗示しています。
さて、イタリアの現代の政治の世界において、今のところは、国家を揺るがすような決定的に独裁的な動きはありません。ある種、滑稽とも思われる陽気なスタイルで、ムッソリーニを彷彿ともさせるポピュリズムを再現、国内メディアをソフト路線で巧みに統制した、敏腕企業家でもあったベルルスコーニ元首相なきあとのイタリア(まだまだ元気で、時々メディアで話題となり、現政権にも少なからず影響を及ぼしてはいますが)で、現代の最も分かりやすいファシスト的動きは、と聞かれてすぐに連想するのは、『Lega Nord(北部同盟)』とローマのネオファシストグループ、Casa Pound「カーサ・パウンド」というところでしょうか。
市民運動から多くの国会議員を出した『5つ星運動』のリーダー、ベッペ・グリッロも極右発言でメディアに騒がれることもありますが、それ以外の要素も多くあるため、この項ではその運動には触れずにおきます(2015年の時点では、2023年現政権の極右政党『イタリアの同胞』は、存在しているかいないか、わからないほどの支持率であったことは、驚くべきことです)。
「カーサ・パウンド」は反議会主義ネオファシストの若者たちで構成されたグループで、その言動、主張はきわめて国粋的であり、クセノフォビアー異人種、移民排斥に、攻撃的にアクティブであることで知られています。しかしながらかつてのネオファシストほどには過剰に暴力的ではなく、あちこちのデモ集会でちょっとした小競り合い、騒ぎを起こす程度で、この夏もローマの郊外で移民排斥デモを繰り広げ、警察と衝突を起こしたことがニュースとなりました。いずれにしても、いわゆる伝統的なファシズムとは一線を画した、いわばラディカルモダン・ポップ・ファッショなイメージを構築することに成功したため、ここ10年間の間に多くの賛同者を得ています。前述しましたが、このグループの名称は、ムッソリーニを熱狂的に支持した米国の詩人、エズラ・パウンドが由来となっています。
活動当時から本部を獲得するために何度も占拠を繰り返し、彼らが最終的に得たのはローマ、テルミニ駅に近い建造物でした。2007年には、当時中道右派であった行政から、その「占拠」に正式な認可が下り、グループの実質的な活動拠点となっています。ともあれ、このカーサ・パウンドは形を変えても、かつての極右団体MSI (Movumento Sociale Italiano:イタリア社会運動)の流れを汲んではいますし、その前身のグループからは政治家、官僚が輩出されてもいて、各種右派政党とも緊密な繋がりを持っているようです。
一方、「Lega Nordー北部同盟」という政党は、パダーニア(パダーナ平野からヴェネト、ロマニォーラ)を自治連邦地域としてイタリアから独立させる、というコンセプトから発展、テリトリー主義を掲げて国政になだれ込み、現在では祖国を保護する、という名目で移民排斥、人種差別を看板とする極右勢力となっています(中道右派と分類されることもありますが、イタリアのポピュラーな政党のなかでは、最右翼といえましょう)。ベルルスコーニ時代には政府と連帯し、攻撃的な移民排斥を主張しながら与党の一部をなしていた経緯もあり、ヴェネト州、ピエモンテ州をはじめとするイタリア北部では絶大な勢力を誇っています。
イタリア北部地方は、欧州のなかでも裕福な地方で、ローマ以南の厳しい経済状況を余儀なくされる地方とは、とてつもない経済格差があります。『北部同盟』は、いよいよ貧困が顕在化する南部を抱えるイタリアの立ち行かない経済循環において、北部のみが過大な重荷を背負うことに不服を呈し、その循環から離脱して独自の経済活動を行うという、Regionalista(地方主義)、Etnonazionalismo(国から離れ、ちいさいテリトリーの少数の人々たちで形成するナショナリズム)をめざすことから出発、国政に進出しました。時を経て創立当時の極端な「地方主義」はいつしか曖昧になっていますが、移民、ジプシーへの攻撃的な差別、ユーロ脱退指向で物議を醸すことも多く、そのたびに大きな非難が巻き起こります。マスメディアでは、この『北部同盟』をil Caroccioーかつての都市部にあった、牛が引く戦車と表現されます。
『北部同盟』は、創始者であるウンベルト・ボッシが病に倒れたあと、しばらく低迷し、鳴りを潜めていましたが、2013年、ジャーナリストでもあるマテオ・サルヴィーニが書記に任命されてからは再び勢いを盛り返し、毎日のようにメディアに話題を振りまくようになりました。卵や石を投げつけられてもビクともせず、アクティブで扇情的、シシリア、トスカーナ、ローマとイタリア各地を毎日飛び回るサルヴィーニは、ロムージプシーの居住地で騒ぎを起こしたり、「人種差別者」と抗議する若者たちを車ではね飛ばしたり(たいした事故ではなかったとはいえ)、戦争で追われ、地中海を越えて逃げてくる中東、アフリカからの避難民の人々を、「イタリアに入れるな。紛争地にそのまま送り返せ。国境を閉めろ」発言を繰り返してもいました。また、ナルシスティックなマッチョな半裸イメージで大衆雑誌の表紙ともなり、人々を呆れさせたこともあります。
それでも失業率が高く、経済の停滞に悩むイタリアでは、移民からイタリア人の仕事の保護を主張し、国家予算振り分けの不当、税金の減額を謳うサルヴィーニの賛同者は次第に増え続けており、各地でサルヴィーニを囲む政治集会が頻繁に行われてもいます。『北部同盟』そのものは発足当時から、常に「反ファシスト」を掲げてきたにも関わらず、サルヴィーニは「ファシストと呼ばれても、別になんともない。勝手に呼べばいい」と断言し、いまや『北部同盟』は、モダナイズされたファシスト、レイシストの代名詞ともなってもいます。ふと思いたって最近のサルヴィーニのFacebookを覗いてみると、ミラノに設えられたつつましい移民のための住宅にパラボラアンテナ、エアコン、猫の額ほどの庭があることに着目し、「どれほどのイタリア人がこんな設備を必要としているというんだ」とコメントを残しており、つまり移民は国家予算でこんな贅沢をしている、と糾弾、その投稿に40000人以上ものいいね!が押されていて、「こんなに賛同者がいるとは」と、驚きました。
さて、2015年2月28日のこと、そのサルヴィーニ率いる『北部同盟』にカーサ・パウンドが合流し、中道左派である現在のレンツィ内閣に抗議をするため(イタリア現政府は左派ですから、『北部同盟』とは何から何まで衝突します)ローマのポポロ広場でメガデモが開催されるというニュースがローマじゅうに瞬く間に広まりました。
そのニュースとともに、「何だって!ローマでファシストのデモだなんてとんでもない!」と学生、市民、アンチシステムの若者たちを中心に、一斉に抗議の声が上がり、あっという間に「アンチファシスト、アンチレイシストデモ」が企画されたのです。学生、市民、ローマの公共建造物を占拠するチェントロ・ソチャーレ(社会文化センター)を運営する若者たちも加わって、その一連の抗議活動のスローガンは、#MaiconSalvini(サルヴィーニ絶対反対)とハッシュタグ化され、SNSや新聞などで拡散、みるみるうちに賛同者が集まりました。
『北部同盟』、カーサ・パウンドが「反政府」、市民、学生、アンチシステムグループが、反ファシスト、反レイシズム、そしてこちらもまた「反政府」という構図となり、#MaiconSalviniデモには、緊縮財政で家を追われた人々も多く参加して、3万人以上の人が出発地点に集結。語尾のアクセントが強調される北部訛りの方言を話す人々が、どっとローマに押し寄せたサルヴィーニデモよりも、さらに大規模なものへと膨張し、正直、これほどの人が集まるとは思っていなかったので、メディアも興奮し、両者のデモをライブ中継も含めて大々的に報道しました。
ちなみにこの#MaiconSalviniタグで、Youtubeにもいくつか賛同者のクリップが投稿されていますが、そのなかでも、カンヌ受賞者、実力派俳優エリオ・ジェルマーノのクリップがなかなかよかったので、簡単に訳してみたいと思います。ジェルマーノの周囲にいる子供たちはロム、ジプシーの子供たち、普段はなかなか抜け目なく、手強い子たちも、ビデオでは神妙な顔で話を聞いているのが微笑ましくもあります。
※一般的に、小柄で色が浅黒い。そのほとんどが何週間も同じ洋服を着ているので、異臭がする。通常は郊外にバラックを建てるが、都市部のうらぶれたアパートを高く借りることもある。はじめは2人がやってきて、台所つきのひと部屋を借り、やがてそれが4人、6人となり、やがて10人がその部屋に住むようになる。多分、それは方言だろうが、彼らはわれわれにはまったく理解できない言語を喋る。多くの子供たちは物乞いとして親に使われ、たいていは教会の前で女性、男性、お年寄りに、痛ましそうな声色を使い、しつこくPieta(憐れみ)を乞う。養うことができないほどの子だくさんで、非常に強い連帯感がある。盗みに入って妨害されると乱暴になることもある。われわれの女性は、魅力的なところが少しもなく、野蛮な彼らをいやがっている。また、彼らは女性を犯し、暴行する、ともいわれている。彼らは仕事から帰ると女性に暴行を繰り返すらしい。政府が国境を解放しすぎたのだ。仕事を求めてやってくる人々なのか、ただ試しにやってきただけの奴らなのか、あるいは犯罪を犯すためにやってきた奴らなのか、政府は選別することができていない。これはね、サルヴィーニの言葉じゃないよ。知ってるかい? これが何かを。これはアメリカ合衆国の移民会議で、イタリア人のことを描写した言葉なんだ。1919年、多くのイタリア人がアメリカに移民したとき、アメリカ人は、僕やサルヴィーニのようなイタリア人のことをこんな風に表現したんだ。ここで記憶をなくしてしまった人々のために、素敵な詩を読んでみようと思う。トリルッサ(ローマの方言で詩を書いた詩人)の詩なんだけれどね。『恋に落ちた人食い鬼』って題だ。聞きたい?聞きたい!(子供たち)『人食い鬼はしょっちゅう正直な娘のところへ通っていた。娘は『頭がどうかしちゃったの?わたしがあんたみたいな薄汚いやつと結婚するとでも思っているの?』『もちろん。なんで結婚できないんだ。おいらは子供っぽい冗談好きな男だし、議員にもなった。そしていまや大金持ちなんだ。なんでもできるんだぜ。そんなこと、気にするものか』娘はため息をついた。『でも人々はなんて言うかしら。年寄りの醜男と無垢な魂を持った娘が結婚する、だなんて。みんなが何もかも忘れてしまう場所に行かなくちゃいけないわね。いいことや悪いこと、醜いこともみんな忘れる場所へね。そうだわ。森に行きましょう。森には妖精が育てる野菜があるの。森のチコリアを食べれば記憶がすっかりなくなるのよ』そう娘が言うと、歯が真っ黒い人食い鬼は笑っていった。『森に行く必要なんてないさ。世界には、いままで何をやったのか、すべての記憶がなくなってしまう、という素晴らしい国があるんだからね。それはどこかというと・・・・・・イタリア!サルヴィーニ!家に帰れ!ここじゃ誰もおまえのことなど必要としてないぞ!』
こんなビデオを観たあと、結局、アンチファシストデモを覗きに行ってみましたが、短い期間に、ローマだけでこれだけの人々を集めたオーガナイズも見事だったし、マーチで流れる音楽もほどよくアグレッシブでかっこよかったと思います。何より衝突もなく、落ち着いたデモ集会でありました。昨今のイタリアの若者たち、日本の若者たちの、メガデモをオーガナイズするキャパシティには目を見張ります。
いずれにしても、国境を越えてお金や人が動き回るグローバルな時代、さらに各地の紛争で、絶体絶命、行き場のない難民の人々の命からがらの「エクソダス」を受け入れざるをえない欧州において、もはやナショナリズムはまったく意味を持たず、非現実的でナンセンスな政治主張に思えます。70億人を突破した世界人口の分布は、国境を越え、大きく変わろうとしています。そんな時代、「葛藤」より「受容」の道を選ぶほうが、経済効率的にもはるかにプラグマティックなのではないでしょうか。もちろん、膨大な避難民の人々を生む、悲劇以外のなにものでもない戦争に加担する、それどころかどんなに微かなポテンシャルであっても、戦争そのものに巻き込まれる可能性を孕む法律の強行採決などは、いわずもがなです。
そういうわけで、現在はローマにいるゆえ日本のデモに参加はできなくとも、なにはともあれ常に注目、日本のアンチファシストデモを応援したいと考える次第です。
Never Give Up.