読書通たちに「天才的(geniale)」と評される、9つのミクロコスミ(小宇宙)からなるこの本は、しかし訳者が語るように、読みはじめはなかなか先に進めず、戸惑い苦悩する、かなり手強い一冊でもあります。しかし読み進むうちに、その場にせめぎ合う歴史、記憶、自然、有名無名の人々の物語、メランコリーが万華鏡のように浮かび上がり、ミクロからマクロの宇宙へと導かれる。しかも、ときおり予期せず現れる、痺れるほどにかっこいい暗示に立ち止まり、あれこれ思いを巡らせることになりました。クラウディオ・マグリスの代表作、『ミクロコスミ』を、10年を超える月日をかけて翻訳した二宮大輔氏は、イタリア文学、文化に精通する新進の翻訳家。どのように『ミクロコスミ』を読めば、より理解が深まるか、二宮氏にご寄稿いただきました。
『ミクロコスミ』の読み方
今年の1月に私の訳書が刊行された。
クラウディオ・マグリスの『ミクロコスミ』という小説だ。イタリアの北東に位置する境界の町トリエステに生まれたドイツ語文学研究の大家マグリスは、1997年にこの作品でイタリア国内最大の文学賞ストレーガ賞を獲得した。今年で御年83歳の彼は、現在もその健筆をふるっているが、ボリュームと受賞歴からいっても、『ミクロコスミ』が彼のいちばんの代表作といって差し支えないだろう。ウンベルト・エーコに比肩する現代イタリアのインテリにして、十数年前にはノーベル文学賞候補にも名を連ねていたマグリス渾身の小説を、様々な人の力添えのもと、ついに日本で翻訳出版することができた。訳者として感無量である。
その内容は、トリエステを中心とした様々な土地について見聞したこと、考察したことをあれこれ語っていくというものなのだが、訳書を読んでくれた周囲の友人、知人からは、読みにくいと大変な評判だ。大半の人は第一章が終わる40ページごろで力尽きてしまうらしい。挙句の果てには、法学者であり、難解な判例文を読むのを生業にしているはずの実父からも、「50ページで断念した」と言われる始末だ。我が拙訳の問題はいったん置くとして、自国で評価されている大著『ミクロコスミ』が、なぜここまで日本人読者を惹きつけないのか、自分なりに考えてみた。
一つには、これといったストーリーがないからだ。自国での『ミクロコスミ』刊行からさかのぼること11年前の1986年、マグリスは『ドナウ』という小説を発表している。ドナウ川の源流から黒海に流れ着くまでの各地にまつわる逸話や歴史を語り尽くしていく彼のドイツ語文学研究の集大成とも言える作品だ。だが、その場面場面は短く、場所を移してまた新たな場面が始まるといった調子で、作品全体を貫くストーリーは存在しない。ただ、題名の通りドナウ川が常に存在しており、それが読者の道しるべになっているし、そのおかげである意味、紀行文のような読み方もできる。
『ドナウ』とよく似たコンセプトの『ミクロコスミ』にはドナウ川のような道しるべはない。いや、正確には「家族と自分の思い出の地」というテーマがある。例えば、第一章の舞台トリエステの老舗カフェ・サンマルコは著者マグリスの行きつけのカフェ、第二章の渓谷の小村ヴァルチェッリーナはマグリスの父の故郷といったふうに、彼とゆかりの深い土地を転々と巡っていく。『ドナウ』が紀行文なら、『ミクロコスミ』は私的な旅のエッセイと呼べるだろう。だが、それがはっきりと明示されることはないし、旅エッセイの体裁も保ってはいない。それが『ミクロコスミ』を読みづらくしている。
私的な旅のエッセイだとわかりづらいのは、地の文において一人称が欠如しているからだ。著者本人が体験したことなのに、場面に合わせて「彼」「誰か」はたまた「文芸欄担当者」などを主語にして、意図的に一人称を使わずに物語を進めていく。これには、「私」という主観的視線を消し去ることで、土地や時間や歴史といった登場人物の先にある概念に、読者をより接近させるという著者の狙いがあるのだが、そのおかげで作中に出てくる「彼」が著者だと理解するのが困難になる。いや、「彼」が著者だとわかる必要などないのかもしれない。だが、わかって読むと、作品が新たな顔を見せることは間違いない。
というのは、『ミクロコスミ』が発表される約1年前に、マグリスは最愛の妻マリーザ・マディエーリを病気で亡くしているのだ。作中に「私」は伏せられているが、妻のマリーザや、息子のフランチェスコとパオロは実名で度々登場する。マグリスは、もういないマリーザを想い、家族で旅した山や町を思い出す。象徴的なのが第四章「ネヴォーゾ山」での一場面だ。
〔……〕そのとき、その年月そばにおり、草地に座っていた人影が、森の緑の原っぱから立ち上がる。〔……〕そして人影は光の扉のほうへ、さらにその向こうへとゆっくりと歩を進め、通り抜けられない明るさの中へ入って消えてしまい、見えなくなった。
この草地に座っていた人影とはマリーザのことであり、著者といっしょに散策した森の草地から、彼女だけが朝日に照らされた霧(それを作中では光の扉と呼んでいる)の中へと消えていくこの場面は、彼女が亡くなったことを暗示する、あまりにも美しい情景だ。
ここで、マリーザの生まれたのがフィウーメであることにも着目したい。フィウーメは現クロアチア領リエカのイタリア語名で、アドリア海の最奥、国境にあるイストリア半島の東側の付け根に位置する。1723年、その地に自由港がつくられ、オーストリア、クロアチア、ハンガリーと次々と支配国が変わりながらも、自治都市として発展を続けた。イストリア半島の西側の付け根にあるオーストリア領の港町トリエステとはライバルのような関係だった。
第一次世界大戦後、広大な領土を有していたオーストリア=ハンガリー帝国が消滅すると、イタリアとユーゴスラビア間でフィウーメの争奪戦が激化する。紆余曲折を経て、第二次大戦後、1947年のパリ条約で、フィウーメはユーゴスラビア社会主義連邦共和国を構成するクロアチア領となった。多民族が混在するフィウーメ在住のイタリア人は、以前から迫害の対象になりえたのだが、条約をきっかけに迫害が激化し、その大半がイタリアへと亡命することとなる。彼らの亡命先が、同じパリ条約で国連の管理下に置かれ、後にイタリアに返還されるトリエステだった。
こうしてマリーザの一家も1949年にトリエステに移住する。実にマリーザが11歳の頃の話だ。幼くして故郷を失い見知らぬ土地に移住した彼女のような境遇の人々が、トリエステには多数いる。トリエステは開放的な自由港に見えるが、どこか憂鬱な表情も覗かせるのはそのせいだ。だから『ミクロコスミ』で行われているのはただの旅ではない。自らの妻を始め、戦争に翻弄され歴史のはざまで生き抜いた人々と巡る記憶の旅でもあるのだ。「マリーザは作品全体に存在している」というマグリスの発言がそのことをよく表している。
『ミクロコスミ』の購入はこちらのリンクから
枚方蔦屋書店でのトークイベントの予約はこちらから
https://store.tsite.jp/hirakata/event/t-site/26489-1733360505.html